正体
俺とカルミアはその後、街に戻り、朝待ち合わせた飲食店に戻った。
「お腹が空いたわ。何か食べましょう」
俺たちは適当に注文して、食事を始めた。
食事は静かにする人間なのか、カルミアは何も話しかけてこなかった。
二人ともほとんど同じようなタイミングで食べ終わり、
「美味しかったわね。せっかくだし、デザートも頂きましょうか」
とカルミアが言った。
「俺はいらない」
「まぁいいじゃない。ほら、このレアチーズケーキなんておいしそう」
「じゃあそれでいい」
「そう? んー。私はパンケーキにしようかしら」
追加で注文を済ませると、カルミアは俺に訊いてきた。
「今日はどうだった?」
「反吐が出るほど楽しかったさ。もう二度と行きたくない」
「楽しんでもらえたようで良かったわ」
カルミアに皮肉は通じないようだ。
余裕の笑みが俺をイラつかせる。
俺は念を押すように確認した。
「レンジは解放してもらえるんだろうな」
「ええ。もちろんよ。彼はとある倉庫に監禁している。終わったら詳しい場所を教えてあげる。それにしても、なんでも屋はあなたにとってそんなに大切な存在なのね。妬けちゃうわ」
「ほざけ」
「もう、本心なのに」
「何が本心だ。お前に心なんてないだろう?」
「失礼ね。七つの大罪くらいなら持ってるわよ」
「むしろそれしか持ってないように思うが」
「傲慢、嫉妬、憤怒、強欲、色欲、暴食、怠惰だけで構成された人間なんていたら、それはそれは醜いでしょうね」
「醜い? 急に自虐なんて始めてどうしたんだ。お前には自己嫌悪なんて似合わないように思うが」
「キリンさん、口が悪すぎやしないかしら」
カルミアがそう言って微笑んだところで、デザートが届いた。
「まあ、とっても美味しそうね。頂きましょう」
「そうだな」
「キリンさん、はい、あ~ん」
カルミアが切り取ったパンケーキをフォークで刺して、こちらに向けてきた。
「……毒が入っていそうだな」
「入ってるかもね。だとしても断ることは許さない」
ニコニコしながらも、強い口調で脅すように言われた。
俺は仕方なくそれにかぶりついた。
どことなく変な味がする。
やはり何か盛られたな。
手元は見張っていたというのに、器用なことだ。
「おいしい?」
カルミアが小首を傾げながら訊いてくる。
「本来は美味いんだろうな」
「どういう意味かしら?」
「お前、何を盛った?」
「ふふふ」
カルミアは……いや、カルミアだと思っていた女は口元に手を当て、内緒話をするように声を潜めて
「解毒剤よ」
と囁いた。
途端、女の姿がぐにゃぐにゃと揺らぐ。
俺は悟った。
昨日と同じことをされたのだ。
前回は仲介屋の姿がレンジに見えるようにされていたが、今日は……
「自己紹介は昨日したわね。トリカブト」
ベラドンナはそう言ってパンケーキを口に運んだ。
「ボスは急用が入って、今日は出てこられなかったの。代わりがこんなおばさんでごめんなさいね」
「あんたはまだおばさんって歳でもない。そのセリフを言いたいだけだろ」
「あら、嬉しいわね」
ベラドンナは口元を手で隠して上品に笑った。
「なんとなく予想はつくが、一応訊いてやる。一体俺に何をした」
ベラドンナは微笑みながら訊いてきた。
「今朝、会った時に『だーれだ』と言って目元を隠したのは憶えてる?」
「ああ」
「あの時、あなたに粉末状の毒を嗅がせたの。甘い香りがするのだけれど、心当たりがあるかしら」
「……ある」
こいつらは本当に油断ならない。
あの時点で、俺はすでにまんまとこいつの術中に陥っていたのか。
「私やヒガンバナはこういう毒をよく使うの。幻覚を見せたり、催眠したりすることができる毒。色々と便利だからね」
「今朝から俺は毒の効果によってお前をカルミアだと思い込んでいたんだな」
