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カルミア2

 俺たちは四階まで配管を伝って登り、そこから窓を割って中に入った。

三階から中に入ることもできたが、敵がすぐに駆けつけてくることを危惧して念のため四階まで登ったのだ。

敵の姿はない。
窓を割った音に反応して駆けつけてくる気配もなさそうだ。
敵勢力は現在二階に集中しているのだろう。

レンジは周囲の安全を確認すると
「誰もいねぇ。好都合だな。ここのボスなわけだし、カルミアは多分最上階だ。行くぞカブト」
と言い、先行して階段を駆け上がり始めた。
俺もそれに続く。

途中、数人の敵と鉢合わせたが、レンジの反応速度が凄まじかった。

俺もいつもの武器に加えて一応銃を持ってきていたのだが、いずれの敵もこちらを認識する前にレンジに撃たれていたので使う機会がなかった。


 問題なく足を進め、俺たちは九階に辿り着いた。
カルミアは、ここの一つ上の階にいるだろう。
もうすぐだ。

俺とレンジは一度立ち止まり、呼吸を整えることにした。
それが済むと、周囲を警戒しながら慎重に忍び足で階段を上った。

……。
ついに十階の床に足を着けた。

本当にカルミアがいるのか不安になるほど、音がしない。
人の気配がない。

緊張で喉が渇く。
命がふわふわするような感覚に陥る。
地雷原を進んでいるようだ。

やがて俺たちは一つの部屋の前に辿り着いた。
このフロアにある数々の部屋とは明らかに雰囲気が違う。

『社長室』と書かれたドアプレートが威圧感を放っている。

間違いない。
ここだ。

俺はドアノブを掴み、レンジの顔を見た。
レンジは『いつでもいいぞ』というように頷いた。

俺はドアノブのレバーをゆっくりと下ろした。
いよいよ突入する。
もちろんノックなんてしない。

カルミアの姿を認識した瞬間に撃つことができるように銃の準備しておく。

「行くぞ」
レンジに小さく声をかけ、俺は体当たりするように勢いよくドアを開けた。

部屋の中に体を滑り込ませ、銃口を素早くあちこちに向ける。

……いない?
部屋の中にカルミアの姿はなかった。
テーブルの上に酒の入ったグラスが置いてある。
他には特筆すべきことは何もない。

「いねぇな。どっかから逃げたのか?」
レンジは部屋をきょろきょろと見渡し、首を傾げた。

それから俺たちは部屋中を隈なく探ったが、何も得られるものはなかった。

「やっぱりもう逃げたのかもな。……なんかこの部屋、ガスマスクしてても分かるくらい嫌な感じの空気だし、カルミアがいないなら長居する必要もねぇ。さっさと出ようぜ」

レンジはそう言って部屋の入り口に足を向け、途端に動きを止めた。

レンジが息を呑む音が聞こえ、まだ棚を調べていた俺は不思議に思ってレンジの視線の先を追った。

そこには、カルミアがいた。
俺は脊髄反射的に銃を向けようとしたが、カルミアの動きの方が速かった。

カルミアは銃を取り出し、躊躇いなく俺の腕を正確に撃った。

しかし、撃たれた腕にあまり痛みは感じない。
というより、撃たれてすぐに感覚がなくなった。

そしてそれは四肢に広がり、徐々に体を自由に動かすことができなくなり、床にバタンとうつ伏せに倒れた。
俺は見上げるような形でカルミアを睨んだ。

「麻酔銃よ。ふふ。懐かしいでしょう? 昔、晩餐会に潜入するために麻酔銃を撃つ練習をしたわよね。まぁ今撃ったのは眠らせるものじゃなくて、感覚を麻痺させるほうの麻酔だけれど。配合されている毒の成分はそこまで強力ではないけれど、それでも数分は動けないでしょうね」
気分が高揚しているのか、少し早口気味にそう言ってカルミアは微笑んだ。

記憶の中の姿より少しだけ髪が伸びていること以外、あまり変化は感じられない。

「ずっと会うのを楽しみにしてたわ。随分と雰囲気が変わったわね。久しぶり、キリンさん」
「あんたは変わらず美人だな。気に入らない」
「あら、お上手ね」

そんなやりとりをしながらも、俺は体が動かせるか試していたが、手足は完全に麻痺して動かせないことが分かるだけだった。

せっかく持ってきた毒消し草も、この状態では使うことができない。

「俺は最近お前みたいなお前じゃない奴とデートをさせられたばかりだから、久しぶりという感じがしない。やっと会えたな、カルミア」

カルミアは口元を手で隠して目を細めた。
「あなたには、ちゃんと私が私に見えているのね」

俺は意味が分からず、眉間にしわを寄せながら訊いた。
「どういう意味だ?」

「お隣りのなんでも屋に訊けば分かるんじゃないかしら」
そう言われて初めて、カルミアが現れてからレンジが一言も発さず、銃を撃ちもしないことに気づいた。

俺はまだ麻酔の効果で体があまり動かせず、うつ伏せに倒れている状態なので、首だけ動かしてレンジの様子を確かめてみる。

マスクによって顔が半分隠れているから分かりづらいが、飛び出そうなほど目を見開いていることから、レンジが何かに対して酷く驚いていることが分かった。
レンジの視線の先には、微笑むカルミアがいる。

