バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第10章 頂上対決—三国菓子品評会

 大河が流れるほとり、広大な敷地を擁する一角に、仮設の大テントが設えられていた。白い幕と色とりどりの旗が翻(ひるがえ)り、その中央には見るからに豪華な長机が並ぶ。天上にはランタンや飾り布が掛けられ、まるで華やかな祝祭のようにも見える。けれど実際には、ここは三国の首脳——曹操(そうそう)、孫権(そんけん)、そして劉備(りゅうび)が一堂に会する極めて重要な“会談”の場だ。

 歴史の教科書ならば、この場は軍略や政治的合従連衡を図る殺気立った場面が描かれるだろう。しかし今回は、ある種の奇妙な目的で三人が集うことになった。すなわち“菓子品評会”。乱世のさなかで一体何を——と誰もが訝しむが、事実、三国それぞれが独自に発展させた“甘味”がここに集結し、その優劣や魅力を競い合うという異例の催しが行われようとしていた。

---

### 背景と狙い

 事の発端は、曹操・孫権・劉備の使者が互いにやり取りを重ねる中で、「定期的に首脳会談を開こう」という提案が浮上したからだ。もちろん主目的は軍略や領土問題、飢饉対策などの協議にある。だが表舞台での衝突を避けるため、やわらかい“お題”を設けての会合が都合がよかった。そこに目を付けた孫権の家臣が「我らが積極的に進めている塩キャラメルなどを、曹操や劉備にも披露してみてはいかがでしょう。品評会の形にすれば、自然と和んだ雰囲気で話ができます」と進言したのだ。

 曹操は当初、「そんな甘ったるい催しなど無用」と渋い顔をしていたと伝わる。しかし、劉備陣営の“甘粥”が人心掌握に効いているという情報や、自らも菓子研究所を設立している手前、ここで引くわけにはいかない。こうして三国の首脳は、表向き“菓子品評会”という穏やかな名目で、しかし水面下では激しい政治的駆け引きを隠し持った会談に臨むこととなった。

---

### 会場の様子

 当日は時折小雨が降り、強い日差しが遮られるほどの曇天だったが、かえって大テントの下は過ごしやすい空気が流れていた。真ん中に一段高い席が設けられ、その左右に曹操、孫権、劉備が位置する。まるで“審査員席”のような趣だ。さらに周囲には各陣営の家臣や軍師、護衛兵が控え、警戒を怠っていない。

 「曹操殿、改めてお目にかかる。今回はこのような場をご用意いただき、感謝します」
 劉備が礼儀正しく挨拶すると、曹操は薄く笑みを浮かべて応じた。
 「ふん、互いに血で血を洗う戦も飽きたところだ。たまには穏やかな趣向もいいだろう。……もっとも、こちらとて遊び半分ではない。菓子とやらにも深い意味があるのだからな」

 少し離れた位置に座っている孫権は、軽く顎を引いて曹操を見つめる。
 「もちろん、呉(ご)としても本気で臨む。私の兵たちが開発した塩キャラメルの味、存分に味わってもらいたい」

 その言葉に、周囲の家臣たちがざわめく。劉備の陣営からは、悠介が視線を落として小さく深呼吸していた。これまで菓子は飢饉対策や兵士の士気アップのために作ってきたが、こうして曹操や孫権が激突する“舞台”で正式に品評されるとは想像もしていなかった。

---

### 曹操・孫権・劉備、それぞれの菓子

 しばらくして司会進行役と思しき人物が壇上に立ち、各陣営の菓子を順番に紹介するとの声が上がる。まずは曹操側の“王道”が提示された。

1. **曹操陣営:伝統技術を極限まで突き詰めた王道の飴菓子**
- 曹操が全国から集めた技術者たちによる結晶。麦芽糖や果物の煮詰め方を徹底研究し、火加減や混ぜ方を最適化したことで、見事な透明感と硬度を持つ飴菓子が完成した。
- 見た目は色鮮やかで、果実を中心に美しい造形が施されている。例えば、桃の形をかたどった飴や、ナツメを蜜でコーティングしたものなど、王道ながら職人技が光る逸品。
- 曹操軍の配下が大きな銀の皿で運んできて、首脳陣の前に並べると、周囲から感嘆の声が上がった。

