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17.耐えなきゃ

 またいつも通りの日常が始まった。テイマーになる前と同じ生活だ。
 朝ごはんを食べて学校へ、帰ったら宿題を終わらせ、夕飯を食べて風呂に入って寝る。この繰り返し。
 違うのは、ラビちゃんがいないこと。いまだに音沙汰がないらしい。
 そして、決闘を見たクラスのみんなが、僕を腫れ物のように扱い距離を取っていることかな。
 ザンブとの戦いを見て、僕がどうやってスライムを育てたのか気になったらしく、色々と聞いてくるテイマーの子がいた。
 僕は嬉しかったんだけど、その子は周りから今はそっとしといてあげないと……だなんて注意されていた。
 ラビちゃんがいたときは、みんなともっと気軽に話せてたんだけどなぁ。
 だいぶ心は落ち着いたし、悲しくないと言ったら嘘になるけれど、気を遣わなくていいのに。
 ……でも、そのいつも通りは今日まで。

「ぶっひゃっひゃっひゃ! や〜っと帰って来れたぜぇ。さて、俺っちの奴隷はどこかなぁ?」

 一
 あいつの姿を見た瞬間、嫌な光景が脳内を埋め尽くす。
 ……ダメだ、耐えられない。
 わざと視線を逸らし、窓の外を見て心を落ち着かせる。
 しかし、そんな時間は許してもらえなかった。

「おい、俺っちが呼んだら奴隷はすぐに駆けつけろ!」

 ザンブに首根っこを掴まれて持ち上げられ、強制的に対峙させられてしまう。
 スラマルとコロゾーを失い、追加ステータスがなくなってしまったので、ザンブの力に抗うことができない。
 そのまま無理矢理に引きずられ、ザンブの席まで連れていかれた。

「なんだよザンブ、痛いだろ」

「ザンブ様だろ奴隷! 俺っちが座る前にはイスを下げ、俺っちが立ったらイスを戻せ。まぁでもぉ、今日のところはぁ、まだ教育をしていなかったから仕方ないかなぁ? 敬語も使えない無能とは思わなかったけどぉ。……(しつけ)だ。おら、イスになれ!」

 自分のイスを蹴飛ばしたザンブは、片手で僕を投げ飛ばす。
 そして、床に手をつき四つん這いの形になった僕の上に、ドサッと無遠慮に座った。

 決闘で決めたことは絶対だ。逆らうことは許されない。
 負けたら奴隷になるという条件は、ザンブが一方的に突きつけてきたものだが、僕は感情に任せて同意してしまった。
 もし無かったことにしようものなら、最悪の場合は裁判にかけられる。
 嘘か真かを魔道具で判別され、犯罪者になってしまう。
 そうなれば、罰ゲームなんかじゃ済まされない。

「はい……すみません、ザンブ様」

「ぶひょほほほ! 分かればいいのよ分かればぁ!」

 先生がやって来て、イスになるのは免れたのだが、その後は地獄のような時を過ごした。
 常にザンブに気を配り、後ろをついて行かなければならない。
 イスを動かし、ドアを開ける。
 給食なんて当然のように奪われるし、トイレではザンブが用を足す間の見張りをさせられる。
 みんなの前で歌わされたり、廊下でザンブのすごいところを大声で言わされたり……そのたびに、クスクスとクラスメートにも知らない上級生や下級生にも笑われた。

「あ〜あ、もう終わりかぁ。楽しかったなぁ奴隷くん?」

「……はい、ザンブ様」

 学校が終わり、ようやく解放してもらえそうだ。

「そうだぁ、いいこと思いついちゃったぁ! 俺っちってばぁ、奴隷にも優しいのよぉ。いや〜、あれは気持ちよかったなぁ。お前のクソ雑魚スライムをプチって潰すのがさぁ! また決闘してぇ、奴隷にもし負けるようならぁ、この罰を無かったことにしてやるよぉ。なっ? 俺っちってば天才だろぉ?」

「……くっ」

「ん、何か言ったか?」

「いえ、そろそろ帰ります」

 血が出るほど歯を食いしばり、怒りを耐えた。
 こうなっているのも、自分が全て悪いのだ。奴隷になる罰ゲームを受け入れた自分が。
 ……でも、我慢できない。
 何がザンブ様だ!
 僕の家族を殺しておいて、何が楽しいだ!
 下を向き、逃げ出すように学校を後にする。

 僕は走った。がむしゃらに走った。
 力一杯拳を握りしめて。
 肩が外れそうなほど、大きく両手を振って。

 着いたのは、パッセさんの工房。
 ザンブが復帰したら、顔を出すように言われていた。

「パッセの親方、いますか?」

「おう坊ちゃん! ちょっと待っててー!」

 扉を開けると、作業中のダグラスさんが出迎えてくれた。
 いつものイスに座って待っていると、親方が両腕を広げてストレッチしながらやってきた。

「坊主、どうだ調子は? おいダグラス、てめえどこ行きやがる。さっさと座れ!」

「えぇ? あの机、今日中に仕上げろって言ったの親方じゃないですか! 仕事に戻らないと間に合わないっすよ! 今日デートなのに」

「ごちゃごちゃうるせえな、残業しろよ。デートなんざ、ゴブ美を行かせとけ。お前もゴブリンも変わんねえだろ」

「そんなぁ、酷いっすよ親方ぁ!」

 いや、変わると思うけど……。
 大事な用事があるみたいなのに、大丈夫なのかなダグラスさん。
 それにゴブ美ちゃんて、名前からしてメスじゃないの?
 待て待て、人間とゴブリンをデートさせようってのがまずおかしいか。
 僕も毒されてるみたい。

