【原神】からかい上手のナヒーダさん #05 - 体温と香り【二次創作小説】

洞窟の中をさらに進むにつれ、周囲の環境が少しずつ変化していくのを感じた。相変わらず巨大なキノコの仄かな光は辺りを照らしているものの、空気中の湿度が増し、冷たさがより強く肌を刺すようになってきている。地下水が近くを流れているのだろうか、壁面から滴る水の音も大きくなってきた。
俺は無意識のうちに両腕を軽く抱き、体温を逃がさないようにする。一方のナヒーダは、どこか涼しげな表情で、まるで気温の変化など感じていないようだった。
「……っくしゅん!」
我慢していたくしゃみが突然漏れる。寒さが増してきて、体が反応してしまった。
「うわ……冷えてきたな」
くしゃみの反響が洞窟内に響き渡り、思わず恥ずかしさで肩をすくめる。
「すまん、急に大きなくしゃみして……」
「ふふっ、気にしないで」
ナヒーダは優しく微笑んだ。その表情には、少しも寒さに苦しんでいる様子がない。
「草元素の使い手は、寒さに対する耐性があるのかな?」
半ば呟くように尋ねると、ナヒーダは小さく首を振った。
「それほど特別なわけではないわ。ただ、世界樹と繋がっている私には、こういった環境変化はあまり影響しないの」
「いいな……炎元素が使えればなぁ。少しは体を温められるんだけど」
そう言って指先で小さな火を灯す真似をする。もちろん、ただのジェスチャーだ。
「あなた、まだ炎元素は扱えないの?」
ナヒーダの質問に、俺は少し気恥ずかしそうに頷いた。
「ああ、まだだ。モンドで風、璃月で岩、稲妻で雷、そしてここスメールで草元素を扱えるようになったけど、炎はこれからって感じだな」
「興味深いわね。元素を習得する順番に、何か意味があるのかしら」
学者のような口調で考察を始めるナヒーダに、俺は思わず苦笑する。いつも彼女の知的好奇心には感心させられる。
「……っ!」
話をしている間にも、冷気は増していく。思わず身震いし、息を吐くと白い靄が立ち上った。
ナヒーダはそんな俺の様子を見て、ふと考え込むような表情になった。
「寒さの問題は、元素力がなくても解決できるわよ」
「え? どうやって?」
「原始的な方法よ」
彼女の言葉は含みを持っている。何か提案があるようだが、はっきりとは言わない。
「原始的? 焚き火でもするのか?」
「ふふっ、ここで火を起こすのは危険すぎるわ。もっと簡単な方法があるわ」
そう言って、ナヒーダは意味ありげな視線を送ってくる。
「二人で……」
彼女の言葉が途切れた瞬間、なぜか胸がざわついた。何を言おうとしているのか、はっきりとは分からないが、なぜか予感めいたものが心の奥に広がる。
「二人で……何?」
思わず声がかすれた。ナヒーダは少し驚いたような、でも楽しそうな表情を浮かべる。
「体温を分け合うの」
「体温を…?」
その言葉の意味を理解しようと、もう一度尋ねると、ナヒーダは少しだけ体を寄せてきた。彼女の体から放たれる微かな温もりを感じる。
「あなた、寒さで考えが回らなくなってるのかしら?」
そう言って、彼女は優しく微笑んだ。
「肩を寄せ合って歩く? そうすれば、お互いの体温で少しは暖かくなるわ」
なんと率直な提案だろう。そこに含みも遠回しさもない。ただ、実用的な解決策として彼女は言ったのだ。だが、そんな彼女の言葉に、俺の心拍数は跳ね上がる。
「そ、それは…その…」
否定しようにも理由がない。確かに寒いし、彼女の提案は合理的だ。けれど、それでも妙な気恥ずかしさを感じる。
「別に嫌なら、しなくてもいいのよ?」
首を傾げる彼女の瞳が、まっすぐに俺を見つめている。そのキラキラと輝く瞳に、なんだか負けた気分になった。
「い、いや、別に嫌じゃないけど……」
俺が弱々しく同意すると、ナヒーダは自然な動きで体を寄せてきた。身長差のある二人では肩が直接触れ合うわけではないが、彼女の腕が俺の腕に軽く触れ、その温かさが伝わってくる。
そこから先は、奇妙な感覚に包まれた。ナヒーダの体温は思ったより温かく、少しずつ俺の冷えた体に染み渡ってくる。同時に、こうして歩くことに対する恥ずかしさも込み上げてくる。
「あなたって、意外と体温高いのね」
ナヒーダが唐突に言った。
「え? そ、そうかな…」
「ええ。私より温かいわ。おかげで助かるわ」
そう言って微笑む彼女の表情に、なぜか胸が痛くなる。彼女が本当に寒さから私を守ろうとしてくれているのか、それとも単に私を翻弄して楽しんでいるのか、判断がつかない。
「ナヒーダもなかなか温かいな。世界樹と繋がっているからって、冷たいわけじゃないんだな」
自分でも意外なほど自然に返せたことに、少し自信が湧いてくる。
「ふふっ、ありがとう。神様だからって、異質な体温というわけではないのよ」
二人で寄り添いながら歩くうちに、少しずつ体が温まってくるのを感じる。最初は照れくささでいっぱいだったが、徐々に彼女の存在を自然と受け入れられるようになってきた。
