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五日目④ 試験続行不可能

「せっかくキミが忠告してくれたのに。ボクはきちんと、キミの忠告を聞き入れるべきだった」
「……」

 考えれば分かる事だった。
 あのタイミングで、タロの口からその事実を伝えてはならない、と。

 もともとタロは、太郎に告白させるためにパラレルワールドからやって来たのだ。
 太郎と妃奈子を恋仲にする……それが、魔法学校から出された課題だったのだから。

 追試に合格し、三年生に進級するべく、タロは色々と作戦を練っては、太郎に無理矢理告白させようとしていたんじゃないか。

 学校にまで付いて行ったり。
 樹を巻き込んだり。
 無理難題な作戦を提案しては却下されたり。
 妃奈子を連れて、遊園地にまで行ったりもしただろう。

 そんなタロに、「妃奈子も太郎が好きなんだ」と言われて、一体誰が信じると言うのだろうか。
 そんなの、誰も信じるわけがないじゃないか。
 嘘を吐いてその気にさせて、無理矢理告白させようとしているんだな、と思われるのが普通だろうに。

 その上、太郎は妃奈子を泣かせる事になってしまった原因が分からなくて、丁度精神的にも参っている時だったのだ。

 そんな状況である太郎に、タロがそんな事を言ったら、そりゃ辛くて、苦しくて、悲しくなるだろう。

 太郎が怒って、当然であった。

「しかしボクは、本当にタローの事を思ってやったのだ」
「うん、そうだね」
「本当に、追試の事よりも、タローの笑顔を望んでいたのだ」
「うん、知っているよ」
「これでみんなが幸せになれると思ったのだ。だから伝えたのだ」
「うん」

 もちろん、目的は追試試験に合格するためではあった。
 でもそんな事よりも、太郎が喜んでくれる事を考えていた。
 真実を知った太郎が、自分の勘違いのせいで妃奈子を泣かせてしまった事を理解し、彼女にそれを謝罪してから改めて自分の想いを伝える。
 それで全てが丸く収まると思っていた。
 それで太郎も妃奈子も笑顔になれる。
 そう思っていた。

 その言葉に嘘も偽りもない。

 だけど。

「それは間違いであった。例え真実であろうともボクの言葉は、タローを深く傷付けてしまったのだ」

 決してそんなつもりはなかった。
 でもその結果が事実。
 現実は思った通りにはいかなかった。

「現実を甘く見すぎていた。深く考えもせず、行動してしまった。全てボクの責任だ」

 太郎の家を出て来たタロは、再び樹の家に訪れていた。

 雨に濡れて帰って来たタロを優しく迎え入れてくれた樹は、彼を風呂に入れ、再びキッチンに招き、温かい飲み物まで用意してくれたのだ。

「隊長は、こうなる事が分かっていたから、ボクにこの事を黙っていてくれたんだな」

 妃奈子が太郎を好きだと言う事実を話せば、タロはその性格上、きっとその話を太郎に伝えるだろう。
 しかしタロがそれを話したところで、太郎はきっとその話を信じない。
 そればかりか、質の悪い嘘だと思って、怒ってしまうかもしれない。

 だから樹は敢えて黙っていたのだ。
 黙っていた方が、タロの試験が成功し、二人が恋仲となる確率が高かったのだから。

 まあ、タロではなくて、樹が伝えていたのだとすれば、それはもちろん違う結果になっていたのかもしれないが。

「すまない、隊長。せっかくキミが忠告してくれたのに。それなのにボクは、それを活かす事が出来なかった。本当に申し訳ない」
「謝る事じゃないと思うわ。それに、悔いる必要もない。だってタロちゃんが良いと思ってやった事なんだもの。この失敗は、その結果でしかないのだから」

 テスト勉強だって同じ事だ。
 一生懸命やったところで、必ずしも良い結果が出せるとは限らない。
 良いと思ってやった勉強法でも、こう言うやり方の方が良かった、もっとこうすれば良かったと、反省点が出て来る事だってあるのだから。

