初めてのお出かけ編 9
「うーん……どんなって言われても……」
次の話題は“緑”の魔力についてだ。
俺がここで話そうと思っていたことを、バレン将軍が俺の心を読んだかのように順序よく話題に出すのがちょっと怖い。
けどそれはバレン将軍が察しのいい人物だということにして……。
うーんと……緑の魔力……。
さて、改めて問われてもなかなか困るな。
俗に言う第6感――シックスセンスというものなんだと思うけど、体の周りに漂う魔力は視覚や触覚とは違う感覚で、しかしながらはっきりと認識できている。
それは確かだ。
けどその機能で得られる感覚はあくまで1種類であり、魔力を1つの感覚として認識しているだけだ。
“紫”と“緑”の2種類を感じ取れているわけではないし、俺の体にわずかながら備わっているという“基本系”魔力なんてなおさらわからん。
もちろん目の前にいるバレン将軍からも魔力の放出を感じ取れるけど、それだけだ。
どんな感じと聞かれても、普通としか答えられねぇな。
「普通です。2種類持っているって言われても……僕には1つの魔力としてしか自覚できません……」
いや、ちょっと待て。
もしかしてこれも異常だったりするのか……?
他の魔族は自身の持っている魔力を種類ごとに自覚出来ていたりするのか……?
と一瞬不安に思ったけど、バレン将軍の次の言葉で俺は少し安堵した。
「そうか……そうだろうな。まぁ気にするな。生まれたてはそんなもんだ」
この言いっぷりからすると、魔力に対する感覚は月日を経るに従って磨かれていくらしい。
今朝ここに来る途中の街で親父と会った時、親父が俺たちの気配に気付いたと言っていたけど、それもこういうカラクリなんだろうな。
そして俺には何も感じないこの街の魔力をバレン将軍が「騒がしい」と認識できているのも多分そういう理由だ。
じゃあ、自覚云々の話は置いといて……。
「ところで、“紫”の魔力……“幻惑”といいましたっけ? どういうものなんですか?」
別に今バレン将軍に聞かなくても、後々親父やお袋、またはアルメさんあたりに聞いてもいい。
でも俺の理解の順序が狂うのも嫌だし、バレン将軍はそういうのにもしっかり答えてくれそうだ。
なら今のうちに聞いちゃえ!
「ん? 幻惑の魔法か? 幻惑とは“誘惑”と“魅了”……と言ってもピンとこないだろうが、つまるところ相手を騙す魔法だ」
「騙す?」
「そうだ。戦闘中、実際とは違う自分の位置や動きを幻として敵に見せたり、周りに実在しない存在を幻として出現させて心理的に追い詰めたり。相手がそういうふうに錯覚するよう、偽りの光景や音を自分の魔力とともに相手の脳に伝える魔法だ。
幻覚と言ってもいいだろうな。ヴァンパイアにとって最も得意とする魔法だから、お前にとって何ら難しいことはない」
おいおい。それってある意味無敵なんじゃないのか。
どんなに強いやつでも幻で騙しちゃえば、簡単に勝てんじゃん。
「へぇ! それはすごいですね」
自分がヴァンパイアであることに対しにわかに自身が湧いた俺は、バレン将軍の説明に明るい声色で反応する。
力がものを言うこの世界。
そんな世界において、強力な魔法を使えるということはこの上なく心強い。
基本系魔法をまともに発動できないとバーダー教官から言われて以来ずっと不安だったけど、そういうことなら安心だ。
ヴァンパイア万歳! 様々な魔族ひしめくこの国で、だてに上級魔族に位置しているわけじゃないんだな!
でも……。
ヴァンパイアは魔族の中ではあくまで上級あって、最強というわけではない。
そんな話これまで出会った魔族から聞いたことはないから、幻惑魔法といえども万能ではないのだろう。
「とはいっても、全ての敵に幻惑魔法を成功させることは出来ない」
ほら、やっぱり。
幻惑魔法が効かない相手もいるってことだ。
「それはどういう種族なのですか?」
「いや、種族というくくりではない。こちらの幻惑魔法に対する魔力的な防御力。簡単に言うと敵の魔力が多い場合、こちらの仕掛けた幻惑魔法が弾かれることもある」
「なるほど」
「それだけじゃないぞ。例え相手の魔力が弱い場合でも、効かないことがある。幻惑魔法の効果とは“信じやすさ”に比例する。相手が前向きに信じようとする幻は、幻惑魔法の消費魔力量を少なくしても効くし、逆に相手が絶対に信じたくないような内容の幻はそうもいかん」
ん? どゆこと?
