最終日② ここに揃った全てのカード
教師に会わずにここに来る事が出来たのは、太郎にとっては珍しく幸運な事だったと思う。
もしも教師に会っていれば呼び止められ、一言二言の注意は免れなかっただろう。
バタバタと廊下を走って来た太郎は、とある一枚の扉の前で立ち止まった。
その扉の向こうにあるのは生徒会室。
そして今は昼休み。
この教室を私有物のごとく扱う、我らが生徒会長殿なら、この時間はおそらくここにいるハズだ。
「樹姉ちゃん!」
ノックするでもなく、太郎は勢いよくその扉を開けた。
思った通り、その扉に鍵は掛かっていなかったし、その中には、やはり思った通りの人物の姿があった。
「姉ちゃん! あのっ、この前の事なんだ、け、ど……?」
しかし、太郎の言葉は最後までは続かなかった。
「え……?」
突然の来訪者に目を見開く樹と、彼女の隣にちょこんと座っているその人物……。
「あ……」
男子にしては大きめの目と、左側にちょこんと飛び出した触覚のようなアホ毛。
そしてまるでデフォルメにされたような、二頭身のその小さな体型……。
「タ、タロッ!?」
そう、そこに座っていたのはタロ。
太郎がずっと待っていたその人である。
「う、タ、タロー……」
先日の件があるのだ。
妃奈子の言う通り、タロとて太郎に対して気まずい思いがあるのだろう。
戸惑いを隠せないらしいタロは表情を歪めると、コソコソと樹の後ろに隠れてしまった。
「タロ……」
近くにいるかもしれないと妃奈子に言われて来てみたが、まさかこんなに近くにいて、その上こんなに突然再会出来るなんて。
あまりに突然すぎるその再会に頭が真っ白になってしまったが、それでもようやく再会出来たのだ。望んだ未来が手に入ったのだ。
ならば何を呆然としている暇があるのか、山田太郎。
何のために、この小さな友人を探していたのか。
惚けている暇などない。
さっさと言うのだ、あの言葉を!
「あ、あの……っ、ごめん、ごめんなさい、タロ!」
「!?」
これまた突然、勢いよく頭を下げた太郎に、タロは驚愕の表情を浮かべた。
もちろん、樹もまた然り、である。
「僕、キミに酷い事を言ってしまった。ずっと後悔していたんだ、顔も見たくないなんて、出て行けだなんて、いくら何でも言っちゃいけなかったって。キミを傷付けてしまった事、ずっと謝りたかったんだよ。だから……だから、ごめんなさい、タロ!」
「……」
太郎の謝罪の言葉を、タロも樹も、驚愕の表情を浮かべたまま黙って聞いていた。
太郎はきっと、タロに言ってしまった事を酷く後悔していたのだろう。
そしてタロが帰って来なくなった事に、ずっと自分を責めていたのだ。
今回の件は自分が悪かった。反省している。タロが戻って来たら絶対に謝るんだ。
そう心に決めて、タロの帰りをずっと待っていてくれたのだ。
「ボ、ボクは……」
だからこそ、タロは後悔した。
もっと早く戻って来るべきだったと。彼に会いに行ってやるべきだったと。
だってそうじゃないか。
今回の件は彼だけじゃなくって、自分だって悪かったのだから。
「ボクは、怒ってなんかいない」
「え……?」
ポツリと零れたその言葉。
その言葉に太郎は、ハッとして顔を上げた。
「ふ、ふふんっ、こ、この大魔法使いであるこのボクが、悪口の一つや二つくらい許してやれぬような、小さき器の持ち主であるわけがないだろうっ!」
ひょこんっ、と樹の後ろから飛び出して来たタロは、いつも通り胸を張りながら、偉そうにそう言ってのけた。
いつもなら腹の立つこの態度。
しかし今日は違う。
この態度がタロらしくって、懐かしくって、何だか妙に嬉しかった。
「許してくれるの……?」
「む……。そ、それは、その……ボクも悪かったし……」
