こりゃ替玉食堂にしたほうが良さそうだ。博多ラーメンの店で、白濁した濃厚な豚骨スープと店名の通り替玉一玉無料なのが学生の懐に優しい。
それに、替玉は注文しなくても何ら支障はなく、つい食べ残してしまうなんてことにならないのも、もったいない精神を大事にしたい年頃の俺にとっては魅力的だった。
あまり急がずとも十分もあれば着くのだが、やはりラーメンの魔力には勝てず階段を一段飛ばしで駆け降りる。
中央大通りを道なりに歩く。近くに市役所と公園があるため普段はわりと混むそこは、ちょうどランチタイムということもあり閑散としていた。
すっかり標識板が剥がれ落ちた電柱に目をやると、止まっていた蛁蟟が居心地悪げにジジと短く鳴き飛び去る。
それと同時に腿に伝わるバイブレーション。
初期設定は小鳥の囀りだったはずだ。買ってから弄った記憶は一切ないのだが、いつから俺の携帯は震えるようになったのだろう……。
今度ショップで見てもらうかなどと考えつつ、渋々ジーパンのポケットから携帯を取り出し耳に当てる。
「……もしもし」
『あれ、珍しい。玲がこんなに早く出るなんて。てっきり折り返さなきゃならないかと思ったよ。まぁ、耳に当てるだけだしカンタンか』
調月朝日《つかつきあさひ》にとって俺がどう見えていたかは一旦置いておくとして。
「いや、まあそれくらいならまだ分かる。自分のメールアドレスはどこで確認するのかとかは怪しいけど。……じゃなくて何か用か?」
『昼食の誘いだよ。玲がまだ食べてなければだけど合流しない?』
「……替玉食堂でいいなら」
『了解。じゃあ、五分くらいで着くから待ってて』
タタっとリズミカルに駆ける音が聞こえた直後通話がぷつりと切れた。どこから向かっているのかは知らないが五分で来ようとするあたりが朝日らしい。
朝日は息を切らすことなく、宣言通り五分きっかりで食堂前にやってきた。
「……ごめん待った?」
「いや、全然。てか、女子組はどうしたんだ? さっきゲーセンで会ったけど」
「あー、一応カプリチョーザまで送ってきたけど……。流石に臭いとかカロリー的に女性陣に豚骨ラーメンはキツイかなって」
「ほーん。ちゃんと配慮してるのな」
「ああ、どこかの誰かさんとは違ってね」
「……るせー」
「いや、けど、まあ、配慮ってのは建前と言うかなんちゅ〜か……正直、朝昼とパスタで済ませるのはちょっと男子高校生的にはキツイなと思った……」
女子ってなんかパスタとか好きだもんな。ソースはあの二人。
「……いいんじゃね? 女子同士の方が気楽だろうし。俺らはしっかり食えるしでWin-Winだろ? 何も問題は無い」
「まあ……それも一理あるかな」
俺は博多ラーメンをバリカタで、朝日は朝食が物足りなかったからか、デラックスラーメンの粉落としを味玉とチャーシュー増しで頼む。
「で、何でお前と飯食うことになったんだっけ? まあ一応、予想はついてるけども」
「ん、ああ。この辺あんま知らないから玲が詳しくてよかった」
おい。
「いや、あんなメール来たから……てっきり単独行動したことでなんか言われるかと思ったわ」
「まあ、それについては今回《《は》》いいや。それにあんなメールって……そこらで拾ったコピぺに美咲から送られた写真はっつけただけだよ」
朝日にそう言われ再度メールを見てみると、如何にも堪忍袋が切れたと言いたげなスゴ味を感じさせる文面には『覚悟の準備』などの所謂ワ●ップジョ●ノが散見された。
「……さいですか」
したり顔で笑っている朝日にそう言うと、丁度ラーメンが配膳された。
「いただきます」
メニュー通りのこってりとした豚骨スープは噂に聞く獣臭さがなく、気づけば夢中で麺を啜りスープを飲み下していた。
ちらと朝日を見ると、気に入ったのか「あっつ」と言いながらも麺を手繰る手を止めなかった。
「ところで、全然関係ないんだけどさ」
「お、おう」
「今晩『美咲のドキドキ☆クッキング』が開催されるって言ったらどうする?」
「…………え?」
朝日の一言に思わず箸が止まったが、それも数瞬のこと。
「朝昼と外食することは決まってたわけで、流石に夕飯は家で食べようってさ。まぁ、女子だしカロリーとかを気にしてるんじゃないかな。別にそんなの気にしなくても良いと思うけどなぁ」
「なあ、俺ら自炊できるし先に帰って作るとかは?」
俺が一縷の望みを賭け朝日に訊くと、目を伏せ短く溜息を吐き。
「……それはとっくに拒否された。なんでも女子力を磨くんだと……ちなみに料理の腕前はあれから変わりない」
「えーっと、てことは『覚悟の準備』はあながち間違って無かったってことか」
