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1-2-5

 痺れる。
空気を伝って、肌がビリビリと。

 知らず、口角を上げていた。
粘着質な笑みは消え去った。
今はただ、喜びを。

「悪いが」

 時間稼ぎは成った。

 一言紡がれた言葉に、首を傾げるゴルド。
ずっとデッキブラシで対応していた以外、なにも行動しているようには見えなかった。
一体、彼はなにを待っていたというのか。

 その疑問の答えは、すぐに出た。
足元が光る。
甲板に、不規則な文様が浮かび上がる。

(あ、これ)

 テオとゴルドが甲板中を走り回った跡。
水に濡れた足跡(・・・・・・・)が、歪んだ円となって浮かび上がってきた。

「……魔法陣、ってやつ?」
「そのとおりだ」

 あちこちに走り回って、途切れているし、歪みに歪んで、きれいな円形じゃない。

(おかしいな、昔見た本の中の魔法陣、もっときれいな丸だったのに)

 こんなに歪でも使えるものなんだ、魔法陣って。
そんなことをぼんやりと考えるゴルド、その目の前。
 さっきまで、綺麗な海の青色に光っていた魔法陣が、危なげに明滅する。

(ん?)

 青、赤、青、赤と明滅、点滅、変化を繰り返す魔法陣。
気のせいか、テオの仮面が、冷や汗をかいている幻覚が見える。

「本当に、申し訳ないが」

 甲高く、ともすれば本能が危険を察するビーッ! ビーッ! と鳴る音が、甲板、果ては海の上でやかましく響く。

「魔法陣って、実力以上の魔法を発動できるが、本来は精密なもので」

 冷や汗の幻覚が増えてきた。
いやあれ本当に浮かんでいるんじゃないか? 冷や汗。

「今回は所々歪んだりしていて、形も悪い」

 言い訳をする様は、まるで悪戯がバレた小さな子供のよう。

「本当は形ができていないとまともに発動しないものに、無理やり膨大な魔力を流して動かそうとしているもんだから」

 さっきまで殺気立ってデッキブラシを振り回していた男が、目を背けて言い訳をしている。
仮面越しでも分かるくらいに。なんて分かりやすい態度を取るのだ、この仮面男。

「……暴発、しやすいんだ」

 ――嫌な予感がする。
ものすっごく、嫌な予感がする。

「――船。半壊で済んだらいいな」
「ふ……」

 どこか祈りにも似た諦観の言葉に、ゴルドは力の限り叫ぶ。

「ふざけんなあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 まるで、その叫びが引き金となったように。
魔法陣は真っ赤に染まり、眩しいほど煌々と辺りを照らす。

(ああ)

 こんなに歪なのに。
こんなに危険が迫っているのに。

(なんて、綺麗)

 その時、その瞬間、今。
船の周りにある海水が、切り取られたようにごっそりと空へ浮かぶ。

 一人に対する戦力としては、あまりに過大。
見て分かるほどに強大なその力を前に、ゴルドは最後のあがきとばかり、サーベルを目の前に突き出す。

「……そのサーベルの弱点は、サーベルが触れた周辺しか魔法を解除できないこと」

 テオが訥々と語る。

「圧倒的な質量の前には、実は無力なんだ」

 迫りくる水の塊を切り裂く。
切り裂く、切り裂く、切り裂く。
切り裂いて、生まれて、飲み込まれ、また切り裂く。

(こんなの、無理だろ)

 とうとう、切り裂くこともできなくなった。
違う。
切り裂く前に、生まれてしまう。
空から降る、小さな海が。

「とは言っても、ここまで多くの魔力を使うような魔法使いは、きっとそうそういないだろうが」

 わたしも、親の友達しか知らない。

 テオの呟きを最後に、ゴルドは飲み込まれる。
隠れていた生き残りの船員も、甲板の板も、その下の荷物や家具も。
全部まとめて、海に持ち上げられる。
そこまで見届けたゴルドは、大きく水を飲んでしまう。
そこで彼の意識は途絶えた。





「……これで僕の話は終わり。文句ないよね?」

 次にゴルドが目を覚ましたのは、石床の監獄の中だった。
どうやらあの後、あの船は無事に陸に戻ったらしい。
生き残りの船員たちは、全員ここの檻の中に入ったようだ。
 調書を取るために連れてこられた部屋は、石壁で仕切られていて、手も出せないほど小さな穴から音声のやり取りをしている。
とは言っても、こちら側も、もしかしたらあちら側にも見張りの看守はいて、睨みを利かせているものだから、見えなくとも悪さはできない。

「ああ。ひとつ、もう一回聞きたい。本当に、船で戦闘を繰り広げた旅人の名前を知らないのか(・・・・・・・・・・・・)?」
「知るわけないじゃん。殺すつもりのやつに、名前なんて聞いてどうするんだよ」
「いや……。本当であれば懸賞金を与える対象なんだが、どういうわけかどこにもいないんだ。宿屋に監獄宛ての置き手紙があったくらいだ」
「へえ。縛られるのが嫌だったんじゃない? それか信用されてないんじゃないの、あんたら」

 口を(つつし)めと注意されても(つぐ)むわけがない。

 ゴルドはテオの名を知らないことにした(・・・・・・・・・)
ちょっとした嫌がらせ。それから、万が一にもテオの邪魔をされることが、嫌だと思ったから。

(何をするつもりか知らないけどさ)

 彼なら。テオなら、愉快なことをしてくれそうな気配がした。
何となくの勘。世界を少しだけ愉快にしてくれそうな、あまり実りのない賭け。

「監獄宛てって、何言ってたんだ?」
「……知らせる義務はない。と、言いたいところだが」

 石の穴から紙が出てくる。
薄っぺらい封筒。宛先は監獄、ゴルドの名。

「お前宛だ」

 封筒を破る。
時間がなかったのだろう、走り書きのような文字が一枚の紙に。

 読み終わり、思わず笑いだしてしまう。
怪訝な顔をする、こちら側の看守に手紙とも呼べない紙を手渡す。

「僕、あと数年の命だってさ」

 中身を読んだ看守の顔色が変わる。
何事かを伝達し、バタバタと忙しなく動き回る気配がする。

「あーあ」

 ゴルドは天井を見上げて、(ひと)()ちる。

「あいつの(ツラ)、拝んでおきたかったなぁ」

 ――余計なお世話かもしれないが、お前が使った禁制品のことを教えておこうと思う。
あれは、魔力を分解、あるいは吸い取り、魔法の構築を崩す魔導具だ。
分解するためのエネルギーは、使用者の命。
使う度に生命力が減っていく代物だ。
見た限り、お前はあと数年生きられれば良い方だろう。
運が悪かったな。
だが、そんなものが出回っている方が実は問題なんだ。
あれは、貴族や王家と言った権力者たちが保有しているもので、それは世の中に出回らせないためでもある。
保管するという責任があるんだ。
それが流出しているということは、何かしらの異変が起きているのかもしれない。
わたしはその原因を探り、出回った禁制品の回収を行っていく。
ここにはしばらく戻ることができないだろう。
だから、言っておく。
久しぶりに楽しいやり取りだった。
運よく会えたら、まあ。

 また、来世にでも。

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