「えぇーと……つまり異性を好きであればあるほど、相手も好意を寄せてくれている可能性が高い。みたいなことですか?」
「全然違う。何言ってんだ? もう発情期か?」
うわ! すげぇ恥かいた!
ちょ……バレン将軍!? そんな幻滅した目で俺を見ないでくれ!
そんな冷たい視線を向けられると興奮し……じゃなくて!
「例えばの話……」
そう言って、バレン将軍は背後の壁に立て掛けておいた剣に手を伸ばす。
この剣もクールなバレン将軍の甲冑にお似合いの、柄と鞘の部分がとてもカッコいい一振りだ。
だけどそういうことはひとまず脇に置いといて……。
「想像しろ。今タカーシは私と戦っているとする。生きるか死ぬかの真剣勝負だ」
「はい」
「その戦いの中、私はこの剣でお前に攻撃を仕掛けた。それに先立ち、幻惑魔法も発動しているものとする」
「はい」
「お前の脳に働きかける幻惑その1。戦いでへろへろになった私がなんとか繰り出した遅い斬撃。という設定の幻惑だ。
そして幻惑その2。私が急に十体に分身し、それぞれがとてつもない魔力を放ちながら一斉にお前に襲いかかる。
お前にとって、どっちが嬉しい幻惑だ?」
「……前者です。幻惑その1の方……」
「そうだ。そして幻惑その2など、絶対に信じたくないよな?」
「はい。怖すぎます」
どうでもいいけど例え話のはずなのに剣を鞘から抜いて、切っ先を俺の顔のすぐ前に向けるのやめてくんねぇかな。
魔力だってとんでもねぇ量を実際に放ち始めたし、おしっこちびりそうだ。
「幻惑その1の場合は、幻の中身が実際の私の動きより遅いから、敵の防御も遅れる。その隙に一突き与えることが出来るだろう。
だがヴァンパイアがいきなり分身し、にもかかわらずそれぞれが本体と同等の魔力を持って襲いかかってくるなど、にわかに信じられるものではない。この場合、相手も目の前の光景が嘘だと理解しやすいから対処が出来る。結果、幻惑魔法は失敗ということになる。
相手がどのような種族で、どういう性格なのか。持っている武器の種類。敵味方の数や戦況。諸々の条件を考えて幻惑魔法を発動する必要がある。しかしそれをしっかり考えながら発動させれば、戦いを有利に進められる。そういうことだ」
なるほどな。
発動する前にいろいろ考えなくちゃいけないから、すっげぇ面倒な魔法だってことはわかった。
あとバレン将軍が剣を戻してくれた。魔力も納めてくれたから、ちょっと一安心だ。
俺は漏らしていないぞ。
「難しそうですね」
「でも、発動手順そのものは簡単だぞ。頭の中で幻の内容を想像した後、目に魔力を集めて相手を見ればいい。魔法の多くは発動の前に呪文や呪符が必要となるが、幻惑魔法はヴァンパイア固有のものだからな。発動条件が体に染みついているんだ」
ほうほう。それなら俺でもなんとかなりそうだ。
そうだな。この後アルメさんに試してみよう。
……あれ? でも……
「バレン将軍? 獣人は火が苦手っぽいですけど、僕とアルメさんが戦うとした場合、僕が火の魔法を出す幻をアルメさんに仕掛けたらどうなりますか?」
「あ、あぁ。そだな……。それは相手の恐怖心を煽るという意味で、有効だ。すまん。説明が足りていなかった。
相手が本能的に苦手とするものを幻で見せるというのは、相手の恐怖心を掻き立て平常心を失わせることができる。幻惑魔法はそれも考慮して幻の中身を考えるといい。
ちなみにアルメは炎系魔法の幻を見せたぐらいでひるむ獣人ではないからな。でも……やはり私はダメだな。教える側として順序良くわかりやすい説明をするのが上手くできん。申し訳ない」
そんでもって俺に対して頭を下げるバレン将軍。
いやいやいやいや!
十分親切に教えてくれてるから!
そもそも俺の都合で質問してるだけだから!
どんだけいい人やねん!
