僕が認めてもらえた日
「どうして……」
「っ!?」
とても綺麗な女性が、木の陰から現れ立ち塞がった。
この暗闇の森よりも……まるで星一つない夜空のように黒く艶やかな長い髪と、それとは対照的に透き通るような白い素肌。
彫刻のように整った端正な顔に、紅く柔らかそうな唇。
何より――その輝く真紅の瞳は、吸い込まれてしまいそうなほど綺麗だった。
「どうして君は、そんな酷い目に遭ったのに、それでも|私を《・・》|庇《かば》ってくれたんですか……?」
「え……?」
女の人の言葉の意味が分からず、僕は思わず呆けた声を漏らす。
この|女性《ひと》とはたった今出会ったばかりで、すぐ|傍《そば》にいるなんて思わなくて。
そもそも僕は、あの竜を|庇《かば》っただけ。女の人を|庇《かば》ったわけじゃない。
「あはは……勘違いしているみたいですけど、僕は別に、あなたを助けたわけじゃ……」
頭を掻き苦笑しながら否定するけど、女の人はかぶりを振るばかりで聞き入れてくれない。
それによく見たら、綺麗な真紅の瞳が涙で潤んでいた。
「あ、あの人達に負わされた怪我も、大したことなかったですし」
「そんなわけ……ないでしょう……っ」
駄目だ。全然会話が噛み合わない。
こんなの皇宮では|いつもの《・・・・》|こと《・・》だったし、回復魔法のおかげですぐに治っちゃうし。
だから僕としては、逆に恐縮しちゃうんだけど。
「本当に……」
「え……?」
「本当に……君は……っ」
女の人は一気に近づくと、僕をぎゅ、って抱きしめた。
すごくいい匂いがして、柔らかくて、温かくて。
でも、どうしてこんなことをされたのか分からなくて、女の人の腕の中で、僕はただ困っていた。
◇
「こほん……すみません。少し取り乱してしまいました」
ようやく離れてくれた女の人は軽く咳払いをすると、少し澄ました様子で軽く謝罪する。
そんな姿がちょっと可笑しくて、僕は少しだけ笑ってしまった。
「……なんですか?」
「っ!? い、いえ! 何でもないです!」
じと、とした視線を向けられ、僕は慌てて首を左右に振る。
その……すごく綺麗な|女性《ひと》ではあるけれど、どこか冷たさというか、恐さを感じるんだけど……。
「そ、それで、あなたは何者なんですか……?」
とりあえず、僕は気になっていたことを尋ねてみる。
確かにあの二人組は、『黒い竜』か、もしくは『黒髪の紅い瞳の女』の人を見なかったかと聞いてきた。
そういう意味でも、この女の人の特徴と合致しているし、人間が足を踏み入れることのない暗黒の森に逃げてきたと考えれば、辻褄が合わなくもない。
……いや、逆におかしいんだ。
ただの人間が、暗黒の森を逃げ場と考えたこと自体が。
|人間《・・》|ではない《・・・・》あの二人組に、追われていた時点で。
「申し遅れました。私はドラグロア王国の王女……いえ、|元《・》王女ですね。“メルセデス=ドレイク=ファーヴニル”と申します」
女の人は胸に手を当て、自己紹介をした。
だ、だけど、どこかの国の王女様……だって!?
「そ、そうなんですね。僕はギルベルト=フェルスト=ハイリグス。一応、ハイリグス帝国の第六皇子……らしいです」
同じく僕も名乗ったけど、歯切れが悪く、最後は声が尻すぼみになってしまった。
王女様と聞いて混乱したっていうのもあるけど、一番の理由は、所詮はこの森に捨てられてしまった僕が、皇子と名乗るなんておこがましいと思ったから。
「ギルベルト……良い名前ですね」
「そ、そうでしょうか……」
名前を褒められたことなんてなかったから、どう反応していいか分からない。
でも、僕に対してこんなにも穏やかな表情で話をしてくれる人は、この|女性《ひと》が……メルセデスさんが初めてだ。
「もうお分かりかもしれませんが……私はあなたに命を救っていただいた、あの黒い竜です」
そう告げたメルセデスさんに、僕は沈黙する。
ひょっとしたらそうなんじゃないかと思ったけど、はっきりと肯定されると納得半分、混乱半分だ。
だって、あんなに大きな竜がまさか人間の姿になるなんて、誰が想像つくだろうか。
ただ。
「よ、よかったあ……」
僕は思わず、胸を撫で下ろした。
あんなに酷い怪我を負っていたからどうなるかと思っていたけど、見た限り元気そう。
やっぱり竜だから、怪我の治りも早かったりするのかな。
「えへへ……大したことない回復魔法だけど、少しは役に立ったのかな。それなら嬉しいな」
そう言って僕は、頭を掻いてはにかむ。
きっと竜……メルセデスさん自身が強いからだろうけど、それでも、こんな僕の魔法がちょっとでも助けになったのなら、嬉しいに決まってる。
この十年間、僕は|役立たず《・・・・》でしかなかったから……って!?