2. **孫権陣営:海塩と果物・香辛料を組み合わせた先進的な味**
- 孫権が力を入れている“塩キャラメル風”の菓子に加え、魚醤や海藻のエキスを微量に使った独創的なスイーツも用意している。
- 注目は“塩甘味”のバリエーションだ。蜂蜜をベースにしながらも、海塩や干しエビ粉を少し加えて旨味を際立たせ、濃厚な味を演出。噛むたびに甘じょっぱさが口に広がる。
- 孫権の家臣によれば、これらを大量生産し“呉ブランド”として市場に出す計画があるという。皿に盛られた菓子からは、ほんのりと磯の香りが立ち上り、早くも話題をさらっていた。

3. **劉備陣営:悠介が手がけた総合力と贅沢な果実・スパイスを使った新感覚菓子**
- 悠介は、ここ最近の経験を生かし、まるで現代の高級スイーツのような“フルーツとスパイスを掛け合わせた菓子”を開発していた。
- 具体的には、蜂蜜とシナモン、ショウガを煮詰めたソースを用い、さまざまな果実(干し杏や干し梨、ナツメなど)を絡めて固めたもの。さらに仕上げには香り高い花椒(かしょう)を微量に振って刺激を加えている。
- 一見すると地味だが、噛むたびに甘さ、酸味、そしてかすかな辛味が重層的に広がる。この複雑な味わいが新感覚の魅力となり、劉備軍内でも話題になっていた。

 この三品をテーブルに並べたところで、司会役が大声で宣言する。「これより、三国首脳による菓子の品評と、互いの意見交換を行います!」
 兵士や家臣たちが見守る中、三人の首脳が席に腰を下ろし、まずは曹操の飴菓子に箸を伸ばした。

---

### 試食と評価

 曹操の飴を手に取ったのは孫権。透明感のある表面が光を反射し、まるで宝石のように見える。口に運ぶと、ぱりっとした表面から濃厚な甘みが流れ出し、果実のエキスもふわりと香る。孫権は「なるほど、これは職人芸だな」と素直に感嘆した。

 続いて劉備が同じ飴を試すと、やわらかな表情で言葉を漏らす。
 「甘さがくどすぎず、上品だ。よくここまで火加減を極められたものだな。曹操殿、技術者たちを多く集めたと聞くが、さすがに見事だ」

 曹操は涼しげな目で二人を見やり、少し口の端を上げる。
 「ふん、当たり前だ。私の下には各地から選り抜きの人材が集まった。研究には金も惜しまぬ。……ま、まだ改良の余地はあるがな」

 そう言いながらも、曹操自身もその飴を手に取り、一口含む。苦労の末に完成した傑作であるだけに、満足そうな表情を浮かべた。

 次に、孫権の塩キャラメルが配られる。今度は曹操が試食役を買って出た。見た目は茶色がかった固形菓子で、表面に淡い塩の結晶が散っている。かじると、蜂蜜と麦芽糖の甘みがわっと広がり、後からやってくる塩味が舌を刺激する。さらに鼻をくすぐる魚醤や香辛料の匂いが独特だ。

 「ほう……海の香りがするな。だが意外とクセになりそうだ。このコクは何だ? 魚醤か。いや、思いの外いやらしくない。複雑で興味深い味だ」

 曹操が思わず独り言のように呟くと、孫権はにやりと笑う。
 「嫌いな人はとことんダメかもしれんが、気に入る者は深くハマる。呉の地形を活かした新しい味わいだ。軍用の携帯食としてもいいが、市場で売れば税収アップも見込める。何より、塩味は兵の体力回復にも有効ではないか?」

 劉備もまた塩キャラメルを味わい、「確かに面白いな……兵たちが好きそうだ。あと、取引品としても価値が高そうだ」と興味津々である。

 そして、いよいよ悠介が作った“新感覚フルーツ菓子”を三人が試す番だ。司会役が美しく盛り付けられた皿を運び、曹操・孫権・劉備の前に置く。その鮮やかな果実の色彩と、さり気なく散らされたスパイスの香りが、空気を一変させる。

 曹操が箸で一片をつまみ、口へ運ぶ。始めは甘みが優勢だが、噛むたびに酸味や辛味が連鎖するように広がり、複雑な風味が口内を満たしていく。思わず「む……」と声を漏らし、孫権や劉備も同じように驚きの表情を浮かべる。

 「これ、何を使っている? たしかに蜂蜜と果物はわかるが、香辛料が独特だ。花椒にショウガ……あと僅かにシナモンか?」
 曹操が鋭い舌を感じさせる質問をぶつけると、悠介が前に出て頭を下げた。
 「はい。シナモンやショウガ、花椒を少量ずつ混ぜて煮詰め、口に残らない程度に調整しました。甘いだけでは飽きてしまうので、変化をつけたくて……」

