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二人がキッチンに姿を消してから、待つこと一時間。


 その間、手持ち無沙汰になり携帯をぽちぽちと弄る。うん、やっぱり通おうかなスマホ教室。


 自身の機械音痴さに辟易していると、エプロン姿の真希ちゃんがテーブルに食器を並べた。


 その表情には疲労感が滲み出ており、キッチンでのやりとりがなんとなく想像できる。


「あ、カレー出来ましたよ」


 鍋蓋は閉じられており中がどうなっているか見当もつかないが、少なくともいつもほど嫌な予感はしない。


 まあ、流石にいつものよりかはマシか。


 つい先日出されたのは、どろりとした黒い液体と小指の先ほどのジャガイモ。


 そして、黒焦げのおそらく肉とニンジンだったであろう物体。


 正直ルーの時点で既に禍々しく、とてもじゃないが食えるものには見えなかった。……たぶん宇治田もお代わりしないんじゃないだろうか。


「わ、わーカレーだ。久しぶりに食べるから楽しみだな……」


 若干声が上擦りながらも、朝日は夕飯を楽しみにしていたアピールをする。


 が、それを見る美咲ちゃんの瞳は家畜を見るようなもので、おおよそ家族に向けるものではなかった。

「……お兄ちゃん。さっき『コンポストの方が美味しい』って言ってたよね。それってどういうことかな?」


「……え」


 美咲ちゃんに肩を握られた朝日は助けを求めるように視線を送ってくるが、俺にどうしろと。


 いくら錯乱していたとはいえだ。

 朝日が美咲ちゃんの料理をコンポスト扱いしたのは紛れもない事実。


 そして、昨日俺に助け船を出してくれなかったのも事実。……けど、コンポストって最初に言ったの俺なんだよな。


 美咲ちゃんは朝日をじとりと見つめて非を認めさせると、俺に振り向いた。


「兄《これ》と違って玲さんは優しいですね。いつも美味しそうに食べてくれて……ギャル曽根みたいに」


 いや、単にゆっくり食ってたら味覚が終わるから流し込んでただけなんだが……まぁいいか。


 あと、苦悶の表情を美味しそうに食ってると捉えるのは流石にポジティブすぎると思います。

 
 まあ、なんだ。触らぬ神に祟りなしっていうくらいだし、わざわざ俺が弁明に出張るのも違うだろう。


 俺は朝日に十字を切り、巻き込まれる前にカレーをよそいに向かった。


 蓋を開けると想像してた以上にカレーだった。


 一目でわかる程度にしっかりと火の通った肉、食べごたえのありそうな大きめのじゃがいもは俺的に高ポイント。

てことは問題は米か。まぁ、米がビチャビチャしててもカレーだし何とかなるだろう。


 そう思いつつ炊飯器をパカッと開けると、予想に反し艶のある白飯。


「……」


 朝日の分も皿によそい席に着くと、驚愕に満ちた視線と共にポツリと。


「……俺の十六年は何だったんだろ」


「本当だよ」


 真希ちゃん一人で、しかもこの短時間でここまで矯正できたと言うのに、こいつは今まで何をやってたんだ。


 いや、俺も「うまい!」と言ってたし同罪か。


「まぁ、美味そうだしいっか」


「それもそうだな」


 最後の晩餐を回避した喜びを噛み締めていると美咲ちゃんが胸を張り。


