バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

1.リスタート

 訓練場には槍の素振りの音と、レオノーラの厳しい声がひっきりなしに響き続ける。
 正式な訓練の再開は、まだ一週間ほど先の事であり、こんなに急ぐ必要はない。
 だが、シェイラがベルグと同じ、“裁きを下す者”――“裁断者”になった、とあれば話は別であった。

「もっと腰に力を入れろッ! 腕の力だけで槍を振るなッ!」
「は、はいッ!」

 彼女のクラス、ヴァルキリーの得意武器は“槍”――。
 これまで、槍の訓練なぞ全く受けたことが無いシェイラであったが『槍の方が()()()()くる』らしく、レオノーラと相談し、それをメインにすると決めたようだ。
 手に馴染むと言えど、訓練は一から始めねばならない。まずは素振りを行い、その槍の構えをしっかりと身体に覚えさせる。
 素振りは八十二回まで数えたものの、それから数時間……シェイラは、振った回数を数えるのを止めている。それを思い出せば、翌日から訓練場通いが嫌になりそうだった。
 幸いにも、これまで実直に訓練に取り組んできたおかげか、基礎はしっかりと出来ている。
 後は、槍の技術・彼女自身の問題を解決すれば、人並み……いや、それ以上になるかもしれないと教官・レオノーラは予想していた。
 そのせいか、彼女の指導にもより熱が入ってしまい、時に厳しい言葉も出てしまう。

 斜陽を迎えた原因が“浄化”され、血の入れ替えが行われたからであろうか――訓練場からは、これまでの陰鬱とした雰囲気が感じられず、まるで生まれ変わったかのように、希望と未来に満ち溢れていた。

『今は斜陽であろうとも、落ちた陽は再び昇るのだ!』

 これには、レオノーラが決起した声をあげたのも大きい。
 冬は過ぎた――その声を聞いた町の者も『やってやろう』と拳を掲げて立ち上がったのだ。
 だが、それとは対照的につるべ落としの如く、内務担当の教官は(こうべ)をがくりと落としている。
 うなだれたその姿は、まるで萎れた薔薇のようでもあった。

(張り切るのはいいけど、この予算見たら氷河期が襲来するよ……。
 いや、もしかしたら、ブラックマンデーかもね……)

 国から届いた【助成金通知書】を見て、ローズは再びガクリと肩を落とした。
 支給額は最低限度額――。新入りがたったの九人、その内の六人が去り、教官の死亡・職員が総退職……マイナス要素しかないのだから当然だろう。
 国は住人の不満への対応は遅いくせに、銭勘定の場合だけ対応は特に早い。
 減点する要素は山盛りであっても、加点する要素がまるでない。貰えるだけありがたいと思え、と言った内容だった。

(滑り出しは上々だし、この勢いを殺しちゃいかないから、今は言わないけど……)

 黙ってはいるが、ローズの気は重いままだ。
 “裁断者”が現れた事は伏せている。言った所で増加額は微々たる物なのもあるが、ベルグが『今のシェイラには荷が重すぎる』と、黙っているように言われていたためである。

(でも、削れる所は削らないと……。はぁ、研究費ゼロはキツいなぁ……)

 レオノーラは基本どんぶり勘定なため、任せれば三日で使い切るだろう。
 この予算でも、普通の訓練生であれば、それなりに不自由しないまま卒業できる額だ。
 だが、この三人は全員“普通”とは違う、常識を逸した面々ばかり。
 “断罪者”と“裁断者”、そして“悪党”の――

「ほれ――」
「ひゃぁっ!?」

 首に突然冷たい物が当てられ、思わず首をすくめてしまっていた。
 その情けない声に、“悪者”であるカートはニマニマと意地悪げな笑みを浮かべている。

「な、何すんのよっ!」
「気づかねェのが悪いんだ」
「シーフの接近なんて、き、気づくわけないじゃない!」

 ローズと共に道具を取りに行くついでに、カートは|盗賊(シーフ)ギルドに足を運びクラスを得ていた。
 クラスを得たとは言っても、特別な能力は得たりしない。
 盗賊(シーフ)であれば、ただほんの少し身軽になったり、気配に敏感になる程度である。

