4.幼馴染な姉と弟
コッパーの町の宿屋の下、一階部分は食堂となっている。
お世辞にも立派とは言えない店であるが、中は小奇麗な温かみのある食堂だった。
女将とシェイラは、夜の営業に向けての仕込みを行っていた最中であったが、連日の訓練生の早い帰りに、二人は驚いた表情を隠せずにいた。
特に女将は、
(あの陰湿オヤジが、この程度で済ますはずがないよ。
改心したのなら別だけど――あれは、死なないと分からないタイプだからね)
と、帰って来た一人にその理由を尋ねたところ、思いもよらぬ言葉が返ってきたのである。
「……ああ、なるほどね」
「そ、そんな恐ろしい人なんですか……?」
「“スキナー一家”はねぇ……悪党を煮詰めたような悪党みたいだからね。
その息子となると、恐らくは将来の親分……あの陰湿オヤジがビビって、タマ引っ込むのも無理はないよ。それに、“断罪者”か……いよいよ来るべき時が来たかもね」
女将は、アッハッハと笑って見せた。
しかし、傍で女将の手伝いをしていたシェイラは、“悪党”との言葉にすくみ上ってしまった。
「シェイラちゃん、心配いらないからね!
ここはアタシの城。いくら悪党中の悪党と言えど、アタシの目が黒い内は、誰一人とて手出しさせないよ!」
「う、うん……」
事情を知っている女将は、小さく震えるシェイラの肩を撫でた。
シェイラは、元々は小さな村の長の一人娘であり、争いなど縁の遠い毎日を過ごしていた。
しかし……突然、村が
悪質な嫌がらせから始まり、殺人から放火――それらにも、強く耐えてきたシェイラの父であったが、娘の身体までも狙われ始めた事から、その村を悪党に渡してしまったのだ。
……しかし、一家を襲った不幸は、それだけでは済まなかった。
(借金を返して、村も取り返す……。
私はそのために……そのために、冒険者になるんだから)
悪い人の名前を聞いただけで、怖がっていてはいけない――。
そう自分に言い聞かせ、目に力を込めた瞬間、
「くそッ女将、酒よこせ酒ッ……あ? なにメンチ切ってんだお前?」
「ひっ、ご、ごごごめんなさいぃっ……」
突然目の前に現れたカートにより、その力を込めた目は、涙目に変わった。
・
・
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「――うー、くそっ……」
顔を赤く腫らしたカートは、酒をあおり続けていた。
切れた口内に酒が沁みるたび、忌々し気に顔を歪め、クソッタレと汚い言葉を吐く。
端整な面立ちであるが、“悪の世界”を生き抜いてきた事を証明する鋭い目つきが、年不相応な悪相に仕立てている。
シェイラは、絶えず顔か身体のどこかを触り、落ち着かない様子であったが、女将は『アタシの城』と言うだけあって、その態度は堂々としたものだった。
「酒なんて飲むからだよ。傷から染み込んだら酔いが早く回るよ」
「るせぇッ、消毒だ消毒ッ! おい、そこの女ァ、もう一杯持って来いッ!」
「は、はいっ、たたっただいまっ……」
カートの荒げた声に、シェイラはビクりと身体を震わせた。
女将は肝が据わっており、カートが何者であろうと態度は一切変えない。
脛に傷を持つ者でも、認定証さえ授与されれば、冒険者として一からやり直す事ができる。
コッパーの訓練場は特に、流刑地のような場所であるため、落ちぶれた者が来る事もある。
それでも女将は、ずっと一人でこの聖域を守り続けて来ていたのだ。
「シェイラちゃん、持って行く必要なんてないよ」
「で、でも……」
「んだとっ! 客の注文を受けれねェってのか!」
「アンタは客でもあるけど、寮生でもあり子供でもあるんだよ。
アタシはここを守り、子供たちの巣立ちを応援する義務があるんだ」
「チッ……面白くねェ……」
女将の言う事も尤もだと、カートは浮かせた腰を再び落とした。
酔い、言葉は荒げるものの、表世界で生きる者に手を挙げるつもりはないようだ。
カートはイラ立っていた。ここに来てからと言うもの、思うようにいかない。
今日はあの教官……ケヴィンの心臓をえぐり出してやろう、としていたのだ。
だが、それは未遂に終わった――階段から降りてきた《ワーウルフ》、ベルグにそれを阻まれてしまったせいである。
「女将、私からの奢りであれば構わんだろう」
「それならしょうがないね。友の親睦として、アタシからの奢りにしたげるよ」
「む、その心遣い感謝する」
「けっ、何が友だ……」
「わっはっは、アタシもイイ事しなきゃ罰せられちゃうからねっ」
今日のコッパーの夜は、特に静かである。カートが担ぎ込まれ、そのカートがスキナーの身内ある事、それをぶん殴った“断罪人”の存在は、すぐに町中に知れ渡った。
訓練生だけでなく、コッパーの町人全員が胸に手をあて、これまでの己の行いを思い返していたからだ。
「償いは、確かに酌量の余地はあるが――」
犯した罪は許されるわけではない、と言おうとしたが止めた。
着ていたローブを脱ぎ捨て、上半身は裸……
それは、夫がいる身にもかかわらず、町の女房たちがうっとりと熱を帯びてしまう程の身体であった。
シェイラも同じように、逞しいその身体を……その背をじっと見つめていた。
「――おや、シェイラちゃん。ああ言うのがタイプなのかい?
