敵の本陣は眼下にあり
午前6時。ようやくタブレットから北上命令が出た。
今目の前にある橋を渡るのかと思ったが、川に沿ってさらに行ってから橋を渡るという指示だった。
おそらく、この方が目的地に近いのだろう。
俺達のトラックと、アンドロイド達のトラックが指示された場所へ向かう。
道が舗装されていないので、トラックの揺れが
幌の小窓から外を
牛がいる。馬もいる。
農家の人達は、こちらに無関心のように早朝から農作業を続ける。
山の麓を通り、谷を抜け、平原を横切った。
午前7時。トラックから降りてみると、目的地は見渡す限りの牧草地帯だ。
タブレットはここを待機の場所として指定したのだから不思議である。
隠れるような建物はない。岩陰もない。
ただただ茫洋とした牧草地帯の真ん中にポツンと陣を広げるのである。
(ここで何をしろと言うんだ?)
牛や馬みたいに、草を食べろと言うわけではないだろう。
システムは何を考えているのか分からない。
ミカミはトラックの荷台から簡易充電器を取り出してタブレットを充電し始めた。その間は電源を切ることになるので、しばらく周囲の状況は分からない。
タブレットの電源を入れたら、『移動せよ』と表示されることを願った。
荷台から携帯食料を取り出し、みんなで朝食として携帯用の乾パンを食べた。
味気のない乾パンだが、昨日の夜食よりはマシだ。
特に、氷砂糖が有り難い。
「姉さん食べる?」
ミキがミルに乾パンを渡す。
「要らないの?」
「氷砂糖でいい」
「ずるい。それ仲良く半分こしよ」
「氷砂糖が1個余るけど、割れない」
「俺のをやるよ」
「あ、ありがとう」
「ありがとう。妹に優しいのね」
「いえ」
「照れちゃって」
「いやいや」
快晴の青い空。
微風が頬を撫でた。
草の良いにおい。
野鳥がさえずっている。
小さなチョウチョが花を求めて舞う。
戦争が終われば、みんなでここへピクニックにでも来たい気分だった。
それはそれは、良い想い出になるだろう。
ミカが皆から少し外れたところで崩した正座の姿勢で座っていて、黒革の手帳に鉛筆で何かを書いている。
視線は手帳に落としたままだから、風景をスケッチしているのではなさそうだ。
何をしているのか気になるので、彼女の右横に腰を下ろし、横から
鉛筆で音符のような物を恐ろしい速さで書いている。
「何しているの?」
彼女は何も言わない。真剣そのものだ。
聞こえていると思うのだが、話しかけないで欲しいという意思表示だろう。
邪魔すると悪いので腰を上げた途端、彼女が万歳の姿勢をする。
「出来た~!」
急に叫ばれたので、驚いて尻餅をついてしまった。
「何が出来たって?」
彼女が手帳を見せる。そこにはたくさんの音符が書かれていた。
「曲を作っているの?」
「いや、写譜」
「写譜?」
「みんなは作曲って言っているけど」
「ふーん、凄いな」
「私、将来は弾き語りでも何でもいいから、ピアノが弾ける職業に就きたいの」
「例えば?」
「コンサートは夢だけど、結婚式の披露宴で演奏とかレストランで生演奏とか」
「バーでも演奏が出来そうだけど」
「お酒飲む人は大嫌いだから、そういうのはイヤ」
「ピアノの先生も良いかも」
「1対1は苦手。みんなに聞いてもらいたいから、本当は、出来ればだけど、コンサートがいい。サロンでもいい。みんなに囲まれて歌いながらピアノを弾くの。それが夢なの」
その時、遠い記憶が蘇った。
(みんなに囲まれて演奏……作曲……そうだ……いつだろう……よく思い出せないが……俺はミカとどこかで会っている気がする)
「前に、放課後とか、学校の音楽室でピアノ弾いてなかった?」
「ん? あのことかな?」
「音楽室に生徒が何人か集まって、そこで-」
「たぶんそれ、ミカ・アーベント」
「やっぱり弾いてたんだ」
「そだよ」
「聴いたことがあるなと。昔、会っていたかも」
「私も……」
彼女の真剣な
そして、その美しい
「言われてみると、会ったことがあるかも」
「ああ、俺もそんな気がするんだ。会ったというか、どこかでこうして肩を並べて話していた気がして」
その時、ルイが俺達を家に呼んだあの日、俺がミカも救った、と言っていたことを思い出した。
(だが、ミカって彼女のことか?)
