五日目① 今日はタロのターン
昨日までの天気が嘘のよう。
その日は、朝から雨が降っていた。
「タロちゃん、ご飯だよー! 目玉焼き作ったの! 冷めちゃうから早く食べようよ!」
既に目を覚まし、飼い犬である犬五郎と
どうやら朝ごはんの準備が出来たために、タロを呼びに来てくれたようだ。
「うむ、ありがとう」
昨日、太郎の家を飛び出したものの、タロには他に行く当てがなかった。
試験を放り出して、パラレルワールドに帰るのも気が引けたからだ。
そんな途方に暮れていたタロに声を掛けてくれたのが、心配して追い掛けて来てくれた樹であった。
良かったら家においで、と誘ってくれた彼女の言葉に甘えて、彼女の家にお世話になる事になったタロ。
樹の家に向かったところ、出迎えてくれたのは彼女の家族。
さすがは樹の家族と言ったところだろうか。
ありえないデフォルメ体型のタロを見ても、二人と一匹はまったく動じなかった。
そればかりか、「あら、面白い子が来たのね! 上がって、上がって!」と、快く彼を迎え入れてくれたのである。
「タロちゃんの世界の食文化って、どうなっているの? この世界と同じかな?」
「うむ、一緒だ。肉も野菜も何でも食べる。……おい、頭を齧るな、イヌゴロー。ボクの世界では、犬肉も食うぞ」
「バウアウバウバウ!」
そんなタロを快く迎え入れてくれた両親は、今日は朝早くから仕事に出掛けてしまったらしい。
そこで代わりに樹が朝食を作り、タロを呼びに来てくれたのである。
「じゃあ、卵も食べられるよね? はい、座ってー」
「何から何まで申し訳ない」
「気にしないで。嫌々やっているわけじゃないから」
キッチンにある食卓に案内されたタロは、ちょこんと椅子に腰掛ける。
目玉焼きの他に、味噌汁やご飯をよそったお椀が並べられれば、ほんわりと良い匂いがタロの鼻を掠めた。
「食べよ、タロちゃん」
樹もまた椅子に腰掛ければ、二人で手を合わせて「いただきます」の挨拶をする。
ズズッと味噌汁を啜れば、温かい汁がじわじわと体を温めてくれた。
「美味しい、です」
「そっか。良かった」
タロの素直な感想に樹が微笑めば、タロは次いで目玉焼きを口へと運ぶ。
うん、うまい。
「……」
パクパクパクパクと、ただ無言で食事をするタロ。
そんな彼の目はどこか悲しげで、いつもの元気など、どこにもなかった。
「……太郎ちゃんの事?」
タロの元気がない理由。
それはきっと、太郎と喧嘩した事だろう。
ただ寂しそうに食事をするタロにそう問い掛ければ、彼は食事の手を休め、しゅんと俯いてしまった。
「少し、キツく言いすぎたかもしれん」
「ふふっ、珍しいわね。タロちゃんが落ち込むなんて」
「落ち込んでいるわけではない。ただ……ボクとて、反省する時もある」
「そっか」
俯いている姿が小動物みたいで可愛いだなんて、場違いな事を考えている自分を内心で叱咤すると、樹は目玉焼きに醤油を掛けた。
「でも、タロちゃんが言った事、間違っていないと思う。それに太郎ちゃんって優しい反面、臆病だったり、すぐに諦めちゃったり、甘えているところもあるから。だからタロちゃんがキツめに言ってくれて良かったよ。誰も、彼をキツく叱ってあげられないから」
「何故だ? イツキ隊長が言ってやれば良いではないか」
キミなら思った事をハッキリと言ってくれそうだし。
そう付け加えれば、樹は不貞腐れたようにしてプクリと頬を膨らませた。
「もうっ、タロちゃんってば! でも、私もハッキリとは言えないかな? キツく言っちゃう事で、太郎ちゃんを傷付けてしまうのは嫌だから」
コトン、と醤油の瓶を置き、樹が食事を再開すれば、それを見たタロもまた、パクパクと朝食を口へと運び始めた。
「しかし、タローはキミに酷い事を言った。確かにタローの言う事は間違ってはいない。だが、あれではただの八つ当たりだ。キミも少しくらい、言い返すべきだったのではないのか?」
いくら正論とは言え、ボクだったら我慢は出来ん。罵詈雑言でも支離滅裂でも何でも良いから、何かしら言い返してやるぞ。
そう付け加えたタロに、樹は「タロちゃんらしいわね」と苦笑を浮かべた。
「それでも私は言えないわ。だって太郎ちゃんは、もう十分傷付いていたもの。彼の言う通り、太郎ちゃんが妃奈子ちゃんを泣かせてしまったのは、私のせい。私のせいで太郎ちゃんが傷付いたと言うのに、また私が太郎ちゃんを傷付けるわけにはいかないわ」
「しかし、それならばボクも同罪だ。昨日の企画は、キミだけではなくボクも一緒に作ったのだからな。だから隊長だけがそんなに気に病む必要は……」