「そうなるね……そういえば真希ちゃんは料理得意だったりしないかな」
「どうだろう。姉さんがよく一緒に料理してるって写真送ってくるけど……エプロン姿のツーショットだけだからな。……正直未知数だ」
姉さんが何を意図してエプロン姿の写真を送ってきたのかそれが問題だ。
単に「かわいい娘の写真」として送ってきたのなら良いが、写真に残してはいけないレベルの料理《ゲテモノ》を作っていた可能性も捨てきれない。
「……そっか」
「これが最後の晩餐か」とため息混じりに呟くと胃を抑える朝日を横目に、俺は替え玉を注文した。
通算何度目か分からない最後の午餐を食べ終えると、俺は出来るだけ爽やかな笑みを浮かべ。
「いやー満腹……もうこれ以上入んないかな? 入んないね……うん」
「……玲。君はなにを言ってるんだい?」
「ごめん、朝日。俺……今日夕飯抜くよ。流石に作ってもらったのを残すのは美咲ちゃんに悪いし。久しぶりの外食だからって慣れないことはするもんじゃないね。今まで通り替え玉しないでおくべきだった」
『つまりきみはそんなやつなんだな』と言いたげに瞳の温度が冷めていく朝日に怖気を覚えつつも、見せつけるように腹を数回叩いて見せると、くぅという間抜けな音。
「…………」
「…………」
数秒沈黙した後、
「ほら、行くよ。女性陣はもう駅前で待ってるってさ」
柔らかな口調に反し、凍てついた視線を向けてきた朝日に俺は観念した。
「……はい」
半ば連行されるようにしてYデッキに着くと、二人は花壇枠のベンチに座っていた。
「あ、やっと来た。そうだ、玲さん。夕飯何が食べたいですか? えっと、なんでもいいとかはダメです」
譲歩しているようで単に思考放棄しているだけのワンフレーズは当然のように封じられた。
使い古されてるしそりゃ禁止フレーズになるよな。
「ううん。ここ最近食べてないしカレーが食べたいかな」
流石にパッケージのレシピ通り作ればなんとかなるだろう。
それに、仮に失敗するとしても多少汁っぽくなるくらいで食えないことはないはず。
そう思い朝日を見ると、頻りに首を縦に振っていた。お前実は赤べこだったの?
※ ※ ※
それから一時間経たぬうちに朝日の家に戻ると、女性陣はキッチンへと姿を消した。
待っている間ただ席に着き何もしないのは少々気が引け、いそいそと食器を取りに行くと、美咲ちゃんに軽く肩を叩かれる。
「あ、玲さんはリビングで待ってて下さい……。今日はいつもより美味しいカレー作ってみせますので」
「……うん、楽しみにしてるね」
ソファに腰掛けた朝日に手招きされ、横に座る。そして女性陣に聞こえないよう小声で。
「……な、なあ、朝日。今日は食えるのが出てくるよな? 美咲ちゃんはなんか自信ありそうだったし……。これで蓋を開けたらコンポストとかだったら泣くぞ」
「や、流石にそこまではないでしょ。いくら美咲がアレだとしてもカレーだし。精々シャキシャキの生野菜と糂《おじや》みたいなライスくらい……のはず」
「ちなみになんだけど……冷蔵庫に桃とか入ってないよな」
「あー、たしか桃も桃缶も入ってたような。けど、入れるとびしょびしょで不味いことは伝えてあるから大丈夫でしょ」
「それならいいんだが……お前は不安じゃないのか?」
俺の不安に満ちた視線を受けると、朝日は髪をかきあげながらにこりと笑みを浮かべ。
「そりゃ勿論。俺は美咲を信じてるから……不安に決まってるだろ」
「…………」
「…………」
なんとも言えない静寂の後、朝日はぽんと手を打った。このあたかも何か閃いたような動きがどうにも胡散臭い……。
が、とりあえず聞くだけ聞くことにする。
「で、何を閃いたんだいワトソン君」
「誰がワトソン君だ。いや……、むしろコンポスト風カレーの方が良いんじゃないか。ほら、コンポストって茶色いしカレーも茶色……ほら同じだろ?」
「お前はどこのダイビングサークルだ。ちゃんと色以外でも識別しろ!」
「いや、語感だけならポトフとかコンポタに似てないこともないし……たぶん食べれるさ」
そのうち水と酒の区別にライターを使いそうな奴は置いといて。
普通は地中海風みたいに〇〇風って言われると少し小洒落た感じがするが、どう足掻いてもコンポストはコンポストだった。
オブラートに包んで食レポをするならあれだ。よく植物が育ちそうな香り。
……一時期の豊崎愛生ファンなら容易く平らげそうな気がしないこともない。だって「こんな思いをするのなら花や草に生まれたかった」なんて言うくらいだ。むしろ好みの味の可能性が高い。がそれはそれ。