「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
なんで俺は自分の家の玄関でこんなメンチを切っているのだろうか?
相手は不審者という訳ではなく、俺より三つ年下の白磁のような肌と亜麻色の髪が特徴的な美少女。
他の表現で言うなら、義兄の連れ子……要するに歳の近い姪。せめてもの救いはオジさん呼びをされないことだろうか。
「……どこに行こうとしているんですか? 玲さん」
顔は笑顔だが、瞳は冷めている。一体どこでそんな技術を覚えるんだろうか。もしかして:学校
「……そ、そっちこそ、どこに行こうとしているの? ここら辺ちょっと入り組んでて複雑だし……もしかして迷子? 家まで送っていこうか? 真希ちゃん」
「ええ。家は家でもこの家に用があるのだけれども……」
「……さ、さいですか」
彼女が冷めきった瞳をかっぴらき、ギロリと音がするほどに睨みながら言うので俺は黙り込んだ。……流石に何回か来てるし迷子はないか。
馬鹿にされたと感じたのか、冷えきった瞳が更に冷えていく。このままでは埒が明かない。どうしたものか。
ため息をつきながら思案しているものの、なかなか良い案が思いつかない。……いや、ちょっと待てよ。
俺の家には特にこれといっていかがわしい物は置いていないし、パソコンには当然ロックがかけてある。
そして、彼女には姉さん経由で既に合鍵が渡っている。そうなれば俺の選択肢はただ一つ。
――もうこの子を家に入れてお茶を出したらさっさと出かけよう。そして、今日だけとは言わずに連休中は友達の家に泊めてもらう。
幸い家事スキルはそれなりの水準だし、一宿一飯の恩も返せるはず。もちろん返さなくていいと言われたら、返すつもりはさらさらないけど。
「真希ちゃん、いらっしゃい。外暑かったでしょ……さ、入って」
俺は演技派らしいから、さっきまであった些細な諍いなんて微塵も感じさせないよう細心の注意を払って言った。
「あなた、誰ですか? こんな気持ちが悪い人は身内にはいないはずなのだけれど」
――キモいって言われるよりも気持ちが悪いって言われる方が傷つくんだなぁ。そう現実逃避するくらいには傷ついた。
許せん。誰だよ俺のこと演技派とか言った奴。微塵も感じさせないどころかめっちゃ怒ってんじゃん。
なまじ見た目は可愛いから怒っているときの身に纏う雰囲気には圧倒される。うん、すげぇ怖い。
あれだ、ジェームズ・マティスとプリクラ撮ったって言われても信じちゃうくらいには怖い。
最早この子が怖いからって理由で友達の家に泊めてもらう他ないだろう。だって、ほんとに怖いんだもの。
特にあの眼光には年甲斐もなくちびりかけた。やべぇ情けなすぎる。
けど、いつまでも玄関で時間稼ぎをする訳にもいかない。だいぶ均衡が崩れかけているのは一旦据え置くとして。
義兄さんはともかく姉さんが来てしまえばどう足掻いてもこの計画は頓挫するだろう。
とはいえだ。最初の選択肢こそ間違えたが、それだけでバッドエンド直行とは思えない。まだ舞える。
とりあえず、これ以上失態を晒さない内にリビングに通し、さっさとお茶を出すことにした。
ここが京都なら《《お茶》》ではなく《《お茶漬け》》を出すのになぁ。
――たぶん京都だとしても出せないと思うけど。あとが怖いし。
それに、あれだ。姉さんだったら分かった上で二杯目を要求してくる。でもって食べ終えた後、微笑を湛えた姉さんにフランケンシュタイナーを決められるだろう。
たぶん技のキレは武藤◯司が称賛するレベル。
残念なものを見るような目で見られながら、せっせとテーブルに未だ未使用の来客用の食器を並べていく。
お茶だけ出して茶菓子の一つも出さないというのはどうもケチな気がするが、生憎来客など皆無の我が家にそんな物は無い。
しかし、無い袖は振れないと言っても「玲……飛んでごらん? ほらっジャンプ」と言いかねない姉を持つ俺としてはそれでは困る。
――どうしたものか。紅茶を淹れつつ思案するが、そもそも家にある菓子が昨日焼いたクッキーくらいしか無い以上思考の余地がない。
少々不恰好だが、味にはそこそこの自信がある。それに食べたくなかったらそのまま置いといてくれれば良い。
まぁ、面と向かって不味いと言われたら、俺の自炊マニアとしてのなけなしのプライドは引き裂かれるけど。
となれば、俺の保身の為にもクッキーで我慢してもらうしかない。
「あ、そうだ。よかったらこのクッキー食べる? 昨日焼いたんだけど……」
「……いただきます」
まだちょっと不機嫌なようだが、ちらっと視線をクッキーに向けるのを見るに掴みはオッケー。
手を合わせてから、もきゅもきゅとクッキーを口に運び始めたのを見計らい。
「ちょっと友達の家に泊まってくるね……」
当然の如く愛しの我が家から緊急脱出《ベイルアウト》した。
