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第八十一話 両の手よりこぼれ落ちては二度と掬えぬ宝石たちよ

「おはようございまーす」
「おーう、おはようさん」

 班室に入って挨拶をすると、出迎えてくれたのはコーヒー片手のシグルドだった。眠いのか欠伸にいつも跳ねている髪がいつも以上に跳ね上がっている。リディアの姿を探すとデスクの方でコーヒーを飲んでいるようだった。

「ミツミも遂に実績解除かァ、誘拐の」
「ゲームのトロフィーみたいに言わないでくださいよ」
「もっと休んでても良かったんだぜ? 誘拐なんざオオゴトだからな」
「だってヒューノバーが仕事にならないじゃないですか」
「雑務なら幾らでもあるってえ」

 バディで心理潜航する手前、二人揃わない限り仕事にならない。シグルドの言う通り雑務ならば幾らでもあるが、自分だけだらだらと休んでおいてヒューノバーを放っておくのはどうなのか。と、まあ昨日一日休んでからの出勤であった。

 ヒューノバーはまだ来ては居ないようだったので昨日の様子を聞いてみる。するとシグルドはそうだなあ。と顔をにやつかせた。

「まー、あいつ、やっぱりお前のこと相当好きだよな」
「ええ? 何言ったんですか? ヒューノバーのやつ」
「本人から聞いた方が面白いだろ」
「本人から聞きたくないから今聞いているんですよ」
「天邪鬼だなァ」

 だってあいつ、私が聞いたらでれでれを隠しもせず小っ恥ずかしいことをしれっと言いそうなのだ。正直そんな場面になりたくもないし、聞いてて具合が悪くなってきそうだ。……これ天邪鬼なのか?

 顔に出ていたのか、お前顔すごいことになってるぞ。とシグルドが私の眉間の皺を人差し指で伸ばした。

「でもまあ、相当心配だったのは確かだろうな。そういう相手、大切にした方がいいぜ?」
「それは分かっていますよ。言われずとも」
「ならいいよ〜」

 それだけ言うとシグルドはリディアの方へとのろのろと向かって行った。後ろから扉の開閉音が聞こえて振り返れば、マリアムとカリアムの姿があった。

「あ、おはようございます! ミツミさん!」
「おはようで〜す」
「お二人とも、おはようございます」
「ヒューノバーさん、更衣室に居ましたよ。そのうち来ると思います」

 カリアムの言葉に知らせてくれてありがとうと告げる。が、二人とも何か聞きたそうな顔で見てくるもので、何か? と聞いてやる。

「喚びビトが誘拐に巻き込まれるって本当だったのですね」
「サダオミさんと言う前科があったからねえ」
「やっぱり怖かったですか?」
「そりゃ、勿論」

 誘拐の真っ只中でひとり伸したが、それは言わないでおく。そのうちバレそうではあったが、あまり破天荒な人物だと思われたくないと言う小さな矜持が頭の隅っこに生えてきていた。ちょっとくらい可愛い女に思われたいだろうが。……無駄な足掻きだとしても、だ。

「でもひとり伸したんですよね?」

 私の小さな矜持は一瞬で砕け散って目元を手で覆った。ヒューノバーあいつどこまで喋りやがったのだ。

「うん、その、心理潜航のノリで」
「潜航する際に意識を奪う術を使ったワケですか〜。機転が効きましたね。あれ、意識ある時にやられると短くても十分は意識失いますからね。心理潜航に耐性がない相手なら尚更効きますし」
「普段潜航対象者を眠らせているのも、ショックを与えないようにするための措置ですしね」

 そこら辺は初耳であったが、そうなんだよね。と知ったかぶりをする。

「助けを待つだけではないヒロイン……いいですね!」
「マリアム、ヒロインって私のことか?」
「? そうですよ?」

 私はヒロインとか言う器じゃあないんだよ。もっとこう、小汚い何かなんだよ。と言いたかったが、夢を壊すのはどうなのだと口を噤んだ。

「あのさあ、ヒューノバーからどこまで聞いた?」
「え? どこまで……?」
「おはようございます」
「あ、ヒューノバーさん、おはっす」
「皆おはよう。ミツミも」
「……おはよう」