「そんなことないですよ。僕はバレン将軍大好きですし!」
次の瞬間、バレン将軍の剣が再度俺の喉元に突き立てられた。
「いきなり求婚など、言葉に気をつけろ。でも確かに聞いたからな? 千年後……そう、千年後に式を挙げるぞ」
「え? え?」
「冗談だ」
冗談かよッ!
そんなキャラじゃねーだろーがッ!
なんで無邪気な子供の笑顔に悪意で応えんねんッ!
マジビビったわッ!
こんちくしょう……親父に言いつけてやる。
あと、話戻そう。
「バ……バレン将軍は幻惑魔法の他にも魔法が使えるんですよね? 基本系とか……」
「あぁ。私は人間とヴァンパイアの混血だからな。基本系はだいたい使える」
「基本系って何があるんですか?」
「炎系、水系、土系、風系、雷系の5つだな。その他にはヴァンパイアの“誘惑”やお前の友人が見せていた防御魔法などの種族固有魔法があるし、基本系をいくつか融合させた上位技術魔法もある」
「へぇ」
「あえて言うなら、お前の友人がわかりやすい例だ。獣人の小僧は風系魔法を獣人特有の俊敏力に上乗せしてたし、目つきと口の悪いコボルト族の妖精は雷系魔法を体内に通すことで瞬発力を上げていた」
マジで?
「それとドモヴォーイ族が見せた炎系魔法の上位技術……。炎系で体を覆っている時、あの小僧は自身が燃えないように体表の周りに風系魔法で空気の壁を作っていたんだ。バーダーの指導もあるだろうが、皆あの幼さにしてはなかなか見事な戦い方だった」
おいおい。
フライブ君たち、めちゃめちゃ優秀じゃん。
俺、次からあの子たちと一緒に訓練することになっているけど……つ、ついていけるかな……。
「いや、バーダーがそういう子供たちを1つのチームにまとめたのかもな……」
にわかに生まれた不安感に俺が苦しんでいると、バレン将軍がそう呟き、肉料理の最後の一切れを口に運んだ。
俺はというと、会話しながらもわりと勢いよく食べていたので、すでに皿は空っぽだ。
でも昼食としては会話が長過ぎたし、そろそろ時間っちゃ時間だな。
アルメさんが店の外で待っているかもしれないし、フライブ君たちが訓練場で待ってくれているかもしれない。
バレン将軍だって忙しいだろうからな。
でも、肝心の話がもう1つ残っている。
「“緑”の魔力……なんなんでしょうね」
会話の流れをぶった斬るように、俺はしんみりとつぶやく。
その言葉に、バレン将軍も似たような口調で言葉を返してきた。
「緑……精霊……生命の源……うーん。回復力の効果がある……とか? でもヴァンパイアなんて回復力は魔族トップクラスだからあまり意味がないしな。うー……私にもわからん。
でも魔力そのものが多いということはいいことだ。体を守る魔力が強固になるから、それは単純に防御力が高いことを意味する」
「なるほど」
「加えて幻惑魔法。ただでさえ魔力による防御力が高いお前が幻惑魔法を上手く使いこなせるようになれば、よほどのことがない限り戦闘で死ぬことはあるまい。
もしかすると将来私でもお前を倒せなくなるかも。
まっ、その分攻撃力は期待できないからお前も私を殺せないだろうけどな。はっはっは!」
んで、なぜか途中から徐々に声色のテンションを高め、言葉の最後には高笑いするバレン将軍。
笑えねぇよ。
攻撃力が低いってことは逃げ回ることしかできないって意味だし、そもそもあんたと戦うような状況ってどんなだ?
さっきは説明のための例えだったけど、そんな状況は絶対にごめんだって。
「お前にはバーダーもいればエスパニもいる。アルメだって戦闘のエキスパートだ。あいつらにいろいろと相談しながら、じっくり解明すればいいさ」
「はい!」
結局、こんな感じでバレン将軍との話し合いは終わった。
最後に、みかんのようなりんごのような――そんな不思議な食感と味のする果物をデザートとして堪能し、俺たちは店を出ることにする。
店の前にはアルメさんが“お座り”しながら待っていてくれたので、“待たせてごめんなさい”の意味も込めて入念に体毛をわさわさしていると、「近いうちにまた会おう」という短い挨拶とともにバレン将軍が姿を消した。