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「……静かだなぁ」

 テオ達がいなくなって、もう(・・)三年。
賑やかだった家の中は、今日も静まり返っている。

「……懐かしいなぁ。この机の傷、テオが包丁使おうとして付けちゃったんだよね」

 林檎を剥くだけなのに、何がどうしてそうなったのか。
包丁の刃先はまな板を逸れ、机にダイレクトアタックをして深い傷を付けた。

 結局、サカニアは彼女らを引き止める事は出来なかった。
サカニアが、彼女たちの元へ行くことも許されなかった。

 森の人(エルフ)と人間の組み合わせで、さらに人間の子連れは珍しいから覚えられやすい。
森の人(エルフ)と人間の子供の組み合わせも、珍しすぎて印象に残してしまう。
 ……メェリャの言い分だった。

 彼女はあの時、何よりもテオの身を優先したのだろう。
長い別れになることを覚悟し、サカニアはメェリャとテオを送り出した。

 覚悟はしたはず。
それなのに、サカニアは途端に空っぽになった。
あれだけ作っていた魚のフリットも、最近ではめっきり作らなくなり、今では一日に一度、果物を口にするだけで事足りてしまっている。

 サカニアは寝不足の目をこする。

 ……あれから何度も、夢を見る。
日に日に鮮明になっていく夢と、自分がどう動けばいいのか、分かる毎に突きつけられる役目。

 サカニアは葛藤の最中(さなか)にいた。
テオに会いたい。けれど、テオに会ってしまえば、世界が動き出してしまう。そんな予感がする。

(テオに会いたい)

 机の上に果物を並べる。
泉で汲んできた水を並べて、今日一日の食事としてしまおう。

(テオに会いたくない)

 時計の針が鳴る。
まもなくすぐ、長針と短針が重なる一瞬が訪れる。

(テオに、会いたい)

 玄関のノブが鳴る。
カンカン、と扉に金属製の呼び出しノブが叩きつけられる。

(テオに)

 玄関先には、懐かしい人。
身長もめっぽう高くなり、壮健な青年にも見える出で立ちになった娘が、照れたように片手をあげた。

「……久しぶり、サカニア」

 長かった髪はすっかりと切り落とされ、不器用代表(メェリャ)がやったのだろう、不格好なざんばらの短い髪型となっていた。
 何よりも、大きな違いと言えばその顔にある仮面。
真っ白な飾り気のない仮面は、テオの火傷痕を見事に隠しきっている。
……その代わり、仮面の人物という胡散臭さは付与されてしまっているが。

 旅人がよく着用する防寒マントを肩にかけ、無骨な装いをした青年のような娘に、サカニアは薄らと涙を浮かべた。

「会いたかったよ。テオ」
「……わたしも」

 思い切りハグをすると、照れが残る動作で恐る恐る背中に手を添えるテオ。

「大っきくなったね〜」
「サカニアはなんか……小さくなった?」
「君が大きくなったんだよ、テオ」

 再会を喜び、サカニアはテオを招き入れる。
背後を気にした風なテオが妙ではあったが、サカニアは気にならず、ウッキウキでお茶を用意する。

「テオちゃんと食べれてた?」
「まあまあ。大体わたしが食事作ってたからな」
「やっぱりメェリャの料理下手は治らなかったか……」
「どうしたらお茶が固形で出てくるのかすごい疑問だった」
「本当にね。何混ぜたらああなるんだろう……」
「見た感じは茶葉を普通に煮出していただけだったんだが」
「ある意味才能だよね」

 神妙に頷けば、同意が返ってくる。
テオたちが出ていく以前によく飲んでいた薬草茶を出す。
仮面を僅かに持ち上げ、覗く口で一口飲んだテオは、ホッとした雰囲気を醸し出す。

「昔はよく薬草摘みにメェリャにくっついてったよね〜。今まではどうだった?」
「師匠はわたしに薬業務全般押し付けてきたよ。納品は師匠だけど、五割はわたしが作ってた」
「認められたんだね〜。メェリャは認めてない人には手伝いどころか、器具さえも触らせないよ。ワタシは触れなかった」
「……そうかな」
「魔法の腕もね、以前、惚気ていたことがあったんだよ〜。私以上の魔法の使い手にきっとなるよ、あの子。って」