 陰気臭い班室に清々しい空気を運んできたヒューノバー。こいつ、やはり後でどこまで聞いたか聞き出すべきかと考える。

 そろそろ始業時間も近づき、各々自席に着いて仕事の準備を始めた。ちら、と横目でヒューノバーを見ると笑みを浮かべている。いやこいつ普段から機嫌悪いところ見たことないし、通常運転なのだろうが、今はその笑みが引っかかった。

 始業してからはデスクに張り付いて雑務をこなし、潜航行ってきます。とシルビアとシルバー、シャルルとエミリーのバディたちが部屋を出て行った。

 休憩時間になってから、コーヒーとサダオミの焼き菓子を食べながらヒューノバーに話しかける。

「ヒューノバーさあ」
「なんだい?」
「昨日誘拐について聞かれてからさ。どのくらい話したの?」
「ええと、ミツミがスニーキングミッションしていたら親玉に見つかったくらいかな」
「ほぼほぼ全部じゃねえの」
「親玉のことは言っていないよ。サダオミさんは心当たりありそうだったけど」
「ありますよ。心当たり」
「どわァ!!!」

 いつの間にか私の背後に居たサダオミは、いつもの穏やかな笑みを顔に乗せ、マグカップと焼き菓子を両手持ちでしばらく居座る気満々のようであった。ヨークを探したが今は外に出ているようで姿が見えない。

「人間の純血派、とだけ昨日聞きましたが、心当たりがある人物がひとりおりますね」
「……マイクロフトをご存知で?」

 こそ、と小声で言えば、ええ、と肯定が返ってきた。

「私も以前誘拐されましたからね。彼の一派に。誘拐仲間ですね。ミツミさん」
「あんまり嬉しくない仲間ですね」
「まあまあ。彼の一派に所属しないかと問われたのでは?」
「……同じこと言われたんですね?」
「我らは一応、人間の純血ですからね」

 まあ、サダオミがマイクロフトを知っているのならば情報が欲しいところだ。昨日マイクロフトの資料を探しに行った際、故意に資料が破損させられていたことを話せば、サダオミは不思議そうに小首を傾げた。

「私の時は閲覧できましたがね」
「え? 教えてくれます?」
「何分、もう随分と昔ですからね。ただ、一度だけ心理潜航班で彼と仕事を共にしたことはありました」
「え!? サダオミさん在籍していた頃、マイクロフト居たんですか?」
「私がヨークとバディを組まされてから、初めての心理潜航に補助としてついてくださいましたよ」

 サダオミがこの惑星に来たのは二十年前だと言う。大体誘拐……惑星転移は二十年周期。だとすると四十年前に呼ばれたのがマイクロフトだ。大体二十代ほどで呼び出されたとすれば、今は六十代ほどだろう。見目から見てもそれほどだったと思い出す。

「ただ、身内の不幸が重なって、班長を辞して総督府を去りました」
「不幸、と言うと?」
「バディであった伴侶の方と三人の御息女が、亡くなったり行方不明となる事件がありましてね」
「……それがきっかけで、純血派に?」
「さあ……そこまでは」

 グリエルに聞くしかないかと思っていたが、サダオミが事情を知っているとなるとヨークもだろう。後でヨークを交えて詳しく教えてはくれないかと頼みこみ休憩時間を終えた。

 仕事に集中しようと思ったものの、先程の話が気になりすぎてそわそわとしてしまう。サダオミもヨークも心理潜航班の中では古株だ。どこまで知ってるかは不明だが、情報は得られるだろう。

 昼時になり、サダオミとヨークとヒューノバーの四人で食堂へと向かった。食事を摂りながら話をする。まずヨークにも詳細を聞くために前置きをする。

「マイクロフトの件を詳しく知りたいのですが」
「マイクロフト……懐かしい名前だねえ」
「お二人、ご存知なんですよね」
「知っているけれどね。あんまり話したいことでもないねえ」

 ヨークは珍しく口籠るような仕草を見せた。マイクロフトとは心理潜航班に所属することになってから、サダオミの召喚、惑星転移までの間に教えを受けてはいたそうだ。

 どんな人物だったかと聞けば、温和なヒトだったらしい。

「リーダーシップはあったね。班員からは好印象を抱かれるような」
「伴侶……バディの方って?」
「ハイエナの獣人だよ」
「ハイエナですか。リディアさんとシグルドさんと関係とかは」
「ハイエナってそう珍しい種類の獣人でもないからねえ。関わりはないと思うけれど」
「それに、御息女の三人は既に亡き者だと思われますからね」
「……何が、あったんですか? 事件って」

