14.絶望のさらに先
「返して! 僕の家族なんだ!」
僕はいま、どんな顔をしているのだろう。
鼻の下はドロドロになり、ほっぺたが濡れて生暖かい。
何も考えられなくて、ザンブの足にしがみつきながら懇願している。
「いいことを教えてやろう。俺っちのレベルは24だ。最初に召喚したオークはレベル1。こいつらはレベル12ってわけ。どうせてめえはコツコツとスライム狩りから始めたんだろ? 俺っちはさぁ、オークサモナーだからさぁ〜。最初から森の中に入っちゃってぇ、ゴブリンだろうがオークだろうが狩れちゃうのよぉ。……で、お前さぁ、奴隷のくせにいつまでご主人様の体に抱きついてんの? お仕置きが必要だなぁ?」
オークが僕の肩を掴む。
無理矢理にザンブから引き剥がされて、地面に崩し倒されてしまう。
両肩に乗せられた僕の顔より二回りは大きな手のひらから、強い力が加わる。
スラマルとコロゾーを失ったいま、筋力が元に戻ってしまった僕は身動き一つ取れない。
ザンブがニヘラと笑いながら近づいてくる。
この世界の誰よりも醜悪だと思える顔だ。
そして、僕のすぐそばでしゃがみ、闘技場の土を握りしめた。
「おい、こいつの口を開けてやれ! 罰としてクソを食わせてやる!」
「
もう一体のオークが、僕のおでことアゴに手をかける。
グググとアゴを押され、歯を食いしばり抵抗するも、ガクガクと小刻みに揺れながらゆっくりと口が開いていく。
「ぶっひゃっはっはっは! ほ〜らぁ、敗北の味だぞぉ?」
ぽっかりと開いた僕の口の中に、ザンブが一掴みの土をねじ込む。
それを見たオークが僕のアゴを閉じて開けて閉じて開けて……無理矢理に咀嚼させようとしてくる。
「んんんんんっ!」
土が喉元まで入ってきて、うまく息ができない。
鼻から空気を取り込もうとするも、パニック状態に陥ってしまっているため、
苦しい。気持ち悪い。悔しい。悲しい。……負の感情が脳を埋め尽くす。
こんな状態でも五感は働くようで、舌はしっかりと大地の味を脳に伝え、鼻腔は土の香りで刺激されている。
「試合終了だと言っただろ!」
ライル先生の声が聞こえた。その瞬間、目の前を何かが通り過ぎる。
僕の目では追えないほどに速い影が、でっぷりと太ったオークの腹を
傷口から噴き出した鮮血が僕の体に降り注ぐ。
明らかな致命傷だ。
「ゲホッ……オエェ……ゲホッ、ゲホッ」
ようやく体が自由になり、上体を起こして泥を吐き出す。
視線の先では、先生の召喚した青いオーガが、大剣を振って刀身に付着した汚れを飛び散らせていた。
オークどもは、これ以上腹の中身を失いたくないとばかりに傷口を押さえていたが、膝をつき、地面に倒れ伏して消えていく。
それと同時に、血やら何やらと僕の体を色付けていたオークの内容物まで綺麗さっぱり無くなってしまう。
まるで、この世に居たことが否定されているかのように。
「ザンブ・ヨークシャー……貴様、何をやったか分かっているのか! 決着が着いた後に攻撃を加えるなど、召喚士として恥ずべき行為だと思いなさい! 神聖な決闘を汚した罰として、一週間の自宅謹慎とします。もちろん、君の親にも今日のことは連絡しますからね。しっかり反省しなさい!」
「ほぁ〜い! ぶひゃひゃひゃひゃ! ぶひゃーっひゃっひゃっひゃ!」
先生の叱責に対して間の抜けた返事。こうなることが分かっていてやったのだろう。あいつが反省なんてするはずない。
静まり返る闘技場の中、ザンブは頭の後ろで手を組み、どこ吹く風とばかりにレッドゲートへと向かっていく。
僕はトボトボと歩き、へし折れたダグランス一号を拾い上げてブルーゲートへと帰ろうとした。
「カイトくん、今日はもう帰りなさい。それと、君の相棒を死なせてしまったのは私の責任です。あなたはよく戦っていましたよ。スライムをあそこまで仕上げるとは、テイマーのお手本となる見事な動きでした。今は辛いと思いますが、これから先……どうするかは自分で決めなさい。何か困ったことがあれば相談に乗りますから」
「……はい」
もっと早く来てくれれば二人は……。
