四日目➉ そして誰もいなくなった
「はあ!? ちょ……っ、何それ!? どう言う事ッ!?」
「タ、タロー!? キミは今、何と言った!? 詳しく説明して頂きたい!」
家に帰ると、そこには既に樹とタロの姿があった。
またタロの魔法で、勝手に鍵を開けて中に入っていたのだろう。
しかし、のんびりとお茶を飲んでいた二人に、ドリームワールドであった出来事を説明すれば、二人は慌てて太郎に詰め寄って来た。
「どうもこうも、今言ったじゃないか。妃奈子ちゃんを泣かせてしまったって」
「だから、どうしてよ!? 太郎ちゃん、あなた一体、何したの!?」
しかしその説明だけでは、やはり納得してはもらえなかったらしい。
だから太郎は、更に説明を付け加えた。
途中で土田に会った事。
妃奈子を庇うために言った言葉。
途端に彼女が泣き出し、そのまま走り去ってしまった事……。
「な……っ、何て事を言うのよ、太郎ちゃん!」
そしてその直後、樹は怒りの声を張り上げた。
タロは……どうしたのだろうか。
樹と同じように怒りながら文句でも言って来るかと思いきや、彼は複雑そうに表情を歪めながら、珍しくも狼狽えていた。
「妃奈子ちゃんの前で、そんな酷い事言うなんて……あんまりだわ!」
「あんまりって何だよ? 何があんまりなんだよッ!?」
太郎だって、どうして妃奈子を泣かせてしまったのかが分からなくて悩んでいると言うのに。
それなのに一方的に怒られるなんて酷すぎる。
あんまりなのは、樹の方ではないだろうか。
「じゃあ、僕の何がいけなかったって言うんだよ!? 僕はただ、土田に勘違いされないように否定してあげただけじゃないか! それの何がいけなかったんだよ!」
「それは……ひ、否定の言葉を選ばなかった事に原因があるのよ! 太郎ちゃんのは言いすぎなの! もっと柔らかい言い方ってモノがあるでしょ!」
「柔らかい言い方? それって曖昧な言い方をしろって事!? どうして!? そんなの、多少はオーバーな言い方した方が良いに決まっているじゃないか! 生易しい言い方じゃあ、土田が勘違いするかもしれないし! ハッキリ否定してあげなきゃ、後で困るのは妃奈子ちゃんじゃないか!」
「何よ、勘違いって! そもそも勘違いしているのは、太郎ちゃんの方なんじゃないの!? だいたいその……土田君と妃奈子ちゃんが付き合っているって言うのが、そもそもの間違いなのよ!」
「どうして!? 何でそんな事言い切れるんだよ!?」
「それは……、えーっと、そうよ! それはこっちの台詞よ! 太郎ちゃんこそ、どうしてあの二人が付き合っているなんて、言い切れるのよ!」
「僕は見たんだよ、妃奈子ちゃんが土田と二人でお弁当を食べているところを! そこで妃奈子ちゃんが言っていたんだ! 僕には知られたくないって! 土田も、妃奈子ちゃんに嫌われるのは嫌だって! こんな話聞かされたら、これはもう二人が付き合っているとしか、思えないじゃないか!」
「そ、それは……っ、……ッ、その……っ」
その言葉に対して、樹は何かを言い掛けた。
しかし、思い留まるようにしてその言葉を飲み込むと、彼女は困ったようにして俯いてしまった。
「――ッ!」
樹のこの態度。
やはり彼女は何かを知っているのだろう。
それなのに何故、彼女は何も言ってくれない?
どうしてはぐらかそうとする?
何で?
何故、何も教えてくれない?
タロと一緒になって、自分と妃奈子を恋仲にすると、息巻いていたくせに。
酷い。
分からない。
イライラする事ばっかりだ!
