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「瀬野から言われて来たんでしょ?ありがたいけど、あたしは大丈夫だから、帰りなさい」
──口調は優しいが、考えていた事が現実となり、動揺を隠せなかった。
「いや、迷惑とか、そーゆう事じゃないのよ?あなたに移したくないからで・・・お願いだからそんな顔しないでっ」
頭の中で自分を引っ叩いた。病人を困らせてどうする。わたしはリュックのサイドポケットに忍ばせておいたマスクに手を伸ばし、装着した。
「これで大丈夫です」
早坂さんは目をパチパチと瞬いた。
「わたしが来たくて来たんです。このまま帰れと言われても無理なんで・・・言うこと聞いてくれませんか?」
早坂さんは、はあと息をつくと、力が抜けたように笑った。
「そんなこと言われたら、言うこと聞くしかないじゃない。わかったわ。ただし、あたしにあまり近づいちゃダメよ」
「・・・早坂さんに言われるとは思わなかったです」
「え、そお?」
普段は近すぎると指摘しても余裕で無視するのに。
「まず、寝室に行きましょう。2階ですよね?」
「そうよ。やだっ!なんか緊張するわ!」
これだけ喋れるなら、回復も早そうだ。
「ご飯は食べました?」
「無視?」
「何か作りましょうか?」
「無視なのね。情けない事に喉が死んでてねぇ、固形物は受け付けないのよ」
「ゼリーとかプリンは食べれませんか?」
「あ、それならイケるかも」
「瀬野さんが食料買って行ったって言ってたけど、食べなかったんですか?」
「カップラーメンを?ただでさえ死ぬほど喉が痛いのに?」
噴き出しそうになるのを堪えた。
「きっと、手間がかからない物と思ったんですね・・・」
「そうね。レトルトカレーの辛口と特盛りご飯は非常食用に棚に閉まっておいたわ」
「クッ・・・スタミナをつけさせようと思ったんですね。とにかく、早く横になりましょう」
「上手いこと言うわね。ところで雪音ちゃん、登山にでも行って来たの?」
「・・・おばあちゃん、わたし荷物を置いてから行くから、早坂さんをベッドまで連れて行ってくれる?」
「わがった!」元気な返事をくれたおばあちゃんは、早坂さんの背中にピョンと飛び乗った。
「行ぐぞ遊里!」
「あいあい。雪音ちゃん、階段上がって右の部屋よ」
「わかりました」
階段を上がる後ろ姿はどう見ても、早坂さんに連れて行かれるおばあちゃんにしか見えないが──とにかく今は、安静にしてもらいたい。