ルイは上の名前を言わなかったので、同じ名前の別の生徒かも知れない。
(ルイに聞いてみるか……)
でも仮に、俺が救ったミカが目の前にいるとしても、『あなたは俺によって救われましたよ』なんて自慢げに話をするのは、何様だとなりかねない。
彼女はまだこちらに視線を注いでいる。
「私、今思い返しても最近会っている記憶がないから、実は私と前世で会っていたみたいな?」
もしも時間が巻き戻る前の未来の記憶が前世の記憶として扱えるなら、そうかも知れないと思った。
「前世か……。ロマンチックな話だな」
急に右腕を誰かに
ミキだった。
彼女は俺の右横に腰を下ろす。
「何話してるの?」
「ああ、ミカさんが作曲しているから、凄いねと」
ミキはミカを見て、俺の右腕に左腕を絡めてくる。
彼女に対する明らかな意思表示だ。
ミカはその意思表示に応える。
「仲いいんだ」
「そうよ」
「羨ましいわ」
「付き合って長いの」
「じゃ、もう約束したの?」
「え?」
「結婚」
ミカはずいぶんとストレートなことを言う。
彼女は、カーッと照れて赤くなった俺達の顔を見てニコッと笑う。
「結婚式の時は呼んでね。ピアノ弾いてあげるから」
「いやいや、まだ早いって」
ふと視界に何か揺れている物が映った。
よく見ると、
俺は招きに応じて彼女の正面に座る。
彼女はニヤニヤして言う。
「心配したよ」
「何がですか?」
「あの時は鈍かったし」
「だから何がですって?」
「やっと付き合ったみたいだね」
「ああ、そのことですか。ええ、まあ」
「黄色い髪の子じゃないよね?」
「いいえ違います。何言ってるんですか」
「じゃ、あの痩せた子?」
「どうしてそうなるんですか」
「じゃ、あの、目のパッチリした子?」
「え、……ええ」
「ふーん。じゃ、もう黄色い子と浮気?」
「ち、違いますって」
「ハハハ」
「楽しんでません?」
「あの時ホント、片思いの子に囲まれているっていうのに鈍いから心配したよ」
「しなくていいですって。俺、やる時はやります」
「ほほう、よく言った! で、ドコまでいったの?」
「と言われても……」
「ついに一線を越えた??」
「高校生に何を期待してるんですか!?」
「今みたいな非常時は、明日は来ないかも知れないよ。やる時はサッサとやらないと」
「だから何を期待してるんですか!?」
「『やります』って言ったのは君じゃないか。思わせ振りだな、ハハハ」
「笑わないでください-」
とその時、ミカミが素っ頓狂な声を上げる。
「何これー!?」
声の方を見ると、彼女が草むらに腰を下ろし、左手でクローバーの花を弄りながらタブレットの画面に視線を落として、首を傾げている。
今度は彼女の右横へ行って腰を下ろす。
「どうしました?」
「充電が終わって今タブレットの電気付けたら、『待機せよ』って指示が出ているけど、画面の上半分に凸マークがいーっぱいあるの」
「え? どこに?」
彼女が差し出すタブレットの画面を見た途端、驚愕の事態に声も出なかった。
画面の上半分が凸マークで埋まっている。
つまり、敵の大集団なのである。
100個はあるのではないか。こうも密集していると、壮観を超える。
「ま、まさか、……目の前は敵の本陣!?」
しかし、前方を見ても敵の姿はない。
(どこだ!?)
立ち上がっても背伸びしても見えない。
腰を下ろしてまたタブレットを見る。
画面下には●マークが1つと■のマークが3つ。つまり、味方は今いる俺達だけだ。
拡大モードにすればこっちだってマークの数が増えるのだが、相手はもっと増えるだろう。
(こんな敵が密集する場所を前にして、今までノンビリと会話してたなんて……)
またブルッとした。
(こういうのって、ダモクレスの剣だったか)
「班長、ここは撤退じゃないですか!?」
「でも、ホラ」
彼女がこちらに差し出すタブレットでは、バーの表示は『待機せよ』なのだ。
ヤマヤが近づいて来た。
「何だって? 敵の本陣だって?」
彼女はタブレットを
「すっげー! 何これー!」
それから、彼女は額の辺りに手を翳して遠くを見る。
「でも何も見えないじゃん」
「そうなんです。見えないんです」
「壊れてるんじゃね?」
俺は本当の敵の兵力数が分からないので、ミカミに質問をぶつけてみる。
「班長、凸マークってどういう単位でしたっけ?」
「分かんな~い」
「あのねぇ……」
確か、前に班長から小隊規模とか適当なことを言われた気がするのだが、それすら答えてくれず、期待した俺が馬鹿だった。
そこへカワカミがやって来て、助け船を出してくれた。
「表示の単位かい? そのマークは十人単位。だいたい小隊規模かな」
「じゃ、マークの位置に小隊の十人が固まってるんですか?」
「それは表示の
「なるほど。じゃ、これだけあれば……」
「千人以上。1個大隊だね」
「マジですか……」
「地図の感じだと、ここは高台だ。おそらく、ここからなだらかな坂になっていて、下に敵が集結している」
「あ、だから見えないんだ!」
いつの間にか、ヤマヤがズンズンと敵の方向へ歩いて行く。
