五日目② 止まない雨
気分はさながら、探偵と犯人と言ったところだろうか。
樹が隠していた真実。
それを暴こうとしていたタロに、樹はクスリと苦笑を浮かべた。
「でも、そこまで分かっていて答えに辿り着けないなんて、ツメが甘いかな。さすがは、パラレルワールドの太郎ちゃんって言ったところね」
「む、それはどう言う意味だ?」
探偵気分から一変。
何故だろう。タロは何か今、ちょっとだけバカにされたような気分になった。
「しかし、と言う事は、やはり隊長は……」
ムッと頬を膨らませたタロであったが、すぐに探偵気分へと戻れば、樹は仕方がなさそうにコクリと首を縦に振った。
「うん、ごめんなさいね。私、最初から全部知っていたのよ」
「知っていた、とは何を?」
「うん……。あんまり教えたくはなかったんだけれど……」
教えたくはないが、教えない限り、タロは納得してくれないだろうし、これ以上彼を誤魔化すのも難しいだろう。
そう観念すると、樹はやはり仕方がなさそうにして、その答えを口にした。
「妃奈子ちゃんね、ずっと前から太郎ちゃんの事が好きだったのよ」
「な……っ、なんと!?」
口ではああ言いつつも、もしかしたら樹は妃奈子よりも太郎が好きだから、太郎の味方をしているのではないかと思っていたのだが……。
それなのにまさか、妃奈子も太郎に好意を寄せていたなんて!
その真実に思わず驚愕の声を上げると、タロは納得出来ないと言わんばかりに、その身を乗り出した。
「そんな、まさかヒナコまでもが幼馴染信者だったとは……っ!」
じゃ、なくて!
「ヒナコはツチダと付き合っているのではなないのか!? ボクも、そう聞いていたのだぞ!?」
そうだ、妃奈子は土田と付き合っているのだ。
だって二人は毎日一緒にお弁当を食べているのだし、土田は妃奈子を下の名前、しかも呼び捨てで呼んでいるのだ。
五十嵐だって、二人は付き合っていると言っていたし、他の生徒達の間でも噂になっているようだし……。
これで付き合っていないのだとしたら、じゃあ二人の関係は何だと言うのだ!?
「まさか、ヒナコの二股か!」
「まさか。妃奈子ちゃんはそんな子じゃないわよ。彼女はずっと前から、一途な恋心を太郎ちゃんにだけ寄せているのよ」
「で、では一体……?」
じゃあ、二人の仲とは一体何なのか。
眉を顰めながらそう問い掛ければ、樹はクスリと意地悪の悪そうな笑みを浮かべた。
「じゃあタロちゃん? 逆に聞くけれど、二人が付き合っているって話、土田君か妃奈子ちゃんから直接聞いたの?」
「うぐ……っ、い、いや、それは……っ!」
状況一変。
さっきとは逆に、今度はタロが問い掛けられ、そして黙り込んでしまう。
確かにタロは、五十嵐と土田の会話から、二人が付き合っているのだと判断した。
しかし、よくよく考えてみれば、土田はそんな事一言も言っていないのだし、逆に五十嵐のその指摘を否定だってしていたのだ。
「き、聞いていない……です」
「でしょう?」
しばしの沈黙の後、タロが観念したようにしてその事実を認めれば、樹はもう一度ニコリと微笑んだ。
「だって妃奈子ちゃんは、幼い頃からずっと太郎ちゃんの事が好きなんだもの。私と妃奈子ちゃんって、幼馴染みだし同性だしで、とても仲が良いの。こんなに小さい頃から、妃奈子ちゃんは私に恋愛相談を持ち掛けて来てくれていたのよ?」
そう言いながら、樹は自分の膝丈くらいを示した。
「もしもタロちゃんの言う通り、太郎ちゃんが妃奈子ちゃんを好きでも、妃奈子ちゃんが土田君を好きなのだとしたら、太郎ちゃんには悪いけれど、私は妃奈子ちゃんの味方をするわ。だって妃奈子ちゃんの恋が叶った方が、私は嬉しいものー!」
「……」
なるほど。確かに樹の言う通りであれば、全ての辻褄が合う。
太郎が妃奈子を庇うつもりで言った言葉だって、妃奈子が土田を好きであれば、とても気遣いのあるありがたい言葉なのだろうが、妃奈子が太郎を好きであれば、それは彼女を傷付けるだけの言葉のナイフとなり得る。
そのナイフで切り付けられた妃奈子が泣いてしまったのは、それは当然の話だっただろう。
そして樹の態度。
