最終日③ 試験開始
いつの間にか晴れていた、雨上がりの空の下。
タロは最後の一つだったホットドッグに齧り付いていた。
「うむ、そうか、ヒナコと仲直り出来たのか。それは良かった。これで今日の夕ご飯は、ちゃんとした食べ物が食べられる」
「え、それってどういう意味?」
誰もいない屋上、そこに二人はいた。
ここならきっと誰も来ないだろうと、太郎はそう考えたのだ。
「しかし美味いな、このホットドッグは! ドリームランドのヤツより美味しいぞ!」
「うん、この学校のパンはどれも美味しいって、意外と評判が良いんだよ」
しかし、二人がのほほんと話しをしていた時だった。
ドタドタと階段を駆け上がって来る音がしたかと思えば、バンッと勢いよくその扉が開いたのは。
「えっ!?」
まさかこんなところに人が来るなんて!
驚いて振り返った先には、大分慌てた様子の、黒髪男子生徒の姿があった。
「太郎ッ! こんなところにいたのか!」
「えっ!? えっと、勝君!?」
そこにいたのは、不良生徒こと森田勝。
その髪色が金から黒に変わっているところを見ると、どうやら武田先生によって染め変えさせられたらしい。
とにかく学校中を探し回っていたらしい彼は、太郎の姿を見付けるや否や、思いっ切り声を張り上げた。
「スライディング土下座ーッ!!」
「ええええええッ!?」
スライディング土下座。
それは言葉の通り、スライディングしながら土下座をする行為の事である。
そしてそう叫びながら目の前で土下座をする不良少年に、太郎は驚いたようにして目を見開いた。
「ちょっ、ちょっと勝君ッ!? いきなり土下座だなんて、一体どうしたの!?」
「すまねぇ、太郎ッ! オレのせいだッ!」
「え、何!? どうしたの!?」
突然何を謝っているのだろうか?
そして自分のせいとは、一体どう言う事なのだろうか?
勝のその意味が分からずに太郎が首を傾げれば、勝はその真っ青な表情で太郎を見上げた。
「水城って、お前と親しいよな!? 幼馴染マニアのお前の幼馴染だよな!?」
「幼馴染マニアではないけど、それが妃奈子ちゃんの事であるのなら、彼女は僕の幼馴染だよ」
「じ、実はオレのせいで、水城のスマホが、清野の野郎に盗られちまったんだよ!」
「えっ!? え、と、盗られたって、どう言う事!?」
「少年、詳しく話せ」
「うわっ、何だ、コイツ!? って、いや、それよりも……っ!」
勝の持って来た、突然のその情報。
それにイマイチ状況が分からないと眉を顰める太郎とタロに、ありえない二頭身デフォルメ人間に驚く勝。
しかしタロの姿に驚いている場合ではないと判断したのだろう。
勝はその場に立ち上がると、手早く状況を説明した。
「実はオレ、カラコン入れたんだよ。ほら、碧眼になっているだろ?」
よくよく見れば、確かに勝の瞳は碧くなっている。
どうやら碧色のカラーコンタクトを入れたらしい。
しかし、それが一体何だと言うのだろうか。
「それが武田ちゃんに見付かってさ、さっき廊下でまた怒られていたんだよ。カラコンを学校にして来るなってさ。それで武田ちゃん、この前みたいに廊下で大声上げていたわけだろ? そしたらまたあの野郎がやって来てさ、前みたいに武田ちゃんに厭味言い始めたんだよ」
「怖くてキミには何も言えないから、また武田先生に八つ当たりしていたんだね」
「そうそう。で、ヤツのやり方にはオレもムカついていたからさ、言いたい事があるんならオレに直接言えって、言い返したんだよ。そしたら野郎、「私は武田先生と話しているだけで、キミに言いたい事があるわけじゃない」とか言いやがってよ。ンで、ついカッとなって、女にしか強く言えねぇ野郎が偉そうに酸素減らしてんじゃねぇ、環境汚染してねぇでとっとと失せろ、ゴミ野郎って言っちまったんだよ」
「とんでもない事言ったね」
「言いすぎたと反省はしている」
「で、それと妃奈子ちゃんと何の関係があるの?」