いや確かに、惚れ惚れするような、イイ身体だよねぇ……アタシも若返りそうだよ」
「え、いい、いやっそうじゃなくてその……もしかして、って思って……」
「もしかして?」
「はい、知ってる人? かと……」
彼女の家族・村は、棲家の森を追われた《ワーウルフ》の群れを保護していた事がある。
シェイラが八歳の時だった。一緒に住んで、一緒に遊んだ、小さな《ワーウルフ》の友達……本当の“弟”のように可愛がり、とても大好きだった存在がいた。
《ワーウルフ》は、基本的には名前と言った名前を持たず、身体的特徴などを“名”として呼んでいるようだ。
そして、その“弟”の名となった特徴は――
「背中に三本線の、スリーライン――」
「ん? 呼んだか?」
もう一つの名を呼ばれたベルグは、シェイラの方を向いた。
大好きだった“弟”の名を呼び、それに答えてくれた――。
ハッとした表情に、どこか喜びが浮かび上がり始めている。
「……背中に三本の白い線があって、人型になれないスリーライン……?」
「……はて、どこかで会っただろうか?」
「わ、私は、【ルガリー村】の、フラディオ・トラルの娘の、あの……」
「ふむ? ルガリー……フラディオ・トラルの……むすめ……」
ベルグの頭に、ある名前が浮かんだ。
しかし、その名を呼ぶことに少し躊躇いが生じ、言葉に詰まってしまう。
「……も、もしかして……シェイラ、か?」
「そうっ! ああっ、やっぱりスリーラインだったんだ!
わぁーっ、久しぶりー! すごく大きくなってるし、ああっ、もうーっ!」
「おお……おおっ……。
確かに言われてみれば、“おねシェイラ”の面影も残っている!」
「ちょっ、ちょっと!? それは思い出さないでいいからっ!?」
ベルグはワフワフと目を細めて喜んでいるが、シェイラはいきなり昔の事をほじくり返され、顔を真っ赤にしていた。
周りには『お姉さん+シェイラ』と説明していたのだが、その当時のシェイラは、毎日の様に寝小便をしており、ベルグに“おねシェイラ”と呼ばれていたからだ。
「おやおや、二人は知り合いだったのかい?
世間は狭いねぇ……いや、もしかして神様の引き合わせ、運命かもしれないねぇ」
「うう、運命っ!?」
「へッ、“断罪人”の友達か――俺ならバックレてるぜ」
「スリーラインはそんなっ……でも、それ本当なの?」
「……うむ。父の前は誰か分からんが、父から受け継いだのだ。
ここの訓練場に通い、“罪人”を罰して来いと言われて来たのだが……」
ベルグも
短かったとは言え、シェイラと共に暮らした思い出が最も記憶に残っている。
もう会えない、と思っていた“姉”に会えた喜びの反面、
(思い出は美化されるのか……?)
