バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

占い

 パブには初めて入ったが、中流階級以上の場所は割と普通の社交場に見える。
 ちなみにジャックは一度、別の店に入ったことがあるらしい。
 上客用はプライベートな空間という感じで、確かに占いにはうってつけだ。

「あの人だよ。前に見たから分かる」

 エミリーが女性を指で示しながら囁いてきた。
 部屋の隅で数人に囲まれている黒いドレスの人物。
 髪も黒いので、暗めな店内に溶け込んでしまっている。
 先客は占い内容に興奮しているのか、まさに一喜一憂の反応を示していた。

「随分と人気なのですね」

「ここ最近、ホントにみんな占いが大好きだな」

 僕たちは彼女に近づいた。
 ちょうど彼女を囲んでいた先客を占い終わったようなので、散らばって行った。

 ようやく彼女の姿をちゃんと見ることができた。
 服も髪も黒いのだが、彼女の瞳は緑色だった。
 陳腐な例えだが、エメラルドそのものが瞳になっているように見える。
 レディ・レイヴンは顔を上げて、僕たちの存在に気がついた。
 新たな客が来ると思っていなかったのか、少し驚いたような表情を見せた。

「……これはこれは。あなたたちも占いに?」

 僕たちはその問いに頷いた。

「はじめまして。……おや、金髪の方と茶髪の方は油彩画を描くことが趣味で?」

 まだ話していない――いや、声すら発していないのに、油彩画を描いていることが見破られた!?

「……おっと、こりゃ驚いた」

「どうして分かったのですか。まさかもう――」

「見れば分かる。お2人の手には微かに色がついています。金髪の方は緑色、茶髪の方は青色だ。皮膚についた油彩の絵具は細胞の分裂により循環することで消えていく。それにも関わらず色が残っているということは、普段から頻繁に絵を描いていらっしゃるということ。だがその身なりは明らかにジェントリ以上。とすれば、高名な画家の家に生まれたか、あるいは趣味で描いているということです」

 自分の手を見てみると、確かに緑色の絵具が残っている。ジャックの手にも青い絵具がついているように見える。

「すごい……!」

「だが、これが絵具だとなんで分かった? その前提が間違っていないという根拠はあるのですか」

 ジャックがそう悪あがきをすると、彼女はふっと笑った。

「これはお遊びだ、根拠はない。なにせ、まだ占っていないからね」

 お遊びでこんなことを? 占い内容に真実味を与えるために? だがそれだとこのように種明かししては意味がない。
 さらに「細胞の分裂により循環する」というのは、最近になって考え方がまとまってきた細胞説にも通じるような発言だ。
 クイーンズ・イングリッシュで話しているし、高い教養を身につけていることが分かる。でもどうして占い師に……。

「どなたから占いましょう?」

「俺からだ」

 店に入る前に決めた順番で、彼女に占ってもらう。
 ジャックはレディ・レイヴンの目の前にある椅子に座った。ちなみにジョージは「私は結構」などと言って占ってもらわないそうだ。僕もどんなふうに占うか気になるだけで、占ってほしいわけではない。

「ジャックさん、と言いましたか。あなたが知りたいことは?」

「さっきあなたが言ったように、俺は画家の子だ。そこで、俺はどんな主題を選べばいい? アーサー王物語にまつわるもので頼みます」

「……アーサー王に関する絵を描きたいのか? 自分のことではなく、流行る主題が知りたいと?」

「父親に埋もれないよう、俺にも代表作がほしいんでね」

 本気でそれを占ってほしかったのか……。
 ある意味無欲ということなのかもしれないが、わざわざ尋ねるべきことなのだろうか。
 この内容に対して、レディ・レイヴンは少し微笑んだ。

「…………。あなたはランスロット卿と相性が良い」

「相性? 伝説の人物との相性なんてあるのか?」

「その人物と似ていると考えていい。ランスロット卿は人格も強さも美貌も兼ね備えた騎士で、仲間からも人望があった。あなたも、そこの金髪の方を心からの親友として支えたいと願っている」

「……っ!」

 そうなの? ジャック。決して僕を見ようとはしないが、縮こまっている。
 あれは、恥ずかしがっているのだろうか。

「おやおや。ジャック様にも健気な一面があったのですね」

「ジョージ黙っとけ……!」

 ジャックに対して笑いが止まらないジョージ。
 まったく……、どこにいてもこの2人は変わらない。

「……つまり! ランスロット卿を主題として描けばいいってことか?」

「もっと具体的に言うならば、アーサー王とランスロット卿が親友として語らう様子を描いたら良いでしょうね。これが、私の占いです」

「……分かった。感謝する」

 代金をテーブルに置いて、ジャックはエミリーと場所を変わった。

「綺麗な赤毛だ。その青い瞳も美しい」

「……どうも。それで、占ってほしいのは、……アヴァロンの場所」

「……え?」

 僕とジャックとジョージの驚きが被った。
 こんなことを言っては失礼だが、路上で靴磨きを頑張って稼いだお金を使って訊きたかったことは、アヴァロンの場所……?
 これにはさすがにレディ・レイヴンも驚いたようだ。切れ長の目を丸くしている。