「それが、その時近くで土田と一緒にいた水城がスマホを握っていたんだよ。で、それを見付けた清野が、オレには何も言い返せねぇ腹いせに、水城のスマホを奪い盗ったんだよ、「学校に携帯は持ち込み禁止だ」っつってな!」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってよ! 確かに授業中に使っちゃ駄目だとはよく言われるけど……でも、持ち込み禁止なんて聞いた事もないよ。生徒手帳にだって書いてないじゃないか!」
「ああ、でも大人しめの女子狙って、ちょこちょこやっているみたいだぜ。水城も、大人しい方の女子だろ? だから何も言い返せなくって……。あ、もちろんオレと土田で反論はしたんだよ! でも「キミ達には関係ない」っつって、あの野郎、逃げるようにして競歩で立ち去って行ってさ。武田ちゃんも追い掛けて文句は言ってくれていたみたいなんだけど、あの様子じゃあ適当にあしらわれて終わっていると思う」
「そ、それで妃奈子ちゃんは!? 妃奈子ちゃんはどうしているの!?」
状況はだいたい分かった。
簡単に言えば、勝のとばっちりを妃奈子が受けたらしいのだ。
しかし気になるのは、妃奈子の今の状態。
彼女は今、どうしているのだろうか。
「分かんねぇ。オレはとにかく水城に謝って、その後すぐにお前を探し回っていたから……」
「じゃあ、妃奈子ちゃんは、今どこにいるの!?」
「現場はオレらの教室の前だけど……。でも、もし泣いちまってんだとしたら、その階の踊り場だろうな。あそこは人が少ないからな」
「分かった、ありがとう! 僕、行ってみるよ!」
「ボクも行くぞ、タロー!」
もぐもぐごっくん、とホットドッグを飲み込んだタロに頷くと、太郎は彼と一緒に、一目散にその場から走り去って行った。
「……で、あのちんちくりんのヤツは一体何なんだ?」
まあ、いいか。後で聞こう。
タロが一体何なのかを聞くに聞けなかった勝は、二人の背中を見送った後で、ポツリとそう呟いた。
□
「タロー、あのカラコン少年の話に出て来た、ゴミやらカスやらは一体何なのだ?」
「カスとは言っていないけど……。清野京介、僕達の担任だよ。ただ性格が悪くてさ、生徒の一部を不満やストレスの捌け口にしているんだよ!」
「なんと! そんな事が許されるのか!?」
「許されるわけないよ! だから何も言い返せないような、大人しい生徒を狙うんだ。特に女の子! あの人、女の人を見下しているからね。妃奈子ちゃんみたいに可愛くて大人しい女の子なんて、格好の餌食だよ!」
清野という人物が何なのかを知らないタロに、太郎は簡単に説明しながら校内を走り回っていた。
途中、擦れ違った生徒達が驚いたようにタロを見ていたが、そんな事を気にしている場合ではない。
今は一刻も早く、妃奈子のところへ行くのが優先なのだから。
「今回の事だって、そうだよ。さっきの男の子……勝君に悪口を言われた清野が頭に来て、それを勝君には怖くて言い返せないから、代わりに近くにいた妃奈子ちゃんを、ストレスの捌け口に使ったんだよ!」
「セイノ・キョー……なるほど、どうやらこちらの世界でも、ロクでもない人物らしいな!」
「えっ、キミの世界にもいるの!?」
タロの言葉から、どうやらパラレルワールドにも、もう一人の清野京介なる人物がいるらしい。
まあ、太郎にもタロがいるので、別におかしい事ではないのだろうが、それでも驚いたようにしてタロへと視線を向ければ、タロはしかめっ面でコクリと首を縦に振った。
「うむ、こちらでもロクでもない教師でな。生徒に酒を飲ませて泥酔させ、家に連れ帰って性犯罪を起こし、この前警察に捕まった」
「想像以上にロクでもなかったね!!」
「詳しく説明するとだな……」
「いい! しなくていい!」
「まあ、こっちのセイノも泥棒であるし、似たようなモノであるな」
「止めて! 一緒にしないで!」
清野を庇うのは、これが人生最初で最後だと思う。
「妃奈子ちゃん!」
そうこうするうちに目的地へと着いた太郎は、その姿に声を上げた。
「太郎!?」
「えっ、太郎、君……っ?」
「っ!?」
呼び声に反応し、顔を上げた妃奈子のその姿に、太郎は目を見開いた。
勝が予想していた通り、土田と一緒に階段の踊り場にいた妃奈子が、その瞳からポロポロと涙を流して泣いていたからである。
