第152話 片道切符とそれに必要な覚悟
出勤した誠達を待っていたのは茜の部下のラーナだった。
「茜はどうした?」
「もうすぐ来るんじゃないすか?工場の生協に寄るとか言ってましたから。ラーナ、急ぎの用事か何かか?」
かなめの言葉を聞くとリアナは息を整えるように深呼吸をした。
「隊長が来てくれと……たぶん警部が追ってる事件のことで上から何か言われたらしいっす」
ラーナの言葉にはじかれるようにしてかなめが勢いをつけて歩き出す。だが、その前にアメリアが立ちふさがって両手を開いた。
「アメリア!どけ!」
タレ目だが低く響く声でかなめが怒鳴りつける。だが、そのかなめの肩をカウラが叩いた。
「我々は組織人だ。組織には秩序が必要だ。だから……」
「優等生は黙ってろ!」
カウラを一喝するとかなめは立ちはだかるアメリアを突き飛ばしてそのまま進んでいく。仕方なく玄関をくぐり階段を駆け上がるかなめについて誠も進む。カウラとアメリアも心配そうにその後に続いた。
「お姉さま!おはようございます!今日もお姉さまはお美しくて僕の太陽です!」
廊下で部下のリンと談笑していたかえでが敬礼して見せた。だがかなめはまるで無視して通り過ぎると隊長室のドアをおもむろに開けた。
「なんだよ、呼ぶまでも無かったじゃねえか」
声の主の嵯峨は苦笑いを浮かべて闖入してきたかなめ達を自分の執務机に座って迎える。
「どういうことだ!」
そう言ってかなめは思い切り机を叩こうとするが、力加減では叩き壊してしまうと思い直したように拳を寸前で止めて見せた。
「菰田から備品を大切にするようにって言われたの覚えてたんだな。備品の寿命が延びるのは良い事だねえ。経費の無駄が減るよ。うちはただでさえ予算が厳しいんだ。無駄なお金を使ってる余裕は無いの」
そう言うと嵯峨は机の片隅に置かれたタバコを手に取った。管理部の『几帳面すぎる』と陰口を囁かれていた司法局実働部隊の良心で備品管理も担当していた管理部部長代理の菰田邦弘主計曹長を思い出して誠は不意に含み笑いを浮かべた。突っかかるかなめの肩を叩いたカウラは三人を机の前に整列させた。
「ベルガー。様になってきたじゃないのか。隊長が」
そう言って嵯峨は三人を見上げた。
「最初に言うけどさあ……捜査。まだ続ける?上からの圧力、さらにヤバい領域まで達してるのよ。厚生局の連中も必死になってるみたいなんだ。連中、やけになってもう本国である遼北を頼って外交ルートで何とかしようとしているらしい。もう自分達が犯人を匿ってるってことは誰もが知ってる事実だからさ。それでも続ける?」
タバコに火をつけて大きく煙を吐いた嵯峨は三人を満遍なく眺めた後にそう切り出した。当然、かなめを見た誠の前には殴りかからないのが不思議なほどに歯軋りをしているかなめの姿があった。
「怖い顔すんなよ。一応さあ、茜とカルビナは専従捜査官だから事件の報告書を同盟司法局本局に上げるまでが仕事だ。でもお前等は俺の顔で駆り出された協力者だからな。今回の事件の最後まで付き合う義理は……」
「あります!」
その声がカウラの声だったので驚いたように嵯峨はくわえていたタバコの灰を落とした。
「脅かすなよ……まあやる気は買うけどね。はっきり言う。さっきも言ったように司法局の本局が本腰入れて俺に圧力をかけてきた。『法術特捜への協力をやめろ』ってな。恐らくは同盟内部での厚生局と司法局の話し合いの結果なんだろう。厚生局としては証拠を消す時間が少しでも欲しい、司法局は少ない予算に関して潤沢な予算を配分されている厚生局には頭が上がらない。そんな政治的な配慮って奴だ。偉くなるとそんなことも関係してくるわけ。大人ってのはめんどうなのよ。娘をトカゲのしっぽ切りする親の気持ち、お前さん達に分かるかな?」
嵯峨の声は笑っている。しかし、ハンカチで灰を拭って誠達を見上げている目のほうは笑っていなかった。それでも気になるように明華を見る嵯峨だが腕組みをした
「さっき捜査は止めないって言った言葉。感傷や義理ってわけじゃないみたいだな、ベルガーは。それならかなめ坊は無視して……」
「叔父貴!無視するなよ!」
ようやく嵯峨の狙いが分かったとでも言うように喜びを含んだかなめの声が響く。誠はカウラとかなめのやる気に押されるようにして一歩踏み出した。
「最後まで勤めさせてください!」
誠の言葉を聞いてアメリアが拍手を始めた。
「私としても最後まで見届けたいんですよね。こんな非道な研究の始まりに関わっちゃった以上、結末まで見るのが筋ってもんだと思うんで」
