第六話:赤ドラゴンじゃなくて紅ドラゴン
意味がわからない。
聞いていた話と違う。この卵は食べられるレッドドラゴンの卵ではなかったのか?
滅多に孵らないはずの卵が帰ってしまったのも問題だが、食べられない毒ドラゴンってのは完全に予想外だ。
そもそも、毒ドラゴンって飼うのも相当危険だろうがッ! 毒あるんだぞ? 毒! おまけにきのこと違ってドラゴンは動くのだ! 少なくとも毒蛇なんかより安全って事はないだろう。ドラゴンだし。
即座に研究所に戻る。オーシャンドラゴンと同様に俺を親と見なしたらしいクリムゾンドラゴン(カヤ情報)はオーシャンドラゴンより僅かに小さく、抱えると手足をばたばたさせて暴れた。喜んでいるのか嫌がっているのか、そんなのは知らないし知りたくもない。
さっきの今だ、顔を覚えられていたのだろう。速やかに所長室まで通されると、先ほどと同様に今にも倒れそうな顔色の所長が感心したように頷いた。
「なるほど……クジョー君、才能あるねぇ」
「才能あるねぇじゃねーよッ! これをどうにかしてくれ!」
もうドラゴンはまっぴらだ。何故十数年間ドラゴンと無関係な人生を送ってきたのにこんな状況になっているのか。
クリムゾンドラゴンは俺の憤懣をどこ吹く風、腕の中で、その身の丈に合わない鋭い視線を所長に向けている。
カヤが慌てて俺を止める。
「クジョー、所長に失礼だろ?」
「うるせえ。大体レッドドラゴンの卵だったんじゃないのかよッ!」
聞いた話と違う。レッドドラゴンが生まれたら生まれたで困っていたんだが、これは明らかに所長にミスだ。
荒い口調の俺に対して、所長は全く表情を変えず飄々とした口調で言う。油断すると気が削がれてしまいそうだ。
「いやー、悪かったねぇ。クリムゾンドラゴンとレッドドラゴンは卵の大きさと模様が同じなんだよねぇ……まぁ、クリムゾンドラゴンの方がレッドドラゴンよりもずっと希少なんだけど……」
ということは、所長にもわからなかったという事か……仮にもプロの研究者としてそれはどうなんだ!?
だが、俺にとってレアリティなんてどうでもいい事だし、そんなのどうでもいいことだ。問題はこいつをどうするか、それだけなのだから。
そして、そういう意味でクリムゾンドラゴンが生まれてきたと言うのは俺にとって決して悪い事ではない。何故ならば、返品できる理由になるからである。
俺はまだ怒ってますよ、みたいな表情を努めて作りながら、所長にクリムゾンドラゴンをつきつけた。
「まぁいい。これも引き取ってくれ」
所長の返答はしかし、俺の想像していたものとは違っていた。
表情を変えずに一度小さくため息をつくと、力の抜けるような口調で言う。
「んー……それはちょっと無理かなぁ」
「……え?」
悪びれる様子もない表情で出されたその言葉に一瞬、呆気にとられた。
今、無理と言ったのか? 急に持ち込まれたオーシャンドラゴンを喜んで引き取ってくれたくせに?
ましてや今回は明らかに向こうのミスなのだ。
思考がぐるぐると答えの無い袋小路に入る。動揺する俺に代わって、カヤが声をあげた。
「あの……グリスさん、藍は引き取って貰えたのに、どうして今回は駄目なんですか?」
「あー、あー、あー、それはねぇ、クリムゾンドラゴンはオーシャンドラゴンと違って……とっても気性が荒いんだよぉ」
気性が……荒い……?
その言葉に、腕の中で大人しくしているクリムゾンドラゴンを見下ろす。
大人しくしているがしかし、よく見るとその目付きはオーシャンズドラゴンの瞳と違ってまるで鋭い刃のようだ。
そして腕の中、喉元から感じる僅かな振動。これは……威嚇か? 唸っているのか?