このときのポイントは二つ。一つ目は「ちょっとポストから手紙を取ってくる」みたいな軽い感じで、さり気なく言うということ。二つ目は、正直にどこに行くのかを言うこと。
一つ目はともかく二つ目は遵守しないと命はない。だって、わざわざ真希ちゃんが一人で家に来るとは思えないし、少なくとも娘(ドー)コンの姉さんは来るだろう。
そうなると、嘘をついてたのがバレると恐ろしいことになるのが火を見るよりも明らかなんだもの。
ちなみに娘コンとは過保護を指し示す訳ではなく、ブラコン・シスコンに並ぶ言葉らしい。古事記にもそう書かれている。
というか、怒るくらいなら少なくとも前日には連絡よこせと声高に言いたいものだが……姉さんだから無駄だろう。
とはいえ、恐らく姉さんたちが来るのは確定事項だが、彼女を一人ここに放置するのは少し心配だ。まあ、姉さんに早く来るようにLINEを入れておけばいいか。
それはさておき、誰の家に泊めてもらうべきか。俺は、常時サイレントモードのスマートフォンに載っている友人の連絡先とにらめっこを始めた。
まぁ人付き合いが苦手な俺が登録している友人がそう多くいるはずも無く、なんならスタンプ欲しさで追加した公式アカウントの方が多い始末。
――そのスタンプを使う友人も然程いないがな。
そう悲しい事実を再度見つめ直した俺の視線の先には泊めてくれるとおぼしき友人の連絡先と真希ちゃんからの通知があった。
――連絡されてたのか。
そこそこの罪悪感はあるが今更戻るわけにもいかない。開き直った俺は、
「あっ! きっと、あいつの家なら泊めてくれるだろう」
LINE通話をした。
なぜLINE通話なのかは言うまでもない……単に電話代をかけたくないからだ。
「お〜い朝日。いきなりで悪いんだけどさ今日泊めてくんない?」
『俺の名前をお茶みたいに呼ぶなよ。はぁ。……ちょっと待ってくれないか?』
「お、おう」
まぁ、さすがの朝日もいきなりの頼みには対応してくれないだろう。さて、次は誰に頼むとするか。
そう考えつつ公式アカウントを連絡先から淡々と消し、ともだちと表示される人数のあまりの少なさに目を白黒させていると。
『オーケー、妹からも許可が出た』
何か話しているのは少し聞こえてきたが……まさか、妹と交渉してくれていたのか。
溜息なんか吐くから呆れて見捨てられたのかと思った。
「そ、そっか、ありがとう」
『いや、まぁ……至極残念なことにこっちも暇になるからいいんだけど。それはそうと玲が素直に礼を言うなんて明日は槍でも降るのかな?』
若干の毒を吐きつつも結局泊めてくれるとは。なんていいやつなんだ。どこまでも覚えている限りついていくぜ。――覚えていたらな。
俺は、感謝しながら駅へ駆けると、京急線に乗って四駅隣の朝日の家へと着替えだけ持って向かった。
朝日の家は上大岡駅から徒歩十分程で着く。
なかなか交通の便もよく、朝日はよく駅までバスの後ろで自転車を漕ぎながら駅に行くのが最高だと言っていた。
まぁ彼は相手方の不注意でバイクに二度もぶつかられてしまい、バスの定期を親から支給されたせいでその楽しみを失ってしまった訳なのだが……。
その時の彼の顔はとても悲しそうな顔だった。それはもう、仕事命の社畜だった人が突然リストラされたかのような顔で、同情しようにもそう簡単にしてはいけないような感じがした。
それと同時に俺は働きたくないと思いました。そんな事を考えている間に朝日の家に着いた。
彼の家は防犯がかなり厳重にされているマンションで、子供のことが相当心配なのか部屋も16階と高層の階にしている。
その防犯の例は、フロントに入るために目的の部屋の住人に建物の入り口を開けてもらい、フロントに入り、部屋番号を入力してその部屋の人にフロントとエレベーターを遮るようにある無駄に大きなドアの鍵を開けてもらう。
その後に、エレベーターに乗って目的の階に着くと、インターホンを押して住人による顔の確認。映ったのが知らない人だった場合は警備員にすぐに連絡がいくらしい。
「朝日、着いたよ」
俺はインターホンを押してそう言った。少し待つと、あの憎きイケメンが顔を出すと思いきや。
「あ。玲さん、いらっしゃい!」
妹君が出てきなさった。
「こんにちは、美咲ちゃん。今日はいきなり泊めてもらうなんて言ってごめんね」
もう、本当に申し訳ない。まさか、自分より3つも年下の女の子に怯えて友達の家に泊めてもらいに来たなんて口が裂けても言えない。
「いえいえお気になさらず。それよりも今日は友達と試験勉強をしに行くのでお構いできずにすみません」
なんていい子なんだ。
「そうなんだ。試験勉強がんばってね」
こんないい子なんだからきっとテストは高得点に違いない。少なくとも人間性は満点だと思う。
そういえば、真希ちゃんの中学も定期試験が来週あたりあったはず。どこの中学校も同じ週にテストをするんだな。
このときの俺は紛れもなくアホだった。夏休み直前の七月にそんなテストをする学校がそんなにあるわけ無いじゃん。