離宮炎上
さすが、王女らしいドレスに身を包むと、彼女には凛とした華があった。個人的には侍従のメイドの格好の方が可愛らしくて良かった。正直、うちの爪の鋭いねこみみメイドよりメイドらしかったと思う。そして、魔王と王女の会談に同席を許されたのは天使だけだった。
いかに魔王とはいえ、天使の前では傍若無人な態度はとらぬだろうということらしい。だが、あの邪神様の鎧を貫き、体力や魔力をそぎ落とす弓が健在なら、俺も天使の前では恐縮しただろうが、弓も翼もない今の天使に脅威は感じない。
淫魔将軍らには別の部屋が用意され、そこで休むことになった。俺から引き離されることをねこみみメイドたちは快く思わなかったが、いかに王女とはいえ、ただの人間ごときに俺をどうこうできるはずもなく、彼女たちはおとなしく別室で待機することになった。
近衛の騎士も護衛という名目で会談に同席したかったようだが、王女様は、彼がいたら会話が弾まないと察しているようで、部屋から追いだした。
「魔王様は、甘いものは?」
王女が俺に尋ねた。お茶菓子とともに気楽に会談を進めたいようだ。
「あ、ああ、嫌いじゃない」
「では、天使様は?」
「はい、大丈夫です。天使とて、普通に物は食べますよ」
「分かりました。では、お茶とお菓子を用意させますね」
王女は、侍従をベルで呼んで、お茶とお菓子の用意を指示した。
「あ、そうだ。魔王が人間を食べるという話、あれ、デタラメだと、今後は語り継いでもらえないか」
「あら、魔王様は、意外に小さいことを気になさるのですね。魔王としては、人を食うと噂された方が箔がつくのではありませんか」
「いえいえ、人間に恐れられるのは構いませんが、そういうデタラメな伝承があるから、人間は魔界に勇者を送りたくなるのでしょう」
「ふふ、そうですね、甘いものが嫌いじゃない魔王と知られれば、魔界に対する民の見方もかわるかもしれませんね」
「そういうこと」
「で、お聞きしたところによると人間界には物見雄山のつもりで来たとか」
「伯爵令嬢からお聞きになりましたか?」
「はい」
彼女は話のタネとして、俺から聞いたことを王女様に手紙で伝えたのだろう。地方に飛ばされてもそこそこ長い歴史の家柄ならば、王女と交友関係があってもおかしくはいない。もしくは、俺を話のタネに、王女と親しくなるため興味を持ちそうな話題を提供したのかもしれない。体の弱い父親を支えている娘という共通点がふたりを近づけているのかもしれない。
「もうこちらに来て、随分と人間界を見て回れたのではありませんか?」
「いや、まだ、この国の最大の都、王都は見ていません。一応、そこまでは見に行きたいかと」
「ですが、正直申し上げて、もうここらで満足してもらって魔界に帰ってもらえませんか」
王女は、単刀直入に申し出た。
「やはり、私が人間界にいると迷惑ですか?」
「はい、大迷惑です」
「人間は食いませんが」
「それでも、です」
「私には、急いで、魔界に帰る理由がありませんが」
「あなたが人間界にいることを利用して、魔王が好き勝手に人間界を我が物顔で歩いているのは、国王が無能無策だからだ、とか、国王軍はあてにならぬ、神殿の聖騎士らを頼るべきだとか、色々と吹聴している輩がいまして・・・」
「つまり、国王の権威が失墜するので迷惑していると。しかし、それは、国王の権威を守るためで、私に利は?」
「分かっております、魔界への不干渉、勇者派遣の中止ですね。そのためにも、早く帰っていただきたいのです。国王の権威が失墜すれば、民は余計に勇者や神殿にすがります、分かりますか」
「なるほど、では、国王を恐れて魔王が魔界に逃げ帰ったということで国王の権威を守った場合、私の望む、勇者派遣の中止を確約していただけるのなら、すぐにでも魔界に帰りましょう。どうでしょうか」
「いいでしょう、ただ、勇者を魔界に送ることは慣習に近いものになっていますので、即とはいかないでしょう。私の生きている間は全力でそうなるように努力するという約束では、いかがでしょうか」
「努力ですか?」
「申し訳ありません、私は王女でしかありませんから、中止を確約できる立場にはありません。ただ、天使様に誓って生涯努力すると誓います」