「ううん、そうじゃない」
「?」
彼女は何が言いたいのだろうか。
その真意とは一体何なのだろうか。
そう疑問に思ったタロがふと顔を上げれば、樹は食べる手を休め、悲しそうに、ジッとお椀の中の味噌汁を見つめていた。
「太郎ちゃんの言う通り、私は全部知っていたの。知っていて、その上で良いと思ったから、タロちゃんに、ドリームワールドに行こうって提案したの」
「隊長……?」
いつの間にキレイに食べていたのだろうか。
最後に残った味噌汁をズズーッと飲み干すと、タロはカンッと音を立ててお椀をテーブルに置いた。
「実はボクも気になっていたのだ。何故、キミはボクに手を貸してくれているのだ?」
「あら、ディアン様に変身してくれたら協力するって約束したでしょ? 約束はちゃんと守らなくっちゃ」
ニコリ、と樹は微笑んでみせる。
しかし、それだけではタロはどうも納得がいかなかった。
「本当に、それだけなのか?」
「私にとって太郎ちゃんは、可愛い弟みたいな存在なのよ。その弟が妃奈子ちゃんを好きだと言っている。だったら姉としては、弟の恋は応援してあげなくちゃって思うじゃない?」
何の問題もなく聞こえるその動機。
特に深く考えなければ、その動機には十分に納得出来る効力があるだろう。
しかし、
「隊長。ボクには、その動機がどうも引っ掛かっていたんだ」
以前、樹が太郎に告げていたその動機。
その動機こそが、正にタロが気になっていたモノだったのだ。
だってそうだろう?
その動機には、おかしな矛盾点が存在するのだから。
「引っ掛かっていたって、何が?」
ずずっと味噌汁を飲み、コトンと音を立ててお椀がテーブルに置かれる。
そして樹が改めてタロに視線を向けた時、彼女のその表情から笑みは消え、代わりに真剣な眼差しが、真っ直ぐにタロへと向けられていた。
「隊長に、一つ確認したい」
そんな樹の瞳から逸らす事もなく。
彼女のその真剣な瞳を見つめ返しながら、タロは淡々とその疑問を続けた。
「キミにとって、幼馴染であるタローが弟のような存在である事は承知した。ではヒナコは? ヒナコとて、キミの幼馴染であろう? ならば彼女は、君にとってはどのような存在なのだ?」
「それは太郎ちゃんと同じよ。妃奈子ちゃんは私にとって、可愛い妹のような存在よ」
当たり前のように口にされた、その一言。
その一言に、タロはスッと目を細めた。
「では、何故タローの肩を持つのだ?」
「肩を持つって?」
「キミにとって、タローもヒナコも同じくらい大切な者なのだろう? では何故、タローの恋を応援するのだ? キミは勘違いだと言ったが、仮にヒナコに好きな男がいるとしよう。その場合、キミがタローの恋を応援する事は、ヒナコの恋を邪魔する事になるのではないのか?」
太郎は妃奈子の事が好きだ。
だから樹が太郎の恋を応援するのは頷けよう。
しかし、万が一妃奈子に好きな相手がいた場合、それは同時に妃奈子の恋の応援はしない事になる。
いや、そればかりか、彼女の恋を妨害する事になってしまうのではないだろうか。
ただの幼馴染としてしか見れない太郎を、妃奈子と無理矢理結ばせ、妃奈子には、その想い人との恋は諦めてもらう。
そう仕組んでいるのと、何ら変わりないのだから。
「それでは、不公平ではないのか?」
「……」
しばし無言の時が流れた。
しかししばらく待っていたところで、樹が何か言葉を発しようとする気配は感じられない。
それでも真剣な目を向けたままの樹に、タロは更に言葉を紡いだ。
「それから、タローが言っていた事も気になっている。キミが何かを知っていると。それにヒナコの反応も、ボクにはやはり納得が出来ない。だってツチダと付き合っているヒナコにとって、タローの言葉は大変ありがたいモノなのではないのか? ボクだったら助かったと、素直に感謝するだろう。それなのに、何故ヒナコは泣いてしまったのか……」
「……」
「イツキ隊長、キミはそれも含めて、全ての答えを知っているのではないか?」
「……」
「改めて問わせてくれ。イツキ隊長、キミは一体何を知っている?」
「……」
再び、沈黙の時が流れる。
聞こえて来るのは、暇そうにしている犬五郎の部屋を歩き回る音だけ。
無言で見つめ合う時間がどれくらい続いただろうか。
体感で結構長い時間、実際の時間にして数秒後、遂にその時間は破られた。
「……ふふっ、意外と鋭いのね、タロちゃんって」
その沈黙の時間を破ったのは、観念したように微笑む、樹の方であった。