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8.愛憎の遺跡(4)

 崩れた像から現れたヴィクトリア(バンシー)は、上半身を起こすと同時に口を大きく開く。
 ベルグとカートは、すぐさま耳を強く押さえていたが、シェイラは突然現れたそれに、ただ突っ立って狼狽えているだけであった。

「シェイラッ! 早く耳を塞げッッ!!」
「え、えっ?」

 ベルグの怒声を受けたシェイラは、一体何が起こっているのか分かっていない。
 ただ『耳を塞げ』と言われたので、見よう見まねで軽く耳を抑えた直後、

「――――――!!」

 《バンシー》の口から耳をつんざく、けたたましい金切声の女の悲鳴(スクリーム)が放たれた。
 ベルグやカート、シェイラの悲鳴すら掻き消し、周囲の机や壁などをビリビリと響かせ続けている。
 シェイラは耐えきれないそれに、酷く顔を歪めるほどの悲鳴をあげてしまう。
 《バンシー》は厄介な存在である。頭を破裂させられた冒険者を見れば、まず耳栓をし辺りを警戒しろ、と言われるほどなのだ。
 本来の、ただすすり泣く妖精とはずいぶん程遠く、そのヒステリックな叫びは、“自ら死を望ませる”ほどの苦痛を味わせる(モンスター)なのである。

「――シェイラッ!? ぐ、くおぉッ……!」

 悲鳴がフェードアウトしてゆくのに合わせ、シェイラは身体の力を失い、両膝から崩れ落ちた。
 彼女に駆け寄ろうとしたベルグであったが、ガクリと片膝をついてしまう。
 犬の聴覚は人間の何倍も高いため、《バンシー》の叫びも人間の倍の威力になってしまうのである。

「く、くそ……っ!」

 何とか身体が動くカートは、ショートソードとダガーを抜き、間髪入れず《バンシー》に斬りかかった。
 ()()の叫びを防ぐ方法はただ一つ――肺に空気を溜めさせない事である。
 なので、息をつく間もなく、絶えず攻撃し続けなければならない。

「シェイラッ、おいっ……しっかりしろっ、シェイラッ!」

 ベルグは彼女の頭の下に腕を回し、片方の手でシェイラの肩や顔を叩く。
 気を失っているだけであるものの、早く()()()させなければならない。
 意識が無くとも、その悲鳴を聞けば頭がはじけ飛んでしまう事になってしまう。
 それでも目を覚まさぬ彼女に、できるだけ遠くにと、石板のあった入口付近にシェイラを運んだ。

「くそっ!」

 一方でカートは、息を吸わせまいと攻撃を繰り出している。
 右手のショートソードを振り下ろし、続けざまに身体を回転させながらもう一撃――振り上げ、殴りつけに来た《バンシー》の攻撃を、ダガーで弾き、返す剣で胸元に突き入れる。
 ――本来であれば、これだけで倒せるはずであった。

「ま、まさかコイツッ、自己再生(リジェネーション)持ってんのかよッ!?」
「何だとッ!?」

 シェイラの傍に控えていたベルグも、それに驚愕の声をあげた。
 何度も喉や胸、急所に突き刺さっているはずなのに、カートの手には全く手ごたえがないのだ。
 それどころか、先ほど傷つけた場所がすぐに癒え始めているようにも見える。
 カートはそれを見て、自分の目が信じられないと言った様子で、それを口にした。

「《バンシー》がそんなもん持ってるなんて、これまで聞いた事がねェぞッ!」

 従来のバンシーは灰色などの服を着ているのに対し、これは銀行員のような恰好――。
 胸の名札には“ヴィクトリア”と書かれている。
 もしこれも仕掛けの一つであるならば、バンシーの姿をした別の何かである。
 カートは、その時ふとカトリーナが打ち出した妙な一文を思い出した。