しかし、その安心感も束の間。体が温まるにつれて、別の種類の熱が体の内側から湧き上がってくる。彼女との距離の近さを再び強く意識し始め、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
「どうしたの? 急に体が熱くなったわよ」
ナヒーダが不思議そうに俺の顔を見上げる。あまりに近い距離で見つめられ、俺は思わず視線をそらした。
「い、いや、なんでもない」
「寒かったり暑かったり、忙しいのね」
くすくすと笑う声に、彼女が俺の動揺を見抜いていると気づく。やはり、単純な体温共有ではなかったのか。彼女の目的はまた俺を翻弄することだったのか…。
その疑念を紛らわすように、俺は話題を変えた。
「……なんだかこの辺、湿った土のにおいが強いな。苔の香りも混じって……」
「ふふっ、そう? 私にはあまり嫌な感じじゃないわ。森の中を思い出すからかしら」
ナヒーダは相変わらず余裕の表情だ。そのさわやかな反応に、先ほどの疑念も少し薄れていく。
しかし、彼女の次の言葉が、再び俺を混乱させた。
「ところで、あなたの髪、少し湿気でべたついてるみたいね」
「え?」
突然の指摘に、思わず頭に手を伸ばす。確かに、洞窟の湿気で髪が少しべたついている感じがする。
「大丈夫よ。ただ、湿気の多い場所では髪の手入れも大事なの。菌が繁殖しやすいから」
なぜか健康指南を始めるナヒーダに、困惑しながらも頷く。
「ちょっとかがんでくれる? 確認してあげるわ」
「は?」
唐突な要求に戸惑うが、ナヒーダの真剣な表情を見て、言われるままにしゃがむ。彼女が俺の髪に顔を近づける。
「ん……」
微かな吐息が頭皮に触れて、ゾクリとするような感覚が背筋を走る。ナヒーダの呼吸が髪をかすめ、妙な緊張感が広がっていく。
「大丈夫みたい。清潔な香りがするわ」
彼女の言葉に、ほっとしながらも気恥ずかしさは増すばかり。立ち上がろうとした瞬間、ナヒーダが言った。
「じゃあ、今度は私の髪の香りを確かめてみる?」
「え? い、いや、それは…」
断ろうとする俺を遮るように、ナヒーダはすでにしゃがみ、顔を近づけてきた。白髪が目の前に広がる。
「ほら、どうぞ」
どう対応すべきか分からず、俺は固まったままだ。しかし、彼女がこちらを見上げる目には真剣さが宿っている。本当に単なる好奇心なのだろうか。
意を決して、俺は少しだけ顔を近づけた。ナヒーダの髪から漂う香りは、思ったよりも爽やかだった。草原を思わせる風の香りと、わずかな花の甘さが混じったような、自然そのものを感じさせる匂いだ。
(なんなんだこの状況……俺は一体何をしている……いうか、させられているんだ)
混乱しながらも、その香りは不思議と心を落ち着かせる効果があった。
「どう?」
ナヒーダの問いかけに、素直な感想を告げる。
「爽やかな香りだな。草原みたいで…いい匂いだ」
照れながらも言うと、ナヒーダは満足そうに微笑んだ。
「ありがとう。それなら安心したわ」
二人は立ち上がり、再び歩き始める。今度は肩が触れない程度の距離を置きながらも、以前よりは明らかに近い間隔で並んで歩く。
「……ところで」
しばらく無言で歩いたあと、俺は思い切って聞いてみた。
「なんで互いの髪の匂いを確認したがったんだ?」
ナヒーダは少し考え込むような素振りを見せた後、不思議そうに首を傾げた。
「医学的な理由よ。湿気の多い場所では皮膚や髪の状態を確認することが大切なの」
「そう…なのか?」
半信半疑で尋ねると、ナヒーダはくすりと笑った。
「まさか、別の理由があると思ったの?」
「い、いや! そんなことは…」
慌てて言い訳しようとするが、言葉に詰まる。ナヒーダはそんな俺の反応を見て、再び楽しそうに笑った。
「ふふっ、あなたの反応、いつも面白いわね」
結局、また彼女のペースに巻き込まれてしまったようだ。けれど、不思議と嫌な気分ではなかった。彼女の香りの記憶が、まだ鼻腔に残っているからかもしれない。
俺たちは再び洞窟の奥へと足を進める。互いの体温と香りの記憶を胸に秘めながら。
ナヒーダの横顔を見つめていると、彼女は何かを感じたように俺の方を振り返った。
「どうしたの? 何か気になることでも?」
「いや…別に…」
そう言いながらも、俺たちのこの近さが、いつからか心地よく感じるようになっていることに気づいていた。冒険の当初、緊張していた洞窟探索が、今では不思議とリラックスできるものに変わっている。
それはきっと、彼女の存在のおかげだ。時に翻弄され、戸惑うことも多いけれど、確かな信頼関係が築かれつつあることを実感していた。
ナヒーダが前方を指さした。確かに洞窟の様子が少しずつ変化し、より複雑な地形になってきている。
「気をつけて進みましょう」
「ああ」
俺は頷き、自然と身構える。どんな危険が待ち構えているかはわからないが、ナヒーダと共に進む限り、乗り越えられる気がした。
こうして二人の洞窟探索は、さらに奥へと続いていった。心の距離が少しずつ縮まりながら。