人間の価値
私は昔から『お前は本当に出来が悪い』と言われ続けてきました。
実際その通りだったのです。
優秀なお兄様やお姉様に比べ、私には何も秀でたものがありませんでした。
お父様からもお母様からも褒められた記憶がありません。
でも、それは私の実力不足のせいです。
だから私は家の方針にまったく逆らわずに従い続けてきました。
それが私に唯一できることだったからです。
私の家では、お父様やお母様に認められる存在以外に価値はありません。
そして私には認められるだけの実力がない……私にできることは従順であることくらいしかなかったのです。
貴族としての教養を身に着けるためのお勉強で、覚えが悪かった私は、罰として頻繁に叩かれたり部屋に閉じ込められたりしましたが、それに反発したことは一度もありません。
能力がない私には従順であること以外に存在価値を示す方法がなかったのです。
しかし、お父様たちが求めるのはそんな人間などではありません。
逆らわないだけの無能を、お父様たちは決して認めませんでした。
「自業自得なんです。私がなんの結果も出せない人間だったから、お父様は私に愛想を尽かした。お父様のお人柄が悪いというわけではありません。今回のことだって、拉致されたのがお兄様やお姉様だったら、お父様だってきっと一生懸命助けようとしたはずです」
ハランはそこまで話すと、俯いて黙った。
なんでハランはあんな父親を庇おうとするのだろうか。
あんな奴はただのクズだ。
自分の娘の死を願うような正真正銘のクソ野郎なのに。
でも……あんな奴でもハランにとっては親なんだ。
親の記憶があまりない俺からすれば共感はできないが、子供は親に認められたがるものなのだろう。
俺は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「自分の家庭のことしか知らないハランには分からないかもしれないけど、親が子供を愛するのに価値がどうとか普通は考えないと思うぜ? まぁ自分の親のことほとんど知らない俺が言っても説得力ないかもしれないけどな」
「普通なんて知りません。私は私の場合しか知らないし、それに対して何も思いません。ただ、私はお父様に認められない限り自分の価値を実感することができません。それだけは確かです」
「実感できなくても、ハランにはちゃんと価値があるさ」
「ありません」
「あるよ。自分で気づいてないだけで」
ハランは達観したような顔で首を横に振った。
「そんなことないです。私に価値なんてない。そして、価値のない私のことを見捨てたお父様はきっと間違っていないんです。生きている価値のない私の死を願って、それのどこに罪があるのでしょう? お父様は悪くありません。お父様に自分の価値を証明できなかった私が悪いんです」
俺はいい加減イライラしていた。
なんだこいつ。
自分には価値がない、価値がない自分は死を願われても仕方がないとか、馬鹿じゃねぇの?
「ハラン、よく聞け」
声のトーンを落とした俺に不穏なものを感じ取ったのか、ハランの体が一瞬強張ったように見えた。
「価値ってのは、人間が決めるもんだ。例えば金。同じ金額でも、国の景気等々によってそれが持つ価値は微妙に変わる。状況によっても変わる。どんだけ多くの金を持ってたとしても、無人島にいればなんの価値もない。分かるか?」
ハランは困惑気味に頷いた。
俺はそれを確認して話を続ける。
「お前が決めつけている自分の価値だって一緒だ。見る人によって全然変わり得る。人の価値なんてのは不安定なもんだ。人間の価値をどうやって測るかにもよるが、今回はとりあえず世間一般的な基準を採用するか。世間的に価値が高いとされる人間、分かりやすく会社の社長とか王様とかを思い浮かべてくれ。こういう人間の価値は絶対的で永久的なもんか?」
「えーっと……」
悩む素振りを見せるハランの答えを待たずに、俺は言った。
「答えは、ノーだ。社長だったら会社が倒産するかもしれないし、王様はクーデターでも起こされたら一瞬で権力を奪われる。……俺はさっき、価値は人間が決めるとも言ったよな。この場合でもそれは同じだ。社長や王様は、みんなから社長や王様として扱われるから偉い。でも、こいつらが未開の地に行ったらどうだ? こいつらを社長や王様として接する人間がいなきゃ、こいつらは他の奴と何も変わらないただの一人の人間だ」
「つまり……何が言いたいんですか?」
ハランは恐る恐る、確かめるように訊いてきた。
「今の話じゃ、王様を王様たらしめるのは周りの人間だっただろ? その周りの人間ってのは、一人や二人のことだと思うか? 例えば俺がハランに『あんたは今日から王様だ!』って言ったらハランは王様になるか?」
「いいえ」
「だろ? それと同じだ」
「何がですか?」
眉をひそめるハランに、俺は満面の笑みを浮かべて答えた。
「あんなクソ野郎共に認めてもらおうとしてるお前は、どうしようもない馬鹿だって言ってんだよ」
ハランは鳩が豆鉄砲を食ったようにポカンとした後、顔を真っ赤にして怒り始めた。
「なんてことを言うんですか! 私に対してもお父様方に対しても失礼です!」
「俺はクソ野郎共って言っただけで、別にハランの『お父様』たちのことだとは一言も言ってねぇけどな」
俺は『お父様』の部分を茶化すような口調で言った。
ハランは俺の指摘にハッとして、頭を抱えた。
「こ、こんなの罠です! トラップです! ずるいです!」
「はっはっは! まぁそれがハランの正直な気持ちなんだろうぜ。お前も内心、親父たちのことクソ野郎共だって思ってるのさ」
「そ、そんなことありません。今のは話の流れ的にそう判断してしまったというだけで、私は決して」
「はいはい。そんなことはどうでもいいんだよ」
俺はハランの言い訳を遮って、話を再開した。
「誰のことかは敢えて言わないけど、お前は某クソ野郎共から『あんたは今日から王様だ!』だって言ってもらうために頑張ってるようなもんだ」
「今更名前を伏せても意味を成さないですよ……」
ハランは疲れた表情でツッコミを入れた。
俺は無視して続ける。
「お前の価値を決定づけるのはあいつらだけか? 違うんだよ。あいつらがお前を認めようが認めまいが、それで決まるのは『あいつらにとってのお前の価値』だけだ。自分の価値をあんな奴らなんかに決めさせるな。お前の価値を認める奴はお前の両親以外なら簡単に見つかるさ」
「いませんよ……そんな人」
「いるだろ。少なくともここに一人」
俺は立ち上がってハランの前まで行くと、ハランの頭を髪がくしゃくしゃになるまで撫でた。
撫でられながら、ハランは俺の顔をじっと見上げていた。
「あんな家で、今までよく頑張った。お前は百点満点の人間だ。胸張って生きろ」
ハランは静かに涙を流し始めた。
隠れて一人で泣くのに慣れている奴の泣き方だった。
俺はハランを抱き締めた。