太郎と妃奈子が実は両想いであると知っていたのだとすれば、それは当然、樹はタロの追試に協力を申し出るに決まっている。
だってタロの追試が成功すれば、それは太郎だけではなく、妃奈子の長年の恋だって成就する事に繋がるのだ。
そりゃラッキーとばかりに参戦するだろう。
「ごめんね、タロちゃん。あなたが追試の話をしてくれた時、私はラッキーと思ったわ。だってタロちゃんの追試が成功すれば、太郎ちゃんの恋も、妃奈子ちゃんの恋も実って、みんながハッピーになれるんだもの。だからあれこれ言って、協力させてもらえるようにお願いしたの」
太郎ちゃんには大分迷惑がられちゃったけどね、と樹は付け足した。
「し、しかしイツキ隊長。それではヒナコとツチダの関係とは、一体何なのだ? ボクには付き合っているとしか見えなかったぞ? 何だ? 尋常じゃないくらいに、ものすごーく仲良しさんとでも言うのか!?」
それでも残る、もう一つの疑問。
それは、土田と妃奈子の関係であった。
聞けば二人は、毎日のように弁当をともにし、付き合っていると言う噂まで広まっている。
その上土田は、妃奈子を下の名前で呼び捨てにしているのだ。
こんなにも付き合っているんじゃないか要素を揃えておきながら、付き合っていないだなんて、じゃあ一体何だと言うのか。
親密な関係?
友達以上恋人未満?
それとも土田の一方通行?
それとも……?
「あの二人は部活仲間よ。家庭科部の」
「家庭科部?」
「そう、通称花嫁修業部。土田君って、物凄く料理が上手みたいよ」
「???」
「ああ、ごめんなさい、話がズレちゃったわね。何かね、土田君の好きな女の子が、妃奈子ちゃんととても仲の良い子なんだって。土田君も太郎ちゃんと仲が良いみたいだし。それで昼休みにお弁当を食べながら、二人で色々と情報交換をしているらしいのよ。だから敢えて言うなら……そうね、二人は協力関係ってトコかしら?」
「な、なんと……」
「二人が付き合っているって噂の事は、私も知っているわよ。全く、困ったモノよね。当人達は否定しているのに、噂だけが勝手に独り歩きしちゃっているんだから。だから早く告白しちゃいなさいって、妃奈子ちゃんにも言っているのに……。ホント、恋に奥手なのよ、太郎ちゃんも、妃奈子ちゃんも」
なるほど納得。全て理解した。
互いの利益のために強力しているのであれば、そりゃその内仲だって良くなるだろうし、お弁当を食べながら密談をしていたって、何もおかしくはない。
しかし、
「しかし隊長。それを知っているのであれば、何故二人に教えない? 二人に教えれば、タローがあんなに悩む事も、妃奈子が相談に来る事も、土田との噂になる事もなく、簡単に結ばれるではないか。それでみんなでハッピーエンドで終了、で良いのではないのか?」
ボクも追試に合格出来るし。
と言う言葉は、敢えて伏せておいた。
「そうね。確かに私が全部教えてあげれば、簡単に全部ハッピーエンドで終われる。でもね……、」
正論であろうタロの言葉に、樹は微笑みながら頷く。
しかしその途中で言葉を切ると、彼女は真剣な眼差しを、改めてタロへと向け直した。
「それは、私が伝える言葉じゃない」
確かに樹が二人に真相を話せば、全ての事は上手く運ぶだろう。
昔からの付き合いなのだ。樹がそんな嘘を吐かない事は、太郎も妃奈子も知っている。
だからその情報を伝えれば、二人は安心してその想いを伝え合うのだろう。
だって失敗する可能性はゼロなのだから。
良い結果が出るって、百億パーセント分かっているのだから。
でも。
でも、それは……。
「第三者の私がその言葉を伝えるのは、いくら何でもルール違反よ」
恋にルールなんてないとは、よく言うけれど。
でも、それでもそれは、やっぱりフェアじゃない。
第三者からの告白だなんて、やっぱり間違っている。
「だから私は、この事は二人には伝えていないの。これだけはやっぱり、二人が勇気を持ってやらなくちゃいけない事だから」
だから教えない。太郎にも、妃奈子にも。
だってそれは自分の役割じゃなくて、二人が通らなければならない道だから。
でも。
「いや、そんな事はない! そんなの、言った方が良いに決まっているッ!」
残念ながらタロは、樹の意見には賛同出来なかったらしい。
