第八十話 総督府名物
ゆらゆらと体を揺り動かされる。なんだろうと言う考えが浮かぶ前に目を薄らと開けると、ヒューノバーが顔を覗き込んでいた。ふあ、と大きくあくびをすれば、起きた? とヒューノバーに優しく語りかけられた。
「ミツミ、ずっと寝てたのか? よだれついているけれど」
「あ〜……掃除して洗濯したらさ。新しいシーツが心地よく……」
「昼も食べてないだろう。何か食べに行こう」
「おーう」
ヒューノバーに起こされたが、既に終業時間を過ぎていた。私の様子を見にきてくれたらしいヒューノバーに起こされなければ、深夜まで寝ていたのではなかろうか。
「今日なんかあったー?」
「皆から誘拐の件について聞かれたよ」
心理潜航班内には緘口令は敷かれていないらしく朝からその話を聞かれまくっていたらしい。マイクロフトの名は出したのかと聞けば、出さなかったと返ってきた。今はそれが懸命だろう。
「資料室内でしか閲覧できないデータにあるんだよね」
「そう聞いてはいるね」
「……閲覧規制とかかかってないのかな」
「可能性としてはあるけれど……」
「飯食ったらちょっと行ってみてもいいかな」
「付き合うよ」
資料室に行くと言うことで夕食を済ませてから資料室へと向かう。結構端にある部屋らしく、すれ違う職員たちから物珍しげに見られたのもあり制服を着てくればよかったなと考える。
資料室へとたどり着くと、ヒューノバーが先に入り、私も後に続いた。終業後なのもあり人の姿は見えなかった。確か、データではなく紙で纏められた資料がどこかにあるとリディアに聞いたが、と言うか休暇を終えてから調べた方がいいとも言われたが、どうせ調べるのなら今調べても関係ないだろう。……何か思惑があってああ言った可能性はなくはないが。
「紙の資料に纏められているはずだとリディアさんは言っていたんだけれど、紙って」
「持ち出し厳禁の部屋にあるかも。行ってみよう」
資料室の奥まった場所に扉がひとつあった。入室しようとするとパスコードを要求されたが、以前ヒューノバーが使ったことがあるらしく、覚えていたパスコードを入力し難なく入ることができた。
入室と共に室内の電気もつく。棚にはずらりとファイルが並んでおり、引き出しの中にも多くあるそうだ。Mの欄に行き、マイクロフトのファイルを探す。Mycroftと綴られたファイルを見つけ、ヒューノバーと共に開く。
「マイクロフト……姓は……黒塗りになっている。イギリス出身。年齢は、破かれてるね」
「何年前に喚んだのかは……黒塗りになっている……」
「なんでこんなにぼろぼろなんだろう。この資料」
召喚後、心理潜航捜査班に所属。後に班長へ。バディである獣人のミケラ・ゴールマンと結婚。子供は三人。伴侶であるミケラは、すでに故人となっているらしい。事件後、三人の子供は一人は重体……生きてはいるのか? 残り二人は行方不明とのことだ。その後、心理潜航捜査班を退職。……それ以上の情報で目ぼしいものは少ない。黒塗りになっている項目や、破かれたような跡が多く見受けられた。
思わず顔をしかめたが、それをしたところでどうにもならない。
「誰かが意図的に情報を隠しているみたいだねえ。身内の情報もほぼないとすると、事件にでも巻き込まれたのかもしれない」
「喚びビトの関係者だし、可能性としてはなくはないが」
「そこに、人間の純血派に与する理由があったのかな」
「あり得はするだろうが、この資料、黒塗りや破損が多すぎる。大体ここに入れられるのは重要な人物だけなはずだ。この名前を調べるヒトが居ないように隔離された上、誰かが情報を消そうとした」
「……結局のところ、グリエル総督に聞くのが手っ取り早いってことね」
ここにあるマイクロフトの書類にたどり着くと言うことは、その先にいるグリエルに縋るしかないと言うことらしい。結局目ぼしい情報が書かれていなかったファイルは棚に戻し、伴侶のミケラの資料も探したが同じような状態だった。
諦めて部屋を出ようかと話していたら辺りが真っ暗になった。
「うわ! 停電!?」
「あー、これは」
訳知りのように呟いたヒューノバーに聞けば、技術部の失敗で時たま総督府内で停電が起こることがあるらしい。よりによって今それが発動したと。
「技術部、終業時間過ぎているけれど、残業多いんだねえ」
「エンダント的には時間とかどうでもいいと思っている変態の集まりらしい」
「……まあ、変態が集まらなきゃ、星間転移なんざ実現しなかっただろうしね」
一旦棚を背にその場にヒューノバーと共に座り込む。私が喚び出される以前はもっと多かったらしく、一時期名物と化していたらしい。嫌な名物だ。
「十分くらいで回復するはずだ。それまではじっとしていよう」
「りょーかい」
ふう、と息を吐いて肩の力を抜く。先ほどのように真っ暗ではなく、非常灯の薄暗い灯りが頭上から降ってきた。扉は非常時用に手動でも開閉可能だそうだが、一刻も早く抜け出したいわけではなかったので待機だ。
「さてはて、グリエル総督に聞いて答えてくれるもんなのか。と言うか総督からの呼び出しならまだしも、下っ端の一員でしかない私から行ってもいいもんなのか」
「君は喚びビトだから特別だろう」
「ただの人間だよ。外のヒトたちから見たらさ」
あまり人が立ち入らない場所だ。床に指を滑らせると薄らと埃が指についた。指をこねて埃を払っていると、ヒューノバーが話出す。
「確かに、外のヒトビトからしたら君は一般人だろう。けれど、価値もわかるヒトからすれば、君たち喚びビトは宝石にも黄金にも写る。俺はミツミをミツミとして見ている。でも、自分の価値は分かっていて損はないよ」
「臨機応変に、宝石や黄金の立ち振る舞いをしたり、普通のミツミちゃんに戻ったり、身の振り方は考えてはいるよ」
「分かっているのなら、いい」
「……ヒューノバーの前では、普通のミツミで居させてね」
「勿論だとも」
「あ、でもこれだけは言っとくよ」
「なんだい」
「本当に普通のミツミに戻るの、ヒューノバーとミスティだけだよ」
「ミスティも含まれているの、ちょっと妬ける」
「ミスティは友達枠だから許してよ〜」
「はいはい」
二人でくすくすと笑っていると電気が復旧したのか、電灯の灯りが降ってきた。ヒューノバーと共に立ち上がって資料室を出る。一気に日常に戻ってきた気分になった。
中央へと戻りながら、行き交う職員の姿を観察する。本当に停電には慣れているらしく焦った様子の職員の姿は見られなかった。いや、資料作成中だったらしき職員は技術部への文句を同僚と言い合いながら憤慨していたが。
にしても技術部、停電にするほどの研究……やはり次期の喚び出しに向けての実験なのだろう。ヒューノバーは今日は帰るとのことで途中で別れ、私も帰路に着いた。