最終日④ 勇気、自信、そして努力
ポロポロと、機械が奏でる演奏がその場に響く。
それと重なって聞こえて来るのは、生徒達の美しい歌声。
ここは第一音楽室、その扉の前。
そこに立つ太郎は緊張した面持ちで、目の前の扉を見つめていた。
(この扉の向こうに、妃奈子ちゃんを泣かせた清野がいる……)
音楽教諭である清野は、この時間は授業が入っていたらしい。
妃奈子のスマホを盗ったのは、ついさっきの事だ。
だからおそらく彼はまだ、彼女のスマホの中を見てはいないだろう。
ならばその前に、スマホを取り返さなければいけない。
中を見られた後では遅いのだ。
大切なモノを見られてしまったと、妃奈子は更に落ち込んで泣いてしまうのだろうから。
(でも、どうやって取り返したら良いんだろう。どうしたら清野からスマホを取り返す事が出来るんだろう……?)
今すぐ清野を呼び出して、スマホを返してくれるように頼んでみる?
駄目だ。
彼が素直に願いを聞き入れてくれるとは思えない。
授業が終わるのを待って、清野がスマホをこじ開ける前に頼んでみる?
同じだ。
それでは何にも解決しない。
ならば今から音楽室に殴り込んで、清野をボッコボコにして取り返す?
何を言っているんだ。
そんな度胸も技量もないじゃないか。
(結局、僕は何も出来ないんだ……)
さっきはカッとして、つい大きな事を言って飛び出してしまったが、冷静になって考えてみれば、清野からスマホを取り返せる術が見付からない。
もちろん冷静になった今だって、妃奈子を助けてやりたいと言う想いはある。
けれども見付からないのだ。
太郎が確実に清野からスマホを取り戻せる、その術が……。
(僕がやらなきゃ、妃奈子ちゃんの大切なデーターが清野に見られちゃうのに。そしたら妃奈子ちゃんがもっと悲しんじゃうのに。だから僕が何とかしなきゃいけないのに。それなのに……っ!)
それなのに、ここでこうして立ち尽くす事しか出来ない。
ここでこうやって拳を握り締めながら、悔しさに震える事しか出来ない。
どうして僕はこんなにも無力なのだろうか。
彼女が泣いていると言うのに、何故何もしてやれないのだろうか。
悔しい。
非力な自分が、ただ、ただ悔しい……っ!
「だが、それでも行動を起こそうとしたその姿勢だけは、立派だと思うぞ」
「!?」
彼は他人の心を読む術でも使えるのだろうか。
自分の心の声に語り掛けて来たその声にハッとして振り向けば、思った通りの人物の姿がそこにはあった。
「タロ……」
「その場の勢いだろうが、怒りに身を任せた結果だろうが、理由は何だって良い。妃奈子を助けたいと、前に進もうとしたその姿勢は素晴らしい」
今までのキミは、何があってもウジウジと悩んでいただけだったからな、しばらく見ないうちに成長したではないか。
そう彼が続ければ、太郎は「それって誉めているの?」と頬を膨らませた。
「しかし問題はこの先だ。タロー、キミはこの先どうするつもりだ?」
「そ、それは……」
真剣に見つめ直して来るタロの問いに口籠ると、太郎は困ったように俯いてしまった。
「どうしようか……どうしたら良いのか、分からないんだ……」
どうしたら良いのか分からない?
