第五話:美味しいドラゴンは赤ドラゴン
ドラゴンの卵は滅多に孵化しないらしい。
ドラゴンという種族は成熟するのが非常に早く、一年で卵を産めるようになるにも拘らず、数万年以上の長い寿命を持っている。
強靭な鱗に巨大な体躯、膨大な魔力と、水陸空の全てを支配するだけのポテンシャルを有し、天敵と呼べるものが人間くらいしかいないのにもかかわらず、今現在世界がドラゴンであふれていない理由がその卵の孵化確率の低さにあるという。
雌ドラゴンは、一年に一回産卵期を迎え、数個の卵を産むが、それらが生まれる事は――ほぼない。いわば、いっぱい卵を産んでその殆どが食われてしまう魚とか虫とかの逆である。もちろん、生まれない理由は受精卵じゃないからとか、そういう理由ではないとの事。
ドラゴンの研究者にとって、それは長い間謎だったが、最近その原因についてわかったらしい。そういえば、養殖ドラゴンという単語が出てきたのもここ近年の事である。恐らく、卵の孵化率を上げる方法がわかったためなのだろう。
方法を聞いたが、国家機密らしく教えてくれなかった。
ただ、その方法はこの卵には使えないらしく、なるほど、オーシャンドラゴンと交換とはいえ、貴重な野良ドラゴンの卵をくれると言ったわけである。何事もうまい話はないという事だ。
「まぁ、運が良かったら孵るんじゃないかなぁ? あ、もし万が一孵ったらステーキ、一切れくれたら嬉しいなぁ。ドラゴンの研究も好きだけど、ドラゴンステーキも大好物なんだよ」
ふらりふらりとしながら、所長はそう言って送り出してくれた。国立の研究所の所長っていったらエリートだよな? なんなの、あれ?
門の警備をしている騎士さんが敬礼をし、なんとも言えない気分のまま研究所を後にする。
行きは幼ドラゴンを連れ、帰りは卵を抱えて。俺は一体何をやっているんだろうか……何故か虚しい気分になるが、深く考えると泥沼に嵌まるような気がしたので考える事を放棄した。
所長から貰ったレッドドラゴンの卵は、オーシャンドラゴンの卵とはまた別の色をしている。オーシャンドラゴンの卵は白磁器のような殻で、下半分が青だったが、レッドドラゴンの卵は下半分が深い赤だ。重さはオーシャンドラゴンの卵と同じくらいだろうか。
藍の方が卵よりも重かったが、卵よりも遥かに抱えやすかったので、卵の方が重く感じる。
一抱えもある卵を持って町中を歩くのは勇気がいる。道行く人々から投げかけられる好奇な視線、もしかしたら噂になってしまうかもしれない。
そんな俺を慮ることなく、すっかり立ち直ったカヤが明るい声で話しかけてくる。
「あー、楽しかったね、クジョ―。次行くときは研究所を見学させてくれないかな?」
「……頼んでみたらいいだろ」
俺は楽しかったというよりも凄く疲れた。興味のない話を長々と聞かされる事程苦痛な事はない。おまけに妙なお土産まで貰ってしまった。今更ながら、これは払ったコストに見合ったリターンなのだろうか?
何しろ、孵るかどうかわからない卵である。
メリットと言えば……カヤが随分と楽しそうにしていた事、くらいだろうか。
機嫌がいいとなんだかんだ食事が豪華になったり、いろいろとメリットが来るのだ。
「クジョ―、絶対もう一回会いに行こうねッ!」
「あー、そうだなー」
卵の重みを全身に感じながら適当に答える。
俺の後ろから、くるくると回転しながら前にでて、首を傾げてみせる。長い丈のスカートがひらひらと風で揺らめく。前ちゃんと見ないと事故起こすぞ、おい。
「卵、孵るといいね」
「あー、そうだなー」
孵ってもらわないと困る……と、そこまで考えた所でふと気づいた。
例えばこの卵が孵ったとして、果たして俺はちゃんとそれを食べる事ができるのだろうか?