アメリアは相変わらずの細目をさらに細めてそうつぶやいた。
「そうなんだけどねえ……上の意向もあるし……俺にも立場ってもんがあるのよ。そこのところまで考えてくれると嬉しいな……」
そう言いつつ嵯峨は頭を掻きながら辺りを見渡した。
「そんなものいつだって無視してきたじゃないですか。聞いてますよ遼南内戦では北兼南部攻略戦で……」
「しつこいねえ、アメリアも。もう十年以上前の話じゃないの、それ」
嵯峨は思い出したように根元まで燃えてきたタバコに手をやる。そして誠達がにらみつけるのを見て困ったような表情を浮かべて黙り込む。
突然背後のドアが開いた。
「捜査から外すってどういうことですか!」
開けたのは腰に取り付いているサラを引きずる島田だった。その後ろでは手を合わせて謝るようなポーズを嵯峨にしているパーラの姿があった。
「誤解だってえの。上は茜に捜査の統括をさせたいって言う意向なんだ。それを……」
「捜査の統括?要するに捜査と摘発は東都警察がやりますから俺等は手を引けってことでしょ?そんなのこのこ後から出てきておいしいところを全部持って行きます、なんて言う連中が信用できますか?」
島田はそのままサラを引きずって嵯峨の机のそばまで来ると思い切り机を叩いた。
鉄粉と埃が一面に舞い、誠とカウラがくしゃみと咳に襲われ口を手で覆った。
「島田君!考えて動いてよ!この部屋で暴れたら埃まみれになるって誰でも知ってることじゃないの!」
アメリアが口を押さえて叫ぶ。そのドサクサにまぎれてかなめも机を叩いて埃を巻き上げた。
「馬鹿!西園寺止めろ!」
満面の笑顔のかなめの腕をカウラが握りしめる。仕方が無いというように立ち上がった嵯峨が窓をあける。ここ豊川市の北、野呂山脈を吹き降ろす冬の風が一気に部屋の中に吹き荒れて埃を廊下へと吹き飛ばしていく。
開いていた扉に立っていたランと茜が口を押さえて立ち尽くしていた。隣のアメリアとラーナがすでにハンカチを用意して待機していた。
「お父様……たまにはご自分で掃除をなされては?」
「来週やるよ」
「来週って!私が配属になってから一度も掃除をしていなかったではありませんか!いつもやっている私の気にもなってください」
茜の声にようやく部屋の緊張が解けた。島田もようやく自分が起こした騒動が結果的に場を和ませてしまったことが意外だったらしく、我に返ったように立ち尽くしていた。
「島田の……俺だってさ、はらわた煮えてるのは確かなんだからさあ。そこでだ」
嵯峨はそう言うと封筒を取り出した。かなめ、カウラ、アメリア、島田、サラ、誠、そしてラン。それぞれに名前の書かれた封筒を嵯峨は手渡す。
「これは?」
「そりゃあ退職願だよ」
突然の嵯峨の言葉に誠は青ざめた。慌てて中を見れば規定の書式にサインをするだけの退職願の原紙が入っている。
「へえ、ずいぶんと思い切るねえ」
にやにやとかなめが笑いながら手にした退職願に机の上からペンを取って署名をした。
「片道切符ですか。地雷を踏めばもう司法局実働部隊には一切かかわりが無いということに出来るということですか?」
カウラの言葉に嵯峨は頷いた。
「それだけの覚悟をしなさいと言うことだ。これだけの部下が一度に退職となれば俺の首も飛ぶんだからね。アメリアの言う最後の結末。お前さんたちの目でしっかり見てからそいつを破いて見せてくれ」
「皆さんは本当によろしいんですの?」
茜の心配そうな顔を見てかなめが肩を叩いた。
「よろしいも何もアタシは気にくわねえだけだ。なんでもかんでも政治的解決しようとする上の連中の思惑なんぞ構ってられるか!」
そう言ってかなめは退職願を嵯峨の机に投げつけた。
「島田、顔が青いぞ」
余裕のかなめの声に島田の笑顔が引きつっていた。
「正人……」
「分かりました!書きますよ!今度の旧車……オークションで落としちゃったんだよな……毎月のローン。どうしよう」
島田はそう言うとかなめからペンを受け取った。
「ああ、最初に言っておくけど。今日からしばらくは休職扱いで……給料は出ないよ。うちもそこまでは面倒見切れないんだ。あくまでこれはお前さん達の趣味でやってること。そう考えといてちょうだい」
ポツリと嵯峨がつぶやいた言葉にかなめは振り向いたがどっと疲れたように誠にもたれかかった。
「叔父貴……計りやがったな」
「え?何のこと?」
凄むかなめをまるで無視して嵯峨は悠然と扇で顔をあおいでいた。
「給料無しね。来月は漫画雑誌買うのは控えないと」
「そこから来るのかお前は」
うなだれるアメリアのつぶやきにカウラは呆れながら退職願のサインを済ませた。