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決別

 ハランが落ち着くまで待って、泣き止んだのを確認すると、俺はハランの隣に腰掛けた。

「さあ、ハラン。お前はこれからどうする?」
俺が漠然とした問いを投げかけると、ハランは決意に満ちた目を俺に向けて
「お父様と、決別します」
そう宣言した。

「お前はそれで本当に後悔しないか?」
しっかりと目を見ながら確認すると、ハランは真剣な顔で頷いた。

それから、ふっと頬を緩めると
「あなたは私に言ってくれましたよね。長い人生、たまには家出したっていいって」
と言った。

「ああ。言ったな」
「私もその通りだと思うんです。人生は長いんですから、その中で家出の経験くらいあってもいい。そして……駆け落ちの経験があったっていいと思いませんか?」
ハランはそう言って小悪魔的な笑みを浮かべた。
俺はあの時のハランより魅力的な笑顔を知らない。

俺もハランにつられるように口角を上げて
「自分を誘拐した犯人と駆け落ちか。いいな、それ」
と答えた。


 二日後。
ハランは店員の仕事の休みを貰い、俺も前日までに仕事を片付けた。

今日は何をするのかというと、コウモリに『娘さんをください』をやりに行くのだ。

俺たちは身なりを整えてハランの実家に(おもむ)いた。
門番はハランの姿を認めると、慌てて家の中に引っ込んで、複数人の執事やメイドを引き連れて戻ってきた。

それから門番はハランに(うやうや)しく頭を下げると
「ご無事で何よりでございます」
と言って貼り付けたような笑顔を浮かべた。

他の執事やメイドたちも同じような言葉をかけてくる。

その中の一人が
「さあ、旦那様がお待ちです」
そう言って、俺たちは家の中に招き入れられた。


 前回の応接室とは違い、今回はコウモリの書斎に通された。

執事が部屋のドアをノックし、中からコウモリの返事が聞こえてくる。

執事はドアを開けると、俺たちに
「どうぞお入りください」
と言って道を譲った。

俺とハランは声を合わせて
「失礼します」
と言いながら部屋に入った。

執事も俺たちに続いて入ってきたが、コウモリに
「お前は外で待機していろ」
と命令されてすぐに出て行った。

部屋の中は俺とハランとコウモリの三人だけになった。

内装はいかにも金持ちって感じだった。
高級そうな椅子に高級そうな机に高級そうな本棚に高級そうな照明。
とにかく、金を持ってる奴の部屋って感じだ。

高級そうな椅子に腰かけているコウモリは高級そうな机に肘をつき、手を組んだ状態で俺のことを睨みつけていた。

そして不機嫌そうに口を開いた。
「以前来た時の話し合いで、依頼したことについては失敗という形で決着がついたのだと理解していたのだが。娘を連れてきたと言うことは、お前はあの後、個人的に依頼を続行していたということか?」

俺はかぶりを振った。
「違います。前に来た時に、俺は嘘をつきました」

コウモリの眉間にしわが寄る。
「依頼主である私に嘘をついたのか。随分と不誠実だな」

「あんた方には色々事情がありそうだったので、このような形を取らせてもらいました。俺は前にここを訪れた際、自分が救出に行った時にはもうハランは自力で逃げ出していたと言いましたが、あれは嘘です。本当は俺が救出して保護してました」
俺がそう言うと、コウモリは眉間のしわを更に深くした。

「何故そんな嘘をついた」
「どうやらあんたはハランを本気で助けたいと思ってないようだったからな。ハランを家に帰すのが最善だと思えなかった」

コウモリはため息をついた。
「そうか。しかし、今こうして連れ戻してきたということは、結局お前の中では娘を家に帰すべきだという結論に至ったわけだな。拉致されていた娘が無事に帰ってきた以上、私は立場上お前に礼を言わねばならん。……ご苦労だった、なんでも屋。娘を連れて帰ってきてくれたことに感謝する」

「そんなしょうもない建前だけの儀礼的な感謝なんかされたくて来たわけじゃねぇよ。そもそもあんたはさっきから俺とばかり話しているが、それは間違っている。普通は真っ先に娘に声をかける場面だぜ?」
俺の言葉を受け、コウモリは面倒くさそうにハランの方を見た。

「お前も帰ってくることは不本意だっただろうが、よく戻ってきたな」
『よく戻ってきたな』っていうより『よくも戻ってきやがったな』というような声色だった。

ハランは真剣な表情で首を横に振った。
「戻ってきたわけではないのです、お父様。本日はあなたと決別しに参りました」

コウモリは一瞬きょとんとした後、声を上げて笑った。

そして侮蔑を含んだ視線で俺たちを見ながら言った。
「察するに、そこのなんでも屋に(たぶら)かされたんだろう。実に愚かだ。出来損ないにふさわしい滑稽な選択だな。しかし、私としてはその申し出は非常にありがたい。こちらから頼みたいくらいだ」

俺は今すぐコウモリを殴り飛ばしたい気持ちを抑えながら、努めて冷静に言った。

「お義父さん。ハランを……気立てが良く、美人で頑張り屋の素晴らしい娘さんを俺にください」

「勝手に持っていけ。そして二度と帰ってくるな」
コウモリは吐き捨てるように言って、前回同様俺たちを手で追い払うようなジェスチャーをした。
もうこっちを見てもいない。
机の上の書類に目を落としている。

ハランは最後にコウモリにこう言った。
「お父様、どうかお達者で。長生きされてください。それと、出過ぎたことを申しますが……なるべく今のうちから善行を積むようにされた方がよろしいかと存じます。このままではお父様は死後、きっと地獄に落ちることになるので」

父親に対するハランの最初で最後の悪態をコウモリは鼻で笑うと、
「さっさと出て行け」
と呟くように言った。


 それから半年ほど経った。
俺は相変わらずなんでも屋として仕事をしていて、ハランも変わらず情報屋の店員として働いていた。

この半年で、情報屋の飲食店としての売り上げが目に見えて伸びたらしい。
看板娘としてのハランの働きのおかげだ。
ハラン目当ての客もいるくらいだった。

ハランはずっと情報屋の二階の部屋で寝泊まりしていたが、最近俺の家で一緒に暮らすようになった。

この頃になると、俺はいい加減プロポーズでもしようかと思い始めていた。

最近、出会った頃とは比べ物にならないくらいハランの笑顔が増えた。

実家のことが吹っ切れたのもあるだろうし、生活に慣れて余裕ができてきたこともあるだろう。

でも、多分一番の理由は友達ができたことだ。
この前、人生で初めて自分と同じくらいの歳の女友達ができたと喜んでいた。

ハランはその友達と遊びに行くことが増えた。
俺は最初、それが自分のことのように嬉しかった。
ハランが夕食の時に、その友達のことを楽しそうに話すのを見るのが好きだった。

でも、俺は段々違和感を覚え始めていた。

「ねぇ聞いてグレイ! 今日はあの子と一緒に」
そう言って話すハランの目を見ると、ハートマークでも浮かんでいるかのようだったのだ。

とてもじゃないが、友達について話す目じゃなかった。

心酔というか、崇拝というか。
そんなものを感じ取った。

その相手のことを心の底から慕っていることが、嫌というほど伝わってきた。

俺がハランと別れたのは、そのすぐ後のことだ。

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