第四話:蒼いドラゴンは海ドラゴン
「そういえば名前とか……付けないの?」
「つけねーよ」
「あ、なら私つけていいかな?」
「駄目だ」
国立ドラゴン研究所は都市の中心部にあった。
巨大な白い四角形の建物だ。門には大きなプレートが取り付けられており、国立ドラゴン研究所と刻まれている。
変な建物がある事は知っていたが、これがドラゴン研究所だったのか……。
門の側には帯剣し、白の軽鎧で装備を統一した騎士が警備をしており、ここが国の機関である事を示している。
ドラゴンを拾った旨を伝えると、特に問題なく門の中に通された。
建物に入る前にカートに乗せられた檻が運ばれ、その中にオーシャンドラゴンを入れる。俺が側にいるせいか、特に騒いだりはせず、幼ドラゴンは囚われのドラゴンになった。
ドラゴンの専門機関の檻だ。恐らく、幼体のドラゴンの力では壊せないのだろう。もう目的は達したのでこのまま帰ってもよかったのだが、中に通すと言われたので仕方なく男の騎士さんについていく。カヤがどこか怯えたように俺の服の裾を掴んできたので、手で振り払った。
近づくと、その建物がその辺の家屋と違い、レンガではなく金属で出来ている事がわかる。
どうやって作ったのかわからないが、これもまたドラゴン対策なのだろう。ドラゴン研究所なのだ、中に何匹もドラゴンを飼っているに違いない。
ドラゴンカートを押しながら進む案内役についていくと、白衣を来た研究者に何回もすれ違う。どうやら、相当大規模な機関らしい。
ついていく事十数分、案内されたのは一つの部屋だった。両開きの重厚感のある木の扉。扉の横のプレートには所長室と書かれている。騎士が恭しげな手つきで扉をノックした。
何故野良ドラゴンの卵を拾っただけの俺が研究所の所長なんかに会わなくちゃならないのか。もうすぐにでも帰りたかったが、カヤを置いていくわけにもいかないし、引き渡す手数料だと思って我慢する事にする。
扉の向こうには、くすんだ白衣を来た長身の男が立っていた。
灰色の混じった黒髪はぼさぼさ、垂れた目つき。身長は俺よりも頭半個分高いが、全体的に痩せているせいで頼りない印象を受ける。人生に疲れているかのような、世捨て人のような生気のない眼差しは、全然関係ない俺が心配になってくる程だ。
嫌な予感はしていたが、やはりその男が所長だったらしく、ドラゴン入りの檻を部屋の真ん中まで持ってくると、案内してくれた騎士が敬礼する。
「所長、新たなドラゴンの拾得者をご案内しました」
「あ……あー、ありがとう。下がっていいよ。君」
不安でいっぱいな俺たちを残し、案内してくれた騎士の人は部屋から退出していった。視線で救いを求めたのに効果はなかった。
俺の人生のモットーは触らぬ神に祟りなしである。要注意人物にはなるべく近づかないように生きてきた。そんな俺の判断基準からすると、この所長はかなりのキワモノである。
もうさっさと帰りたかったが、カヤが心配そうな表情できょろきょろしているのでそれを置いて逃げ帰るわけにもいかない。
所長が、ゆらゆらと風で揺れる柳のような動作で手を差し出してくる。差し出された手を見て数秒、俺はようやくそれが握手を求めているものだと気づいた。
仕方なく、手を差し出す。所長の握力は、幼ドラゴンより遥かに弱かった。握手する距離まで近づくと、その濁ったような眼の下に張り付いた隈がはっきりわかった。
大丈夫か、この人。
「んー、この研究所の所長をしている……グリス・ロバートだ」
「……クジョ―・トモガネ……です。後ろのがカヤ・アトランタ」
名乗りたくなかったが、状況的に名乗らざるを得なかったので仕方なく名前を言う。あああああ、早く帰りて―。
