第六十九話 最後の夢
第二階層は豪雨の降る倉庫街だった。二人はある倉庫に一旦雨宿りで入ると、私とヒューノバーに情報を求めた。
「ここは、バイパーのどの情報にもありませんね」
「恐らく場所はアキタチ地区にある倉庫街でしょう。可能性としてはここでドラッグの受け渡しがあった。でしょうか」
『アキタチね。倉庫街って言われると、どこから調べるべきかねえ』
「結構広いんですか?」
『ええ。人出はそれなりにはありますが、使われている場所もそうではない場所もかなりの数ありますね。……警察の方からの情報には、目ぼしい場所は載ってはいませんでしたね。地道に探す他ないでしょう』
ここに出たと言うことはバイパーが実際に訪れたと言うことだ。広大でもそう遠くない場所で何か起こっているのではとのことであった。
『あ、サダオミ、犬になりなよ』
「え、なれるんですか? サダオミさんでも姿を変えるのは難しいって聞きましたけれど」
『なれるにはなれますが、この豪雨では鼻は効きませんよ』
『いいからいいから。あ、眼鏡あたしがかけるね』
眼鏡がヨークに渡りサダオミの姿が映し出される。ヨークに急かされて渋々と言った風にサダオミが瞬きの間に犬の姿に変わった。黒柴犬の姿に。
『きゃー! かわいいねえサダオミ!』
『こうなるから嫌なのです』
ヨークがしゃがみ込むと黒柴サダオミを撫でくりまわしている。サダオミは歯を剥き出してぐるると威嚇の表情をしていた。
「柴犬久しぶりに見たな……」
「かわいいよね。サダオミさん」
「いやまあかわいいが、いい歳の男性をあそこまで撫でくり回してるヨークさんすごいな」
「まあそこはご夫婦だから」
ヒューノバーが苦笑いしつつコーヒーを飲んでいる。私が持ち込んだ菓子バーもいつの間にか食べ始めていた。あげるとか言ってないんだけど。別にいいけど。
『サダオミ、これを嗅ぎな』
『なんですか? それ』
『前の階層で脱がしたバイパーの靴下』
「嫌だなそれ……」
サダオミに憐れみを向けつつ、サダオミは威嚇の表情を続けながらも靴下の臭いを嗅ぎ始めた。
『……こちらに』
靴下を嗅ぎ終えたサダオミは雨の中飛び出し駆けてゆく。ヨークがそれを追いかける。映像を観てると職務中なのに台風の中散歩をする柴犬のアニマルビデオを観ている気持ちになってくる。くるりと丸まったしっぽが可愛らしい。と言う感想が浮かんだ。
サダオミが少々離れた倉庫の前で止まり、瞬きのうちに人間の姿に戻っていた。大きなシャッターが閉まっているが、人用の出入り口を見つけるとヨークと共に侵入してゆく。
眼鏡がサダオミに戻ったのかヨークの姿が映る。
なんか以前もどこか廃墟みたいな場所で取引見たなあと思い出す。マフィアの象の獣人の女性の。
物陰を進んでゆくと、話し声が聞こえてくる。覗いてみると、複数人の獣人たちがアタッシュケースを持って話し合っていた。耳を澄ませると内容が聞こえてくる。
『で、新しく開発したって言う電子ドラッグ、中々いいじゃねえの。報酬だ。受け取りな』
『ありがとうございます。こちらとしては、あなた方カルカロットがこの話に乗ると思っていなかったのですが』
『色々不況でねえ。何でもかんでも警察がうろちょろしている。でだ、別の新事業とでもと思ってね。くく、アンタ、これは黄金よりも価値のあるものかもしれねえぜ? あんたは金の卵を産む鶏ってなものだな』
『ふふ、殺せば、二度と手に入らない黄金ですよ? またご入用がありましたら、この男にお知らせください。今度はアジトの方に向かわせますよ』
名指しされた男を見れば、黒猫の顔、バイパーの姿があった。受け渡しに使っていたらしい。虚ろな目をしており、話も聞いているのか聞いていないのか。