「あああ、あの!? メルセデスさん!?」
「少しなんて、それどころの話ではありません。死を待つだけだった私を、君は救ってくれた。それに……私のために、どれだけ苦痛を与えられても守ってくれた」
僕の手を握りしめ、彼女は訴える。
冗談でも、ただのお世辞でもなく、本気で言ってくれているということは、彼女の手の温もりから……その真紅の瞳から、充分過ぎるほど伝わってきた。
だからこそ。
「そ、そんなわけないじゃないですか。僕は|役立たず《・・・・》で、回復魔法だって大した怪我しか治せなくて……」
僕は顔を逸らし、自虐的に笑いながらそう告げた。
そうじゃなきゃ、こんなところに捨てられることなんて、あるはずがないんだ。
なのに。
「いいえ」
メルセデスさんは、きっぱりと否定する。
「君の回復魔法は素晴らしいです。ニンゲンが……いえ、私達竜族を含め、この世界において君以上に回復魔法を使える者は、どこにもおりません」
本当にこの人は、何を言っているんだろう。
これまでだって|小さな《・・・》|怪我《・・》しか治したことないし、きっと酷い怪我を治すなんてことは、できるはずもない。
だって。
「……僕は、|役立たず《・・・・》だもん」
みんながそう言った。僕以外の、全ての人達が。
だから僕は、彼女が言うような人間じゃないんだ。
「ふう……」
メルセデスさんは大きく息を吐き、かぶりを振る。
ようやく僕のこと、理解してくれたみたい……っ!?
「いい加減にしてください」
突然彼女は、僕の両頬を細くしなやかな手で挟み、強引に顔を正面に起こした。
そのせいで、メルセデスさんの綺麗な顔がものすごく近い。
でも……彼女は、すごく怒っているように見えた。
「君が|役立たず《・・・・》だというのなら、この世の全ての者が|役立たず《・・・・》です。それは、この私も含め」
「な、何を……」
「いいですか。私の身体を癒やしてくれた……私を救ってくれたギルベルト君が、|役立たず《・・・・》であるはずがない。……いいえ、違いますね。その小さな身体に宿す大きな勇気で恐怖に打ち勝ち、私に寄り添おうとしてくれた君が……たとえどれだけ傷ついても、それでも私を守ろうとしてくれた君が、|役立たず《・・・・》であってたまるか」
真正面からまっすぐな瞳をぶつけ、逸らすことも、背けることも許さずに、メルセデスさんは告げる。
僕が否定する僕を、真っ向から否定して。
「だけど……だけど! みんなが言ったんだ! 僕は|役立たず《・・・・》だって! 邪魔な存在なんだって! みんなが……お父さんが、そうはっきりと言ったんだ……っ」
せっかく諦めようとしたのに。
|役立たず《・・・・》のままここで死のうって、そう決めたのに。
どうして。
「どうしてそんなことを言うんだよお……っ。これじゃ僕……僕……自分が|役立たず《・・・・》じゃないって、そう勘違いしちゃうじゃないかあ……っ」
これまで我慢し続けてきた思いが|溢《あふ》れ、涙が|零《こぼ》れ落ちる。
自分を認めないことで期待しないようにして、悲しんだり苦しんだりしないようにしてきたのに。
これじゃ……全部台無しだよお……っ。
「何度でも言います。君は|役立たず《・・・・》ではありません。誰よりも強く、誰よりも優しい素敵な男の子ですよ」
僕の言葉なんて全然聞き入れてくれず、メルセデスさんはにこり、と微笑む。
嘘だと思っていない、本当のことだって信じて疑わないと、その瞳から……手の温もりから、これでもかというほど伝わってくる。
「…………………………本当に?」
「はい」
精一杯絞り出して、ようやく声にならない声で震えながら尋ねた僕に、メルセデスさんは力強く頷く。
「僕は……|役立たず《・・・・》じゃないの……?」
「違います。君は|役立たず《・・・・》なんかじゃない」
「僕……僕……っ」
ああ、もう駄目だ。
こんなの……耐えられるわけがない。我慢できるはずがない。
「う……ううう……うああああああああああああ……っ!」
僕は泣いた。大声で泣き叫んだ。
皇宮でどれだけ殴られても、蹴られても、嫌がらせされても、罵られても、馬鹿にされても、泣いたりしなかったのに。
「君は|役立たず《・・・・》じゃない。|役立たず《・・・・》なんかじゃない」
「うわああああああああああああん……っ!」
メルセデスさんが僕を、優しく抱きしめる。
そうだ……僕は、誰かに認めてほしかったんだ。
僕はちゃんとこの世界にいるんだって。
誰かにとって必要な存在なんだって。
今日、僕は――。
――初めて誰かに、認めてもらえたんだ。