いや、俺は食べられるが、カヤは果たしてそれを許してくれるのだろうか?
昨日から今日にかけての様子を見るに、カヤがドラゴン好きである事は自明である。そして、あの所長はドラゴンステーキ大好きと言っていたが、大体のドラゴン好きは恐らく目の前で生まれたばかりの幼ドラゴンを食べる事をよしとしないのではないだろうか。
別に、カヤの許可を取る必要はないが、機嫌を損ねると後々に面倒なことになってくる。果たしてドラゴンの味はそれに見合うだけの物なのだろうか?
何故今まで気づかなかったんだ、俺は。
にこにこ機嫌良さそうにしているカヤの方を窺う。
「……? どうしたの、クジョ―?」
別にフェミニストではないが、数少ない幼なじみを泣かせるのは凄く気分が悪いし、それがバレたら親父にボコボコにされるだろう。何という分の悪い勝負だ。
そもそも、俺はそんなに苦労するくらいならばドラゴンステーキ食べなくていいよ。所詮食べ物だろ?
今から卵を返しにいくべきか……いや、卵を貰った時、カヤは凄い嬉しそうにしていた。それを無下にするのは……どうせ孵る可能性が低いなら持ち帰っても……いやいや。
え? 孵らないなら別に……孵らない?
「カヤ、ドラゴンって卵の状態でも食べられるか知ってるか?」
「え!?」
「いや、どうせ孵らないだろうし、卵焼きで食べるとか……」
「……卵焼きが食べたいなら鶏卵で作るよ?」
「大きいのが食べたいんだ」
「……まったく、クジョ―は食いしん坊だな……」
呆れたように腰に手を当て、これ見よがしとため息をついてみせる。健康的な白い肌に、影のコントラストが目に眩しい。
無言で答えを待つ俺に、カヤはにっこりと笑った。
「でも残念でした、ドラゴンの卵は食べられないんだよ」
「何故だ?」
「なんでだと思う?」
悪戯でも思いついたかのようなコミカルな笑みを浮かべてみせる。
全然わからん。考えたこともなかったし、考えるのも面倒くさい。まぁ、思いつく範囲では……そう、毒でもあるのだろうか? 毒ドラゴンなんてのもいるわけだし。
「毒か?」
「ぶっぶー、ふせーかい!」
両腕でばってんを作ってからからと笑う。何がそんなに面白いのか。
俺が不機嫌になっているのに気づいたのだろう、カヤはすぐに人差し指を立て、唇を開いた。
「じゃー、クジョ―。聞くけどさ……どうやってドラゴンの卵を割るつもり?」
そんなのいくらでも方法があるだろ。そう言いかけて――。
「……まさか、割れないのか?」
「せーかい! クジョ―、ドラゴンの研究者はこの世で一番硬いものを聞かれたら皆……ドラゴンの卵って答えるんだよ」
「そんな硬かったら出てこれないだろ」
「内側からは割れるみたい」
そんな馬鹿な。どんな卵だよ。
凄いつっこみをいれたかったが、今更である。昨日今日で不思議なドラゴン知識をたらふく食わされた俺にはつっこみを入れる元気すら残っていない。というか、多分真実だから入れても無駄だ。
カヤが続けて余計な情報を俺に教えてくれる。
「どのくらい丈夫かというと……昔、戦争で大砲の弾の備蓄がなくなった時に代わりに使われた、なんて話もあるくらいに丈夫だよ」
「……ただの噂だろ」
「割れなかったらしいよ? 卵」
ただの噂だと思いたい。噂じゃなかったら、戦争中に砲丸の代わりにドラゴンの卵を撃ちだした馬鹿がいるという事になってしまう。
しかし、となると本当に処分に困るな。
所長は『運が良かったら孵るんじゃないかなぁ』と言った。孵ったら困るのだ。食べられないドラゴンに価値はないのである。もう一度返しに行かなくちゃならない。面倒臭え。
俺はさんざん考えた結果、全てをカヤに押し付ける事にした。ペット禁止でも卵持ち帰るのは禁止されてないだろ、多分。
「カヤ、この卵、いる?」
「え……? くれるの?」
カヤが花開くような笑顔を向けてくる。
欲しいのかよ。邪魔なだけだと思うけど……。
「やる」
「……ああ……でも、うち置く場所ないし……」
「万が一、生まれたら俺は食うぞ?」
「んー……ああ……」
やはり、食べられるのは嫌らしい。でもお前、この間、ステーキ美味しい美味しいっていいながら食べてたよな?