【 Will Give Victoria Punishment !! 】
【 (ヴィクトリアに罰を!!)  】

「犬っころッ、こいつは恐らく“断罪”の力でしか倒せねェッ! 天秤を使って出せねェのか!」
「そいつの私物があれば出せるが、それでも時間がかかるっ!
 その間に、叫びを打たれたらシェイラが危険だッ!」
「くそっ! 居るのが分かってりゃ耳栓か、ローズの爆音機持ってきたのによッ!
 テメェの“姉”はどれだけ手ェかかんだよッ!」
「その爆音なんとかと言うのは、何なのだッ!」
「アイツが研究室でかけている、爆音音楽(レコード)盤だよッ!」

 隙あらば息を吸いこもうとする|《バンシー》に、カートは剣と短刀を振りながら答えた。
 研究室では防音対策がしっかりされているため、外に音が漏れる事がないのだが、部屋の中ではとんでもない爆音が鳴り響いていたりする。
 《バンシー》が恐ろしいのはその叫びだ。しかし、逆に言えば“それしかない”。
 遮音効果の高い耳栓か、その叫びに対抗できる“音”があれば、恐れるに足りぬ敵なのだった。
 確かに、そのような騒音を出せる物があればそれは防げるだろう、ベルグは考えていた。

(しかしここには、音楽のようなものも――ん?)

 入口の石盤にある、“その文字”が目に入った。
 《バンシー》の叫びに対抗するのは、音楽でなくても“音”であればいい。

「カートッ、そいつの私物をよこせッ!」
「どれくらい耐えるッ?」
()()()()()だッ!」

 奪って、投げる――この動作の間に、《バンシー》は肺に息を溜めるだろう。
 いくら“音”で対抗する手段があると言えど、間近にいるカートには、しばらくは地獄の苦しみを味わってしまう事になってしまう事になるのだ。

 カートは『くそったれッ』と呪詛を吐きながら、《バンシー》の胸から“ヴィクトリアの名札”を引きちぎって投げる。
 ベルグに向かって投げられ、それが獣の手中に収められる。その刹那的な“間”に《バンシー》は息を吸いこみ――

「――――――!!」

 ベルグはそれと同時に、“非常ベル”のボタンを押した。
 耳を抑えても、脳に突き刺さってくるそれに、カートは思わず絶叫をあげた。
 すぐに、ジリリリリリッ――と、けたたましい鐘の音が部屋全体に鳴り響き、《バンシー》の叫びを掻き消している。

「――」

 拷問の方がマシかと思えるそれから解放されたカートは、ガクリと片膝をついた。
 嫌な脂汗を大量に浮かばせながら、こんな目に合わせたベルグを恨みがましい目を向ける。
 非常ベルの音で、それは聞こえないものの、メダルが一枚……二枚……と乗せられてゆく所であった。
 カートは、『頼りになるか分からんダチだぜ……』と口を動かしたが、けたたましい音がそれも掻き消してしまう。
 音の対決は、《バンシー》が先に息切れを起こしたようで、膝をつくカートに、ブンとか細い女の腕を振り下ろてきた。

「――」

 ベルの音が鳴り響く中、カートは声を荒げながら《バンシー》の腹部に回し蹴りを加え、それを吹き飛ばした。

「何であれ、()を蹴るってのは気分良くねェな――」

 ベルの音が止み、机の上の物をぶちまけながら《バンシー》は床に転げ落ちた。
 特定の方法でなければ倒せぬ存在――いくら強力な打撃を与えたとしても、それは決して崩れ落ちることがない。

「女を殴る事は、特に罪が重いぞ」
「あ? この場合はセーフだよ、セーフ。
 お前が遅ェから悪いんだ」
「――やはり、シェイラがいないと不便でしょうがないな。
 これまでは普通だった事が、今ではとてつもなく煩わしい」

 目を赤くした獣は、片手に鈍く光る銀色の斧を握っている。
 常に泣いているせいで目が赤い女は、スゥ……と再び大きく息を吸いこみ始めている。
 カートは耳を抑えずそのままの姿勢だ。

「オォォォォォッッ――!!」

 獣の雄叫びに合わせ、女が叫ぼうとする。だが、それは喉を震わせる間もない。
 ザンッ……と音が鳴り響いた部屋の中では、仁王立ちのまま首から息を漏らす胴体と――僅かに遅れて、(バンシー)の首が、床にボトリと落ちたのだった。

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