王女はちらりと天使を見た。天使もそれぐらいの見届け問題ないという顔をした。
うむ、長い慣習となっているものをそう簡単に変えられないことは分かる。たぶん、国王に会っても、努力しようという言葉が引き出せたら御の字だろう。
それに、ここで俺が魔界に帰ってこの王女に貸しをつくるのは悪くない条件に思える。少なくとも、俺に損はない。
「分かりました、ここは王女様の顔を立てるということで、魔界に大人しく帰りましょう」
王都にどうしても行かなくてはならない理由はなくなったと思うし、人間界に乗り込んできた俺としては、王族の王女に貸しをつくるのは、大きな成果だろう。魔界に戻ったら、今度は魔王の俺が話を盛って人間界で大暴れしてきたと吹聴すればいい。魔王の俺が人間界に行って無事に帰ってきたということだけで、魔王の名に箔はつくだろう。なにしろ、歴代の魔王で誰も人間界に行った者はおらず、無傷で帰れば、魔王の俺の株は当然のごとくあがるだろう。
もし、王女の努力虚しく、すぐ新たな勇者が送られてくるようなら、人を食らう以上の恐怖を与えに人間界に再来すればいい。
そうやって、話がまとまりかけてきたときに近衛の騎士が邪魔するように飛び込んできた。
「失礼します、王女様」
近衛の騎士は王女に耳打ちして、慌ただしく部屋を出て行った。表情が暗い。
「魔王様、大変なことになりました。早馬が来たのですが、伯爵家の御屋敷が暴徒に包囲されているようです。まだ持ちこたえているようですが、屋敷の中に突入されるのも時間の問題だと」
「狙いは俺の臣民か」
「はい、伯爵家は魔王に味方する敵ということで襲われているようです」
「ちっ」
「どこに行くつもりですか」
「もちろん、助けに」
「今から行っても間に合いません。それに、ここも暴徒に囲まれ始めていると」
「ここも?」
「はい、その暴徒の後ろには光の神殿がついているのでしょう。私や父はあまり神殿の言いなりにはなりませんから、私の義理の母や弟側について、この際邪魔者を排除してこの国を自由にしたいのでしょう。ですから、向かうのでしたら、頭を。光の神殿の総本山を襲った方が」
「頭を潰せと?」
「はい、頭を潰されては、手足は動きようがありません」
なんて大胆なことを魔王に勧める王女様だ、だが、理に適っている。今から伯爵家へ向かうより、大元の光の神殿の総本山に向かった方が早いはずだ。
「いいのか、光の神殿の教祖を潰しても」
「はい、光の神様がいなくなるわけではありません。神の威光を借りた権力志向の男が消えるだけです」
「そうなれば、国王の権力が増すというわけか」
「その分、勇者派遣を中止しやすくなります」
「なかなか食えない王女様だ」
「誉め言葉ととっておきます」
「よ、天使、あんたは今の聞いて邪魔するか?」
「いえ、いま聞いている限りでは、根っこは国王と神殿の権力争いであって、人と人との問題だと思いますので、天は手を貸さず見守るだけかと。もし、どちらかが、無意味な大量虐殺を始めたのなら、天罰もあるでしょうが、今は・・・」
「じゃ、俺が光の神殿の総本山に乗り込んでも文句はないな」
「はい、ただ、光の神殿には、これまでに神が人々に授けた神器が揃っているかと」
「そうでなくては、おもしろくない」
逆に、そういう武器がなければ、俺が一方的な殺戮者となり、目に余るとして、天罰が落ちるかもしれない。すでに執行者だった天使が降りてきている、次は神自身が出て来る可能性もあった。が、光の神殿の総本山に乗り込むのは、俺の腹の中でもう決まっていた。
上手く王女の思惑にのせられたという気がしないでもなかったが、俺の臣民を救うのに最善の策だろう。
ふと外が騒がしいと思い、手近な窓から外の様子を見た。松明や武器を手にした民衆が離宮をうじゃうじゃとかこんでいた。
「魔女を殺せ、王女を殺せ」
群衆の歓声が聞こえた。魔王に味方する王女は魔女だと神官が民衆に吹聴し、それで、王女を殺せと叫んでいるようだった。この離宮を焼き討ちするのも厭わないという感じの殺意が漂っている。
これは急がないと、刻々と事態は悪くなりそうだった。