もともと、こういう研究室だのなんだの真面目な空気は得意ではない。宝くじで当たったからといって職にも付かずにふらふらしている一因である。
「野良ドラゴンに懐かれてしまって……ここで引き取ってくれると聞いたんですが」
「ちょ……クジョー!?」
さっさと本題にはいろうとする俺を、カヤが止める。面倒だからさっさと帰ろうぜー。
もう完全にやる気のない俺に代わって、カヤが時系列順に事情を説明し始めた。
仕方ないので、檻の中のドラゴンをぼけーっとながめる。
オーシャンドラゴンはそのサファイアのような透明な眼をこちらに向けて、手足で金属製の格子をたんたん叩いて遊んでいた。
いいよな、ドラゴンは。面倒なこと考えなくてよくて。俺も次生まれ変わったらドラゴンになりたい。陸ドラゴンでも海ドラゴンでも空ドラゴンでもいいから。あ、でも養殖ドラゴンだけは勘弁な。
そんな他愛も無い事を考えているうちに話は終わったのか、顔色の悪い研究所長がふらふらと檻に顔を近づける。こいつ大丈夫か、本当に。
「なるほどぉ……卵が孵った、か。運がいいねぇ、なかなかないよぉ? そんな事」
どうやら、プロからすると運がよかったらしい。なかなかないことだったらしい。
どうせ運を使うんだったらもっかい宝くじ当てたかったわ。
カヤが遠慮がちに尋ねる。
「私の見立てではオーシャンドラゴンだと思ったんですけど……」
「あー、あー、あー、卵が落ちてたのが海岸だったのなら、オーシャンドラゴンだねぇ、多分。だって青いし」
おい、本当に大丈夫か、こいつ!? だって青いしとか言ってるぞ?
別に研究者としての知識なんてどうでもよくて、引き取ってくれればこちらとしてはそれで構わないんだが、こうも適当感溢れていると不安になってくる。
「ドラゴンの幼生体なんて早々見ることはないからねぇ。君知ってる? ドラゴンは個体にもよるけど、大体のドラゴンは成熟するまで一年かからないんだよ? びっくりだよねぇ。寿命は何万年もあるのに。僕もこんな生まれたての野良ドラゴンを見るのは初めてだよ」
「へー、そうなんですか」
ドラゴンの生態なんて興味ない。が、カヤの方はそうではなかったらしく、真剣な表情でこくこくと頷きながら聞いている。
きっと、またどっかで雑学として披露される事になるのだろう。
「先生、ブルードラゴンとオーシャンドラゴンの違いは何ですか?」
いつの間にか先生になってるんだけど、これ大丈夫か?
当の本人は気にした様子もなく、口元を抑えて重々しく答えた。
「んー、ブルードラゴンは……青いね」
「では、オーシャンドラゴンは?」
「オーシャンドラゴンは……蒼いね」
「なるほど……勉強になります」
……もう帰っていいかな、俺。本当に研究者なのかどうかも怪しくなってきたんだが。
げんなりしている俺に、ふと自称ドラゴン研究所長が顔をあげる。
「オーシャンドラゴンは珍しいよぉ。この研究所は国内でも有数だけど、一人もいないからねぇ」
「……それで?」
「我が国のドラゴン研究もまた一歩進むよぉ。畜産でも運輸でも軍事でも、今は何でもドラゴンだからねぇ」
初めて聞いたわ、その情報。本当に大丈夫か、この国。
カヤも口を出してこないし、多分俺が知らないだけで本当なのだろう。
所長がこんこんと檻をノックする。ドラゴンがぱたぱたと小さな翼を羽ばたかせる。。
「……結局引き取ってもらえるんですか?」
「それはもちろん、構わないよぉ。野良ドラゴンなんて滅多に手に入らないし、むしろ国としては歓迎だね。でも本当にいいのかい? 申請して許可さえ取れば、個人でも飼えるんだけどねぇ、ドラゴン」
