王女ガーネシア
近くの町で、貴族の持ち物らしい馬車に乗り換えた。その馬車は俺たちに近衛の騎士が乗っても余裕のある広い立派な馬車だった、
俺は同行している近衛の騎士に尋ねた。
「これから、どこへ」
「王女様のいらっしゃる、離宮へ来てもらう。そこで王女様に会っていただく、魔王殿も含めてな」
「離宮ということは王都から離れている?」
「なにか、問題が? 離れているとはいっても、ここから馬車でなら半日もかからずに着く。たぶん日暮れ前には着けるが」
「王女だけか? 国王は?」
「王女様がお会いになるだけ、光栄に思え。本来、魔王ごときが会える方だと思うのか」
「陛下も魔界の王だが?」
淫魔将軍が無礼者を見るような冷めた視線で、近衛の騎士を見据える。
「これは、失礼。確かに、魔王殿は魔界では、王でしたな」
「あんた、ケンカ売ってるの?」
ねこみみメイドも、不愉快そうな視線を送る。もちろん、フードで顔を隠しているが吸血姫も同じ表情だろう。ねこみみメイドの調教と魔王の俺の血を吸って以来、吸血姫の俺への敬意はねこみみメイドにも劣らない。
「お姉様、この無礼者、殺しましょうか?」
吸血姫が殺意を隠さず呟く。
馬車の中は外に比べて陽光が弱い。多少肌が焼けるかもしれないが、人間ひとり始末できないわけではない。
「なんだ、貴様ら、やるというのか」
近衛の騎士が逆にキッと俺たちを睨み返す。
「お前たち、これだけ人間界を騒がしておいて、討たれぬだけ、マシと思え」
「皆さん、仲良くいきましょう」
天使が、馬車の中の剣呑な空気を和らげるつもりで言ったが、天使の言葉程度では、場は和まなかった。
魔界にとって勇者が迷惑であるように人間界にとっても魔王は迷惑以外の何ものでもない、しかもそこに天使が絡んできたから王族として無視できなくなったので、会ってみることにしたというところで、歓待しているわけではないと近衛の騎士は言いたいようだ。
王女様が、こちらが思っている以上の策士で、人間界の悩みの種を一網打尽にできる好機と判断するかもしれない。俺たちのことを理解し、味方になってくれる保証もない。最悪、離宮に着いたら、びっしりと周りを兵士に囲まれるかもしれない。ここは敵の真っ只中の人間界である。天使がそばにいるから好意的に接してくれたひともいたが、天使がいなかったら、どうなっていたか。
天使を偽物扱いすることで、神官は農民を先導したが、天使がいなかったら、神官らは「魔王死すべし」と大々的に大衆を煽っていただろう。
いまさら、この馬車を下りる気はないし、もし王女が俺たちを捕らえようと考えているのなら、敵とハッキリと分かって、それはそれで、今後の行動の指針となる。敵と分からないままの方が厄介だと俺は思った。
それ以降、馬車の中で一切雑談はなく、近衛の騎士の言う通り、陽が沈む前に王宮と言ってもさしつかえないような立派な離宮についた。
兵ではなく、離宮で働く侍従たちがずらり並んで俺たちを出迎えた。どうも噂の天使様を一目見ようと自主的に出迎えに出て来たようであり、天使が馬車の中から姿を出すと、感激のあまりその場に泣き崩れるメイドもいた。だが、俺が馬車から出て来た時、一人のメイドがぷっと笑ったのを、俺は見逃さなかった。
まっすぐそのメイドに近づく。
「何がおかしかったかな、お嬢さん」
「いえ、魔王様には立派な角が生えていると聞いていたのですが、意外に普通のお姿なもので」
「ほぉ、人間界では、魔王はどんな姿と?」
「バカでかい角を生やし、獣のような牙を持ち、人間を生きたまま食らうとか」
「おやおや、人間は生で食うと美味なのですかな?」
「いえ、そう聞いていただけですので」
魔王と無礼ともいえる会話をするメイドに、その周りの従者たちがそれぐらいにしておけといわんばかりの顔をそのメイドに向けていた。
「なるほど、人間を生きたまま食らうか、いまここで試してみるかな?」
俺が冗談でそう言うと、近衛の騎士が慌てて、俺とそのメイドの間に割って入った。
「王女様から離れろ、無礼者!」
「いやいや、俺の顔を見るなり吹いたのは、そっちだが」
「いいから、離れろと言ってる」
なるほど、これが、噂の王女様か。メイドの格好をして、俺たちの観察をするつもりだったが、あまりにも俺が人間界の伝承とは違い過ぎて吹き出したようだ。しかし、人間を生きたまま食うなど、俺の知る限り、歴代の魔王で人間を食った者はいないはずである。こっちが吹き出したいくらいだ。
「これは、どういうおつもりですかな?」
王女は近衛の騎士を押しのけて、一歩、前に出た。
「お噂の魔王様の逞しいお姿を少しでも早く見たくて、なにしろ、私が魔王様とお会いになるのを快く思わない者もおりまして、このような恰好を」
その快く思わない筆頭らしい近衛の騎士が目をそらした。
「不快にさせて申し訳ありません、中でお待ちください、着替えてまいりますので」
メイドの格好をした王女が一礼して、すっと離宮の奥に引っ込んでいった。数人の侍従が慌ててついて行く。
「お前たちは、こっちだ」
近衛の騎士が何事もなかったように俺たちを、離宮の奥へ案内する。
正式に会う前に、油断している俺たちの素の様子を見たかったのだろう。もしかしたら、「人食い」の他に魔法で本来の姿を隠すとかいう伝承でもあるのかもしれん。魔王が人間界に来るのが初めてならば、本物の魔王に会う王族も彼女が初めてであろう。色々考えすぎて、王女として会う前にメイドに扮装して一目見ようとした。
そんなところか。
もし、俺たちを危険と本気で感じているのなら、そんな事せずに、離宮の奥に隠れて、近衛の兵でもずらりと並べて俺たちを出迎えたはず。
離宮ならば、それなりの警備の兵がいるはずなのに、出迎えに出て来たのは兵ではなく、メイドなどの侍従ばかりだった。つまり、いきなり剣をむけるほどの敵だとは思っていないというのは、勇者を送り出す側の人間にしては少しはいい対応だと思うべきだろうか。
とにかく、魔王と王女の会談は、この離宮で行われることになった。