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16.子供と大人

「どうして……。パッセの親方、ここ僕の家……」
「あぁ、知ってる。俺が建てたからな」

 さらっと衝撃の事実を聞いてしまった。
 いやいや、それよりも……まだ心の準備ができていない。

 スラマルとコロゾーがいない状態で帰ったら、なんて言われるだろう。なんて説明したらいいんだろう。
 死んでしまったなんて知ったら、ママ泣いちゃうかも。

「待って親方! ……あっ!」

 まだ話せない。そう言いたかったのに。
 親方の右手に抱き寄せられた右肩に伝わる力強さから、逃さんという意思が伝わる。
 太い左手の人差し指が、玄関のチャイムを押してしまった。

「待つって、いつまでだ? 今の坊主に答えなんて出せるわけねえ。一生帰らないつもりか? 時間てのは、心を疲弊させるんだよ。考えるだけ無駄だ。俺に任せろっ()ったろうが。お前は……そうだな、子供らしくションボリしとけ。がはははは!」

 家の中から聞こえるママのドタバタとした足音が近づいてくる。夕飯の準備でもしていたのかな。
 どうしよう……胸が締め付けられるように苦しい。

「は〜い、ってパッセさんじゃないですか! アッシュならまだ戻りませんけど。あら、カイトも一緒なのね?」

「おうコーラル、また美人に磨きがかかったんじゃねえか? 茶でも出してくれや」

「やだもぉ、お上手なんですから! ささ、上がってください」

 ママは頬を押さえながら、照れた仕草で親方を家へと招く。
 このやりとり、古くからの知り合いなのだろうか。
 パパの名前が出ていたし、親方はパパの友達なのかな?

 夕飯の匂いが漂うリビングのテーブル。親方の隣に僕が座る。
 台所で何やら準備をしていたママが、親方の前にコーヒーを、僕の前にジュースを置く。
 手間暇かけられたコーヒーは、こんなものが(うち)にあったのかってくらい芳醇で香ばしい。
 
「パッセさん、どうしたんですか今日は? うちに来るなんて珍しいですね」

 そう言いながら、ママも席につく。
 二人の柔らかい表情とは違い、僕だけ頬が硬い。
 裁かれる前の犯罪者になった気分だ。

 ……その時、玄関のドアが勢いよく開いた。
 まだ仕事中のはずなのに、大慌てのパパが帰ってきたのだ。

「はぁ、はぁ、パッセの兄さんどうしました! 兄さんの従魔……デラーでしたっけ。手紙なんて持ってくるもんだから、店閉めて急いで帰ってきましたよ! まさか、うちのカイトが何かしましたか?」

 兄さん?
 おかしいな、パパに兄弟はいないはずだけど。
 それより、僕がダグラスさんと二人で話している間、親方は従魔をパパの店に送っていたのか。
 こんなに焦ってるパパは初めて見る。

「おうアッシュ! ま、とりあえず座れや」

 威圧感のある親方の真剣な顔が、有無を言わさずパパを動かす。
 空気が凍りついたような、時間が止まってしまったかのような……ほんの数秒だったはずなのに、とても長く感じてしまう。
 パパの喉から、生唾を飲み込むゴクリと大きな音が響く。

「今日、学校でカイトは決闘をした」
「……あっ」

 何か挟むでもなく、いきなり本題に入る親方。
 僕の口から、無意識に小さな声が盛れる。

「どういうことなのカイト? そういえば、スラちゃんとコロちゃんは?」

 ママの質問に答えようとするが、言葉が詰まる。
 死んでしまった……言うべきなのに、言えない。
 口の代わりに反応した両目から、涙が溢れだす。
 パパは黙っているけど、難しい顔だ。

「ザンブってオークサモナーのガキに負けて、カイトの坊主は従魔を失った。おまけに、うちのダグラスが作った槍もな。幸い、痛みはあるようだが、体に問題はなさそうだ。他人の家の教育に口を出したくはねえんだがよ、今回だけは俺の顔を立てて叱らねえでやってくんねえか? 多くを聞かねえでやってほしい。こいつ(カイト)が今後、どう立ち直っていくのかを優しく見守ってやるべきだ。俺も協力すっからよ。頼む!」