「……で、坊主。ここに来たってこたぁ、ザンブの野郎が戻りやがったんだろ? どうだった?」

「はい。奴隷だろうと、自分が受け入れた罰くらい耐えてやるつもりだったんですけど、結構きついですね。また決闘して、僕が勝ったらやめてやると言われました」

 腕を組み、難しい顔で考え始めたパッセの親方とダグラスさん。
 この問題は決闘が絡んでるから、なおさらややこしいんだよね。
 辛いけど、僕はもう我慢するしかないと思ってる。

「ダグラスよぉ、俺ん中じゃ一択なんだが……お前はどうだ?」

「そうっすねぇ……またスライムをテイムして、レベル上げてって感じかなぁ。今日一日は奴隷として過ごしたんだから、条件はクリアしてる。奴隷ったって色々ありますからね。逃亡奴隷だなんつって誤魔化してやればいい。何か命令されたら、その野朗の腹でもぶん殴って、テイマーのステータス活かして全力で逃げる。教室でオークを召喚なんてすりゃ大問題でしょ?」

「だよなぁ。俺もそれに近いこと考えてたぜ。条件の穴突いて、やり返すってな」

「親方、ほんとっすかぁ? 自分に先に言わせて、後から乗っただけなんじゃ……いや、冗談です。マジでふざけただけ……ぎゃあああああ!」

 ダグラスさんの顔が親方の手のひらに包まれて、メリメリと音を立てている。
 どんな力を込められたら、あんな悲痛な叫び声が出てしまうのだろう。

「テイム……ですか……。落ち着いてはきましたが、正直なところまだ吹っ切れてはないんですよね。街中でスライムを見かけると、罪悪感が湧いてきます。そんな僕にできるでしょうか?」

 今日だって、ザンブの顔を見ただけで、植え付けられたトラウマが(よみがえ)ってきた。
 スライムとまた仲良くなっても、その関係を壊されるのが恐ろしくてしょうがない。
 今度こそ僕が僕でなくなってしまいそうだ。

「今日、ここに来たときの坊主の顔は、もう無理だって言ってたぜ? でもな、お前が思ってるより、お前の心は強い。あんな事(決闘)があった日に、俺やダグラスと戦って、親と戦って、自分とも戦ってきたんだからな。坊主はよぉ、みんなが欲しいと思ってるけど、手に入らねえもんをいくつも持ってる。なんだと思う?」

「えぇ、何だろう……パパとママとか? あと……ラビちゃんも仲良くしてくれるし、親方やダグラスさんも僕には大切かな」

「お、おう……そうか。ありがとよ。いや、そういうんじゃなくて。まあ、間違ってはねえんだけど」

 悩んだ末に僕が出した答えを聞いて、驚いた顔を浮かべたパッセの親方が、トントンと僕の心臓の辺りを叩く。

「坊主にゃ勇気がある。そこらの奴らが尻尾巻いて逃げ出すときに、お前なら立ち向かえるはずだ。スライム二匹とオークに立ち向かうなんざ、聞いたことねえからよ。……あ、俺に言われたからって、僕には勇気があるなんて自分で言い出すんじゃねえぞ? ダセエからな」

「ふふっ、たしかにかっこ悪いかも。……勇気か」

 ラビちゃんを救おうとしたこと、ザンブと決闘したこと。親方が言うには、それが僕の勇気らしい。
 困難から逃げずに戦うって、普通の人には難しいんだってさ。
 パパもママも僕を信じてくれてる。
 ダグラスさんも親方も、僕を助けてくれてる。
 僕だけが止まったままだ。
 変わりたい……いや、変わらなきゃ!
 パッセの親方みたいに、男らしいヒーローになるって決めたんだろ!

「パッセの親方、ダグラスさん! 僕、ちょっと用事ができました。そろそろ失礼します。今日は……いや、いつもありがとうございます!」

「そうか、気ぃつけてな(・・・・・・)。……っと、ちょい待て。ダグラス、あれ持ってこいや」

「へい親方!」

 立ち上がろうとしたところで、親方に制止された。
 奥の方へと走っていったダグラスさんが持ってきたのは……槍?

「ダグラスの野郎が半端な仕事して悪かったな。あんなもんに自分の名前付けるなんざ二流だってぶん殴ってやったのよ!」

「いやぁ坊ちゃん、嘘ついちゃって申し訳ない。これが正真正銘のダグランス一号だ。何も言わずに受け取って?」

 穂先に細かい傷がついているけれど、刃の鋭利さは変わらぬまま。おそらく、前の槍から流用したのだろう。
 ママが作ってくれたカバーも取り付けてある。
 しかし、この柄は何の素材なのか……。
 光を放つほどに磨き込まれた焦茶色の持ち手は、吸い付くように握りやすい。
 軽く、真っ直ぐで、高級感がある。きっと、僕なんかの小遣いじゃ手の届かない代物だ。
 何も言わずにって、そういうことなんじゃないかな。
 ……あれ、なんでまた。

「坊主は俺らのお気に入りだ。すぐ泣くから大変だけどよ!」

「はぁ、親方は意地悪だなぁ」

「パッセの親方……ダグラスさん……あ、ありがとう……ございます……うぅ」

 槍を背負い、お礼を告げて工房を出る。

 涙が乾く頃に、僕は再び森へとやってきた。

 

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