第七十五話 ダンボールに潜っているべきだったかも
ここはどこだろう。
目を薄らと開けた。暗い。どこだろうか。ここは。私はどうして、ここに。確か誰かとぶつかって、破裂音がして……銃声? ミスティはどうなった。
「ミスティ……!」
かっと目を開く。辺りを見回せば埃っぽい、壁も床もコンクリートで囲まれた一室だった。入り口はオートの扉がひとつ。解錠は不可能だろう。手足は高速されているようで動かすことができない。天井から降る灯りのみで窓もないために今現在が何時なのかわからない。どれほど気を失っていたのだろうか。
現状を把握したいが、目ぼしいものは何ひとつ部屋の中には存在していなかった。何も存在していないのに埃っぽいと感じるのは、近場で倉庫か何かに使われていたのかもしれない。
このまま時間を無駄に過ごすのも癪だ、とできる範囲で身を起こす。壁に背を預けて起き上がった。左手を後ろ手で触って確認する。指輪は付いたままだ。
もぞもぞと身をよじって自分の体を確認していると扉が開いた。
視線をすぐに向ける。気を失う前に見た獣人だ。サモエドのようなふわふわの毛並みに愛嬌のある顔をした獣人の、男……だと思われる。サングラスはかけては居なかったが、毛並みからして本人だろう。
「お目覚めですか。ホソゴエザワさん」
「……あなたは?」
「私はあなたに用のある方に連れてきて欲しいと頼まれた者でして。手荒な真似をして申し訳ありませんでした」
「ミス……私と一緒に居たイエネコの獣人は」
「あの方はご無事かと。いやいや、あの方クラシカルな銃をお持ちでして、腕をやられましたよ」
あの銃声はミスティが発したものだったらしい。ミスティは連れてこられては居ないようだ。無事……ならばいいのだが。
ヒューノバーが銃声を聞いて駆けつけてくれたはずだ。そう遠くはなかった。きっと、大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、今は自分のことだけ考えるべきだろうと目の前の男に問いを続ける。
「私と会いたいというのはどなたなのですか」
「純血派の方ですよ」
純血派? 純血派が私に何の用だと言うのだろうか。誘拐なんて、まさかサダオミと同じ目に遭うとは思っても見なかった。引きこもりを極めすぎて警戒心がなかったのかもしれない。あの話を聞いたのなら、自分の身に降りかかってもおかしな想像ではないだろう。
「今からお会いになってください。先方に様子を見てくるように頼まれたので、丁度目覚めていらっしゃってよかった」
「拒否したところで意味もないでしょう」
「ご最もで」
駄々を捏ねて事態が好転するわきゃあないのだ。足の拘束のみ解かれ、足を振ってこわばりを解す。こちらに、と扉の外へと促され部屋を出た。
「あの」
「何でしょうか」
男がこちらを見たのを確認し、男の胸元に突っ込んだ。
「すみません」
「は?」
意識を男の中に沈める。緑色の光に目を焼かれつつ、男の意識の中に入る。男の心理世界、薄暗い部屋の中に降り立つと共に、一気に意識を自分の体に巻き戻す。
意識が現実世界に戻ると私は倒れた男の胸元に倒れていた。やはりスフィアダイブは意識を一時的に奪う作用がある。これを出会う輩にやって進める場所まで行くか。
手の拘束具を解くための鍵を探し、胸の内ポケットから見つけ、面倒だとスーツを裂く。雑に手に入れた鍵を後ろ手に移動させて解錠した。
「ふう」
指輪が取られていなくてよかった。まあ無くても眼鏡の方にもレムリィ石が使われている。指輪や眼鏡を奪わなかった。とするとスフィアダイブについてあまり知らなかったのか。とりあえずこいつを部屋に引きずって行って、で、デバイスは奪っておいて施錠。これでひとりは何とかなった。
「……私結構命知らずだなあ」
咄嗟の思いつきでこんなことをして、後悔することにならなければいいが。
施設内はコンクリートで固められた殺風景な場所だ。廃施設なのだろうか。時たま忘れ去られたかのように枯れ果てた観葉植物や朽ちた椅子などが置いてある。壁にもヒビが入ったり、剥き出しの鉄筋に錆が付いている。正直今現在ここに何人居るのか分からないので、複数人に出会ったらスフィアダイブをしても詰みだろう。残ったもうひとりに拘束されるのがオチだ。
こんなスリリングな体験、人生で一度だってしたくなかった。心臓がばくばくと立てる音が耳に聞こえる。
だが、ひとりでよかったとは思う。仮にミスティやヒューノバーを人質に取られたならば、私には素直に従う以外の選択肢は存在しなかったであろう。
非常用らしき階段を降り、一階と書かれた壁の文字を見てその階への扉を開けた。広いフロアに出たが、どうやら廃商業施設だったらしい。先ほどまで寝っ転がっていた場所はバックヤードだったのだろう。
出口に出るまで遮蔽物は少ない。見張りが居たのならばすぐにバレるだろう。人気は今のところ感じられないが、獣人の嗅覚や聴覚は厄介だ。なんで私こんなスニーキングミッションを繰り広げようとしているのか。と一瞬意識を遠くに飛ばしたくなった。が意識をすぐに戻す。
恐る恐るフロアに出る。かつ、と靴音が響いた。靴を脱ごうかと思ったが、床にガラス片など散らばっていて危ない。血が出たら出たで血の匂いで寄ってくる可能性も高い。
「おや、ごきげんよう」
「ゔぁ!」
ゲームオーバー早くね? と声の方を向くと人間の老紳士、と言うべき風貌の男性がひとり薄暗い施設の真ん中に立っていた。足音なんざ聞こえやしなかったと言うのに。
「ミツミさん。案外肝が据わっていらっしゃるようだ」
「へ、へへぇ……」
「お話をしたかったのです。この様な場所では何でしょう。ご一緒にお茶でも」
「あ〜、いや、帰りたいなあと」
「ほほほ、お茶でも?」
「はい」
言外に逃げたらぶっ殺すと言われているようで、私には拒否権なぞ最早存在しなかったのだ。陰になっていた場所から獣人がひとり現れた。逃げてもすぐに追い付かれるのがオチだ。獣人に睨め付けられながら、老紳士の後ろをこそこそと着いていき、ある一室へと招かれるのだった。