何度も繰り返し脳裏に浮かびそうになる言葉の先を、真っ白に塗り固めて潰す。
先生は最善を尽くしてくれていたし、僕のことを考えてくれている。人のせいにするべきじゃない。
分かってるけど……現実を受け入れられないんだよ。
後悔だけを胸に抱きながら、闘技場を後にする。
色の消えた帰り道を歩く。
大通りを笑顔で往来する人々。気持ちよく
一番憎いのは自分の愚かさだけど、自身への怒りが強すぎて、それが反射して他人にも向いてしまう。
家に帰りたくない。
どんな顔でママにただいまと言えばいいのか。
今日はどんな一日だったのかとパパに報告する日課も、地獄の時間になるだろう。
そして、僕の両手にある折れて上下に分かれてしまったダグランス一号。ダグラスさんが魂を込めて作ってくれた槍を、自分の油断のせいで壊してしまった。
一生大切にしようと思っていたのに。僕の宝物だったのに。
「おう坊主! まだ学校のはずだろ? どっか具合でも悪いん……っておい、そりゃうちのダグラスが作った槍か?」
野太い低い声に名前を呼ばれた。
筋骨隆々の山みたいな大男。両サイドを刈り上げた短い朱色の短髪に、射殺されそうなほど眼力が強い
暗い気持ちに押し潰されそうになっていたところで、パッセの親方に見つかってしまった。
ダグランス一号のことを知っているみたいだ。
おそらくダグラスさんに聞いたのだろう。
槍の制作にあたり、ダグラスさんに迷惑をかけたということは、上司であるパッセの親方にも面倒をかけたのと同じ。この状況であまり会いたくない人に出会ってしまった。
逃げてしまおうか。挨拶だけして通り過ぎるべきか。嘘をついて誤魔化す……のは嫌だな。
「こんにちは、パッセの親方。ちょっと色々ありまして。申し訳ないですけど、今日は失礼します」
「あぁそうかい。ダグラスの野郎から、何で小僧に槍を作ってやったんか理由まで深くは聞かなかったけどよ……おめぇ、負けたな?」
「……え?」
「見りゃ分かる。敗北者の目ぇしてんぜ? 俺から逃げようとして、現実を受け入れらんねえからって、どうせ自分からも逃げようとしてんだろ。完膚なきまでに叩きのめされた負け犬の顔だ。……負けたらなぁ、また戦いが始まんだよ。てめえと、その周りとのな。……ちょっと来い。坊主はまず、うちのダグラスと話すべきだ」
パッセの親方は、出店で串焼きを買ってくれたり、端材でおもちゃを作ってくれたりと、いつも僕とラビちゃんに優しくしてくれる。
でも今日は、あれこれ聞かれたくない。
早くどこか誰も居ない静かな場所に行きたい。
もし心の中をこねくり回されたら、どうにかなってしまいそうだ。
「いや、僕は……」
「ここで逃げたら、お前は終わる。負けた相手に一生ナメられて、そんな自分を受け入れんだよ。僕はあいつよりも下なんだ……ってな。時には逃げることも必要だろう。でもな、戦うべきときに戦かわねぇと、人間てのは心が腐っちまうんだ」
「何も知らないくせに! もういいんです、放っておいてください!」
無遠慮に踏み込んでくるパッセの親方に、ついムキになって大声を浴びせてしまった。
走って逃げようとしたところで、背後から両脇に手を差し込まれて掬い上げられてしまう。
そのまま空中でくるりと半回転。向き合う形で地面に下ろされる。
パッセさんは、強面から想像できないほど優しい顔で笑みを浮かべながら、僕と目線を揃えてしゃがむ。
僕の頭の上には、親方のゴツゴツした手のひらが。
「……あんなぁ、坊主。こんなこと言うのは小っ恥ずかしいんだがよ、俺らぁみたいな嫌われもんのテイマー集団に、手ぇ振って挨拶してくれるおめぇと
気づくと、僕の頬は涙で濡れていた。
説得力のある大人の言葉に、小さく頷いていた。
優しく見えた親方の顔。でも、目だけはなんだか
僕の顔を真っ直ぐ見つめながらも、遠い
「泣くほど悔しかったんだな。安心しろ、棚だって家だって坊主の心だって、うちの工房で直してやっから」
大きくて暖かい手のひらに右手を引かれて、パッセ工房へと向かう。グシグシと鼻を慣らし、左腕で鼻水を拭いながら。