復讐の結末
心臓を撃ち抜かれたレンジは、糸が切れたようにバタンと地面に倒れた。
血溜まりが床に広がるのを数秒眺めた後、俺はふと我に返った。
突然の出来事に頭が真っ白になっていたが、冷静さを取り戻したことで、その白がカルミアへの怒りで真っ赤に染まるようなイメージが浮かんだ。
「カルミアーッ!!」
怒りに身を任せ、カルミアに殴り掛かろうと走り出したところで、俺の目の前に天井から鉄格子が降ってきた。
カルミアはその向こうで微笑む。
「その格子は特別製よ。簡単には壊せないわ」
俺はカルミアの言葉を掻き消すように、渾身の力を込めて鉄格子を殴った。
一刻も早く目の前の女を殺さなければならない。
「ふふ。無駄よ。人間の力で破壊することなんて……え?」
同じ位置を5回殴った時、変形した。
「嘘でしょ……」
俺はカルミアを血走った目で睨みながら鉄格子を殴り続けた。
「ここに突っ立ってたら本当に殺されそうね。殺されるにしても、こんなところは嫌だわ。では、ご機嫌よう」
「待てッ!」
カルミアは軽い足取りで部屋から出て行った。
「クソッ! よくもレンジを……」
「……逃げられちまったな?」
弱々しい声が背後から聞こえてきた。
「レンジ! 大丈夫か!?」
ガスマスクを外してやると、レンジは困ったような笑顔を浮かべた。
「流石に、助からねぇだろうな……」
俺はレンジの傷を確認してみた。
……。
言葉を失くした俺を見て、レンジは優しく微笑んだ。
「最期に、頼みがある」
『最期』という言葉の響きが脳を揺らす。
その言葉には、深海のように真っ暗で寂しい絶望感があった。
「……なんだ」
「お前の、本当の名前を教えちゃくれねぇか」
「……ああ」
俺はレンジに本名を教えた。
レンジは嬉しそうに口角を上げた。
「へへ。やっと、教えてくれたな。いい名前じゃねぇか。俺、金色好きだぜ」
「金色でないのもある」
「いいじゃねぇか。見つけたら嬉しいのは金色だろ」
「なんだそれ」
俺たちは小さく笑い合った。
それからレンジは苦しそうに顔を歪めながら言った。
「やっぱり、覚悟もなしに復讐なんてやろうとするもんじゃねぇな。……記憶を取り戻したことで思い出したカルミアへの怒りが先走って、冷静じゃなくなってた。そもそも復讐なんてやっても虚しいだけだって分かってたはずなのにな」
レンジの声は段々と小さくなり、後半はかろうじて聞き取ることができる程度のものになっていた。
「お前の復讐がどういう結末を迎えるのか知ることができなくて残念だよ。俺の復讐は、ここまでだ。……じゃあな。俺はあの世で、ハランにプロポーズしてくる」
レンジはそう言って、いつものように人懐っこい笑顔を浮かべながら息を引き取った。
俺はレンジを看取った後、目元を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
それから落とした銃を拾い、鉄格子を何度も何度も殴り、捻じ曲げ、脱出した。
部屋を出ると、先ほどまでは無かった
梯子の上から、正方形に切り取られた月明りが入ってきている。
屋上へと通じているのだろう。
俺は迷わずその梯子を上った。
屋上には柵などなく、おそらく本来人が立ち入ることを想定していない空間だった。
カルミアはこちらに背を向けて、端の方に立っていた。
「カルミア」
俺が声をかけると、カルミアはくるりと身を翻し、俺の方を向いた。
その顔は少し紅潮しており、さながら想い人に告白しようとしている少女のようだった。
「何故俺を撃たず、レンジだけ撃ったんだ」
俺が訊くと、カルミアは目を逸らし、
「キリンさんと二人っきりになりたかったの。それに、あなたが私に見惚れてたものだから、隙だらけってことを教えてあげたくて」
と言って、魅惑的な微笑みを浮かべた。
「やはりお前は悪魔だ」
「そうかも知れないわね」
銃口を向ける。
「麻酔銃じゃないぞ。実弾だ」
「あらそう? それは困ったわね。でも、そんなに離れていて当てることができるのかしら?」
「……」
俺は銃口を向けたまま、カルミアに近づいた。
そして目の前まで距離を詰めると、カルミアの額に銃を突きつけた。
カルミアは困惑気味に小首を傾げる。
「せっかく銃を持っているのに相手の間合いにまで距離を詰めてしまうのね。キリンさん、こういう世界に向いてないわ」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「……撃たないの?」
「……」
撃てるはずだ。
俺はこいつを殺すために今まで人生を懸けてきたわけだし、こいつはレンジの仇でもある。
それに今殺しておかないと、こいつは今後更なる被害を出し続ける。
俺たちのように復讐に囚われる人間をこれ以上生み出すわけにはいかない。
俺が殺さないと。
撃たないといけないのに……。
引き金が重い。
カルミアは今、屋上の端にいる。
柵もないため、軽く体を押すだけでも殺すことはできる。
それなのに、俺にはそんなことすらできなかった。
「あなたって、本当に私の理想の相手ね。ねぇ、もっと顔をよく見せて」
カルミアは俺のガスマスクを外した。
素顔が夜風に晒され、少し寒い。
「キリンさん、私のこと好きでしょう?」
「馬鹿言うな。お前には殺意しかない」
「ふふ。素直じゃないわね。……私はあなたに恋してる。同様に、あなたも私に恋してる」
「証拠がない」
俺がそう答えると、カルミアは俺の頬に手を添えた。
俺は力が抜け、銃を突きつけた手を下ろした。
カルミアは俺の唇に、そっと口づけしてきた。
「ほら、これで満足? 私は満足よ。幸せ。……ねぇ、知ってる? あなたって私の運命の人なの」
それからカルミアは銃を持った俺の手を取り、持ち上げ、自分の胸に銃口を突きつけさせた。
俺は再び引き金に指をかけたが、やはり引き金は重く、撃つことができない。
その時、震える俺の右手をカルミアが両手で包み込んだ。
「さようなら、キリンさん」
カルミアは引き金にかけた俺の指を押した。
屋上に銃声が響き渡り、カルミアは吸い込まれるように背後に倒れていく。
視界から消える最後の最後まで、カルミアは微笑んでいた。
……。
しばらく呆然と佇んだ。
それから俺は思い出したように、自分の唇を指で軽くなぞった。
「……さようなら、カルミアさん」
こうして俺のカルミアに対する復讐と恋の物語は幕を閉じた。