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5.悪の道を歩む男

 シン……とした宿屋の外で、風が草木を撫でた。
 目を逸らしながら、おずおずと答えたシェイラの言葉に、カートを始めベルグまでも眩暈がしそうになっている。

「向いていないのではないか?」
「誰もが思った事をハッキリ言うんじゃねェよ、犬っころ」
「うう……薄々分かってたけど、こう面と向かって言われるとやっぱり……」

 ()るものがある――と、言わんばかりに、ガクッと肩を落とした。

「やはりその、弱々しい身体であろう」
「優柔不断、気も小せェのも致命的だろうよ」
「あ、あうぅぅぅ……」

 再開したばかりの“弟”の目にも、会ったばかりのカートにも、その“原因”を一目見抜いていた。
 迷宮に入れば、即座にモンスターの餌になる可能性が高い――そんな結果の分かりきった者に、おいそれと認定証を出すわけにはいかない。
 二人の歯に衣着せぬ物言いに、シェイラの硝子よりも脆い心はズタズタだった。

「で、でも皆勤賞だよ!」
「訓練場に通うだけで、認定証もらえるなら世話ねェよ」
「だよね……」

 シェイラは、夢に向かってひたむきな努力を重ねてきた。
 誰もがそれを認めているがゆえに、努力の結果が悲惨な末路を招いた……では、夢見が悪くなってしまう。
 訓練場の教官も、時には厳しく、痛めつけるような事をしてでも、諦めさせようとした。……が、そのたびに彼女は唇を噛み、涙をこらえながら立ち上がってきた。
 そんな頑なで、強い意志を見せられてしまうと、誰しもが両手をあげてしまう。

(もう“辞めさせの訓練場”しかない――)

 と、最後の責任者は、コッパーへの推薦状を出すことを決意する。
 これには最大の問題がある。真面目すぎる彼女をそこにやることは、飢えた獣の檻にウサギを投げ込むようなものだ。下手をすれば、心に大きな傷を負わせてしまいかねない。
 教官は、最後の一文字まで、推薦文を書くのを躊躇った。

 そして、その不安の多くが的中してしまう――。
 教官・ケヴィンによるセクハラは日常的であり、何かと理由をつけては、胸や腰、尻などを触りに来る。
 強い嫌悪感を抱くシェイラであったが、『冒険者になる』一心で、これに耐え続けた。
 しかし、ずっと苦しんできたのだろう……。“被害”を訴えるシェイラの目には、嫌悪と怯えが入り混じり、今にも泣き出しそうになっている。

「――なおさら、あのクソ野郎を始末しなきゃならねェな」

 忌々し気にそう呟いたカートの目には、“悪”の鋭さと怒り、そして殺気が込められていた。
 決して諦められぬ目標があるがゆえに、反抗する事も辞める事もできない――それを食い物にしている男が、決して許せなかったのだ。
 それを聞いたベルグは、どこか怪訝そうにカートの方を見た。

「――カート、と言ったな。お前に少し尋ねたい事があるのだが」
「あァ?」
「お前には血の臭い、人を殺めた臭いがする。
 人の命を奪う事は重罪であるにも関わらず、天秤はそれを大きな罪と見なさなかった――。
 これに、何か心当たりがあるか?」
「ふん……捨てられた子犬を助けた事はあったかもな。
 おい、シェイラ、ビール持って来い」

 犬頭をじろりと見て、カートは皮肉交じりにそう答えた。
 シェイラは恐る恐る、ジョッキに注いだビールをカートの前に置くと、ぐっと喉を通す。

「あの教官を含め、これまで見た悪党は全く違う“悪”を感じるのだ」
「あんな、クソみてェな奴と一緒にすんじゃねェよ。
 いいか? てめェが持つ“清く正しい法”と同じで、俺にも“悪の法”ってもんがあんだよ」
「悪の法――?」
「ああ、何だっけな……ガキの頃に一度見ただけだがよ。
 確か……“誰かが抑止せねばならぬ”、で始まってたか」