「……飼うと何かいいことが?」
「可愛いじゃん? ドラゴン」
「……」
檻に視線をやると、俺の視線に気づいたのか、ドラゴンが尻尾を左右に振ってきた。カヤの方を見ると、満面の笑顔でドラゴンの様子を窺っている。
「尻尾を振るのはぁ、ご機嫌な印なんだよ。犬と一緒だねぇ」
「……引き取ってください」
犬猫だって飼う気はないし、ドラゴンなんてまっぴらである。嫌いではないが好きでもない。無関心である。料理としてのドラゴンには大いに興味があるが。
俺の答えに一度頷くと、緩慢な動作で、所長が呼び鈴を鳴らす。
どこからとも無く、数人の研究者が入ってきた。
「そういえば、この子の名前、つけたかい?」
「つけてないですけど」
「じゃあ付けてもらっていいかなぁ? 親が付けないと自覚しないんだよねぇ」
めんどくせーな。いいじゃん、名前なんて。適当に番号でも振っとけよ。と思ったが、口には出さない。スムーズに事を終えるには、指示に従うのが手っ取り早いのだ。
「じゃー青いから青で」
三秒で考えると、カヤが眉を寄せて文句を言ってくる。
「ちょ……クジョ―!? そんな単純な名前、可哀想じゃないか! もっとちゃんとしたのを付けてあげてよ!」
「めんどくせーな。じゃーカヤが付けていいよ」
「え? 本当!? じゃ……じゃあ……何にしようかな……」
カヤが満面の笑顔であーでもないこーでもないと考え始める。
幼なじみとして、すぐにわかった。あ、これ長くなるやつだ、と。花の名前だの星の名前だのぶつぶつと呟き始めるカヤに、研究者の人達も困ったように顔を見合わせる。
ドラゴンになんで花とか星の名前をつけるんだよ。いいんだよ、名前なんてなんだって。もうこの際ドラゴンなんだから『ドラゴン』って名前にすればいいじゃん?
十分待ってまだ決まらないのを見て、俺は仕方なく檻に顔を近づけた。
ドラゴンの透明度の高いサファイアのような眼がこちらを見上げる。その静かな眼は確かに知性を感じさせた。
まるで宝石、サファイアのような眼……となると、名前はこれしかないだろ。
「よし、身体が藍色っぽいから藍にしよう。お前は藍だ」
まるで俺の言葉を理解しているかのように、ドラゴンが小さく頷く。カヤがそれに気づいて短い悲鳴をあげた。
「あ、クジョ―っ!? 私が決めていいって言ったのに!?」
「お前が遅いのが悪い。俺はさっさと帰りたいんだ」
「そんなー……」
青が駄目だっていうから藍にしてやったのだ。文句を言われる筋合いはない。
所長が、うんうんと頷き、檻を愛おしげに撫でる。
「『藍』だね……わかった。責任を持って、この藍は我々が預かるよ」
「金とかかからないんですよね?」
「かからないよぉ。むしろ、こっちから謝礼金を払いたいくらいだよ……規定で払えないけどねぇ」
払えないのか、期待させやがって……。
まぁいい。面倒事を引き取ってくれるのだ。文句を言える筋合いではないだろう。
次に聞くべき事は――。
「海に返したら家に帰って来たんですけど、研究所を抜けだして帰って来たりは――」
「ああ、安心していいよう。『刷り込み』は解除できるからねぇ」
予想外の言葉が出てきた。
解除できるのか。どうやるのかわからないが、口調から考えるにそんなに難しい処置ではないのだろう。それなら安心だな。
カヤが心配そうな声で所長に質問する。
「あの……グリスさん。藍はこれからどうなるんですか?」
「ああ、心配いらないよ。生態を観察しながら普通に育てるからねぇ。オーシャンドラゴンは珍しいからねぇ」
「……会いに来てもいいですか?」