「アヴァロンだと? ……これはまた、なぜ?」

「母さんが、死ぬ時に言ってたんだ。『アヴァロンに行くだけだから』って」

「……おいエミリー、アヴァロンは伝説の島だせ?」

「みんなそう言うよ。でもイーストエンドをうろついて金を稼ぐことしか考えてなかった母さんが、なんで最期にアヴァロンなんて言ったのか分からないんだ」

 そう言ってエミリーは、ポケットから何かを取り出してテーブルの上に置いた。
 それを見たレディ・レイヴンは、さらに目を丸くした。

「……! これは!」

「それは……、!」

 テーブルの上をを覗き込んだ僕たちの目に飛び込んできたのは、小さくも光り輝く宝石だった。
 売ってしまえば中流階級に入れるくらいの資金を生み出すほど上等な代物に見える。

「母さんが死ぬ直前まで隠し持ってたものだよ。これだけは、アンタに見せるまで売らないって決めてたんだ」

 宝石に見入っていると、僕の肩をジョージが叩いて、小声で話しかけてきた。

「坊ちゃん。エミリーは自らの母親を『イーストエンドをうろついてた』と言っていたのに、これは……」

「……うん」

 ジョージに返事をしてみたが、他に返す言葉は浮かばなかった。
 レディ・レイヴンは宝石を手に持ってしばらく観察していた。
 ようやく彼女は宝石をテーブルに置き、エミリーに言う。

「……エミリー。お前の母は、水の精たち――〈湖の乙女〉の加護を受けていたようだ。〈湖の乙女〉ならば、アヴァロンへの道も知っているし辻褄が合う」

「……〈湖の乙女〉?」

 また信じられない発言が飛び出した。

「ちょっと待て。ランスロット卿の次は〈湖の乙女〉? さすがに冗談が過ぎるぞ」

「こればかりは事実だ。それに、先ほどお前はランスロットを『伝説の人物』と言ったが、アーサー王物語として体系化された話は真実を含む」

 伝説が真実を含む……?

 確かに5世紀終わりくらいにベイドン山の戦いで、アンブロシウス・アウレリアヌス率いるブリトン人がサクソン人に完勝した。
 だがそのローマ人指揮官アンブロシウスは、あくまでアーサー王の原型。伝説は伝説のはず、なのに、それが事実だと言うのか? 

 彼女は僕たちを揶揄(からか)っているのか? それとも、本気?

「そんな馬鹿な……! だって、それなら……」

「魔法もアヴァロンも存在する。証明しようか。エミリー、お前の母は水を少し操ることができたのではないか?」

 さすがに信じられない、でたらめに決まっている。――そう思ってエミリーを見ると、今度はエミリーが目を丸くしていた。

「母さんは、雨水を飲めるようにしてくれてた。『母さんがいない時は雨を飲んじゃダメだからね』って……。あと、怪我した時も水をかけたら治ってた……」

「いよいよやばいぞ、アル」

 今度はジャックが小声で話しかけてきたので、僕は頷いた。

「その宝石は――、…………。その宝石は、〈湖の乙女〉の祝福の証だ。売らずに、大事に持っていなさい。そうすればいずれ、お前も母のように異能を使えるようになる。アヴァロンの場所を教えるのは少し待ってくれないか、あそこは滅多に入っていい場所ではないから」

 そう言ってレディ・レイヴンはどこからか小さなペンダントネックレスを出し、宝石を中に入れた。そしてそれをエミリーに渡す。

「分かった。……ありがとう」

「さて、次はどちら?」

「僕たちは占いません。2人の付き添いだ」

 ふーん、とレディ・レイヴンは僕たちを見つめる。その緑眼で心の内を見透かされている心地がしてくる。

「そうか。お2人もなかなか面白そうなのだが、……まあいい。だが1つずつ言っておこう。まず、金髪の方」

「アルバートです」

「ではアルバートさん、あなたは一度、兄君と話し合うことだ」

 何も言っていないのに兄のことを指摘されて、思わず息を飲んでしまった。

「その心の迷いを早めに断ち切らねば、災いとして返ってくる。あと、あなたの名前のイニシャルを2回ひねったやつに気をつけて」

 災い……? 何のことだ。
 そう言いたいのに声が出なかった。
 彼女は僕の心を通じてリチャードのことまで見えたというのか。それに、僕のイニシャルAMを2回ひねるとは、どういうことだ?

「それと、黒髪の従者よ。ジョージと言ったか? アルバートに一生仕えることだ。彼が死ぬその時に願いを聞いてあげられるのは、あなただけだから」

 ここに来て彼女は、不吉な予言ばかりしてきた。
 単なる占い師なら、少なくともジャックが笑い飛ばしてくれたかもしれないが、2人の結果を聞いた上で言われるとそんなことはできないように思えてきた。

「心に留めておきましょう」

 そう言ったジョージは、店を出るよう僕たちに催促した。

「……あっ待って! レディ・レイヴン、あなたの屋敷は、大鴉を多く飼っている屋敷はどこにあるのです?」

 彼女は、その質問に答えるのを躊躇った。少し考え込んで、彼女は口を開いた。

「アヴァロンの場所とともに、いずれ教えよう」

 今度こそジョージは、僕たちを店から出させた。
 ジャックはエミリーを連れてバーリントン・ハウスへ行った。
 サー・エドワードに事情を説明して、家に置いておくつもりらしい。
 本人は少々面倒くさそうにしていたが、「アヴァロンの場所を知らずに死ぬよりましか」と開き直った。

 馬車に乗り込んでも、レディ・レイヴンの予言は頭から消えない。むしろ、予言の声がどんどん強くなっている気がした。

しおり