いや、どうしたら良いのかなんて、本当は分かっている。
もちろん、今思い付いているこの方法だって、上手くいく可能性は低い。
だって相手は、常識外れの『彼』なのだから。
それに自分のこの願いに、果たして『彼』は応えてくれるだろうか。
だって自分は『彼』の願いを散々断って来たのだから。
だからこの願いを、『彼』が断わる可能性だって十分にある。
(でも……)
それでも、それ以外に方法が思い付かない。
だって自分一人で出来る事なんて、何一つとしてないのだから。
だから『彼』に協力を頼まなければならない。
例えそれを受け入れてくれる可能性が低くとも、それが唯一の道なのだから。
「タロ、頼みがあるんだ」
「頼み?」
すっと見上げて来る彼の瞳が、見た事もないくらいに冷酷に見えるのは、果たして気のせいだろうか。
それでも太郎は真剣にその冷酷な色を見つめ返すと、ギュッと拳を握り締めながら、思い切ったようにして口を開いた。
「お願い、僕に力を貸して!」
「良いよ!」
「えっ、良いの!?」
やはり冷酷に見えたその瞳は、太郎の気のせいだったらしい。
想像以上にあっさりと親指を立てて頷いたタロに、太郎は驚いたようにして目を見開いた。
「えっ、手伝ってくれるの? え、何で!?」
「む? 何だ? 本当は手伝って欲しくなかったのか?」
「いや、そうじゃなくって……でも、ほら、僕はキミの頼みを何度も断って来たじゃないか。告白したくないとか、告白したくないとか、告白したくないって! だから「自分の頼みだけ聞いてもらおうとは、随分と虫の良い話だな」とか何とか言って断られると思ってっ!」
「む、失敬だな! ボクの心はそんなにミニマムではない! 失敬だな!」
「え、あ、そう、なの? えっと、ごめんね?」
逆にプリプリと怒り出したタロに、太郎はとりあえず謝っておく事にした。
「それにボクとて、あのホクロ毛のやり方には腹を立てていたところだ! か弱い女子を狙うとは言語道断! キミが頼まなくとも、ボクが変身魔法でキミに変身し、勝手に仕返しに行っていたぞ!」
「思ったより勝手な事しようとしていたね」
逆に頼んで良かった。
「でも、それじゃあ……!」
プリプリと怒っていた態度とは一変。
腕を組みながらニヤリと口角を吊り上げたタロは、期待の眼差しを向ける太郎に、その不敵な笑みを向け返した。
「二人であの男をぶちのめすぞ、タロー! そして二度とボク達に逆らえなくするのだ!」
「え、ぶちのめすって……え、あの、僕はただ妃奈子ちゃんのスマホを取り返したいだけなんだけど……」
何だか太郎とタロの目的が違う気がするのだが……。
「良いではないか。キミはスマホを取り返したい、ボクはあの男を八つ裂きにしたい。目的は多少事なるかもしれんが、行き着く先は同じだろう」
「え……? そう……?」
行き着く先は同じと言うが、それもちょっと違うような気が……まあ、良いか。細かい事は気にしないようにしよう。うん。
「それに何より、帰る前にキミと共闘出来るとは、ボクにとって良い思い出となりそうだ」
「え……?」
その言葉は、太郎にとって思いもしなかった言葉であった。
タロのその言葉にどんな意味があるのかとか、タロは何を考えているのかとかは知らないが。
でも……、
(何か、嬉しい)
ほんわかと、胸の奥が熱くなるのを感じ、太郎はその口元に小さな笑みを浮かべた。
「タロー」
不意に、タロが彼の名を呼んだ。
とりあえず場所を変えようと、先に歩き出していたのだろう。
太郎から数歩離れたところで立ち止まったタロは、太郎がハッとするのと同時にゆっくりと振り返った。
「キミはもう十分に優しい。しかし、自信と勇気がない。だから足りないのだ。優しいだけではこの先、どうにもならない事が山のように出て来る」
「タロ?」
突然、どうしたのだろうか。
タロの真意が掴めず、ただポカンとする太郎であったが、そんな彼に対して、タロは不敵な笑みを浮かべながら更に言葉を続けた。
「ヒナコのスマホを取り返せば、キミにも少なからずの自信が付くハズだ。だから最後に、ボクがキミに自信と言うモノをプレゼントしてやる。自信が手に入ればそれに伴って、きっと勇気も手に入るハズだからな」
「タロ……」
「さあ、行くぞ、タロー。スマホを奪い返して、ヤツをボコりに行くのだ!」
「う、うん……っ!」
タロがくれた言葉の真意は分からない。
どうしてそんな事を言ったのか、彼が何を告げたかったのかも。
けれども彼は今、前へ進む事になる。
自分を導いてくれるもう一人の自分の掛け声に、大きく頷きながら……。