憧れの先生
昔を懐かしみ、そして名物であるたい焼きを頬張りながら、歩行者天国を歩くこと十数分後。
一つ目の目的地である、大きな書店が見えてきた。
「時間は……ぴったりですね!」
舞香さんがスマホを痛バから取り出し言う。
「では、このたい焼きを食べ終えたら、行きましょうか」
「そうですね!」
そのまま歩みを進めていくとファンの方々だろう。
同じように各々の推しを飾った痛バや、推し色に合わせたコーディネートで挑む人が一階の受付で列を成していた。
「こんなにも同じ物を好きな方々がいらっしゃるのですね」
もちろん、SNSや動画コンテンツでファンが多いのは知っていましたが、目の当たりにするとまた、胸に来るものがありますね。
「いますいます! 何だったらもっといますよー! 当日来れなかった人や、抽選に外れた人もいるんですから」
「うふふ、そうですよね! 私ったら、何当たり前のことを――」
「いや、でも、気持ちはわかりますよー!「アプリとかゲームの何万ダウンロード達成しました! 凄く人気ですー!」とか言われてもピンとこないですし、アニメとか漫画とか小説とか見ていても、なんていうか人恋しい時とかありますしね!」
「舞香さんでも、あるんですか? 拓斗さんがいらっしゃるじゃないですか!」
「急に拓斗ですか……も、もちろん、拓斗が居るので寂しいとかを思うのは少なくなりましたよ? って、何言わせるんですか!」
「うふふ、ごめんなさい♪ ついつい幸せを分けて頂きたくて」
舞香さんは二人でいる時、気を使ってか拓斗さんの話をすることは少ない。
けれど、こういった反応を見る限り、円満に関係を築いているようだ。
「と、とにかくです! こういうリアルイベントでしか得られない心の栄養があるってもんです!」
「ふふっ、何だかとても自慢気ですね♪」
「それはやっぱり、オ――」
「オタクですもんね♪」
「正解です!」
こうして、他愛もない話をしながら書店へと足を踏み入れた。
☆☆☆
店内では可愛い声のアナウンスが響き、デザインから文字の色、千差万別、さまざまな愛を表したポップが溢れている。
「なるほど……本については表紙を見えるように出来るだけ平積みにしているのですね。これは勉強にもなりますし、目の保養にもなりますね」
ポップに関しては私達の勤めている書店よりも作品の良さを的確かつ、オリジナリティがありますね。
間違いなく素晴らしい仕事です。
「参考になりますよねー! 熱量が凄いっていうか、愛が深いっていうか」
「本当に! 私もいつかここに至りたいです」
「カルファさんなら、あっという間になれますよー! って、私も頑張らないとですね!」
「うふふ♪ ですね!」
工夫を凝らされた店内を散策しながらサイン会が開催されている二階へと向かう。
「ふぅ……いよいよですか」
「はい! いよいよですよ!」
元気良く返事をする舞香さんと私の前には、順番待ちのファンの方々、その先に案内係らしきイベント関係者が。
そして一番奥には憧れの亀川先生がいる。
一見、長机に着き、手渡された書籍にサインを書き笑顔を向けている。特に変な所はない。
でも、何でしょうか……顔色が悪いような。
いえ、違いますね。
何か焦っている感じでしょうか。
不思議に思った私は、隣にいる舞香さんに小声で話掛けた。
「舞香さん、亀川先生……いつもと違う気がしませんか? 何か焦っているような、何て言ったらいいんでしょう――」
「えっ? そうですか? うーん……あっ!」
「何か気付いたんですか?」
「いや、あのその……ズレてません? それを左手で押さえているように見える気が――」
「ズ、ズレている!?」
「しーっ! カルファさん、声が大きいですって!」
「ご、ごめんなさい!」
舞香さんが言うには、先生の頭頂部がズレているらしい。つまりはカツラ。
私達の世界では、権威の象徴という名目で王族や貴族の間で流行していたのですが。
実際はただの薄毛隠し。いくらお金を持っていても薄毛を治療することは出来なかったわけです。
先生も使用しているという噂は流れていましたが。
まさか、このタイミングで明らかになるとは。
「ですが、どうしましょう……あのままですと、そのうちここに居る皆さんも気付いてしまいますよね……」
「それはそうですけど、どうしようもないですって。ズレたカツラを本人以外が戻すなんて」
「ズレたものを移動させる……それも本人にも周囲の方にも気付かれずに……あっ! いえ、でも難しいでしょうか……そもそも使っていいのでしょうか……困りましたね」
またもや、舞香さんの言葉を聞いたことで、私にいい案が浮かんだ。
魔法。それも|追跡《トラッキング》を使用し、カツラ頭頂部間の軌跡を辿る。
そして、その間をあの有名な便利道具【どこでも|扉《とびら》】のように繋げば短いですが、転移魔法として機能するはず。
「何かいい案でも浮かんだんですか?」
「いえ、あくまでも可能性があるということで……それに使っていいのか自分では判断がつかなくて」
「ということは魔法ですよね? えっ、でもカルファさんが契約に違反していないと感じれば問題ないとかじゃなかったですか? それなら――」
「いえ、今回は少し悩んでいるんですよ……ー。私、カツラとは無縁の生活を過ごしてきましたし。これってどうしても魔法を使って解決しないといけない問題なのかと……」
「いやいや! たぶん、かなりの危機ですし、魔法でしかどうしようもないですって!」
「そうですか……でも、トール様はどう思われますかね……」
私自身の気持ちは固まった。
ですが、それをトール様が容認してくれるとは限らない。
「大丈夫です。トールさんならきっとわかってくれますから! 寧ろ早く解決しちゃいましょう! 私もあの微妙なズレが気になり過ぎてサイン会どころじゃなくなってきてますし……ふふっ」
「舞香さんがそこまで言うなら、やってみます……!」
笑ったような気がしましたけれど……。
とにかく今は亀川先生を助けないとですね。
視線を逸らし口を抑えている舞香さんを不思議に思いながらも魔法を行使した。