タロは声を張り上げると、ピョコンと椅子の上に立ち上がった。
「確かに隊長の意見も一理ある。しかしその事実を知れば、二人はこれ以上悩まずに恋仲になる事が出来るのだぞ? それならばズルだろうが何だろうが、やっぱり伝えるべきだ!」
それを知れば、太郎も妃奈子もきっと喜ぶ。
みんな、みんな、ハッピーエンドで終われる。
だったら多少のルール違反には目を瞑ってでも、伝えてしまった方が良いのではないだろうか。
「タロちゃんの言う事が一理ある事も分かるわ。でも……それでもやっぱり私は、賛成出来ない」
「賛成出来ないのは、ボクも同じだ!」
初めて別れた二人の意見。
出会った時から意気投合して、太郎と妃奈子を結ぶために一緒に突っ走って来たのに。
それなのに今、二人の意見はここで別れてしまった。
「みんなが幸せになれる道だと言うのに、何故躊躇う!? ボクはこの事実、タローに伝える!」
善は急げ、良いと思った事は即行動に移せ。
タロは椅子からピョンっと飛び降りると、早速とばかりにその場を後にしようとした。
「待って、タロちゃん!」
しかし、扉のノブを捻ろうとしたところで、彼は呼び止められた。
振り返れば、椅子から立ち上がった樹が、真剣な眼差しをタロへと向けていた。
「私は言わない方が良いと思ったから黙っていた。でもタロちゃんは話した方が良いと思った。だからこの事実を知ったあなたが、太郎ちゃんにこれを告げると言うならば、私は止めない。タロちゃんも進級が懸っているんだもんね。私に止める権利はないよ。だけど……」
そこで一度言葉を切ると、樹はスッと目を細めた。
「その上で警告するわ。タロちゃん、今は太郎ちゃんにこの事を伝えない方が良い。伝えれば必ず後悔する」
「……」
どこか冷酷な色を含む、樹の真剣な瞳。
細められたその瞳は、今度は何を語るのか。
太郎と妃奈子の恋を本気で応援している樹が、こんなにも引き止めているのだ。
だから彼女は確信しているのだろう。
タロが行動に起こすのは良くない。起こせば確実に失敗する、と。
だけど、
(悪い要素が見付からない)
樹の描く結末が、どうなっているのかは分からない。
けれどもタロが考え得る限り、失敗へと繋がる要素は一つも見付からない。
樹はどうして自分を止めるのか。
何をそんなに心配しているのか。
それは杞憂、もしくは気にしすぎなんじゃないのか。
(隊長の描く未来も、ボクが描く未来も、想像上のモノでしかない。ボクが行動を起こす事によって来る未来はどちらが描いたモノになるのか……。それは、やってみなくては分からない!)
この世界に来てからずっと、協力者として自分を支えてくれ、常に『味方』であった樹が初めて『敵』となった。
だから不安は大きい。
樹の予想する未来が来るかもしれないと言う不安は確かにある。
だけど、
(ボクがボクを信じなくて、誰がボクを信じると言うのだ!? 問題ない、大丈夫だ。ボクはボクの信じた道を行けば良い!)
そうだ、何を躊躇う必要がある?
他人の意見を参考にするのは構わない。
しかし、最後に答えを決めるのは他でもない自分なのだ。
それに、今までだってずっとそうして来たじゃないか。
そりゃもちろん、毎回正解の道を進めて来たわけじゃないけれど。
でも、自分の信じた道を進めば良い。
それが……、
(それがボクのやり方だ!)
不安な気持ちを打ち消すようにして、ブンブンと首を激しく左右に振ると、タロは太郎にその真実を伝えるべく、今度こそその扉の向こうへと飛び出して行ってしまった。
「あーあ、行っちゃったか……」
一応止めたのにな。
パタパタと走り去り、遂には聞こえなくなってしまった小さな足音に溜め息を吐くと、樹は窓の向こうに視線を向けた。
「雨、かあ……」
然程古い家ではないため、その音はよく聞き取れないが、窓の外では昨夜から降り続けている雨が、激しく大地を叩き付けているのが見えた。
「まだ、止みそうにないわね」
山田家は古いから、雨の音が大きく聞こえるんだろうな。
窓から視線を戻せば、いつの間にか足元で寝ている、暇そうな犬五郎。
椅子に腰を下ろし直した樹は、そんな彼に困ったような笑みを向けた。