 うろ覚えに『悪の資格を持たぬ者に死を、道に背きし者に死を――』と、“悪の法”を述べた。
 仮に悪党が、勝手にルールを定めていたとしても、“天秤”には通用しないはずである。
 ずっと疑問に感じていたベルグであったが、更に謎が深まってしまったようだ。

「“悪の法”……聞き覚えのない“法”だ……」
「俺が殺したのは、これに反した奴だけ……まぁ、それも今日破るはずだったがな」
「昨日もだが、あの教官に恨みでもあるのか? 尋常ならざる殺意が垣間見れたのだが」
「恨み、ってほどのもんじゃねェがな。
 ちと、あのクソ野郎に泣かされた女がいてよ。それのお礼参りってとこだ」

 酒が回って来たせいか、カートはベルグになら目的を話しても構わない気がしていた。
 ここで止めておこう、もうここで止めておこうと思うものの、口からは次々に言葉が発せられている。

「酒場で身体を売って生計を立てていた、〔イライザ〕ってアバズレが居たんだ。
 床上手って言うの? 俺ァ、そいつにハマっちまっててよ……。
 足を洗って、冒険者になりたいっつーから、俺はそいつに援助したんだよ」
「イライザ……イライザってまさか……っ!?」
 あの子が『認定証を一番最初に見せたい人が居る』って言ってたのって……」
「あのクソ野郎に卒業チラつかされ、身体差し出した女が居たはずだ。
 裏で生きる奴は、明日すら分からねェ――だから、自業自得だって言い聞かせてたんだが。
 後で、あいつが自殺したって聞いてから、居てもたってもいられなくなってよ」

 カートは包み隠さず全て話した。
 イライザが自害したとの知らせを受け、カートの目の前は真っ暗となった。
 その絶望と怒りの中で、元々理想としていた、“悪の道”がハッキリと浮かぶ――。
 己の歩むべき“道”が見えた時、ドラ息子のような目から、“悪”の目へと変わったのだ。
 同時に、同じ悪党である父への“尊敬”の念が消え、“道”の障害物と見なしている。

「なるほど――よく分かった」
「おめェが止めなきゃ、今頃はよ」

 女将は声を殺して泣いているが、抑える必要もないほど嗚咽を漏らしている。
 ベルグは何も語らず、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。

「――俺は、お前の“道”を正すために、獣神に遣わされたのだろう」
「おい、ケヴィンは俺の獲物だ! 手を出すんじゃねェッ!」
「復讐も酌量の余地はあるが、“己の信ずる道”を、踏み外して良い理由とはならん。
 同じ道を歩むなら別であるが、ケヴィンはお前と同じ穴の(むじな)でもない。
 もし復讐を果たせば、お前は自身の持つ“悪の法”に背く事となるだろう。
 そうなれば、私はお前を再び裁かねばならぬ――」
「構わねェ――次は返り討ちにしてやらァ」
「友が道を踏み外すのを黙って見ている。これは、人を殺める以上の重罪だ。
 ……それに、同じ奴を何度も裁くのは面倒だからな」
「お、おいッ、待ちやがれ――ッ!!」

 ベルグは宿屋の入口へと歩を進め、真っ黒に塗りつぶされた闇の中に身を沈めてゆく。
 右手に金色の天秤を持ち、左手には三枚のメダルが入ったホルダーが握られている。


 ◆ ◆ ◆


 その頃、ケヴィンはコッパーの町を出て、真っ黒に塗りつぶされた山道を息を切らせながら走っていた。

(とりあえず、隣国のバネダに逃げよう。
 落ち着いたら、名前を変えてどこかのチンケな訓練場で、また教官をやり直そう……)

 断罪者の存在を知り、次は自分の番かもしれない、と恐怖に打ち震え、裁かれる前に高飛びを決めたのである。
 が、その目的までの道のりは遠く、長年楽ばかりしてきたその身体は悲鳴をあげていた。