 けれどもその結果を、いつまでも悔やんでいるわけにはいかない。
 今回の失敗だって、きっとそれと同じなのだ。
 何故失敗したのかを反省し、それを次に繋げる。

 それで、良いのではないだろうか。

「隊長は、怒っていないのか?」

 タロの話を、ずっと黙って聞いていてくれた樹。

 彼は彼女の忠告を聞かず、勝手に行動して、勝手に太郎を怒らせてしまったのだ。

 せっかく忠告してやったのに! と怒鳴られたって、おかしくない事をしてしまったのに。

 それなのに樹は、優しくタロを迎え入れてくれたのである。

「怒るわけないじゃない。だってこれは、タロちゃんが決めた事だもの。私が怒る事じゃないわ」

 その上、タロが悪いと咎める事もなく、黙って話を聞いて、柔らかい笑みまで向けてくれたのだ。

 樹だって、太郎と妃奈子が結ばれる事を望んでいると言うのに。
 しかもタロが失敗したせいで、二人の状況が悪化してしまったと言うのに。

「恩に着る。ありがとう、イツキ隊長」

 だから自分の失態を自分で責めていたタロは、樹の笑顔に大分救われたような気がした。

「うん、後悔しても仕方がないものね。よし、次の作戦を考えましょうか! まずは喧嘩してしまった二人を、どうやって仲直りさせるか、からね!」
「いや、それはもうキミに任せるよ」
「……え?」

 反省会はこれで終了。
 ここから先は、どうやって二人を仲直りさせるか、から考えよう。

 しかし、そう明るく切り替えた樹に、タロはフルフルと首を左右に振った。

「タロちゃん?」

 お調子者で、自信家で勝気な少年。
 樹が何かを提案すれば、必ずそれに乗ってくれたし、彼のそのポジティブな性格のおかげで、彼との会話はとても楽しかった。

 お節介でウザいとも言えるが、積極的で明るい性格のタロ。

 しかしそんな彼が今、初めて消極的な言葉を発した。

 それも、その表情に悲しそうな笑みを浮かべながら。

「ところで隊長。ヒナコはどうしているのだ? キミは昨日、彼女の様子を見に行ったのだろう?」
「え? あ、うん、そうね、やっぱり落ち込んでいたわ。少し話をしたんだけど、一人にして欲しいって言われちゃって……。あ、でも太郎ちゃんが、妃奈子ちゃんと土田君が付き合っているって勘違いしているって事を伝えれば、彼女の誤解は解けると思う」

 現に、妃奈子と土田の噂は広まっているようだし、それを聞いた太郎が勘違いしていると伝えれば、きっと妃奈子も分かってくれるだろう。

 消極的なタロの反応が気になった樹であったが、太郎と妃奈子の仲が修復可能である事を伝えれば、タロはホッとしたような安堵の笑みを浮かべた。

「そうか……。では、恋仲にはなれずとも、タローとヒナコは元の関係に戻れるのだな。最後に忘却魔法を使う事にならなくて、安心したぞ」
「え、最後……?」

 最後とはどう言う意味なのだろう。
 試験開始から今日で五日目。
 だから終了まで、今日を含めてあと三日あるハズなのだ。

 それなのに『最後』とは、一体どうして……?

