第59話 『駄目人間』が覚悟を決めた日
「法術の存在を世に知らしめる必要がある。それを考え出したのはこの男に斬りつけて返り討ちにあったその日のことだ。でもねえ、所詮一介の二等武官がどうこうできる話じゃないんだ」
嵯峨は再びタバコを口にくわえた。
「でもなんで……」
高梨の珍しいの真剣な顔をちらりと見た嵯峨は再び机をあさって一冊の冊子を取り出した。
『ソクラテス哲学研究・社会情勢と政治学について』そう書かれた表紙の貧相なコピー冊子に高梨は首をひねった。著者の欄が空欄なのが高梨には気になった。
「これがコイツが三百年前に書いたものらしい。当時はこいつが起こした遼帝国の混乱で歴史的な資料が散逸していて正確なことは分からないんだ。その内容としては哲人政治の実現に向けての施策を論じたものだが……俺にはヒトラーの『わが闘争』と区別がつかなかったよ。力を持つものは人々を導く責任を負うっていうのが論旨だが……俺はこういう論じ方している人間が大嫌いでね。弱肉強食を人間同士で当てはめようと言うような論理が見え見えで」
嵯峨は皮肉めいた笑みを浮かべた。
「法術師を頂点にしたファッショでもやろうって言うんですか。確かにそれは願い下げだ。僕も遼州人ですが、力が無い。そうなると僕は力のある兄さんに支配されることになる。兄弟で支配する支配されるの関係なんて想像するだけで嫌になりますよ」
高梨はそう言ってその冊子を手に取った。
「だから今回の事件は法術師の王国を作ろうって言うコイツの理想とやらとぶつかるはずなんだが俺の勘じゃあまたこいつの屁の香りでも嗅ぐことになりそうだなあ……『廃帝ハド』……法術師が絡むとどんな案件にも食いついてきやがる。三百年前に遼帝国の鎖国を解くきっかけとなった『封印戦争』を引き起こすきっかけともなった強力な法術師……敵にはしたくなかったが……敵なんだよね、今の俺達の」
そう言うと嵯峨は机の上の写真を引き出しにしまう。法術を制御されていたとは言え嵯峨を返り討ちにしたほどの実力のある法術師。その存在に高梨達は複雑な表情で嵯峨を見つめた。
「こいつの配下の者が無関係だと良いが希望的観測は命取りだ。そっちの方面でのラン達のフォローはしておいてやろうじゃないの」
嵯峨は口にくわえたタバコをそのまま灰皿に押し付けて立ち上がった。