「どうだお兄ちゃん! 私もやればできるでしょ」


「いや、びっくりした。今日はジャガイモ大きいから真希ちゃんが作ったのかと」


「え、野菜は殆ど真希ちゃんに切ってもらったけど……なんで分かったの?」


「……いや、なんとなくいつもと違う気がしたから」


「……ふぅん」


 美咲ちゃんに睨まれている朝日を放置し一口。


「うまい……なんか家で作るカレーよりコクがあるというか。とにかく美味い」


 食戟《しょくげき》のソーマだったらあられもない格好になっているだろう。


 俺のサービスシーンに需要はないからそんなことは起こり得ないのだが、それくらいには美味かった。

「あ、玲さん気づきました? 実は隠し味にチョコが入ってるんですよ」


「へー、チョコ入れるとこんなに変わるのか」


 いつもは全然隠せてない隠し味が隠れるだけでこんなに変わるものなのか。


「つ、遂に美咲が隠し味を隠したぞ。……ここまで長かった」


 朝日がよよよと泣き真似をするが、たしかに実験台その一としてはこの成長に涙を堪えられないだろう。


 あえて言うまでもなくその二は俺だ。


「む、失礼な。いつも隠せてたでしょ。……ですよね、玲さん」


「あ、あはは」


 そう言って俺の方を向いたが、横でプイプイ言ってる朝日と違い、俺は愛想笑いを浮かべるくらいしかできなかった。


「もう、玲さんまで揶揄わないでくださいよ……」


 俺の反応に不満だったのか美咲ちゃんはむすっと膨れ。


「大丈夫よ美咲さん……練習すれば人並みには出来るようになるはずだから」


 言いながら、真希ちゃんが「本当にこの子は料理ができるようになるのかしら」という顔をする。


「そ、そうだよね! 練習すればなんとかなるよね!」


 真希ちゃんは手をブンブン振られながら、こちらに微笑むと


「それに、幸い毒味《あじみ》役してくれる人が二人もいるのだし……あとは時間がなんとかしてくれるわ」


……もしかして、それって俺も含まれてる?

「あの、玲さん。その……またご飯食べに来てくれますか?」


 美咲ちゃんが頬を紅く染め、上目遣いでこちらを見つめるが、その隣で微笑んでいる真希ちゃんが怖くて正直それどころではない。


 だって、なんか背中に修羅見えてるし。心なしかゴゴゴゴ……なんてオノマトペが聞こえる気さえした。
 

 どう答えたものかと横を見れば、朝日は「うわ、なんてタイミングでこっち見るんだ」的な顔をしてやがった。この惨状はお前が放置してた結果だぞ。


「……玲さん?」


「え!? あー、うん、いいよ。……まあ、さすがに毎回って訳にはいかないけど。それでもよかったら」


 我ながらよく舌が回る。回し車に入ったハムスターかよ。


「ほ、ほんとですか!」

「も、もちろんさ。これからも三人で毒見《あじみ》役させてもらうよ」

 俺の返事に安心したのか、美咲ちゃんはにこりと微笑んだ。



※ ※ ※

 夕食を終え五分後。すっかり機嫌が治った美咲ちゃんはいそいそと冷蔵庫からバットを取り出した。


「おっ黒糖かんだ! 懐かしい。小学生の頃よく給食でお代わりじゃんけんしたなぁ」


「なあ、朝日。それって……」


「あれ、もしかして玲の小学校では出なかった?」

 