「姉ちゃんだってそうだよ! 姉ちゃんだって、何か知っているんでしょ!? だって妃奈子ちゃんと土田が言っていたもんね! 姉ちゃんも知っているって!」
「――ッ!」
やはり図星なのだろう。
太郎の指摘に、樹は驚いたようにして目を見開いた。
「何で何も言ってくれなかったんだよ! どうして何も教えてくれなかったんだよッ!」
「……」
太郎の心からの叫びに何も答えず、黙り込んでしまう樹。
彼女のその反応が、彼の怒りを更に煽ってしまったのだろう。
太郎はギロリと樹を睨み付けながら、心に溜まっていたドロドロとしたモノを吐き出すようにして、更に声を荒げた。
「だいたい、僕は最初から嫌だって言っていたじゃないか! それなのに、姉ちゃんとタロが勝手に計画したんだ! 僕はこのままが良かったのに! ずっと、ずっと何も変わらない、このままの関係が良かったのに! それなのに、姉ちゃん達が全部引っ掻き回したんだ! 姉ちゃん達が何もしなければ、妃奈子ちゃんを泣かせる事もなかったのに! 全部姉ちゃん達のせいだよ! 姉ちゃん達が全部悪いんだッ!」
それは、樹とて良かれと思ってやった事だった。
タロが追試試験を持って現れた時、樹は素直にラッキーだと思った。
これに乗じて二人をくっ付けてしまおうと思った。
だってそうすれば、二人は喜んでくれる。幸せになってくれる。
そう、思ったからだ。
「あ、私……」
しかし、それは間違いだった。
良かれと思ってやった事は、ただのお節介だった。
そのせいで妃奈子を泣かせ、太郎に辛い思いをさせてしまった。
くっ付けるどころか、二人の仲を悪化させてしまったのだ。
これでは太郎に責められても、仕方がないじゃないか。
「ごめ……」
全ては自分のせい。
しかし、その罪悪感に胸を締め付けられながら、樹が謝罪の言葉を口にしようとした時だった。
「責任転嫁とは、見苦しいな、タロー」
「タロ……」
今まで黙り込んでいたタロが、ポツリと口を開いたのは。
「他人のせいにして八つ当たりか。他人に責任を全て押し付けて難を逃れようなど、駄目な政治家と同じではないか」
「な、なんだよ……」
客観的な意見。
全てを知ったかのような、偉そうな口ぶり。
けれども太郎を見上げるその大きな瞳は、今までに見た事のないくらいの真剣なモノ……。
その瞳を上から見下ろすと、太郎はギッとタロを睨み付けた。
「何だよッ! じゃあ、僕が何か間違った事でも言ったって言うの!? 何かおかしい事でも言ったって!? だったら教えてよ! どこがどう間違っていたんだよ! 僕の何が悪かったんだよッ!」
「いや。キミは何も悪くない」
「え……?」
「キミは間違った事は言っていないし、むしろ正しいと思う」
「な……え……?」
思いも寄らなかった、タロのその意見。
それに思わず言葉を失った太郎であったが、タロは狼狽える彼を真剣に見上げながら、淡々と言葉を続けた。
「キミには黙っていたが、実はボクも、ツチダとヒナコの仲については知っていた。キミに言ってしまえば、キミは絶対にヒナコに告白などしないだろうと思ったから黙っていたのだが、まさかキミも知っていたとはな。しかしだからこそ、ボクにも何故、ヒナコが泣いてしまったのかが分からない。ヒナコにとっては、キミがそう言ってやった方が良いハズなのにな」
「……」
「それに、キミが全ての責任をボク達に押し付けようとするのも、強ち間違ってはいない。キミの言う通り、事の発端はボク達だ。ボク達がラブラブ大作戦など決行しなければ、キミがヒナコを泣かせる事にはならなかったハズなのだ。それについてはボク達が悪かった。すまなかった、太郎」
「そ……そうだよ! 全部タロと姉ちゃんが悪いんだよ!」
突然、タロから出た謝罪の言葉。
まさかタロが素直に謝るとは思っていなかった太郎は、ただ驚きながらタロを見つめていたが、タロが頭を下げると同時に、思い出したようにして再び怒りに声を荒げた。
しかし。
「だがっ!」
「ッ!?」
頭を上げると同時に、今度はタロが怒鳴り声を上げた。
「それでも言って良い事と悪い事がある! その分別も付かんのか! お前は!」
「な……っ!?」
その怒鳴り声に、太郎は再び言葉を失った。
驚いたようにして目を見開く太郎を下から睨み付けながら、タロは構う事なく怒りの言葉を続けた。
「その遣る瀬ない気持ちから、責任を全て他人に押し付けるのは結構だ! だが、しかし! それを口に出すのは畜生のする事だ! 何を言えばイツキ隊長が傷付くかくらい、キミくらいの年齢になれば分かる事だろう! それともキミは、それすらも分からないくらいのバカなのか!」
「っ、そ、それは……っ!」
「ボクも隊長も、良かれと思ってやった事だ。それでも結果がこうなってしまった以上、ボク達には弁解の余地もないだろう。その上、ボクはキミのためではなく、自分の試験のためにやった事。故にキミに怒鳴られても致し方がない。しかし、隊長は違う。隊長は私利私欲のためではなく、心からキミのためにやっていたのだぞ! それくらい分かるだろう!? 理解出来るだろう!? キミ達は、幼い頃からずっと一緒の、幼馴染の仲なのだろうがッ!」
「……っ」
太郎が冷静であったのなら、タロの言葉はきっと届いていただろう。
タロの言う通り、言って良い事と悪い事がある。そして今のは、明らかに言っては悪い言葉だった。
言えば樹が傷付く事くらい頭では分かっているのに、怒りに身を任せて思わず口にしてしまったのだ。
その件については、確かに自分が悪かったかもしれない。
でも、
だけど……っ!
