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据えた臭いが鼻につく。
薄らぼんやりとした意識の中でアネッサが思うのは、そんなこと。
船に揺られているかのように、ふわふわと意識が浮かんでは、戻ろうと抵抗をする。
ズキリと痛みが頭の奥底を突き刺す。
思い出した。
アネッサは勢いよく飛び起きる。
途端、耐えきれないほどの頭の痛みと、立ち眩みのような目眩が彼女を襲う。
「ーーっ!!!」
悲鳴がこぼれる。
音の無い悲鳴が。
ぐわん、ぐわん。
彼女を襲う体調の不良。その波。
蹲り、その苦痛をなんとか逃そうと、ただ耐える。
据えた臭い、頭痛、目眩。
どのくらいの時間が経ったのだろう。
ようやく、多少はマシくらいにまで症状が治まった彼女は、きつく瞑っていた目を開ける。
頭の痛みは相も変わらず残るが、それでも慣れた分、マシにはなった。
……だが、そのマシになった頭が、違う意味で痛みそうな光景が、彼女の手元に見える。
「なに、これ」
手首を無骨に拘束する、鉄錆色の二つの輪。
それから伸びるのは、重いばかりで可愛さのかけらもない、鉄の鎖。
足元に視線を動かせば、足首にも同じ仕掛けが二つ。両足首も拘束されている。
床は虫食いのようにボロの板床。
壁も同じ材質のその部屋は、人が五人横になれるかなれないかくらいの広さしかなく、薄ら暗い。
灯りは一つだけ。ほんの小さなろうそくが一つ。
それが消えた瞬間、この部屋はあっという間に暗闇に呑まれるだろう。
「あ、起きた?」
アネッサはビクリと体を震わせる。
一人しかいないと思っていた部屋から、突然人の声が聞こえたから。
「あ、あんた、だれ?」
なんとか虚勢を張って、気丈に振る舞ってみせるが、彼女の声は震えている。
アネッサは、ろうそくの下に立った、小柄な子どもの姿を見る。
「あっ、あんた……!」
「宿屋、お姉さん。こんにちは」
その子どもは、彼女が色をかけようとした、旅人と共にいた子ども。
彼女は、恐怖と緊張にうろたえるアネッサとは対照的に、ただ落ち着き払っている。
見事な黒い髪は、薄ら暗い部屋の中でもハッキリとその姿を現せるほどに輝き、その黒い瞳は僅かな恐怖すら宿していない。
ただ、その口元が、緊張に引き結ばれているだけで。
「ちょっと、あんた何でこんなところにいるのよ。ってか、ここどこなの?」
「ここは海賊船の中。この部屋は商品部屋さ」
聞き馴染みのある声が、子どもの背後、アネッサの正面から聞こえる。
「オリバー!」
「や、お目覚めかい? ワガママなおひめさま?」
そこには、意識を失う直前まで共にいた、オリバーが扉を開いて手を振っていた。
「ね、ねえ。どういうこと? あたし、あんたとデートしてて、それで」
「夢見がちなお姫様は、見事海賊に商品にされてしまいましたとさ。簡単な話だろ?」
コツ、と靴を鳴らして近付いてくるオリバー。
いつもと同じ笑顔のはずなのに、底知れぬ恐怖を煽る。
アネッサは、僅かに残った空間へ、背を預けるように後退する。
「商品って、あんた、人身売買は犯罪、でしょ!」
「残念でしたー。海賊は犯罪者の集まり、そんな言葉が効くほど、ピュアな奴らはいないんだよ?」
オリバーはアネッサの顎を掴み、僅かに残った灯りをもとに、その顔をまじまじと舐め回すように見る。
しかしそれは、男女間の色事のような艶はなく、あえて言うならば、仕留めた獲物が、商品価値を損なうほど傷付いていないかを確認する、漁師の目。
「ああ! よかった! 傷はそんなに目立たないみたいだし、売る頃にはある程度消えるくらいだね!」
確認し終えた彼は、アネッサを乱暴に突き放し、黒髪の子どもへ目を向ける。
「こっちの彼女は、うん。結構従順に連れてこれたし、価値の確認はしなくていっかな!」
普段のように明るい調子で、けれど人でなしな言葉を吐く彼は、再びアネッサへ向き直る。
「ねえ、君。その顔で生まれたこと、親に感謝したほうがいいね。おかげで、うまく売り込むことができれば、他所の国の貴族の愛妾にでも囲ってもらえるかもね」
「ゲス野郎……っ!」
アネッサは近付いてきた、最早嫌悪しか抱けないその顔に唾を吐きかける。
オリバーは、吐きかけられた唾を拭う。
瞬間。
「ゔっぐ、おぇっ!」
最早後がないほど迫った壁に、背中を強かに打ち付ける衝撃。
それ以上に、腹の形が歪むほどに与えられた衝撃のほうが、より痛く、苦しいとアネッサはぼんやりと思う。
「お転婆がすぎるよー? もう、止めてよね。僕だってできるだけ商品に傷は付けたくないんだから……」
胃の内容物が床にぶち撒けられ、据えた臭いの中に独特な酸っぱい臭いが混ざり合い、最悪な空間ができあがる。
それでも尚止まらない吐き気に体を折るアネッサのことを、まるで路端の石を見るかのように興味も示さず、オリバーはパッパッと服を払う。
「ま、あと数分もすれば海の上だ。逃げることなんてできないんだから、大人しくしてるのがいいよ。痛い思いをしたくなければ、ね?」
オリバーは入ってきた扉から再び出ていく。
去り際、馬鹿にしたように手を振って。