え? お前まさか、定期的に会いに来るつもりなの? 俺、超嫌なんだけど。
その要求に、所長が困ったように眉を寄せる。
「んー……一応、ある程度、研究が落ち着くまでは面会謝絶かなぁ。ドラゴンもナイーブだからねぇ」
「そうですか……じゃ、じゃあ、落ち着くまではどれくらいかかるんですか……?」
珍しく、カヤが食って掛かっている。
そんなにドラゴン好きなのか。次の誕生日プレゼントはドラゴンのぬいぐるみを買ってやろう。本物は無理。
「最短……一年かなぁ? もしかしたらもっと伸びるかもしれないけど」
「一年……一年……か……」
ドラゴンの卵を拾ってから一日足らず、どれだけ情が湧いたのか、カヤが泣きそうな表情で檻の側にかがみこんだ。まるで今生の別れでも交わすかのように、幼ドラゴンに話しかける。
「藍、絶対にまた会いにくるからね……」
「一応言っとくが、俺は会いに行ったりしないぞ」
カヤがちらりとこちらを窺い、すぐに檻に、格子に頭をなすりつけているドラゴンに顔を近づけて囁く。
「……大丈夫だよ。クジョ―も連れてくるから」
なんでだよ。俺関係ないだろ。いや、関係なくはないかもしれないけど、会いに来る理由がない。ない……はずだ。
呼び鈴で呼ばれた研究者さんたちが、カートの手を掴む。カヤは誰よりも名残惜しそうに、運ばれていくドラゴンをじっと見ていた。後でなんか甘いものでも奢って慰めてやろう。
一人残った所長がふと何か思いついたように、俺に聞いてくる。
「あ、そういえばクジョ―君。君、食べるためにドラゴンの卵拾ったんだっけぇ?」
なんだ? ドラゴン研究者としては、そんなの言語道断だとでも言うつもりか?
「……まぁ、そうとも言えなくもないですね……」
「オーシャンドラゴンは毒ドラゴンだからねぇ。食べなくてよかったねぇ……即死するところだったよぉ」
即死!? 怖ッ! 毒ドラゴン怖ッ!
まぁ青かったからな……多分毒ドラゴンだとわかってなかったとしても、肉が青かったら多分食べていなかった……と思う。派手な色のきのこを見つけても食べたりしない感じで。
「ドラゴンは美味しいけど、種類は考えないとねぇ……あ、そうだ」
ふと、所長が手をぽんと叩いた。力が篭っていないのか、音はなっていないが。
俺の方を向き、にこりと笑みを浮かべる。
「お金は上げられないけど、オーシャンドラゴンのお礼に、食べられるドラゴン……の卵、あげるよぉ」
予想外の提案に、カヤが目を見開き、そわそわと俺と所長の方を交互に見る。そんなに欲しいのか、ドラゴン。今度は食用みたいだけど。
しかし、食べられるのならば是非一度食べてみたいものだ。拾った卵でさんざんな目にあったが、ドラゴンステーキを味わえるのならば全てチャラといってもいいのではないだろうか。
「……美味しいんですか?」
「美味しいよぅ。レッドドラゴンの卵だからねぇ……しかも、天然だよぉ。レッドドラゴンは煮込んでも揚げても絶品なんだけど、特にステーキにぴったりなんだよぉ。肉も柔らかいし、塩とか胡椒とか、調味料を何も使わなくても美味しいんだよねぇ。まぁ、オーシャンドラゴンと比べたら全然貴重ではないんだけど」
レッドドラゴンステーキ……。
俺は、この研究所に入って初めて、ここに来てよかったと思った。
そうだよ。俺はドラゴンを食うために捕まえたんだよ。俺が欲しかったのはそういう情報だよ。さすがドラゴン研究所の所長、やるじゃないか。
新たなドラゴン情報に頬を紅潮させるカヤ、ドラゴンステーキをイメージして腹を擦る俺を傍目に、所長が一言低い声で呟いた。
「まぁ……卵が孵るかどうかはまた別の話なんだけどねぇ」