「煩いなっ! だいたい、僕は最初に言ったじゃないか! 妃奈子ちゃんとはずっとこのままでいたいって! ずっとずっと、何も変わらないこのままの関係でいたいって! だから告白なんかしなくないって! そう言っていたじゃないか!」
「ずっと、か……」
その言葉に、タロは残念そうに瞳を揺るがす。
そして少しだけ悲しそうに、ポツリと言葉を溢した。
「そもそも、ずっとなんて無理な話なのだよ、タロー……」
「え……?」
最初から太郎が主張していたその気持ち。
太郎の望む妃奈子との関係と、崩したくない二人の距離。
しかし、その想いにタロは首を横に振った。
それは無理だと。
叶わぬ夢だと。
「む、無理って何だよ! そんなわけないだろ! 僕が何も言わなければ、何も変わらないんだ! 良くも悪くもならない、このままの関係でいられるハズだろ!? だったら……」
「タロー……」
ポツリと。
彼の名を口にする事で、タロは彼の言葉を遮った。
そして必死に訴える彼の叫びを、タロは再び首を横に振る事で、再度否定した。
「分からぬか? キミが嫌だと言っても、時は進むのだ。時が進めば、キミを含めて周りの人間の環境も変わる。例えキミが変わらずとも、ヒナコも隊長も、ツチダだって、いずれは自分の道へと進んで行く。例えキミが不変を望んだとしても、他の者が変わる事を望めば、不変など叶わない。皆、自分の道を進むために、キミから離れて行く事になるからな」
「……」
「ヒナコとてそうだ。キミが彼女との仲を進展させたいと望まねば、彼女はいずれ、他の男と結婚する。その時、キミに悔いはないと言い切れるのか? 本当に二人を笑顔で祝えると、そう言い切れるのか?」
「そ、それは……、それはもちろん言い切れるよ! だって僕は妃奈子ちゃんの事は好きだけど、別に彼女とは恋人になりたいわけでも、結婚したいわけでもないんだから。ずっと、友達でいたいだけなんだから!」
それに例え後悔していたとしても、心からなんかじゃなかったとしても、満面の笑みで「おめでとう」くらい、いくらでも言ってやれる。
例えその笑顔も言葉も嘘だとしても、それで妃奈子とずっと友達でいられるのなら、いくらでも言ってやる事が出来る。
妃奈子の望む言葉は、いくらでも与えてやれる自信がある。
もちろん、それが偽りの言葉である事を、彼女に気付かれない自信だってある。
彼女だけではない。自分も、周囲の人達も、生涯ずっとその偽りの言葉で騙していく事だって出来るだろう。
バレない自信しかない。
そして本心には蓋をして、心の奥底に封印し、いずれは消してしまうのだ。
何故、自分を選んでくれなかったんだと言う、妃奈子に対する自分勝手な恨み。
彼女を奪い取った彼氏に対する、憎しみに近い呪い。
そして一歩を踏み出す事の出来なかった、自分に対する後悔の念。
それらはきっと誰にも気付かれる事なく、時間とともに消滅していくのだろう。
でもその代わり、自分の望んだ妃奈子との友達関係は続けられるハズなのだ。
彼女との関係が壊れるくらいなら、そっちの方が幸せに決まっているじゃないか。
「不可能だな」
しかし、そんな太郎の気持ちを、タロがピシャリと切り捨てる。
ずっと?
いつまでも?