と、残念にも思った。
「苦労、していたようだな……」
「え、う、うん……」
思わぬ言葉に、シェイラは言葉に詰まった。
“断罪者”の役目を担っているからか、その鼻が利くからか……ハッキリとは見えないものの、見た者が歩んできた
それでなくても、過去シェイラと現在シェイラの印象が全く異なり、記憶にある太陽のような明るさが、彼女から消え去っていたのだ。
今の彼女は、どこか分厚い雲がかかったかのような、内向きな印象が見られる。
「シェイラちゃん、知り合いなら相談してみなよ。
“断罪者”様であれば、きっと力になってくれるはずだよ」
「やはり……何かあったのか?」
「そ、その……実は……」
シェイラはこれまでの事を包み隠さず、全て打ち明けていた。
村を奪われ事から始まり、移り住んだ地で悪い金貸しに騙され、膨大な借金を負わされた事――借金の
その借金を返すため、冒険者になって“宝”を得ようとしている事まで、彼女は全て話した。
「ナダのルガリーってぇと……ああ“ワルツ”か。なら、金貸しはスポイラーだな?」
“同業者”だから分かるのだろう。
聞き耳を立てていたカートには、ある“組織”が思い当たっていた。
シェイラは、的確に言い当てた名前に驚きながら、コクリと小さく頷く頷いた。
「あいつらは同じ一味で、やり口もいつも同じだからな。
土地を奪い、金とシェイラをモノにしようと思っていたんだろうよ。
しかしまた、面倒くせェのに絡まれたもんだ」
「なんて奴らだい……」
「シェイラの家族が居なければ、北の《ワーウルフ》の存亡も危うかった……。
助けられた身でありながら、助けが必要な時に気づかないとは……すまない」
「え、いい、いやそんな頭下げないでいいよ」
「我々は決して恩を忘れない。
村を救う為ならば、総力を挙げて奴らと戦おうっ!」
「えぇっ……だ、ダメだよッ、戦争なんて――」
“弟”の口から物騒なワードが飛び出し、戸惑いを見せている。
シェイラは『借りたお金を返せば、それで解決する』と思っていたからだ。
しかし、相手“ワルツ”を知っているカートには、そのシェイラの見込みの甘さに、呆れた目を向けていた。
「シェイラとか言ったな?
お前の考えのが甘ェよ。奴らは金で解決するような奴らじゃねェ。
交渉に行けば最後、次に行くのは娼館の地下牢だぞ?」
「で、でも……」
「当面、村は放っておいて、借金があるなら先にそっちを解決しろ。
裏に“ワルツ”が付いてるだけのくせに、スポイラーは鬱陶しいからよ」
虎の威を借りているだけのくせに、とカートは言った。
ベルグもそれに賛同し、大きく頷いて見せた。
「この男が言う通りだ。シェイラ、借金はいくらあるのだ?」
「え、えぇっと……その……大判金貨で七百枚かな……?」
「何だと!?」
「なっ、七本も何に使ったんだよっ!?」
その額に誰もが目を剥き、カートは思わぬ額に素っ頓狂な声をあげた。
一本百枚で計算しており、せいぜい一本半ぐらいだろうと思っていたのだ。
予想の十数倍の額に、女将も口をあんぐりと開いたまま、硬直してしまっていた。
借金の事は知っていても、額までは知らなかったのである。
一般家庭の月の収入が、中判金貨で五枚ほどだ。
大判ともなると、その中判金貨の、ほぼ倍の価値である。
「村を追い出されてから、当面の生活費に少し借りただけみたいなんだけど……。
いつの間にか、借用書がどんどん増えていたみたいで……」
「スポイラーの所は、よくその身に覚えのない借金話を聞くが……。
ここまで、よく綺麗な身体のままでいれたな、おい……」
ベルグも無言で聞いているが、その心の内では沸々と湧き上がる物を抑えていた。
そのような“悪党”を許せないのはもちろんであるが、シェイラにそのような毒牙を向けた事と、それに気づかなかった自分が許せなかった。
「何か、悪い人の中にも、色々手をまわしてくれた人も居たけど……」
「感謝はしても、信用はすんじゃねェぞ? 惚れさせて――って話も多いからな」
「う、うん」
「で、金を返すアテはあんのか?
いや、『冒険者になって一山』ってとこからして、ねェか」
「うっ……」
「俺もすぐに卒業して、シェイラの手伝いをしよう。後どれくらいで卒業なのだ?」
「え、えぇーっと……」
ベルグの言葉に、シェイラは返事に困った。
この訓練場と同じく、彼女も問題を多く抱えているのである。
彼女は、別の訓練場から“転校生”であるのだが、その“転校”は、一度や二度だけでない。
あちこちをたらい回しにされ続け、かれこれ四年は経とうとしていたからだ――。