「……ハァッ……ハァッ……け、剣ってこんな重かったか……?」

 鬱蒼とした暗い山道は長く、バネダ国どころかコッパ―の町から言った場所で、木の根基にどしりと腰を落とす。
 サビの浮いた愛剣を背にかけ、部屋を飛び出したものの、重い剣のせいで思うように走る事が出来ないようだ。

「チッ、どうせボロ剣だ――」

 ガシャン……と音を立て、戦士(ファイター)の命とも言える、ロングソードを忌々し気に投げ捨てた。
 木剣で弱者を痛めつけるだけとなったケヴィンには、もう苦楽を共にした相棒すらも、重い枷に過ぎないのである。
 これまで訓練生から巻き上げてきた、重い金貨袋は捨てるつもりはなく、逆に落としては無いかと確認している。

(クソッ……どうしてこんな事になってんだ……ん?)

 大きく息をついた先で、何やら人影が近づいて来ているのに気がついた。
 森の中を徘徊する《グール》か、とそこに目をやると、

「き、貴様はッ……」
「教官よ。こんな夜更けに如何された――」

 真っ暗な闇の中で、ベルグの黄色がかった狼の目が光っていた。
 それから逃げだそうとしていたケヴィンは、心臓が縮み上がりそうになるのを感じながら、しどろもどろに、その場を取り繕おうとし始める。

「い、いや何でもねェッ、ちょ、ちょっとランニングをな……」
「そうか。こんな時間に熱心な事だ――。
 で、訓練場のゴミ箱にバッヂが捨てられていたのだが、これは教官のか?」
「い、いや俺のじゃねェッ!」
「ケヴィン・クレイル――の名前が刻まれているのだが?」
「あ、あぁぁ、そうだッ盗まれたんだッ。
 そう、あいつだッスキナーのガキが盗んだんだ」
「友は、先ほどまで私と酒を飲んでいた。盗む事は不可である」

 そのバッヂを拾った者は、静かに目を閉じた。
 ハメられた――それに気づいたケヴィンは開き直ったのか、いつもの醜さに顔を戻す。

「……ケッ、断罪者と犯罪者が一緒に酒だァ?
 悪党を殺せなかったお前は、奴らの仲間なんじゃねェのか!」
「悪なる者はこう言った、『悪には悪の法がある』と。
 悪の法の下で友は行動していたがゆえ、私は奴を悪として裁けなかったようだ。
 それに、“断罪者”と“処刑人”は、また違う」

 その時、ケヴィンにある考えが頭に浮かんだ。こう言った悪知恵だけは働く。
 断罪者の言葉通りであれば、この窮地を脱出できる方法がある――と。
 それに気づくいたケヴィンは、断罪者の“裁量”が急に怖くなくなった。

「じゃあ、俺の罪とやら……とっとと量ってみやがれッ」

 ベルグはその言葉に頷き、ケヴィンの職員のバッヂを天秤に乗せた。

「金の罪――重い」

 天秤はバッヂの方に傾いた。

「人の罪――重い」

 天秤はバッヂの方に傾いた。

「魂の罪――重い」

 最後のメダルを乗せた時、天秤はバッヂの方に大きく傾いた。
 その瞬間、ベルグの眼が血のような真っ赤な色に変わる。

「ケヴィン・クレイル、天秤が示した汝の罪は――」
「ちょっと待ちなッ、俺様はこれから“スキナー一家”に入るんだッ」
「それは本当か?」
「ああ、本当だッ」
「――だ、そうだが?」

 ベルグが暗闇に潜む者にそう告げると、闇の中より短刀を握ったカートが姿を現した。
 その姿……その殺気に、ケヴィンは背中に冷たい物が流れるのを感じている。

「“スキナー一家”に入ろうって言うんだな?」
「あ、あァ……こ、これからよろしく頼みますよ、へ、ヘヘヘ……」

 ケヴィンは媚びへつらうように、汚い笑みを浮かべた。
 カートはそれに応えるように、口角を上げてケヴィンの下に歩み寄ってゆく。

(ヘッ、チョロイもんだ。何が“スキナー”だ、所詮は悪人の集まりだろ。
 年の半分ほどのクソガキに頭を下げるのはムカつくが……ここはしょうがねぇ)