「で……アンタって毎日あんな待遇受けてんの?」
「あ? まぁあれほどではないが、近い事は近いな。
 どうした? カルチャーギャップにショックでも受けたか?」

 へらへらと笑うカートに、ローズはふんっと鼻を鳴らす。
 事実、それに近い衝撃を受けたのは間違いない。堅苦しいバルディア家とは違い、まさに“家族”のような和気藹々とした雰囲気、行く先々で誰もが両膝に手を置き、“主”に深く頭を下げる――。初めて見る悪の組織の姿に、感心の声すらあげてしまうほどだった。

 しかし、彼らが頭を下げるのは、カートに対してのみである。
 横を歩く女は、過去に一悶着起こしたバルディア家の娘――カートが『手を出すな』と指示を出していたから問題はなかったものの、ローズを見る目は恐ろしく獰猛な獣の目だった。
 そのせいで、最初は居心地が悪かったものの、カートが“とっつぁん”と呼んだ男、〔ブルード〕と名乗った者が手を尽くしてくれたため、半日もすればいつものローズの姿に戻っていた。
 しばらくしてブルードは、カートの守役・育ての親のような存在だと知り、喋り方がどこか似ていたのも得心できる。

『バルティアとの一件はもう片付いた。因縁も何もかも忘れろ――』

 町を取り仕切るブルードの命であったが、これはカートの命である事は全員承知していた。
 “スキナー一家”の親玉の子だからなのもあるが、組織の上に建つ貫禄・カリスマはもう既に備わっている。
 絶対に手を出すなまでと指示すれば、ファウラーの町中で向けられていた、“ケダモノの目”がパタりと消えたのだ。
 その日から、ローズはかつての身勝手な行いを恥じた。
 カートは過去の事だと割り切り、『もう関わるな』と指示までしていると言うのに、自分は……と。

「そ、その、さ……」
「あん?」
「この前はその、ゴメン……言い過ぎた……」
「何の話をしてんだ?」
「な、何の話って私が――」
盗賊(シーフ)って、お勉強ができねェ馬鹿ばっかだからよ。すぐ忘れちまうんだ。
 金の貸し借りだけは覚えているが――俺が覚えてねェ、って事はその程度なんだろうよ」

 そう言われてしまうと、ローズはそれ以上何も言えなかった。
 姉とは違い、ローズは運動等が苦手である。姉が外で輝けば輝くほど、部屋の中に差す影が濃くなるのを感じていたのだ。
 そのせいか、自分は日陰者だ、と心のどこかで卑屈になってしまう。
 そう言った意味では、陽が差し込まぬカートと歩いた悪党の町は、彼女にとって不思議と居心地の良い場所にも感じてもいた。

「――で、予算はどれくらいで尽きるんだ?」
「アンタ知ってんの!?」
「そりゃ生の情報送ってくれっからよ」

 国の機関にネズミが混じっていると知り、ローズは少し恐ろしさを感じた。
 誤魔化すように、小さくなった氷が入った水をぐっと飲み干すと、

「お姉ちゃんみたいに、考えなしで使ったら……持って三ヶ月って所ね」
「ギルドの依頼受ければ?」
「青天井」
「俺たちの努力次第――ってとこか」
「そういうことね」

 と、槍の素振りを終え、へたり込んでいるシェイラに目をやっている。
 レオノーラが何を言うと、あんぐりと口を開けたまま固まっているのを見て、

「軽くランニング二時間、ってとこかしらね……」

 と呟き、カートと共に心の中で十字を切った。


 ◆ ◆ ◆


 ローズの視線の先にいるレオノーラは、とにかくシェイラを短期間で仕上げる使命感を負っていた。
 序盤から飛ばしすぎではあるが、シェイラは持ち前の素直さと要領の良さを活かし、レオノーラの教えをすぐに吸収してゆく。
 レオノーラにとって、シェイラは初めての教え子である。
 その上、教え甲斐があると来たのだから、その指導にもつい熱が入ってしまう。

「ほら、もっと足をあげろッ!」
「は……はひぃっ……」

 だが、大きな問題はシェイラの体力である。
 素振りから僅かな休憩を挟み、即座にランニング――彼女は数分走っただけで、ヘバってしまう。
 要所を守るだけの金属鎧を身に着け、一緒になって走っている姉を見たローズは、

(シェイラが遅いのか、お姉ちゃんが狂ってるのか――)

