1-5-3
聖女にお願いという名の無茶振りをされた日から、二日。
トトは、依頼を受けていた葬式のセッティングをしていた。
「花はそっち! 灯りはもう少し右に!」
大声を張り上げ、何人かの従業員を取りまとめていく。
厳格な式とするために、飾りも土台も、僅かなズレすら許されない。
「工房長! 土台の設置完了しました!」
「ちゃんと台は固定しているかい? 故人が乗る、大切な台だ。こっちの不手際で故人を床に落とすことなんて、あっちゃいけないよ!」
「すみません工房長! もう一度確認してきていいですか!」
「行ってきな!」
舞台設置もそろそろ終わりだ。
一仕事を無事に終えることができそうで、トトはホッと息を吐く。
「棺、入ります!」
「慌てるんじゃないよ! この世の何よりも丁重にお迎えしな!」
「はい!」
棺に入れられて運ばれてきた故人。
トトが、今までよく見てきた故人と同じく、白い旅立ち衣装に身を包み、真っ白な百合の花に埋もれる高齢の女性は、安らかな寝顔を浮かべてそこにいた。
(今まで、
故人の死に顔は、どんな人生を送ってきたのかとか、どんな最期を迎えたのかとか、そんなことを雄弁に語ってくれる。
棺は無事に台に設置され、傾きやズレ、固定ができているかどうかの最終確認をして、舞台の設置が完了した。
トトは安堵に顔が綻ぶ。
従業員たちも、各々舞台に影響がない範囲で座り込んだり、肩の力を抜いている。
「みんな、お疲れ様! あとは片付けって大仕事も残っているけど、しばらく休憩していていいよ」
気の抜けた返事が返って来る中、トトはもう一度、故人の顔を確認しに行く。
本当に安らかに眠っている。
それ以外は、いつも通り完璧な仕事。
棺の中の花の量も、個人の位置も、寸分の狂いもない。
だからこそ、トトは違和感に気が付いてしまった。
「……ちょっと! この本入れたの誰だい?!」
故人の頭の側に、寄り添うように置かれた古い本。
もしかしたら、この故人は生前、本が大好きな人だったのかもしれない。
だから、気を利かせて入れたのだろうということも察しが付く。
だがそれは、宗教の規定違反だ。
棺の中には、決められた色の花と、故人以外は入れてはいけないことになっている。
余計なものを持たずに、神の元へ帰らなくてはならないので。
従業員たちが困惑した雰囲気でだんまりを決め込む中、会場の中に男性の声が響く。
「それはわたしが入れました」
遺族だ。
確か、故人の息子と聞いている。
何か問題でも? と聞き返す彼に、トトの眉根が寄る。
「困ります。依頼を受けたのは、宗教の教義に則った葬式でしたよね? 棺の中には、決められたもの以外何も入れてはいけないことになっているんです」
「どうして! この本は、祖母が大切にしていたものなんです! 神へと至る道中に、供として付けることの、何が悪いと言うのですか!」
両肩を掴まれ、激しく揺さぶられる。
従業員の一人が、彼を全身で抑えつけ宥める。
「教義には、葬式の際は生まれたときと同じく、何も余計なものを持たず神の元へ帰るようにと!」
「この本は思い出です! 思い出は、余計なものなんですか?! 神は、人としての生で生まれた思い出も何もかも、否定するような存在なのですか!?」
「落ち着いてください、お客様! 工房長、ここはボクがやりますので! その本をこちらに!」
式前に一悶着を起こしてしまったトトは、式場から追い出された。
呆然とする。
すべてを否定された心地すらした。
結局、トトが式場に戻れたのは、式が終わったあと。
片付けを行うために呼び戻された式場には、遺族の姿も、故人の姿もなくなっていた。
事の顛末を聞けば、本は棺に入れて、故人を送り出したという。
遺族は、一悶着はあったものの、故人の思い出の品を共に送り出せたことに安堵していたという。
(……初めて、教義に背いた舞台にしてしまった)