所長が胡乱な目付きでクリムゾンドラゴンを見下ろす。
「クリムゾンドラゴンかー……クジョ−君に預けるのは失敗だったかなぁ……」
「失敗だったかなって……」
そんな軽く言われてもらっても困る。俺には俺の人生設計があるのだ。
「クリムゾンドラゴンはドラゴンの中でも特に気性が荒くてねぇ……親や家族を除いて懐いたりしないんだよぉ。だから、ペットとして飼っている人もいない。オーシャンドラゴンとは違うよねぇ」
「長く接していても駄目なのか? 犬猫でも長く飼っていれば懐くと思うんだが……」
「無理だねぇ……ドラゴンは知能が高いからね。彼女は高い知性を持って彼女の意思で家族だけに心を許すんだよぉ」
その時、所長の色の悪い唇が聞こえないくらいの声で僅かに囁いたのを俺は偶然見ていた。
『……クジョー君に預けたのは本当に失敗だったな。まぁ僕じゃ孵らなかったんだけど』
得体のしれない嫌な予感が身体を貫く。ゾクリと肩を震わせる。
その言葉について、つっこみを入れようかどうか迷ってやめた。
今はそんな事どうでもいい。殆ど身体を動かさず、静かにしているクリムゾンドラゴンが不吉で不吉で仕方がない。
「で、どうしたらいい?」
「悪いけど、どうしようもないねぇ」
どうしようもないって!
どうしようもないって!
「……檻に閉じ込めて置いたりできないのか? 研究所だろ?」
「今は出来たとしても、成体のドラゴンになったら人の手で作れる檻なんて簡単に破られちゃうよぉ。クリムゾンドラゴンは気性が荒いからねぇ……研究所が更地になっちゃうかもしれない」
所長は迷う様子もなく即答する。
研究所が更地になるって、気性荒すぎだろ。
いや、正直言ってそれはそれでドラゴンというイメージには合致しているんだが。だがしかしそれはそれで困る。俺にどうしろというのだ。
いや、いくら成体になれば檻に破れるとは言っても今は幼体だ。例え食えなくても、今ならば殺す手段もあるのではないだろうか。
それについて聞くか迷い、ふとクリムゾンドラゴンがこちらを見上げているのに気づいた。まるで心を見透かすかのような透明な眼で、しかし所長に向けていた視線とは違い険はない。所長の言葉が本当ならば、俺は親だとみなされているのだろう。
その視線から逃れるように所長を見て、カヤを見る。
……駄目だ。質問するのはまずい。
ドラゴンは知性が高いと聞くし、人語を操る程の種も存在すると聞く。俺の言葉をこいつが理解していない保証はないし、そもそも殺すのに失敗した時、気性の荒いクリムゾンドラゴンが俺をどうしようとするか、想像に難くない。カヤも殺処分するなどと言ったら抗議してくるだろう。
いつの間にか手の平に汗をかいていた。ドラゴンの体表は靭やかでしかし生まれたばかりとは思えないくらいにしっかりした触感がある。カヤが心配そうな表情で俺を見ていた。
視線を受けている事を自覚しつつ、俺は所長に尋ねる。
「クリムゾンドラゴンは……その、頭はいいのか?」
「人よりはいいと思うよぉ。ドラゴンだからねぇ」
ドラゴンぱねえ。そして、そんなのを食用にしている人間、か。
「人の言葉が解ったり?」
「んー……個体差はあると思うけど、すぐに学ぶと思うよぉ。何しろ、ドラゴンだからねぇ」
ドラゴンって一体何なんだ。もはや尽きぬ泉のようにむくむくと湧き出てくる疑問を封じ込め、眉を顰めるに留める。
落ち着け、クジョ−。人語を解するのならばコミュニケーションを取れるはずだ。
ドラゴンも一生を親と暮らすという事はないだろう。人の言葉を理解出来るようになったら言い聞かせて出て行ってもらえばいい。
……言い聞かせたら聞くのか? 本当に聞くのか? すぐに学ぶのすぐってどれくらいなんだ? そもそも、気性の荒いクリムゾンドラゴンを飼えるのか?
心臓がどくどくと強く打っているのを感じる。
危険過ぎる。俺はドラゴンについて詳しくないし、好きでもない。人生設計だってあるし、やりたい事だってある。正直、数時間前に戻れるのならば俺は卵を受け取らずに帰るだろう。
だが、やるしかない。他に方法が思いつかない。遠くに捨てたところでどうせまた帰巣本能とやらで帰って来てしまうだろう。
くそっ! 宝くじ当ってラッキーだと思っていたのに、今年は厄年かッ!
俺は、今にも泣きそうにも見える表情で俺を窺っているカヤに一度視線を向ける。ドラゴン好きの幼なじみ。俺にはカヤの助けが必要だ。一人でなんてとても成し遂げる自信はない。
最後に所長の方を睨みつけ、これ見よがしと舌打ちしてみせた。
舌打ちをもって、覚悟を完了させる。
飼うしかない。このドラゴンを飼うしかない。食用でもなんでもないドラゴンを飼うしかない。飼って育てて円満に出て行ってもらうしかない。
他に方法があればそっちを使いたいが、きっと道はないだろう。くそっ、俺は一体どうしたらいいんだ。