 改めて姉はどこか狂っている、と再認識していた。

 ・
 ・
 ・

 ひとしきりの訓練を終えたシェイラは、もう一歩も動けない、と言った様子で日蔭に転がっていた。
 灰色のクロークの色は黒色に変わり、肌に張り付いたそれは下着や身体のラインを浮かび上がらせている。
 シェイラはそれに気づかず、気づいたとしても隠す気力もないようだ。
 そんな彼女の傍らで、レオノーラは防具を外し、下に着こんだクロークをまくり上げていた。
 すらりと引き締まったウェストとヘソを覗かせながら、首にかけたタオルで全体の汗を拭ってゆく。

(すごい汗の臭い……)

 レオノーラは、このムワりとした汗の匂いが堪らなく好きだった。
 これを『“努力の結果”だ!』と彼女は言うが、インドア派のローズは理解を示さない。
 時々、『どうだ!』と嗅がせにくる姉に、眉間にしわを寄せた険しい顔で『近づくな!』と言うだけである。

(でも、物凄く気持ちが良い――)

 その匂いは今、シェイラからも漂っている。
 これまでの自分では考えられない事であるが、気持ちが爽やかになるのを感じていた。

「よし、じゃあ宿に戻って水浴びでもするか」
「はいっ!」

 この日の訓練はこれで終わりであり、シェイラは立ち上がる事すら億劫な身体に鞭を打ちながら、レオノーラ共に宿屋へと足を向けた。
 訓練場の水浴び場はまだ使用できないため、汗を流すには宿屋まで戻らなければならないのだ。

 ・
 ・
 ・

「おや、シェイラちゃん。今日は物凄く頑張ったんだねぇ……凄いニオイだよ」
「あ、あはは……。今、水浴び場は大丈夫ですか?」
「うん、構わないよ。あ、ベルグが掃除しているかもしれないから、一応確認はしてね」
「はーいっ」

 ベルグはこの日、ずっと女将の手伝いをしていた。
 全員タダで宿泊しているわけではなく、宿代を賄うため、ベルグ・カート・シェイラの三人交代制で働く事になった。
 しかしこれは、シェイラに出来るだけ長く、訓練を受けさせるための理由付けに過ぎない。

「スリーライン、いる?」
「む、もう終わったのか」
「あ、まだ掃除中だったんだ」
「待っていろ、今終わる」

 ()()()の上に立つ二人の顔は赤い。
 シェイラは、太陽の下での運動による暑気(あつけ)と日焼けによるものであるが、レオノーラは、別の意味で顔を赤く染めている。

「ふむ。頑張ったようだな――」

 そう言うと、ベルグは耳をピンと立て、シェイラの首元に獣の顎を持って行くと――スンスンと鼻を鳴らして臭いを嗅ぎ始めた。

「そう言えば、匂い嗅ぐの好き――ちょっ、す、スリーライン!? だめッ、腋はダメェッ!!」
「べ、ベルグ殿!?」
「――む?」

 獣――犬の習性であり、人間や生物が発する有機物の匂いが大好きなのだ。
 そしてそこから、人の情報を文字通り()()()()のである。
 なので、ベルグには人の汗臭などは悪臭だとは思っておらず、逆に好意的な物に感じていた。
 シェイラは、暑気以外の、恥ずかしさから顔を真っ赤にしている。

「た、確か昔も、お尻の匂いとかも嗅いでたよね……?」
「尻や股は、一番情報が伝わるからな。どんな者か、今の体調までも分かる――。
 うむ、問題はなさそうだが、暑気あたり気味なので気を付けた方が良い」
「う、うん……。もしかして、犬がよく匂いを嗅いでくるのって、そ、そんな理由なの?」
「本能と言うか習性のような物だ。目の前に尻などがあると、ついやりたくなる」
「み、見ず知らずの人にやっちゃダメだからね?」

 と、釘を刺すシェイラの後ろで、見たレオノーラは身体をもじもじとさせていた。
 己の口で言うのは(はばか)られるため、少し羨ましそうな目で『私もして欲しい』と訴えかけている。
 それが通じたのか、いざベルグの鼻がレオノーラの方に向けられると――

「ひっ、ひぁぁぁぁっ――!?」

 妹に嗅がせるそれとは全く違い、恥ずかしさからレオノーラは浴場へと駆け込み、水瓶の中に頭を突っ込んだ。

「――血圧が高いようだ。あと少し酒を控え、休肝日を設けた方がいい」
「け、血圧が高いのは別の意味だと思うんだけど……」

 シェイラの言葉に、ベルグはウォ? と首を傾げるだけであった。

しおり