「あっ、た、太郎く……、ご、ごめんなさい、なんでもないのっ!」
太郎の姿に驚いた表情を見せた妃奈子であったが、すぐに我に返ると、慌ててゴシゴシと目元を拭い始めた。
「いいよ、妃奈子ちゃん。清野にスマホを盗られたんでしょ? 勝君から全部聞いたんだ」
「わ、悪い、太郎! オレも傍にいたのに、こんな事になっちまって……っ!」
一緒にいたのに何も出来なかったと、罪悪感に苛まれているのだろう。
悔しそうに表情を歪める土田に、妃奈子はフルフルと首を横に振った。
「違うよ、土田君。土田君が悪いんじゃない、何も言い返せなかった私が悪いの……」
「でも、ヤツのやり口はお前も知ってんだろ? あの時は、オレや森田が力づくでも何でもするべきだったんだ!」
溢れる涙を必死に堪える妃奈子に土田が「ごめん」と謝れば、今までそれを黙って見ていたタロが口を開いた。
「ところでその盗られたスマホはどうなるのだ? 戻っては来ないのか?」
「うわっ、何だ、お前!? ま、まあ、いいか……。えーっと、盗られたスマホな? それは親がブチギレて怒鳴り込んで来れば返って来るよ。清野は、頭のおかしいPTAには弱いからな。ただ……」
「ただ?」
スマホは、親が怒鳴り込んで来れば返って来るらしいが、どうやらまだ他にも問題があるらしい。
その先の言葉を言いにくそうに濁す土田にタロが首を傾げれば、代わりに妃奈子が目元を擦りながら言葉を続けた。
「あの人は、取り上げたスマホの中を勝手に見るらしいの。アルバムもメッセージのやり取りも、閲覧履歴も全部……」
「なんと!?」
「え、パスコードとか指紋認証とかはどうしているの!?」
「知らねぇけど、こじ開けているらしいぜ」
「暇か!」
「魔法使いか!」
教師……否、人として度を越えた、やってはいけないその行為。
妃奈子や土田から聞いたその話に、太郎とタロは驚いたように声を荒げた。
「し、しかしそれは校長や教育委員会、いや、ブチギレた親にでも訴えれば、それなりの処置は取ってもらえるのではないのか?」
「いや、無理だろ」
すぐにでも解決しそうな、タロのその提案。
しかしその案にも、土田は残念そうに首を横に振った。
「清野が取り上げたスマホの中を見たって、何人もの生徒が訴えたとしても、清野本人がそれを否定すれば終わりだ。証拠がないからな。それに、学校側だって面倒な揉め事は起こしたくねぇだろ? だから清野が「見ていない」って言っちまえば、それは生徒の勘違いだって片付けられちまうんだよ」
「むぅ、汚い大人の黒社会と言うわけか……」
土田の説明に納得せざるを得なかったのだろう。
タロは拳を握り締めながら、悔しそうに俯いてしまった。
「どうしよう……スマホには人に見られたくないデーターも入っているのに……大事な、大事な写真も入っているのに……っ!」
よっぽど大切且つ見られたくないモノなのだろう。
溢れて来る涙を堪える事が出来ず、妃奈子は再び涙を零し始めてしまった。
「な、泣くなって、妃奈子! 大丈夫だから……なっ!?」
何が大丈夫なのかは分からないが、それでもそれ以外に慰めの言葉は思い付かなくて。
両手で瞳を覆う妃奈子の肩を支えながら、土田は必死に彼女に声を掛けた。
「僕が、取り返して来るよ」
「!?」
しかしその時、ポツリと小さな声が響いた。
ハッとして顔を上げれば、そこには真剣な表情を浮かべた太郎の姿があった。
「僕が取り返して来るよ! 妃奈子ちゃんの大切なスマホ! 清野に中を見られる前に、僕が取り返して来る!」
そう一言言い残して。
太郎は一目散に走り去って行った。
「たっ、太郎君!?」
「待て、太郎! 清野がお前の話なんか、聞くわけねぇだろうがーッ!」
驚く妃奈子と焦りの色を浮かべた土田の声が、太郎を引き止めるが、太郎は止まる事なくその場から走り去って行く。
それ程までに、彼女を泣かせた男が許せなかったのだ。
彼女の笑顔を取り戻したい。
彼女を守ってあげたい。
だから彼は走ったのだ。
彼女を助けるために、清野の下へと……。
――雲の切れ間から顔を出した太陽の光が、窓から差し込んだ時、五時間目開始を知らせる鐘の音が鳴り響いた。