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第68話 かなめにとってなじみの街

「それじゃあ今日はこれで終わりですか?あまりにあっけなかったような……。そうだ!足を使って手柄を稼ぐためにあの駄菓子屋の付近の廃ビルを当たって見るとかどうでしょうか?あそこら辺ってなんだか怪しかったじゃないですか。あんな情報が出てくるくらいですから違法研究のかけらくらい出てきますよ」 

 助手席の椅子を戻して乗り込む誠をかなめとランが呆れたような目で見つめた。

「馬鹿だな。そう簡単に見つかる施設ならとうの昔に東都警察が見つけてるよ。それにこれからが今日の二時限目の授業だ。そっちの方が今日の本番だ。気合い入れて授業を受けろよ。オメー等がこの租界の流儀を知らねーのは分かってんだ。とりあえず入門編のレクチャーをアタシ等が担当してやるよ。これから租界に入る。中はどんなか……見てのお楽しみだな。アタシが住んでた七年前とは間に東都戦争を挟んじゃいるが、基本は変わっちゃいねーだろ。西園寺、オメーは五年前の東都戦争中にここに居たんだ。案内しろ」 

 そう言うとランは端末のデータを車のナビに転送した。そこには租界内部の地図が記されていた。ランは遼南共和国からの亡命者であるから租界内部の地理には詳しい。その過去を知っている誠からすれば当然の結論だった。

「このルートで走れって事ですか?随分と回り道をするんですね。まっすぐ本道を進んだ方が早く目的地に着ける気がするんですが」 

 カウラは租界の外周を回るような順路を見た後そのまま車を出した。

「この車。目立つだろーが。車に銃弾の後をつけたくなければこの道を通れ。それ以外の道を通ったらこの車がどーなっても知らねえーかんな。ここは租界なんだ。外の常識は通用しねー。それだけは覚えとけ」

 租界の内部は誠の想像したそれより落ち着いた趣に見えた。外の湾岸再開発予定地区よりも租界の中は秩序があるように見えた。その秩序が入り口で出会った駐留軍のもたらしたものではないことは、世事に疎い誠にも理解できた。

 この街の一見なんということのなく見える秩序が良く見れば危うい均衡の上にあることは誠にもすぐに分かった。四つ角には必ず重武装の警備兵が立っている。見かける羽振りのよさそうな背広の男の数人に一人は左の胸のポケットの中に何かを入れていた。それが恐らく拳銃であることは私服での警備任務を数回経験した誠にも分かった。

 合法の駐留軍と非合法のマフィアとの癒着。それが生み出した微妙なバランスの上にこの街の秩序は成り立っている。誠はその銃の姿を見てそう直感した。

「ここの住民は全員武装しているのか……今でこの有様だったら東都戦争のときはどうなってたんですか?もっとひどくて隠すこともせずにいつもの西園寺さんみたいに常に銃を抜き身で持ってたとか?」 

 思わずそんな言葉を吐いた誠を大きなため息をついたかなめがにらんだ。

「なに、もっと静かだったよ。街もきれいなものでごみ一つ落ちて無かったな。なんといっても外に出たらいつどこから狙撃されるか分からないんだから。だから誰も外には出なかった。必要があって外に出る時は銃撃戦が始まった時だ。その時には個々の庶民は一斉に買い出しに出る。マフィアも特殊部隊も駐留軍も銃撃戦に夢中になっててここの住民に関心を持つ余裕なんて無くなる。その時がここの住民にとって一番安全なんだ。この街独特のルールって奴だ」 

 そう言ってかつての東都戦争を良く知るかなめは笑った。確かに今見ている街には人の気配が満ちていた。大通りを走るカウラの車から外の路地を見ると必ず人影を目にした。子供、老人、女性。あまり青年男性の姿を見ないのは港湾の拡張工事などに人手が出ているからだろうか。

「排ガスの煙がひどいな。どの車のマフラーも壊れてる。空気の悪いのは昔からか?」 

 カウラがそう言ってかなめを見つめる。そして、かなめの目はこの街の先輩にあたるランに向いた。

「そりゃあしょうがねーだろ。こんな狭いところにすでにこの地上に存在しない遼南共和国から流れ込んだ50万人の人間が閉じ込められているんだ。呼吸だけで十分空気が二酸化炭素に染まるもんだ。車も部品の供給がまともにできねえから動いてるだけでラッキーって奴だ。もっともアタシはここの空気は嫌いじゃないがね。昔吸ってた空気だ。アタシも今は無い国の人間だったことを思い出して懐かしく感じるよ」 

 そんなことを言いながら外を眺めるランだが、その表情が懐かしい場所に帰ってきたような柔らかい笑顔に覆われていることに誠は不思議な気持ちになった。

「ちっちゃい姐御の言う通りだ。姐御の居た時から今まで、この街の本質は何も変わっちゃいねえんだ。例え東都戦争が無かったとしても変わらなかっただろうな」

 かなめのその無表情に誠はここでかなめが何を経験してきたのか分からない自分を思い知って、自分の限界と言うものを悟ることになった。

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