 孫権は軽く目を見開きながら、「なるほど」と呟く。
 「確かに甘さにキレがある。こういう複雑な味は兵士が疲れているときにも刺激になりそうだ。しかも飽きが来にくいというのは、保存食としても利点だろうな」

 劉備は笑みを浮かべ、悠介に目配せする。
 「この男は、私の軍で菓子作りをしておる悠介という者だ。曹操殿もご存じだろうが、捕縛された経験もあってな……。だが、こうして思いのままの菓子を作らせると、実に面白いものを生み出すのだ」

 ちらりと曹操の表情を見やると、わずかに眉が動いたが、すぐに無表情を装う。想定外の展開ではあるが、悠介がこれほど完成度の高い菓子を作るとは曹操もまた認めざるを得なかった。

---

### 和やかな空気と政治的駆け引き

 こうして三人は、互いの菓子を褒め合いながらも、内心ではさまざまな思惑を巡らせていた。

- **曹操の思惑**:
「悠介はやはり捨て難い人材だ。手段を選ばず取り込みたいが、下手をすれば再び逃げられ……。それに孫権や劉備は既に甘味を政治利用している。ここで、どの程度情報を引き出せるか……」

- **孫権の思惑**:
「呉ブランドの塩キャラメルは好評だ。これを武器に曹操との交渉を有利に進めたいし、劉備との関係も保っておきたい。だが曹操が悠介を再び狙うようなら、こちらにも策が必要だろう。どのタイミングで手を打つか……」

- **劉備の思惑**:
「民衆への飢饉対策や兵の補給に、悠介の菓子が大いに役立つことは明白だ。曹操に奪われるわけにはいかないが、正面衝突は避けたい。孫権との同盟を維持しつつ、曹操の出方を探りたいところだ……」

 このように、見た目はただの“菓子品評会”ながら、互いの背後には血なまぐさい政治や軍事が絡んでいる。周囲の家臣や軍師も同様に緊張感を漂わせており、ちょっとした言葉尻でも揉めかねない空気が漂う。

 だが、食卓に並んだ菓子から立ち上る甘い香りが、不思議と場を和ませているようでもあった。普段なら刀や槍の音が響く場面で、今回は笑い声や感嘆の声が混じる。さすがに曹操も孫権も、甘い菓子を口にしている最中は剣呑(けんのん)な表情を見せるわけにもいかず、やや落ち着いた表情を保っている。

---

### 品評会の余波—話し合いの転換点

 ひとしきり試食が終わると、司会役が「さて、ここからは協議の時間といたします」と声を張り上げた。それを合図に、戦略的な話し合いが一気に始まる。民衆の飢え、曹操がさらに勢力を拡大しつつある事実、孫権が海上交易を通じてどんな軍備を整えるかなど、三国の首脳がそれぞれの課題をぶつけ合う場面だ。

 だが、不思議なことに、先ほどまでの菓子の甘さがまだ口に残っているせいか、いつものような険悪な応酬にはならない。軽い皮肉や牽制こそ飛び交うが、いきなり剣を抜くような殺伐さはない。それは兵や家臣たちも感じ取っており、品評会が作り出す“和やかな空気”が効いているのだと察する者もいた。

 もちろん、曹操は油断しているわけではない。孫権は計算高いし、劉備も侮れない。だが、どうせ話し合いを続けるならば、こうした“菓子文化”を議題に含めるのも悪くない。民を支える手段としての甘粥や塩キャラメル、精巧な飴菓子が、結果的に天下統一への道を左右するかもしれない——そんな予感さえ抱かせる光景だった。

---

### 曹操の再勧誘と悠介の決断

 会談が一段落し、休憩が入った頃。悠介はテントの端で片付けを手伝っていたが、ふと背後に冷たい視線を感じる。振り返ると、そこには曹操が立っていた。鋭い瞳を細めて、悠介をじっと見つめている。

 「……曹操殿。先ほどは菓子を召し上がっていただき、ありがとうございます」
 悠介は一応礼儀正しく挨拶するが、内心は緊張していた。かつて囚われの身になった記憶が蘇るからだ。