開発者らしき獣人の女は、目深に帽子を被りストールで顔を隠している。バイパーと共にこちらに向かってくるのを見てヨークとサダオミは一旦隠れる。
『バイパー、次の実験、いつもよりも気持ちよくなれるわよ。もっといい品質のものを作らなくてはね?』
『……はい』
『あなたは私の郵便屋さんだもの。馬鹿なことはしないように躾けているけれど、その時は……ふふ……』
倉庫を出て行った二人を見送り、マフィアたちも撤収して行った。しばらく様子を見てから外に出ると雨は上がっていた。
『あの分だと、バイパーは運び屋らしいですね。上は、ドラッグでバイパーを洗脳、ですかね』
『開発者の女、声からして結構若かったね。個人でのドラッグの売り込みなんざ、普通の女ではないね。肝が据わりすぎている』
『元よりマフィアたちと関係がある裏の住人なんでしょう』
この階層で見ることが出来るのはここまでだろう。とのことで下層への入り口を探すこととなった。私はヒューノバーと話をする。
「バイパーが無差別殺人を起こすきっかけはドラッグだけだったのかな。洗脳されている線が濃いなら、ちょっとおかしくはない?」
「運び屋なんて、言い方は悪いけれど変わりはいくらでも居る仕事だからね。何かしらあって用済みになった……と言うのが一番近しい答えかもしれない」
『その何か、近々分かるといいのですがね』
次の階層への入り口を見つけたヨークたちは歪な螺旋階段を降る。私は事件の資料に目を通していて気がついたことがあった。
「あの、無差別殺人事件の被害者、人間が多くはないですか?」
『その通りです。獣人も被害には遭っていますが、殆どは人間です』
そこで最近言われ続けていたものに気がつく。純血派の件だ。もしや、マフィアたちが人間を殺せと命令でもしたのか? と考えていると第三階層へと辿り着いた。どうやら誰かの家らしい。暗い部屋の中をPCのディスプレイが照らしていた。
『開発者の家、かもね』
『今のうちに家探ししましょう』
サダオミの言葉に二人は解散して部屋の中を漁り始めた。サダオミは郵便物を見つけ、この部屋の住所を見せてきた。住所は判明したが、バイパーが事件を起こした時点でもうこの部屋は捨てた可能性があると言う。ヨークはPC内からドラッグのデータを見つけたがここはバイパーの心理世界だ。まともなデータは取れないだろう。
がしゃあん、と別室から物が割れる音が聞こえてきた。サダオミが先導して部屋から出ると冷えた女の声が聞こえてきた。
『君がそんな低俗なやつだとは思わなかったよ。カイナ。人間のオトモダチを作るなんてねぇ?』
バイパーは怯えたように耳を猫耳を伏せている。女の顔は黒く塗りつぶされたかのようにはっきりと顔を認識することができない。
『純血を尊ぶ我らが、人間と仲良しごっこかい? 可愛らしいじゃあないか? ままごとだろう? そうでなければ、私は君に何をしてしまうことか?』
『も、申し訳ありません……ティミアさま』
ティミアと呼ばれた女は、底冷えする声でバイパーを責め立てる。
『バイパーァ、君とは今日を持って縁を切るべきのようだなあ? ふ、ふふふ、今までの中で長く持った方だったが、所詮君も人間にいい顔をしたいらしい。喉を鳴らして擦り寄ったのかい? それはそれは、可愛らしかったのだろう』
ティミアは一歩一歩バイパーに近づいてゆく。バイパーは金縛りにでもあったかのように動かない。
『最後に、いい夢を見せてあげよう。おいで、バイパー』
甘やかな声でティミアはそう呟くと、瞬間、びきびきと割れるような音がし始め床が崩れ始めた。逃げることもできず、バイパーは穴の落ちてゆき、サダオミはヨークを抱えて穴に飛び込んでいった。