深い深いため息を吐く、片付け終わりの教会前。
トトは複雑な気持ちを胸に、黄昏ていた。
「……アタシが、間違っていたのかねぇ」
「あら、随分
ポツリと呟くと、二日前に聞いたことのある声が聞こえる。
そこには、以前とは違う、青色のドレスを纏った聖女が。
ティロ鳥の羽をふんだんに使った扇を口元に当て、今にも高笑いをしそうな雰囲気で、彼女はトトを見下ろしている。
トトは彼女をジトッとした目で見上げる。
口から飛び出すのは、嫌味にも取れる声音。
「……ティロ鳥は、贅沢の象徴。清貧を重んじる教義にそぐわない。そもそも、葬式に殺生を連想させる装いは教義違反。聖女様ともあられる方が、何をしているのですか」
「あら、いいじゃない。わたくしは別に気にしなくてよ?」
「貴女が気にせずとも! 宗教にはそうあるのです! 宗教とは人の根幹! 貴女は人の生きる意味を冒涜している!」
「それよ。わたくし、ずっと気になっていたの」
聖女は閉じた扇でトトを指す。
本当に疑問に思っていますと言いたげに、小首を傾げて問いかける。
「どうして古きに
「は? 宗教というものは、神が……」
「神は、試練を与えこそすれ、人がずっと苦しんでいてもいいと思っているような存在ですの?」
心底疑問。
そう言いたげに、聖女はトトから視線を外す。
「人がそれを信じることで生きやすくなるはずの宗教で、苦しくなっている人がいる。それならば、今の時代にはその教義は合っていないのよ」
「……時代に合っていない」
「時代によって、生きやすさというものは変わるもの。わたくし、宗教に縛られて生きづらくなっている人を見るのは、好きではないの」
聖女は憂いをその顔に浮かべ、扇で顔を隠す。
「それでも、頑張って宗教を守っているこの国の人は、わたくし素敵だと思うわ」
本音か嘘か。
謀略に長けていないトトが見抜くのは、些か難しかった。
それでも、トトに分かるのは、この聖女と呼ばれる彼女は、自身の気持ちに正直に生きているということ。
「でも、貴女には残念なことだけど、今の時代は宗教よりも息抜きよ」
聖女は微笑む。
太陽光に照らされて、白銀の髪がギラギラ眩しい。
ねぇ。
彼女は問いかける。
「わたくしのパレード、彩ってくださる?」
トトは俯く。
もう、何もかも違うことを、突きつけられた気分だ。
(ああ、完敗だよ)
小さく自身を嘲笑したその口で、聖女に了承の返事をする。
「
もう長いこと離れていた祖国の言葉を話すのは、トトなりの反抗。
それから、この国の神への言い訳。
別の国の人間だから、教義に背くことをお赦しくださいと、そんな気持ちで。
トトの悲痛な気持ちを打ち砕くのは、聖女の弾んだ声。
聖女はキラキラと、両手を合わせてトトを見ている。
「まあ! 貴女、リガルドの出身でしたの!」
トトの祖国の名が聖女の口から飛び出してきた。
ポカンとしているトトに、聖女は衝撃的なことを口にする。
「わたくしもリガルドの出なのですわ。リガルドの姫ですの」
王族という噂、あれは間違いなかった。
聖女はニッコリと笑み、扇で再び顔を隠す。
「よろしくてよ。わたくしの名前を覚えることを赦しますわ」
聖女は、扇の内側から、高らかにその名を告げる。
「わたくしの名前は、テオドーラ。リガルド王国、国王の娘にして、第一王女でもある、テオドーラですわ」
トトは馬鹿馬鹿しく思えてきた。
自分の決意も、それを捨てた覚悟も、目の前の聖女には何も関係がないのだから。
「……王族ってのは、随分派手な暮らしをしているんだねぇ」
「あら、それが許されるのがわたくしですのよ?」
思わず零れた愚痴は、不敬として首が体と離れてもおかしくない発言。
しかし聖女は、胸を張り、何もおかしいことなど無いと言い放つ。
「だってわたくし」
その微笑みは、子供のように無邪気であったと、トトの記憶に刻まれる。
彼女の唇からこぼれる単語は、当たり前の常識を語っていた。
「聖女だもの」