「ありがとう、タロ!」
「お、お礼など言われる筋合いなど、無きにしも非ず! ボクの方こそ悪かった! デリカシーや配慮に欠けていたのだ! すまなかった!」
「ううん、良いんだ。僕が酷い事を言いすぎたんだから」
ガバリと勢いよく頭を下げるタロに、太郎はニコリと優しく微笑んだ。
ああ、良かった。
これできちんと、彼と仲直りする事が出来た。
「姉ちゃんも……その、改めてごめんなさい。僕、姉ちゃんにも酷い事言って傷付けてしまった。本当に、ごめんなさい」
「良いのよ。あなただって妃奈子ちゃんの事があって辛かったのだろうし。それに、タロちゃんの事もあったしね。別に私は気にしていないわ」
「ありがとう、姉ちゃん……」
タロに続いて樹にも謝罪の言葉を述べれば、彼女は優しい微笑みで、快く太郎を許してくれた。
「ところでタロ、今までどこにいたの? 姉ちゃん家?」
一通りの謝罪も済んだところで。
その疑問をタロへとぶつければ、彼は顔を上げてから、フルフルと首を横に振った。
「いや、パラレルワールドに帰っていた。追試試験を中止するためにな」
「えっ、中止ッ!?」
その言葉に、太郎は驚愕に目を見開いた。
だって信じられなかったのだ、タロがそう簡単に物事を諦めるだなんて。
何があっても、最後までやり通すのがタロだろう?
それなのに途中で追試を投げ出すなんて信じられない。
一体何故、そんな判断を下してしまったのだろうか。
「えっ、ど、どうして!?」
「キミに嫌われたと思ったからだ。キミとて、嫌いな者にいつまでも付き纏われるのは御免だろう? だからボクはキミの傍から離れると同時に、追試も中止する事にしたのだ」
「じゃ、じゃあ、僕のせいで……」
「そう言うわけでもない。ボクが全責任を持って、自分でそう決めただけだ。それに、人生頑張ったところで駄目な事は多々あるのだ。だいたい、元はと言えば、正規の進級試験でボクの実力を認めず、落第点を付けたタケダが悪いのだ。だからキミもボクも悪くない!」
「……」
それは落第点を付けたタケダが悪いのではなく、落第点を付けられるような成績を叩き出したタロが悪いのではないだろうか。
でもまあ、それもタロらしいから別に良いか。
「でも、それなら今日はどうしてここに?」
追試試験を中止したのなら、タロはどうしてここに戻って来たのだろう。
もう太郎の傍にいても、意味はないハズなのに。
もしかして、仲直りするために戻って来てくれたのだろうか。
「今日は、キミと隊長に別れを言いに来たのだ」
「えっ、別れ!?」
「うむ。今日が試験最終日である事はキミも知っているだろう? 今日が終了してしまえば、ボクはこっちの世界にはいられなくなってしまう。だからその前に、最後のお別れを言いに来たのだ」
「そ、そっか……」
せっかく仲直り出来たのに。
それなのにもうお別れしなければならないなんて。
そう思うと、やはり寂しい。
「本当は何も言わずに帰ろうと思ったのだが、とある人物に怒られてしまってな。追試はもう良いから、せめて別れの言葉と世話になった礼くらい言って来なさいと、こっちの世界に追い返されてしまったのだよ」
「へぇ、そっか。じゃあその人のおかげで、僕はキミと仲直りする事が出来たんだね」
「む、そうなるな」
じゃあその人には感謝しなくっちゃ。
その人がいなければ、太郎とタロは、喧嘩したままお別れをしなければならなかったのだから。
「その人って、タロの友達?」
「いや、コレだ」
その問いに、タロはニヤリと口角を吊り上げながら、得意げに小指を立てやがった。
どうやら彼女持ちだったらしい。
何故だろう。
何か腹が立つ。