 茶を飲む手が震える。
刻一刻と、その時は迫っていた。

「サカニア」

 娘の声が聞こえる。
愛しくて残酷な、娘の声が。

「テオ、魚のフリットよく食べてたよね。食べる? 魚捕りに行くところからになっちゃうけど」
「サカニア、聞いて、聞いてくれ」

 肩を掴まれ揺すられる。
何とかして自分の方に振り向かせようとする、子供のような仕草。
それでも体格は大人の人だった。

「サカニア」
「やだよ。言ったら、もう……。聞きたくないよ」
「聞いてくれ、サカニア」

 仮面が机に沈み込むくらい、深く、深く俯くテオがいる。

「サカニア、師匠(メェリャ)はもう、いない」

 声はひどく震えているくせに、合わせる目はひどく真っ直ぐだ。

「わたしが殺してしまった」

 サカニアが何か言うより先に、テオは確固とした決意を持って告げる。

「サカニア。わたし、行かなきゃいけない」

 お別れを。
彼女が放つその一言が、ひどく頭に残る。

「記憶、戻ったんだ?」

 幼児返りをしていた、幼い娘はもうどこにもいない。
そこにいるのは、使命を見つけた、一人の人間(ひと)だ。

「ああ。わたしは、止めなくてはならない」
『世界の崩壊を』

 声が重なる。
テオは驚いたようにサカニアの顔を見る。
目に涙が浮かぶのを、サカニアは抑えきれなかった。

「今はまだ、力を蓄える時だ。奴らから隠れ、来たるべき時まで息を潜め続けるんだ」
「来たるべき時?」
「いずれ分かる。君には、心強い味方ができる。それは、神から遣わされた道案内人だ」

 頬に次々と涙が(こぼ)れていく。
驚くテオに、サカニアは泣いたまま微笑む。

「君に役目があるように、実はワタシにも役目があるんだ。預言者って言うんだけどね?」

 テオは俯く。
零れた言葉。きっと口角は上がっているのだろうと予想する。

「……ふふ、心強い預言だ」

 その声は震えていた。
それはきっと、別れの予感に。

「テオ。忘れないで欲しい」

 だからサカニアはテオを抱き締める。
その仮面に頬を寄せ、囁く。

「君の育ての親はメェリャだけれど、ワタシも君のことを、実の娘のように思っている」

 本当に思っている。
心から思っている。
君が成さねばならないことも、それについて止めることができないことだって、ああ。わかっているさ。
 だけど、それでも、言いたくなる。
行かないでいいんだよ。傍にいていいんだよ。
役目なんて、世界なんて放っておいて、人生を穏やかに終えたって、いいじゃないか。
だけど、ああ、言えない。
それは言ってはいけないことだから。
蓋をした言葉。無理やり口角を上げる。

「愛してる、テオ。心から、君を愛してる!」

 辛い時には、いつでも帰ってきていいんだ。なんて。
無責任すぎる言葉。飲み込んだ。

「行ってらっしゃい、テオ」
「……行ってきます! サカニア!」

 テオの背中を見送ってしばらく。
ガランとした静かな玄関に、望まれない騒音。
何年か前にも聞いた、鉄が擦れる争いの音。

「……さて、と」

 武装した人間が、家の周りにいることは窓から見える情報でよく分かる。
サカニアは面倒臭く立ち上がり、玄関から外に出る。

「何か御用で?」

 不機嫌丸出しのサカニア。
神秘的な雰囲気も相まり、彼らは僅かにたじろぐ。
たじろぐ際にも音はして、それはサカニアの心をひどく逆撫でる。

「ワタシの大切な親友と、ワタシの大切なかわいい子供の旅立ちを、邪魔しないでくれるかな?」

 久しく振るうことのなかった杖がサカニアの手に握られている。
森の人(エルフ)とは、森を守る守護者であり、同時に。

 人間など足元にも及ばない、優れた魔法使いでもある。

「人間風情が」

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