「あ、待ってください、副班長! 危ないです!」
彼女が立ち止まって顔をこちらに向ける。顔は45度傾いている。
「何で?」
「どうもここは高台の上だったようです。だから、そこを歩いて行くと下りになっていて、下に敵が集結しています」
「ちょっとくらい偵察に行ってもいいじゃん」
「駄目です、顔を出しちゃ!」
「尻出してやれ」
「見つかりますって!」
「遠くて見えやしないよ。気にしない、気にしない」
彼女は手を振って前に向き直り、歩みを再開した。
偵察というより野次馬の見物だろうが。
◆◆
司令室の全員は徹夜明け状態のため、疲労感が漂っていた。
ミノベ中将が眠そうに言う。
「これまでで敵の前哨部隊は壊滅、飛行中隊も壊滅、艦隊も壊滅、海上輸送を含む補給部隊も壊滅。残るは、戦車中隊とあの1個大隊のみです」
そう言い終わると目を閉じて船を漕ぎ出した。
カシマ元帥は和やかに笑う。
「ついにここまで敵を追い詰めた。輸送船団がないから、海を渡っての敵の増援には時間が掛かる。これで全兵力を、今モニターに映っている1個大隊に向ければ作戦は終わり。後は軍人が出て行く必要はないので、政治の場で決着していただきます、コノミ外相」
コノミ外相は返事をせずに
もう戦後処理の話をされても、賠償金やら何やらの交渉内容は誰も考えていないのだ。
キリシマ少将は疲れも見せずにまだニヤニヤしている。
「ところで、1個大隊を前に、何故普通小隊ひとひと班とアンドロイド連隊第二小隊だけなんですか?」
リクは、彼女に言われる前からそれに気づいており、青ざめて震えていた。
(これはおかしい……絶対におかしい……AIが導き出した作戦がこんなはずないわ)
「しかも我が国の主力部隊を5キロ後方に下げて。リクさん。これはあなたのプログラムが導いた最良の作戦なのですか?」
リクは答えられない。
何故なら、プログラムが導いたのは最良の結果のはずだが、誰の目から見てもこの無謀な小隊の配置を、最良だとは説得できない。
「囮ですか? それともアンドロイドが百人力千人力なんですか?」
彼女は、少将が答えを導いたような気がした。
「敵の油断を誘うためです」
さも知っていたかのように言葉を返したが、AIが導き出した作戦にまだ疑念が残っていた。
少将にしては珍しく頷きながら答える。
「なるほど。システムも考えましたね。……おや、凸マークが1つ前進してきましたよ」
リクはハッとした。
向かう先にはスペードのマークがある。
(マズイマズイマズイ!!!)
彼女は震えが止まらず、心臓の鼓動はバクバクと音を立てていた。
◆◆
確かに、ここは高台だった。
ズンズンと歩いて行ったヤマヤの体が200メートル向こうで徐々に沈んでいき、すっかり隠れたからだ。
あそこから先は坂にでもなっているのだろう。
とその時、それまで見えなくなっていたヤマヤの頭がヒョコッと見えたと思うと、びっくり箱から飛び出すように彼女の全身が現れた。
そして、こっちに向かって脱兎の如く逃げ帰ってくる。
「おーーーーーい! 敵は直ぐそこだ! バイクに乗った連中がワンサカこっちに向かって来たぞっ!」
「だから駄目ですって! 姿見せちゃ!」
「駄目って言われると、やりたくならない?」
「それは副班長だけ!」
彼女が敵に向けて尻を見せて、パンパンと尻を叩く姿が思い浮かぶ。
ミカミがタブレットの画面を切り替えて拡大モードにする。
こちらに向かって動いている凸マークが30以上表示された。
つまり、向かってくる敵は30人以上いることになる。
それにしてもバイクで突っ込んでくるなんて、偵察用ならまだしも、今時どこの軍隊で大規模なバイク連隊を編成しているのかと思う。
画面下のバーの表示は『アンドロイド連隊攻撃開始』になった。
ここはアンドロイド達のお出ましだ。
しかし、トラックから降りるのに時間が掛かるという難点がある。
俺達は草むらに伏せて、拳銃を構えた。俺の右横にミキが、左横にミイが伏せた。ミルとルイとミカは俺の後ろにいるらしい。他の連中の位置は不明だ。
もたもたしているうちに、バイク連隊の頭が、体が、バイクに跨がった全身が見え始めた。
先頭の集団は10台ほど。
こちらにトラック等が見えるので警戒したのか、スピードを落とした。
その時、アンドロイド達がドスドス足音を立てて、横一列に並び、前進し始めた。
この異様な光景に恐れをなしたのか、バイク連隊の先頭集団がバイクの向きを変えて元来た道を引き返そうとする。
しかし、後続の全員が勢いよく坂を登り切ったので、お互いが衝突寸前になり、仲間内でうろたえ始めた。
そこへアンドロイド達が一斉に射撃をしたから堪らない。
俺はミカミが伏せているところへ匍匐前進し、タブレットの画面を見せてもらった。
敵が斃れるのを間近で見るのが怖かったからだ。
凸マークが一つまた一つと消えていき、画面上から全て消えた。
ミカミがタブレットの画面を拡大モードから標準モードに戻すと、凸マークで動いている物はない。
バイク連隊は全滅したようだ。
画面下のバーの表示は『攻撃中』から『作戦終了。待機せよ』に変わった。