 そう私が聞くと、ヨークは口籠る。代わりにサダオミが口を開いた。

「マフィアグループの逆恨みです」
「マフィアグループの?」

 ええ。と言うと、サダオミは目を伏せた。

「マフィアグループの幹部格の心理潜航を行なった際、見てはならぬものを見てしまった。と聞いております」
「それで……家に襲撃されたそうだよ」
「マイクロフトは当時家に不在でした。家へ帰った際、惨状を目にした。伴侶の方は死亡、御息女のお一人は見つかった際瀕死、もう二人の御息女は連れ去られた。そう聞いております」
「そんな……」
「喚びビトだから、と言う理由で起こった事件ではないのです。しかし、……マイクロフトは心を病んで心理潜航班を辞してしまい、以降の動向は不明でした。……この国のマフィアグループは、獣人の比率が高いです。それが、人間の純血派に属する理由なのかもしれませんね」

 相当痛ましい事件だったのだろう。喚びビトとしての総督府の庇護を捨て姿を消すのも、仕方のないことに思えた。

 誰が悪か。心を暴くことを生業とする私たちは、本当に悪ではないとは言い切れないところもあるだろう。しかし、それでも命を奪われるまでのことだろうか。

 もし、私がこの先ヒューノバーと結ばれたとして、子供が居たとして、同じ目にあったのならば全てに絶望するだろう。

 マイクロフトだって、私と同じように召喚されて国に振り回されて、それでも愛するヒトと結ばれて……。続くはずだった幸せが両の手からこぼれ落ちて行ったのなら、空の両の手を見てしまったのならば、そこに流れ落ちるのは、自分の涙だけ、もう、両の手が満たされることは一生ないのだ。

 空の両の手を見つめ続けて、恨んでしまったのがマイクロフトなのだろう。

「……人間の純血派は、獣人の排除を目指すものなのですか?」

 ヒューノバーがぽつりと問いを向けると、ヨークが口を開いた。

「表向きは、人間同士でツガイましょうってことだと思うよ。でも、獣人と衝突している話も聞いたりはするよ」
「……ヒトがヒトである限り、衝突も差別も、根絶することは叶いません。言うのが遅れましたが、ミツミ、よく、無事に戻ってきてくれました」
「……はい、ありがとうございます」
「マイクロフトに同情することはありませんよ。あなたはあなたの信条に従い、彼と決別の道を選んだ。マイクロフトも、彼の信条に従ってあなたと決別した。……誰かが悪である。と言うことではありません。互いの考えが噛み合わなかっただけですからね」

 昼食の味は正直、よく分からなかった。マイクロフトに同情するなと言われたが、私もサダオミも、喚びビトとして彼の苦労を理解していた。誰かと番う使命は不本意であった時もあった。けれど、結ばれてもいいという人物に出会った。

 もし、マイクロフトと同じ状況になったのならば、同じ道を選ばない保証などどこにもないのだ。同情するなと言う方が無理だろう。サダオミも理解の上での発言だろう。

 仕事に戻っても、マイクロフトと自分を重ねて勝手に辛くなってしまっていた。察したのだろうヒューノバーと給湯室でコーヒーを淹れ、少々立ち話をした。

「マイクロフト、同情するなって方が無理」
「そうだな」
「だって、ヒューノバーも同じ状況に陥ったら、誰か恨まずにやってられなくないか」
「自暴自棄にはなるだろうね」
「だよねえ」

 コーヒーをちびちびと飲みつつ、一応今知りたかったことは大体知れたように思う。もし今後マイクロフトに出会う時があったとして、同情の念を抱かずにはいられまい。

「で、まあ、純血派に属してやりたいことは未だ分かんねえけんど」
「それは本人に聞くほかないだろうな」
「そうだよなァ」

 誘拐をしないと言うのならば話を聞くのはやぶさかではない。が、あちらが接触するには不意打ちしか方法がないのだろう。恐らく、人間の純血派、叩けば埃やら何やら色んなものが出てくる気がする。

「マイクロフトはこれで隅に置いておける。これからは人間の純血派、もうちょっと調べるしかないよね」
「思惑を理解するにはそれしかないだろう。手伝うよ」
「あんがと」

 コーヒーブレイクと言う名のサボりを終え、ヒューノバーと共に自分たちのデスクに戻った。

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