「どうしたんだレンジ。俺は体が動かせない。ボーっとしてないでカルミアを撃て!」
俺の言葉はレンジには届いていないようだった。

「……ハラン」

とても小さな呟きだったし、ガスマスクによって聞こえづらいはずなのだが、恋人の名前を呼ぶレンジの声は、やけにハッキリと聞こえた。

死に別れた恋人が目の前に現れたことに対する歓喜と、死んだ人間が動いて話すはずがないという冷静な感情が、たった三文字に凝縮されていた。

レンジの発した、感情の塊のような三文字が鼓膜を震わせ、耳の奥で反響する。

それはカルミアにも届いたようだ。
「やっぱりあなたには私があの子の姿に見えるのね。……あなたたちがこの建物に侵入してきてすぐ、私はこの部屋に毒を振り撒いたの。私は抗体を持っているから効かないのだけれど。その毒は、ベラドンナが最初にキリンさんと接触した時に使ったものと同じような効果を持つ毒よ。私のことが、最愛の人の姿に見えるようになる毒」

レンジはそれを聞き、銃を握る手に力を込めた。
そして感情を押し殺すように、言葉を絞り出すようにカルミアに訊いた。

「俺はガスマスクをしているのに、どうして毒が効いている」

「私は毒殺専門暗殺組織、ギフトのボスよ? 私の使う毒がそんなおもちゃみたいな防毒マスクでどうにかなると思われているなんて、心外だわ」

「……つまり、俺はちゃんと毒に侵されていて、そのせいでお前の姿がハランに見えているだけなんだよな? それで間違いないんだよな? お前は、ハランではないんだよな?」
レンジは祈るように質問を重ねた。

カルミアはゆっくりと首を縦に振る。
「ええ。私はカルミア本人よ」
「だったら……撃てるはずだよな」
レンジは自分に言い聞かせるようにそう呟いて、手を震わせながら銃口をカルミアに向けた。

カルミアは逃げもせず、ただ黙って微笑んでいる。

殺そうと思えば、必ず殺せる。
この距離で外すようなレンジではない。

……しかし、引き金にかけた指をいつまで経っても動かすことができなかったレンジは、やがて崩れるように床にへたり込んだ。

「……たとえ本物じゃなくても、あいつの姿をした奴を撃つなんて、俺にはできない」

カルミアは聖母のような優しい笑みを浮かべた。
「ハランのこと、本当に愛しているのが伝わってくるわ。すごくいい子だったものね。あの子が生きていれば、あなたたちはきっと素敵な夫婦になったんじゃないかしら」

俺は殺意を込めてカルミアを睨みつけた。
自分が洗脳し、殺し、一族皆殺しの濡れ衣を着せた相手に、そしてその恋人であるレンジに対して、こいつは今なんて言った?

「あら、どうしたのキリンさん。そんなに熱い視線を送られると、なんだか気恥ずかしいわ」
カルミアはわざとらしく頬に手を添えた。

「ほざけ。お前はクズだ。麻酔が切れて動けるようになったら、俺がすぐにお前を殺してやる」

「ふふふ。隠してるつもりでしょうけど、バレてるわよ。麻酔はとっくに切れてる。あなたは私が油断する隙を窺っているのよ。毒の専門家である私が、使った毒の効果時間を知らないはずがないでしょう?」

……クソ。
全部バレてやがる。

俺は若干不貞腐れながら立ち上がり、愛用の武器を取り出した。
例の電流を流せる棒だ。

カルミアは俺の行動を見て、怪訝そうに眉をひそめた。
「この場面で、落とした銃を拾って私に向けないのがキリンさんの甘さよね。電流が流れるだけの武器なんて、本当に私を殺す気があるの?」

俺はカルミアの指摘に何も言い返せず、心の内を悟られないように、ただひたすらカルミアを睨むことしかできなかった。

カルミアは俺と目を合わせ、呆れたようにため息をつくと、持っていた麻酔銃を投げ捨て、違う銃を取り出した。

そして迷わずレンジに照準を合わせると、撃った。
発砲音が響く。

カルミアが撃ったのはエネルギー弾でも麻酔銃でもなく、紛れもない実弾だった。
レンジの心臓に穴が開く。

あまりに突然の出来事に、俺は反応することができず、ただただ茫然とした。

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