歩いているうちに家についてしまった。そもそも、面倒事の発端はオーシャンドラゴンの卵を家の中に持ち込んだ事による。この卵に家の敷居をまたがせるつもりはない。
「で、いるのか?」
「うーん……むー……」
「これが最後のチャンスだ。もう手に入らないかもしれないぞ?」
「んー……むぅむぅむぅ……」
すべすべの卵を撫でながら聞く。しかし、所長は野良ドラゴンの卵と言っていたがどこから見つけてきたのだろうか。この辺りにレッドドラゴンがいそうな山はない。
家の前でうんうん唸ること数分、カヤが叫んだ。
「ほしいっ!」
同時に腕の中の卵からぴしりと不吉な音がした。やっぱりこうなると思った。昔から運だけはいいのだ。
腕を大きく伸ばし、罅が入りかけている卵をカヤの方に向ける。刷り込みが俺に来ると面倒だ。欲しいと言ったのだから責任を取ってもらおう。
いきなり突き出された卵、おまけに罅の入りかけているそれに、カヤが目を白黒させる。差し出した卵を受け取ろうともしない。
さぁ、生まれろ。親はこいつだ。
「ちょ……クジョ―。なんで!? なんで卵割れかけてるの!?」
「ドラゴンに聞けッ!」
俺が聞きたいわッ!
そうこうしている内に、内側から殻が少しずつはじけ飛ぶ。カヤの方ではなく俺の方の面だ。こっちが頭なのか? 急いで卵の向きを逆にする。つるつる滑って落としそうになったが、なんとか支え直す。
音を立てて卵の破片が落ちる。カヤが小さな声をあげた。
「ク、クジョ―、こっち尻尾だよ!?」
「……は?」
赤い尻尾がちらりと見えたと同時に、俺の方の殻が一気に割れた。オーシャンドラゴンとは違った赤色の皮膚がちらりと見え、しっかり閉じられた瞼がゆっくりと開く。予想外の結果に焦り、向きを変え損なった。
濃いルビー色の眼がしっかりと俺の方を見る。なんでだよ。
そして、殻が完全に割れ、その全容が明らかになった。
まず目につくのは陽光を吸い込む真紅の退避。その頭にはオーシャンドラゴンとは違い角はなく、その代わりに額に小さな薄緑の宝石のような物が嵌めこまれている。小さな、しかしオーシャンドラゴンよりは大きな翼が僅かに開き、その滑らかな喉元から小さな唸り声が出て、そしてカヤがおずおずと言った。
「……クジョ―、それ、レッドドラゴンじゃないよ」
「は? 赤いだろ?」
赤いドラゴンはレッドドラゴンだ。そしてレッドドラゴンは美味しい。何が違うというのか。
カヤはそんな俺の問いを一刀両断した。
「違う。それは
知らねーよッ!
レッドとクリムゾンレッドの違いなんて知らねーよ!
カヤの繊細な指先が、緊張か動揺か、震える手つきで生まれたばかりのドラゴンの背を撫で、その額の宝石っぽい何かに指先で触れる。
「レッドドラゴンじゃない……クリムゾンドラゴンだ。クジョ―……」
そして、とても言いづらそうに、哀れみの表情を浮かべ、カヤが言った。
「これ、毒ドラゴンだよ」