 「ふん。あの菓子、悪くなかった。おまえの腕は本物だな」
 曹操は小声でそう言うと、周囲に誰もいないのを確認しながら続けた。
 「改めて問おう。おまえは私の配下にならぬか? こんな時代、菓子だけでは生き延びられん。私の下に来れば、思う存分研究もできよう。……劉備よりも、私の方がおまえを有効に使いこなせるさ」

 脅迫でもなく、淡々とした口調だけに怖さが増す。だが、悠介は迷いながらも首を横に振った。
 「俺は……劉備さんに助けられましたし、何より仲間たちもいるので。たとえ厳しい状況でも、一緒にやっていこうと思っています」

 曹操は特に怒るでもなく、静かな笑みを浮かべるだけだった。
 「そうか。ま、今はそれでよかろう。……だが、いつかおまえが必要ならば、私はいつでも手を差し伸べる用意がある。そのときまで、おまえが無事でいるといいがな」

 その言葉は、まるで淡い脅迫のようにも、執着の表れのようにも聞こえた。悠介は心をざわつかせながら、曹操が踵(きびす)を返す背中を見送る。彼にとっては、菓子はただの嗜好品ではなく、天下統一のための歯車の一つ。悠介を取り込むことは彼の“計算”のうちにあるのだ。

---

### 孫権とのやり取り

 さらに、孫権もまた悠介に声をかける場面があった。こちらはもう少し砕けた口調だが、やはり裏に打算が見え隠れする。

 「へえ、おまえがかの菓子職人か。噂は聞いていたが、本当に面白いものを作るな。……もし呉に興味があるなら、歓迎するぞ。塩キャラメルの開発もまだ道半ばだ。おまえのアイデアがあれば、新たな市場を開拓できるかもしれない」

 悠介は頭を下げながら応じる。
 「ご提案はありがたいですが、今は劉備さんのもとで働きたい気持ちが強いです。でも、お役に立てることがあれば、菓子のやり方くらいならお教えしますよ」

 孫権は少し目を丸くして、「へえ、やぶさかではないのか」と感心する様子を見せる。
 「まあ、そこまで教えてくれるならこちらも助かる。貴様の誠実さには感謝する。……ただ、曹操が引き抜きを狙っているのは明白だ。気をつけろよ、あいつは何でもやる男だ」

 そう告げて立ち去る孫権の背にも、どこか張り詰めた覇気が漂っていた。悠介は思わず苦笑いする。まるで相撲取りが人材をスカウトするかの如き光景だが、ここは命のやり取りが日常の世界。どれだけ菓子作りで平和な空気を作ろうと、戦の火種は消えないのだと痛感する。

---

### 閉幕—そして次なる展開へ

 こうして菓子品評会は、表向きは和やかに幕を下ろした。三国の首脳が互いの甘味に舌鼓を打ち、笑い合う姿が見られたことは確かだ。しかし、その裏で政治的駆け引きは熾烈を極める。曹操は悠介を取り込む隙を窺い、孫権は呉ブランドの拡大を狙い、劉備はこの緊張関係の中で民衆の支持をさらに集めたい。

 品評会が終わる頃、会場には甘い香りがいつまでも漂っていた。兵士や家臣たちが片付けをしながらも、飴菓子の残りや塩キャラメルの切れ端、悠介の新作菓子をつまんで、あれこれ感想を述べ合う。誰もが「これは歴史的瞬間かもしれない」と感じているが、同時に「この先、どうなるのか」という不安も拭えない。

 史実ならば軍事会談の一環として、ここで同盟や内紛が決まることだろう。しかし“菓子”という要素が加わった今、未来は誰にも読めない。甘味を操る三国が互いにどう折り合いをつけるのか、あるいは全面的な衝突に至るのか——それはこれからの情勢次第だ。

 悠介は最後に大皿を抱えてテントを出て、夜風に当たりながら深呼吸した。頭の中は混乱しているけれど、菓子作りを通じて人々に笑顔と救いをもたらしたいという意志は変わらない。たとえ曹操や孫権が自分を引き抜こうとしても、今は劉備との絆を優先するつもりだ。

 「菓子品評会……変な感じだけど、これが戦火を止める一歩になれば、いいんだけどなあ」

 つぶやきながら夜空を見上げる悠介。その瞳には、華やかな星々が映っている。三つの国が三つの方角に散らばり、いつまでも続くかに見える戦乱。その中で甘味が果たす役割とは何か。悠介はその問いの答えを探し続けながら、三国の乱世を駆けていく。

(第10章・了)

しおり