そんなの、不可能に決まっているじゃないか。
「それが可能となるのは、双方がその関係を望んだ時だけだ。確かにキミは、妃奈子との不変を望んでいる。だが、彼女はどうだ? 例え遠くに引っ越したとしても、他に仲良くしたい友達が出来たとしても、楽しい趣味を見付けたとしても、結婚したとしても、キミとずっと友達でいたいと、そう望んでくれるのか?」
「そ、それは……」
「キミの事など忘れて、この先一生合わなくなる可能性の方が高いんじゃないのか?」
「……っ」
どんな関係であろうとも、双方がその関係を望み続ければ、不変の仲でいる事は可能だろう。
それは、互いがそうでありたいと望むからだ。
しかし、一方だけがそれを望んでいる場合は、その関係は続かない。
確かに、自分が相手をずっと想い続ける事は可能だろう。
しかし、相手は違う者と結ばれ、いずれは自分の事などキレイさっぱり忘れてしまう。
そうなれば、不変でいる事など出来るわけがない。
例え自分がどんなにその関係を望んだとしても、相手がそれに応える事はなくなってしまう。
想っているのは自分だけ。
相手の心からは自分の姿など消え失せ、幼馴染ですらない、ただの赤の他人になる。
そうなれば当然、ずっと、いつまでも、なんていられるハズがない。
当然、自分の望む未来などはやって来ない。
「確かにキミのヒナコへの想いは、時間とともに消滅するだろう。けれどもそれは同時に、ヒナコの視界からも、キミの姿が消滅した事を意味するのだぞ」
「……っ」
「キミが動かねば、ヒナコはいずれ、キミの前からいなくなる。もう二度と会う事もなくなってしまうかもしれない。それでもキミは、彼女に自分の気持ちを伝えるのが怖いと言うのか?」
「怖いよ……それは、怖いに決まっているじゃないか!」
いずれはやって来る消滅の時。
しかしそれが分かっていても、告白するのはやっぱり怖かった。
「だって、僕が妃奈子ちゃんが好きだなんて、彼女にとっては迷惑かもしれないんだ! 僕なんかが告白したら、気持ち悪がられるかもしれないし、軽蔑されるかもしれない! それに、土田だっているし……っ! それだったら、遠い未来で疎遠になってしまった方が、よっぽどマシだよ!」
受け入れてもらない可能性がある以上、告白なんてしたくない。
フラれたら、気味悪がられたら、距離を取られたらと思うと怖くて出来ない。
告白なんて、怖くて出来ない。
「ボクは、そっちの方がよっぼど怖いけどな」
「え?」
しかし返って来たのは、またしても意外な言葉。
何を言っているんだと疑問の目を向ければ、タロは当然だと言わんばかりに口を開いた。
「ボクはいつまでも、足枷にしかならぬ現在を引きずっている方が怖い。いつ来るかわからぬ未来に怯えて過ごす方がよっぽど怖い。好きなら好きだと伝えたい。例え相手がボクの事など好きではなかったとしても、お試しで付き合ってくれる可能性だってある。そして付き合っているうちに、ボクの事を好きになってもらえる可能性だってあるのだ。その可能性を捨てる方が、ボクにとっては怖い事だ」
「……」
「告白したら軽蔑された? ならば相手はその程度の、器の小さな女だったと言うだけだ。それが分かっただけでも良い事ではないのか? その程度の女に、これ以上自分の時間を無駄にされずに済むのだからな。さっさと次の恋に進めるだけでも、告白するメリットはあるんじゃないのか?」
「な……っ、ヒナコちゃんはそんな子じゃ……っ、」
「もしもの話だ。だいたい、何事も挑戦もしないで諦めると言うのは、如何なモノなのだ? そりゃ、全てが上手く行くわけがないだろう。努力すれば報われる? 迷信だな。努力など、報われる事の方が少ない。世の中、無駄な努力の方が多いのだ。しかし、そこで諦めずに次の挑戦に努力し続ける者だけが、次のチャンスを掴む事が出来るのだ」
「そんなの……タロだからそう考えられるんだろ。僕には、タロみたいに明るく考える事は出来ないよ」
「フン、まるで、明るく考える方が悪いみたいな言い方だな」
呆れたように鼻を鳴らしてから。
タロはそっと太郎の脇を擦り抜け、部屋から出て行こうとした。
「どこ行くの、タロ?」
そんな彼を呼び止め、問い掛ける。
するとタロは一旦立ち止まり、太郎を振り返る事なく口を開いた。
「少し、考えさせてもらいたい」
「え?」
何が?
その言葉の意味を込めて、首を傾げれば、タロはようやく、ゆっくりと太郎を振り返った。
「キミには悪いが、ボクはボクのやった事に後悔はしていない。ボクはボクの出来得る最善をやったつもりだったからだ。その結果については謝るが、ボクの努力自体をキミに非難される覚えはない」
それだけを言い残すと、タロはポテポテと足音を立てながら、どこかへと立ち去ってしまった。
「太郎ちゃん、私ももう行くね。妃奈子ちゃんの事も心配だから、ちょっと様子を見て来るわ」
「……」
「今日は彼女も来ないと思うけど、ちゃんと夕ご飯食べてね。それじゃあ、またね」
「……」
タロに続いて樹までもが出て行けば、シンと静まり返る小さな家。
「この家、こんなに静かだったっけ……?」
ただ、タロが来る前の状態に戻っただけなのに、どうしてこんなにも寂しいのだろう。
喧しいタロがいないから?
お節介な樹がいないから?
温かい妃奈子の差し入れがないから?
それとも……。
「ははっ、きっと僕が後悔しているからだ……」
シンと静まり返ったその部屋で。
太郎の呟きは誰も耳にも入る事なく、ただ静かに消えて行った。
――徐々に勢いを増す雨音が煩いせいだろうか。
その夜、彼は中々眠りに付く事が出来なかった。