「いや、出たけど……」


「そりゃそっか。たしか黒糖かん、揚げパン、フルーツポンチあたりは人気だったし」


 朝日はそう言って取り分けられた皿に颯爽と手を伸ばした。

朝日は上機嫌に黒糖かんを口に運ぶと「ゔっ」と小さく呻めき、机に突っ伏すとそのまま沈黙した。……馬鹿め。


 カレーが美味かったから油断したんだろうが、これも真希ちゃんと作ったとは限らない。


 そして、寒天が固まるまでにかかる時間を考えれば当然避けられるはずの悲劇だった。


「はい、玲さん……どうぞ」


 そう言って差し出された皿には、さっき見た劇物。そして、その上にきな粉と黒蜜がかけられている。


 ……おかしいな。たしかに真希ちゃんは目の前で朝日が散ったのを見ていた。


 だから当然これが食品から錬成されたバイオ兵器だってことも理解してるはず。


「……あ、ありがとう。甘いの好きだから嬉しいナ☆」


 さすがに死にはしないだろうが、さっきからピクリとも動かない朝日を見ると躊躇してしまう。


 さっきから「寝るなら部屋で寝なよ」と美咲ちゃんが起こそうとしてるが、一向に起きる気配がない。


 終身不名誉シスコンのあいつが妹の声で起きないなんて相当なことだ。


 つーかこれであいつ死んだら終身不名誉シスコンと終身不名誉童貞の二冠になるのか。イケメンなのに。


 なんてさっきまでの鬱憤を晴らすように、朝日のことを内心ディスっていると。


「そうだ、折角ですし『あーん』しましょうか?」

スプーンを片手にそう言った真希ちゃんは妙に似合っていて、「役得」なんて言葉が脳裏を過ぎったが……これは巧妙な罠だ。


 そも俺がこれから食わされるのは劇物だ。自分のペースでいかないと朝日の二の舞になる。


 いや、気絶寸前で止められ生き地獄を味わわされる可能性も捨てきれない。


 そしてなにより「あーん」なんかしてもらったら姉さんに間違いなく詰められる。


「いや、自分で食べます!」


 そう言いスプーンを受け取ると、真希ちゃんが少し残念そうに見えたが、気のせいだろう。

 
 意を決して口に入れた途端、頭痛を伴う甘さと、ざらりとした食感。


 ほんの一口で鈍痛に襲われたが、そんなことは些細なこと。


 なにより恐ろしいのは、その一口がグレープフルーツスプーンの一口分ってことだ。


「れ、玲さん、無理に食べなくても……」


 表情として見たら笑顔そのものだが、声音は少し悲しげで。

 守護《まも》らねば。既に朝日が犠牲になってしまった以上、彼女を守護れるのは俺しかいない。俺は寒天をジュレのように崩し、一気に流し込んだ。


 味蕾との接点を減らし、更に細かくしたことで飲みやすい。我ながら完璧な作戦だ。なんとなく服薬ゼリーと同じ扱いしてるのにさえ目を瞑れば。


「ちょっと甘かったけど美味しかったよ。その、友達に分けてやりたいんだけど……残りって持って帰ってもいいかな?」

 相変わらず嫌な汗は止まらないし、声も少し震えていた気がするが、それはそれ。

 実際、女子の手作りのものに飢えているクラスメイトは多く、そいつらに一口あたり五百円くらいで売り付ければ直ぐになくなるだろう。

「ほ、ほんとですか……」

「え、うん」

 美咲ちゃんはにぱっと笑みを浮かべ、小走りでキッチンへ向かうと、吊り戸棚からパッキン付きのタッパーを取り出しいそいそと詰め替える。

 相変わらず寝ている朝日を叩き起こす。

「あ、そうだ、玲さんコーヒーいかがですか?」

「……ありがとう」

 たぶん今ならブラック・アイボリーやコピ・ルアクを出されても飲んでたに違いない。



※ ※ ※

 翌日の早朝。

「あれ、玲さんもう帰っちゃうんですか?」


「うん、真希ちゃんを姉さん家に送らなきゃだし」

 美咲ちゃんは小首を捻り。


「あれ、もしかして玲さん。真希ちゃんの話聞いてなかったんですか?」


「いや、その……恥ずかしながら。睡魔に負けちゃって」


「分かります……私もたまにお兄ちゃんの話うとうとして聞き流しちゃいますもん」

 いや、たぶん朝日のことだ。美咲ちゃんが微睡んでいるのを知った上でやってるに違いない。シスコン野郎だしきっとそうだ。

「そ、そうだよね……たまにはそういうこともあるよね」


「……あっ」


 不意にポンと肩に手が置かれる。振り向くと、真希ちゃんが優しげに微笑んでいた。


「玲さん……ちょっとお話ししましょうか」


 華奢な手で掴まれているはずだが、万力みたいな圧力で、思わず二度見する。変わらずその手は白魚みたいだった。

「……はい」

 やったねもう一回遊べるドン

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