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 頭を抱えるイルの隣では、テオが鼻で笑う音がする。

「王城に忍び込んで取ってこいって?」

 魔王が片頬に口角を上げて小首を傾げる。

「テオにとってもいい話じゃない?」
「わたしにどうメリットがあるんだ?」
「その子」

 彼はウミを指さし微笑む。

「その子がどこから来たのか知ってる?」
「……いや、知らない」
「まあ、だよね」

 訳知り顔で微笑む魔王に、胡乱な目をテオは向ける。
魔王はそんなテオから視線を外し、手前のウミに問いかける。

「ねぇ、君は、どうやってテオと出会った?」

 質問の意図がわからないと、傍らで聞いていたイルは思う。
ウミはそんな質問に答えを思い出しているのか、あごに指を当てて小さく唸る。
その両目はギュッと固く瞑られていて、顔はやや俯いている。

「えっと……」
「ウミは川で流されていたところを、わたしが助けた」
「そうなんだ。それなら、その前は?」
「その前?」
「どこで何をしていたか。どんな生活をしていて、どんな人に囲まれていて、どんな風に川で溺れることになったか」

 テオの首に筋が浮くのを、イルははっきりとその目で見た。

「おい……。さすがにそれは失礼じゃないのか?」
「失礼? どこが?」
「人の思い出したくない過去に踏み込んでいくのは、亜人の間では失礼なことでは無いのか?」
「なるほどね。君の感覚では失礼なことに当たるのか」

 どこか面白そうに魔王が口ずさむ。
その様子とは正反対に、テオは珍しく、静かに怒っているように、イルには見えた。

「君がそうやって、踏み込むことをいつまでも恐れてなあなあ(・・・・)にしてきたから、彼女は今日まで旅をしてきたんじゃないのか?」

 テオが言葉に詰まる。

「もっと早く、甘やかさずに踏み込んでいれば、彼女は元いた場所に、もっと早く帰れていたかもしれないのに」
「わたしは甘やかしてなど」
「甘やかしているよ。君自身を」

 ハッとしたように身じろぐテオに、魔王は矢継ぎ早に言葉を連ねる。

「踏み込むのが怖いから、嫌われるのが怖いから。いつまで経っても大切な話すらできないで、今日まで引き延ばしてきたその精神性を、甘えと言わずになんと言う」

 それは厳しいながらも、どこか心配を含んでいる。
まるで、愛情深い家族の間で行われる、説教のようだ。
そんな風に感じたイルは、テオの様子を窺う。

 テオはと言えば、その顔は俯き、仮面の奥から不機嫌そうな唸り声を小さく鳴らしている。
図星を突かれた子供の、不貞腐れた態度のようだ。

「なまじ、力があるから何でもできると勘違いでもしてるんだろう。自分だけでその子を元の場所に帰せるとでも思ったか?」
「そ、れは」
「イル、だったね。君はテオをどう思う?」
「ひょぉぃっ?!」

 突然話題を振られたイルが奇声を上げるも、それを気にせず魔王は見つめてくる。
テオによく似た黄金の眼。
全てを見通すことができると言われても、信じてしまえるほどに澄んだ色をした眼。

(苦手な部類の目ですよぃ、あの目は……)

 苦い気持ちを噛み殺し、商人の笑みを浮かべる。

「へぇ、そうですねぃ。テオ氏には本当によくしていただいておりますよぃ。観察眼鋭く、慎重さもあると思えば、時折驚くような大胆さも見せてくれましぃ。それがとても新鮮で、一緒にいて楽しいお人ですねぃ」
「ふーん。他は?」
「へっ? 他?」
「うん、他」

 こちらを頬杖ついて見る魔王の、その顔はニヤニヤ笑っている。
オモチャにできる人間を見つけたときの、余裕の顔だ。
 イルはウンウン悩み、捻り出そうとする。
それを見たテオは、悲しそうに顔を背けた。

 「そうか……。イルとは長い付き合いだと思っていたのに、イルにとっては悩まないと、良いところすらも捻り出せない程度の付き合いだったんだな……」
「なんでそうなるんですかぃ?! テオ氏のことはあっし、ちゃんといい奴だって思ってますし尊敬だってしているんですよぃ?!」
「皆まで言うな……。ちゃんと分かっている」
「分かってないですよぃテオ氏! ……テオ氏?」

 まるで啜り泣くように小刻みに揺れる肩。
ずいぶんと久しぶりに見る、テオの泣き姿にイルは、大層慌てた。

「……ふっ、くっ」
「……テオ氏? まさかとは思いますがぃ……」

 小刻みに揺れる肩。
漏れる嗚咽のような殺した声。
 テオは、堪えきれないように声を上げて笑い出した。

 泣いていると慌てまでしたこの人(テオ)は、なんてことはない。
笑い声を堪えて、イルをからかっただけだった。

「弄ばれたっ!」
「あっはっはっはっ!」
(こ、この兄妹はー……!!)

 イルは心の中で怨嗟を吐く。
この妹にして兄あり。
似ているように感じるというイルの主観が、鏡写しのようにそっくりな性質をしているという評価に変わった瞬間だった。

「気安い関係を築けているんだ」
「へぇ! 不本意ながら!」

 ぷりぷり怒りながら返せば、聞こえてくるのは正面からの吹き出す音と、横からテオの大爆笑。
 魔王は指を一つ立てる。
僕はね、と前置きをし、つらつらと、テオの欠点を(あげつら)う。

「僕にとってテオは、臆病者で、不器用。人の悪意に聡いフリして実は疎い。虚勢は張り気味だし、劇の影響でも受けてるの? 言い回しがいちいち劇的だよね。それから、不器用。子供のまま成長した大人に感じるよ。素の自分をさらすこともできない小心者で、身近にいる人間すら本当は信用していないんじゃない? あと不器用」
「不器用って三回言った!」
「すごい強調するじゃないですかぃ……」
「別に……、不器用じゃないし……」

 ウミが叫び、イルが呆れ、テオは落ち込む。
 ボロックソに貶された当人、テオはしょんぼりと、身を縮こまらせて小さくなっている。
そんなテオを見て、魔王はふ、と柔く笑った。

「毎度料理が大味になるのは不器用の部類だよ。塩だらけにしたこともあったじゃないか」

 魔王はローブを翻し、部屋の扉へ足を向ける。

「おいで。途中になった話は、こっちの部屋でしたほうが分かりやすい」

 イルはテオの仮面を見る。
仮面の奥の目が、二、三度瞬く。

「……行こう」

 真っ先に立ち上がったのはウミで、足取り軽やかに魔王の後ろに駆けていく。
その後ろを、ややスローに二人が着いていく中で、ふと、テオが呟いた。

「……あれ、塩だらけにした料理の話なんて、わたし、してたか?」
「いや……」

 イルは、魔王の背中を見て、テオを見て、また魔王の背中を見る。
そうして、たどった記憶の中から答えを引き出す。

「してない、ですよぃ?」

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