 そう言って、パッセの親方が頭を下げた。僕なんかのために、テーブルにおでこがつくくらい深々と。

「ちょ、ちょっと、頭を上げてください! 兄さんには恩があります。それこそ、どんなことしたって返しきれないほどなんですから。うちの馬鹿息子が迷惑かけて申し訳ありません。兄さんの顔に泥塗るような真似はしませんので、後は俺らに任せてください」

 パパもまた、親方に頭を下げた。
 とめどなく溢れる涙で歪む視界が捉えたママは、(うつむ)き、口を引き結んでいる。

「邪魔したな。坊主、ザンブって野朗の謹慎が明けたら、また工房に顔出せや。その前に来たけりゃいつでも大歓迎だけどよ」

「はい。パッセの親方、色々とありがとうございました」

 ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干し、パッセの親方が家を出ていく。
 その頼もしい背中を見送りながら、僕は立ち上がり、腰を直角に曲げる。

「少し早いけど、夕飯にしましょうか」

 ママは、何事もなかったかのように支度(したく)を始めた。
 パパはソファーに移り、テレビをつける。
 モンコロの試合が流れる……と同時、チャンネルが変えられてしまう。
 見たこともない旅番組には、美しい森が映し出されている。

「なあカイト、そんなとこに立ってねえで隣に座らねえか?」

 どうしたらいいか分からずリビングの扉の前に立っていると、パパに呼ばれた。
 小さく(うなず)き、僕もソファーにちょこんと座る。

「お前が今日どんな戦いをしたか、パパに教えてくれや」

 オークの弱点を学び、膝をつかせて胸を貫く。そのためにどう考え、どう動いたかを話す。
 スライムが得意とする体当たりでは威力が心許(こころもと)ないため、スラマルとコロゾーにローリングアタックを教えたこと。
 まずはゴブリンでコンビネーションを試し、決闘前にオークを倒して作戦に問題がないか確かめたこと。
 そして、ザンブとの決闘。一体目のオークに勝ち……そして……。

「そうか……カイト、よくやったな」

 パパの手のひらが、僕の頭をガシガシと撫で回す。

「パパ、ママ、ごめんなさい……。僕のせいで、スラマルとコロゾーが……ごめんなさいいいぃ……」

 声を上げて泣いてしまった。
 感情が爆発して止まらない。

 体を丸めて震えていると、柔らかく包み込まれた。
 いつの間にかそばにいたママに抱きしめられる。

「パッセさんが言ってたでしょう? 後悔してるかもしれないけれど、大事なのはこれからよ。今、カイトが何について(あやま)っているのか、どうして泣いているのか、時間をかけて考えていきなさい。ほら、涙を拭いて、ご飯を食べましょう」

 服の袖で顔を擦り、テーブルに向かうと、湯気が立ち昇る温かい料理が待っていた。
 泣き疲れて口の中が痺れており、味がよく分からない。
 でも、心がほっこりとする。

「ねえカイト、面白い話をしてあげましょうか?」

「うん、何?」

 ママの優しい笑み。
 僕が救われていく。

「パパの喋り方、パッセさんに似てると思わない?」

「そういえば……」

「おい、その話はやめねえか?」

 遮るパパの声を無視して、ママが話し始めた。

 パッセの親方は、パパとママの一つ上の先輩らしい。
 昔は街にごろつきが多くて、デートをしようもんなら、すぐに絡まれちゃうくらい治安が悪かったんだって。
 そんなとき、いつも助けてくれるのが親方。傷だらけになりながら、悪い(やから)を追い返すんだ。
 自警団では、駆けつけるまでに時間がかかる。だからこそパッセの親方は、学校が終わると仲間も連れずに一人でパトロールをして、目を光らせていたんだって。まるで正義のヒーローだったみたい。
 そんな姿がかっこよくて、パパはパッセの親方に憧れて喋り方を真似し始めたらしい。

「僕もパッセの親方みたいになりたいな」

「いいけど、パパみたいに格好から入るのはやめなさい。あの人だから似合うのよ。カイトやパパみたいに優しい見た目の人がやったらダサいわ」

「ダサいって……お前、そんな風に思ってたのか……」

 パパが頭を抱えて落ち込んでいる。

 やっぱり親方ってすごい。
 僕は、家でも笑うことができた。

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