 としか捉えておらず、その“悪”の掟について深く考えていない。
 天秤はバッヂの方に傾いたままだ。
 ベルグはこれに、赤い眼のまま『うーむ……』と首を傾げていた。

「やはり、悪党は裁けるようだ……」
「犬っころ、もういいか?」
「うむ、そうしよう――」

 そう言うと、カートはケヴィンの左肩にポンと肩を置いた。
 ケヴィンは何も分かっておらず、ただ乾いた笑いをする だけである。
 それ以外は、どこかで“何か”がうごめくだけの、静かな森の中――。
 そこに、ズッ……と、小さく鈍い音が起った。

「へ――?」

 深い闇の中に吸い込まれた、音と感触にケヴィンは視線をそこにやった。
 痛みはまだない。ケヴィンの脇腹にカートの短刀を突き刺さっている。
 刺された――それを頭で理解した瞬間、そこから激痛が走り始めた。

「うッ……ぐァァァッ……」

 急所ではない。
 だが、刺された時に刃を回転させるようにえぐられたため、助かる見込みはほぼない。
 冒険者はとうの昔に捨てたが、経験と知識が己の“死”を告げた。
 情けない呻き声をあげ、両膝をついたケヴィンは『どうしてだ』とカートに訴えかける。

「そもそも俺ら“悪党”は、行き場のないクズの受け皿じゃねェんだよ。
 じゃ、犬っころ、次はお前の番だぜ」
「うむ、そうしよう。()()()()()()いる事だからな」
「ま、待っ……」
「シェイラを泣かせた罪は、死より重いと知れッ!!」

 腹を押さえ(うずくま)っている罪人(ケヴィン)の顔に、獣の右拳が突きあがる――。
 下から上に振り抜かれた獣のパンチに、ケヴィンの身体は後ろ向きに倒れ込んだ。
 左顎に走る激痛に、呻きをあげ乾いた砂利の上でもだえ苦しむ……いたぶられた“新入生”を思い出す姿であった。

「思いっきり、私情じゃねェか……」
「“天秤”で量れるのは罪が重さだけだからな。正直な所、名目は何でもいいのだ」

 呆れた顔を浮かべるカートに、元の眼に戻ったベルグはワフワフと笑っている。

「ま、帰ろうぜ。“先輩方”がお待ちだからよ」

 二人は、声にならない呻きをあげるケヴィンを一瞥すると、静かに背を向けた。
 ケヴィンの目に、絶望が浮かび上がる。血で真っ赤に染まった手を突き出し、瞳の中の二人を掴もうとするも、それは空を掴むばかりだった。
 助けを求めても、誰も助けてくれない……真っ暗闇の孤独が、彼に更なる恐怖を与えた。
 どくっ……どくっ……、と早い心臓の音の中に、どこ遠くから呻き声が聞こえている。

(あ、あの呻き声は……?)

 コッパーの郊外の森には、《グール》が徘徊している。
 ケヴィンは、フォルニア国の本部から、《グール》の討伐依頼が出されていたが、それを『卒業試験』と称し、訓練生にやらせていた事があった。
 当然、ロクな訓練を受けていない者には荷が重く、今やこの森を徘徊する者の一員――カートとベルグが去った反対側より、流れる血の臭いに引き寄せられた、《訓練生》が近づいて来ている。
 地を這って逃げようとする男の目に見えたのは、死にぞこない(アンデッド)ではあるが、《グール》ではない。復讐の死者(タキシム)が、恩師を尋ねに行く。

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 ここコッパーの町は辺鄙な町、こんな夜更けに深い森の中を通る者はいない。
 暗闇の中、懐かしの再会を果たした男の声が響き渡り……すぐに、元の静かな森に戻った。
 今は、“夜の獣”たちの、獲物を貪る音だけが残響している。

しおり