「タロちゃんはね、昨日帰って来たのよ。でも太郎ちゃんに会いづらいって言って、私の部屋でずっとウジウジしていたの」
「う、わ、隊長ッ! 余計な事を言うでないッ!」
どうやらタロもまた、戻って来たは良いものの、太郎に会いに行くのを渋っていたらしい。
それで樹の家でウジウジしていた挙句、今日も学校に来たは良いものの、ここでずっと渋っていたようだ。
何だかんだ言って、タロにも可愛いところがあるじゃないか。
喋っちゃ駄目だと慌てているタロに思わず笑みを零すと、太郎は彼に会いに行くようにと進めてくれた妃奈子に、そっと感謝をした。
「ねぇ、タロ。それでも今日一日はこっちにいられるんでしょ?」
「む? うむ、それはそうだが?」
「じゃあ、夕ご飯くらい、家で食べて行きなよ。せっかく来たんだ。何もすぐ帰る事はないよ」
そうだ、今日でお別れだとは言っても、今日はまだ半分近く残っている。
やっぱりタロと別れるのは寂しいが、時間はまだ残っているのだ。
だったらその時間、命一杯楽しもうじゃないか。
「む、まあ、タローがそう言うのなら……。夕ご飯、頂いて行く」
タロもまた太郎と同じ事を考えたのだろう。
彼は少し考える仕草を見せた後、照れ臭そうに頷いた。
「あ、そうだ。ねぇ、タロ、仲直りの印に、ホットドッグ奢ってあげるよ。購買のパン、まだ残っているかもしれないからさ。ドリームワールドでキミに奢りそびれたでしょ? だから今から買ってあげるよ」
「なんと! それは本当か!? ありがとう、さすがこっちの世界のボク! ボクに似て懐がデカい!」
「あ、あはは、ありがとう……?」
褒められているハズなのに、嬉しくないのは何でだろうか。
急にはしゃぎ始めたタロに、太郎は引き攣った笑みを浮かべた。
「じゃあ行こうよ、タロ。急がないと昼休みも終わっちゃうんだからさ!」
「うむ! いざ、ホットドッグの下へ!」
意気揚々と叫びながら太郎の傍に駆け寄ったタロは、不意に樹を振り返った。
「世話になったな、隊長! キミにも色々とありがとう!」
「いいえ。私は何もしていないわ」
ニコリと笑う樹に深々と頭を下げると、タロは太郎と一緒に生徒会室を出て行った。
「まったく……みんなして世話が焼けるんだから」
タロが自分の傍から離れて、太郎の傍に戻るのはちょっと寂しい気もしたけれど。
でも、それでも二人が仲直り出来て、本当に良かった。
「あれ? そう言えば太郎ちゃんって、タロちゃんの正体知っているのかしら?」
「あ、そうだ、姉ちゃん!」
ふと、再び生徒会室の扉が開いた。
自分を呼ぶ声に振り向けば、そこには今し方出て行ったハズの太郎が、そこからひょっこりと顔を覗かせていた。
「この前のドリームランドのフリーパス券、わざわざ買ってくれてありがとう!」
「えっ!?」
ニッと笑いながら告げられた礼の言葉に、樹は驚いたようにして目を見開く。
彼女のその反応に満足したのだろう。
太郎は悪戯に成功した子供のような無邪気な笑みを残し、今度こそその場を後にした。
「……」
パタンと扉が閉まる音と、パタパタと走り去って行く音がその場に響く。
その音が聞えなくなるまでキョトンとしていた樹であったが、程なくして、彼女はクスリとその口元に小さな笑みを象った。
「何だ。バレちゃったのか」
せっかく秘密にしていたのにな。
そう思いながら呟いた樹は、不意に見遣った窓の外に、その表情を更に明るいモノへと変えた。
「あ、雨止んだんだ」
さっきまで降り続いていた雨は、いつの間にか上がっていた。
窓を開いて見上げる西の空。
そこにはところどころに、晴れ間が広がっていた。
――さて、これで準備は整った。
それではこれより、魔法学校第二学年進級試験、その追試試験を開始する。