「これで思い残す事は何もない。ボクはパラレルワールドに帰る」
「えっ、えええっ!?」

 その言葉に、樹は驚いて目を見開いた。

「か、帰るって……一旦帰って、ちょっと休んだら、また来るって事……?」

 いや、そうじゃない。
 そう言う意味じゃないって事は、樹も知っていた。

 それでも、彼のその消極的な決断を信じる事が出来なくて。

 だから樹は敢えて聞いたのだ。

 また戻って来るんでしょ、と……。

「いや、そうじゃない。帰って魔法学校に伝えて来る。追試試験は中止にして欲しい、と」

 しかしタロが下した決断は、思った通りの消極的な決断。
 試験中止と言う、諦めの姿勢。

「試験の中止は、いつでも出来たのだよ。ボクが担任に頼めばすぐに……」
「そ、そうじゃなくって!」

 ガタン、と勢いよく椅子から立ち上がると、樹はその驚愕の視線をタロへと向けた。

「どうして中止にする必要があるの!? だって、まだあと三日もあるのよ!? 三日もあれば何とでも……」
「無理だな」

 しかし、そうハッキリと口にする事で樹の言葉を遮ると、タロはフルフルと首を左右に振った。

「タローとヒナコの仲を修復するのは可能だとしても、ボクはタローに嫌われてしまったのだ。嫌われてしまったボクが何をやったところで、それは無駄な話だ。タローとて、こんなボクを傍に置くのは御免被るだろうからな」
「で、でも太郎ちゃんだって、謝れば許して……」
「それに、タローは消極的すぎる。ただでさえ消極的なタローなのだ。そんな彼に嫌われてしまったボクが何をしたところで、彼は前に進もうとはしないだろう」

 ボクだって、嫌いなヤツの言う事なんか聞きたくもないしな、とタロは自嘲した。

「でも、タロちゃん。諦めるなんて、あなたらしく……」
「良いのだ、隊長。この結果を招いたのは、紛れもなくボクだ。だから全てはボクの責任、悪いのも全てボク。自分で起こした失態は、自分で責任を取らねばならん。時には諦める事も必要なのだ」

 だからもう一度二年生をやるよ、とタロは付け加えた。

「隊長にも世話になった。色々と良くしてくれてありがとう。感謝する」
「で、でも、本当に良いの!? 私、また協力するわよ! 太郎ちゃんと妃奈子ちゃんの事だけじゃなくって、太郎ちゃんとタロちゃんが仲直り出来るようにも!」
「いや、もう良いのだ。最後の最後まで、本当にありがとう」
「タロちゃん……」

 彼はとてもポジティブな性格だ。
 その上、自信家であり、楽天家。マイペースで自由人。
 しかしそんな彼だからこそ、諦めるなんて選択はしないハズなのだ。
 きっと何とかなる、まだ時間もあるし大丈夫だろう、と考えるのが、タロなのだ。

 だからよっぽどの事がない限り、彼が諦める事はなかったハズなのだ。

 それなのに今回、彼は諦めると言う選択を取ってしまった。
 勢いで決めたわけではなく、彼なりにちゃんと考えて決めた選択なのだろう。
 だからこそ、彼の決意は固く揺るがない。

 それ故に、樹がここで何を言ったところで、きっとその選択は覆らないのだろう。

「そっか……。じゃあせめて、太郎ちゃんにちゃんとお別れを言って来たら? 喧嘩したまま帰るって言うのも、後味が悪いでしょ?」
「確かにそうなのだが……。しかし、すまない。タローには少々会いにくくてな。それに、こんな気持ちでタローに別れの言葉など言いたくはない。これはボクの我が儘だが、タローとは会わずに別れたいと思う。スッキリしない気持ちでのモヤッとした別れとなるのなら、ボクは会わずに帰りたいと思う」

 それならば、せめて太郎に別れの言葉だけでも交わして来るようにと勧めた樹であったが、タロはそれさえも首を横に振って拒否した。
 
 どうやらこれも決意は固いらしく、説得したところで無駄なようだ。

「そう……。うん、悲しいけど、タロちゃんがそう決めたのなら仕方がないね。こちらこそ、色々とありがとう。タロちゃんが来てくれて、とても楽しかったよ」

 そう覚った樹が大人しく別れの言葉を告げれば、タロもまた、寂しそうな笑みで彼女に応える。

 しかし、

「だが……」

 不意に、タロがその表情を曇らせた。

「どうしたの?」

 一体どうしたのだろうか。

 そう思った樹が、訝しげに眉を顰めれば、タロはしゅんと俯きながら、ポツリと悲しそうに言葉を落とした。

「一つだけ、心残りがあるのだ」
「え?」

 心残り。
 やはりそれは、太郎と喧嘩したまま別れる事が嫌なのだろうか。
 それともやはり、太郎と妃奈子の事が心配なのだろうか。

 それとも……。

「心残りって何?」
「う、それは……」

 その内容が聞きたいと、首を傾げる樹に、タロは俯いたまま黙り込んでしまう。

 一体何なのだろう?
 そんなに言いにくい事なのだろうか?

