1−1: 日常
「通常運転」
机の向こうの壁の一面を占める10枚の大型ディスプレイを眺めながら、トムが呟いた。
「まぁ、そんなとこだな」
イルヴィンは、手前のディスプレイを見ながら答えた。
トムとイルヴィンの目の前にあるディスプレイには、ここにある全ユニットの稼働率と、各ユニットのフィードバックおよびユーザの反応から推測される正常率が大きく表示されていた。稼働率は90%を超え、正常率もまた90%程度を維持していた。
イルヴィンは大型ディスプレイに目を移した。
10枚の大型ディスプレイ。各々に200 x 100個のユニットの状態が表示されている。全体で20万ユニットがここにある。そのすべてが、ブルー、グリーン、イエローの間を行き来している。まれにオレンジになることもあるが、およそすぐにイエロー以下の状態に戻った。
「グリーンまわりで落ち着いていてくれれば楽なんだがな」
トムは大型ディスプレイを眺めながら続けた。
「そういうわけにもな。たまにあるだろ」
イルヴィンが答えた時だった。手前のディスプレイにアラート表示が表われた。
WARNING
GREEN
即時パージ可能
ユニット交換実行
YES/NO
そのアラート表示はグリーンのバックグラウンドに、黒く描かれていた。
「ほら見ろ。お前がそんなことを言うから」
トムはそう言うと、パージ対象のユニットを大型ディスプレイに表示させた。数十個のユニットの表示が、イエローからオレンジに固定された。
「それは関係ないだろ?」
イルヴィンは別の壁にあるもう一枚の大型ディスプレイに、ユニットのパージと交換の映像を映した。10箇所の様子が映し出され、それか数秒ごとに何回か入れ換わり、そしてループした。
ユニットが並べられているいくつもの棚の前にはレールが設置されていた。
「よし、ユニット交換を実行するぞ」
イルヴィンはそう言い、トムを見た。
「ユニット交換同意」
トムは簡単にそれだけ応えた。
イルヴィンはその声を聞くと、ユニット交換を指示した。
しばらくすると、11枚めのディスプレイでは、レールの上をいくつもの作業コンテナが走っていた。各々が空の台と、それに続いて交換用のユニットを乗せていた。
コンテナが交換対象となるユニットの前に着くと、棚からは交換対象となる一辺10cmの立方体のユニットがゆっくりと押し出され、コンテナがそれを受け取った。コンテナは少し動くと、交換用に持って来たユニットをその位置の前に置き、空いた場所にユニットを押し込んだ。
大型ディスプレイには、イエローからオレンジの表示の上に、”A”, ”B”, ”C”, ”D”, ”E”, ”F”と、作業の状況を示す文字が表示されていた。”A” は、ディスコネクト。システムとそのユニットとの結線などの解除。”B” は押し出し開始。”C” はコンテナによる受け取り完了。”D” は棚への設置開始。”E” はシステムへの接続の完了。”F” はテスト完了。
マニュアル上は、そういうことだった。だが、イルヴィンにしてもトムにしても、11枚めのディスプレイから見えるのは、”B”, ”C”, ”D”が精々だった。
大型ディスプレイでは、”F” が表示されると、その背景のイエローからオレンジが概ねグリーンに落ち着いた。
二人が11枚めのディスプレイを見ていると、作業を終えたコンテナが、どこかへと帰って行った。すべてのコンテナがどこかへと帰り、11枚めのディスプレイから消えると、イルヴィンとトムの目の前にあるディスプレイからは警告表示が消え、いつもの稼働率と正常率の表示に戻った
それとともに、10枚の大型ディスプレイは、また20万ユニットの状態の表示を始めた。その全てが、ブルー、グリーン、イエローの間を行き来している。
「通常運転」
トムは手前のディスプレイと10枚の大型ディスプレイを確認すると、そう呟いた。
「ユニット交換確認」
イルヴィンはそう応えた。
イルヴィンとトムの操作と、この復唱は記録されているはずだった。
* * * *
知能サービス。それがイルヴィンとトムが所属している会社が提供しているサービスだった。情報検索、音声認識、画像認識、メールの分類、メールとアジェンダの同期、ナビゲーション、車の自動運転などそのサービスは多岐にわたっていた。
サービスを提供する資源は、ここにある20万ユニットだけではなかった。20万ユニットは一部だった。
ここも、20万ユニットを設置している部門だけではなかった。イルヴィンとトムが入れない場所があった。その入口には、”R&D” とだけ書かれていた。だが、イルヴィンもトムも、そこに入っていく人も見たことはあまりなかった。”R&D”は、外観から見るかぎり、ユニットが設置されている場所と同じくらいの広さがあるはずだった。あるいは地下も考えれば、何倍も広いのかもしれなかった。
イルヴィンもトムも、社会を支えるシステムを維持に貢献しているという自負はあった。どのように貢献し、どのように維持しているのか。つまり「WARNING」が表示されたら、「YES」を押す。この社会を維持するのに、それ以上に重要な貢献があるだろうか。イルヴィンとトムと交代する人たちも、そのように自負していた。