 首を傾げたままタロを見つめていた樹であったが、しばらくして、タロはチョイチョイと人差し指を動かす事によって、彼女を呼び寄せた。

「?」

 わけが分からない樹であったが、とりあえずタロの傍まで来て屈んでやれば、彼は彼女の耳元に、自身の唇を寄せた。

 そして、

「わ、笑うでないぞ!」
「笑わないわよ」
「じ、実はボクには、どうしても進級したい理由があってな。それが……」

 そして彼が、ヒソヒソと彼女にその理由を耳打ちした瞬間であった。

「うん、うん……? うん? え、何? え、ちょっと、待って。え? え、ええええええええ!!?」

 外の雨音にも負けないくらいの、驚愕の叫び声。

 その声は寝ていた犬五郎が、何事かと驚いて飛び起きる程の大音量であった。












 また、カッとなってしまった。
 せっかく戻って来てくれたタロに、酷い事を言ってしまった。

 言い方なんて、他にいくらでもあったハズなのに。
 それなのにとても酷い言葉を選んで、それを使って、彼を傷付けてしまった。

 今頃、タロはどこで何をしているのだろう。
 どこかで雨に濡れて蹲っているのだろうか。
 それともまた樹の家で厄介になっているのだろうか。

 どちらにせよ、こんな雨の中、外に追い出すなんて、自分は何て酷いヤツなんだろうか。

「タロ、帰って来ないな……」

 時刻は既に、夜の九時を回った頃。

 電気の消えた暗い居間の隅で、太郎は三角座りでタロの帰りを待っていた。

 テーブルの上には、とっくに冷めた、二人分の夕食が準備されている。

 本日のメニューは、インスタントの味噌汁と、何故かグチャグチャに柔らかくなってしまった白米、冷蔵庫に入っていた梅干し。
 言うまでもない事だが、今日は妃奈子が来なかったので、おかずはない。

 こんな夕食をタロが見たら、彼は何と言うだろう。

 自分の事など棚に上げ、「何だキミは! 料理もまともに出来ないのか!」と文句を言うのだろう。

 そうしたら自分は、「お茶もロクに淹れられないクセに、偉そうな事言わないでよ」とでも言い返してやろう。

 そうすればタロは大人しくご飯を食べて、「あ、美味しいですね。この梅干しはどこで買われたのですか? スーパーのチョイスが素晴らしいですね」とでも言うのだろう。

 例えおかずがなくっても、二人で食べれば美味しかったかもしれない。

「どこまで行っちゃったんだろう……」

 けれども太郎は知っていた。
 きっとタロはもう帰って来ない事を。

 あそこまで酷い言い方で彼を追い出したのだ。

 例え原因が彼にあったとしても、あそこまで言う事はなかった。

 あんなに酷い事を言われて、帰って来るヤツなんかきっといない。

 だって自分が彼だったとしても、あんな言われ方をしたら、怒って出て行って、絶対に帰ってなんかやらないのだから。

「まだかな、タロ……」

 それでもこうでもしないと、太郎は気がおかしくなりそうだったのだ。

 夕ご飯を用意して、タロを待っているフリでもしていないと、罪悪感や悲しみから、心が押し潰されそうだったのだ。

「早く帰って来ないかな……?」

 だから太郎はこうして待ち続けている。

 暗い感情に押し潰されないように、帰って来るハズのない、彼の帰りを……。

「遅いな、タロ……」

 帰って来たら、まずは謝ろう。
 傷付けてごめん、酷い事を言ってごめん、と。

 彼は許してくれるだろうか。
 もし許してくれたのなら、二人でご飯を食べよう。
 おかずがない事に、タロはギャンギャンと騒ぐだろうけど、それでも別に構わない。

 そんな彼の騒々しさも、今ならきっと楽しく思えるハズなのだから。

「タロ……」

 呟かれたその呼び声は、誰の耳にも入る事なく、虚空に消える。

 ザーザーと屋根を叩く雨の音だけが、彼の耳に入る。

 ああ、何て煩い音なんだろう。
 これならタロの喧しい声の方が、何億倍もマシだったな。

「早く帰って来てよ、タロ」

 待てども暮らせども、帰って来ない待ち人。

 結局その日、彼が帰って来る事はなかった。





 ――雨はまだ、止みそうにはない。

しおり