「そう。ボスの姿、あなたが知ってる三年前から全く変わっていなかったでしょ? それはあなたの記憶の中のボスが見えていたからなの。私の声もあなたには記憶の中のボスの声に聞こえていたはず」
「俺は今、その毒の解毒剤入りパンケーキを食わされたのか」
ベラドンナは笑顔で頷いた。
「そういうこと。それと、さっき私も解毒剤を打った。私も今朝からとある毒を摂取していたの。摂取した者に他人の精神を植え付ける催眠毒よ。それによって今日の私はボスの精神をこの身に宿し、ボスの性格の通りに振る舞っていた。自己催眠みたいなものね。あなたからは私の姿がボスに見えていたし、私の中身はボスだった。つまりボスと疑似デートした感じね。それを知った上で、改めてどうだった? 感想を聞いてこいと言われているの」
俺は深くため息をついてから答えた。
「カルミアに対する気持ちが大きくなるばかりだ」
「そう。それはボスが喜ぶわね。しっかり本人に伝えておくわ」
ベラドンナは嬉しそうに微笑む。
畜生、皮肉が通じない。
「そうしろ。そんなことより、もう茶番は終わっただろ。そろそろレンジが監禁されている場所を教えてもらおうか」
正体が割れたわけだし、俺は当然教えてもらえるものだと思っていたのだが、ベラドンナは渋った。
「うーん。どうしようかしら」
「は? 何を言っている。教えろよ」
「今日一日過ごすうちに、私もあなたのこと結構好きになっちゃった。ボスと同じ男を奪い合うなんて、ゾッとしないけどね。……この後、個人的に遊ばない? 二人だけの秘密にしてくれるなら、あなたをきっと楽しませてあげる」
自然と眉間にしわが寄る。
「ふざけるな。お前はデスゲームでもしてろ」
「参加者を集めるのが大変そうだから止めておくわ」
「なんで自分が主催者側だと思っているんだ。お前が参加者に決まってるだろ。どこかで開催されているゲームに飛び入り参加してこい」
「それは私に死ねってことかしら?」
「別に死んでも死ななくてもどうでもいい。お前に恨みはないからな」
「眼中にもないってこと? あなたはボスに夢中だものね」
「ああ。そうだな」
「おうおう、楽しそうに話し込んでるじゃねぇかトリカブト。こいつはお前のお友達か?」
突然、大柄な男がベラドンナの隣に座った。
あまりに唐突だったもので、俺もベラドンナも反応できずに一瞬固まった。
ベラドンナに体を寄せた元監守は、服の下から銃を取り出し、ベラドンナに突き付けた。
「途中から会話を聞いていた。事情は分からねぇが、こいつは敵だろ?」
「あ、ああ。そのまま銃を向けていてくれ元監守」
急に登場した元監守は一瞬で場の空気を変えた。
「まったく……今日は朝から情報屋で集合する予定だっただろ。行ってもいねぇから心配して探し回っちまったじゃねぇか」
そういえばこいつの存在はすっかり忘れていた。
何故この場に居合わせたのかは知らないが、今はありがたい。
ベラドンナはため息をついた。
「随分と紳士的なことしてくれるじゃない。あなたって、とっても素敵。でも、少し不用心に近づきすぎたわね」
ベラドンナは銃を握っている元監守の手に、素早い動きで触れた。
正確には、右手の親指と中指で針を摘まみ、その針を元監守の手に刺したようだ。
「ッ! 痛いじゃねぇか。何しやがる。撃たれてぇのか? あ、あれ……」
元監守は手から銃を滑り落とした。
ベラドンナはゆったりとした動作で銃を拾い上げた。
「麻痺毒よ。手、動かないでしょう?」
ベラドンナはそう言って微笑むと、元監守の腹に銃を突き付けた。
「形勢逆転ね」
「只者じゃねぇなお前。トリカブト、こいつは一体なんなんだ?」
「暗殺組織の組員だ」
「なるほどな……」
元監守は不機嫌そうにベラドンナを睨んだ。
「私はあなたのこと知ってるわよ。ヒガンバナからの報告でね。それにしても、ヒガンバナに誘導させてあなたにはかなり危険な仕事をやらせていたはずなのだけれど、よく生きていたわね」
「馬鹿みたいに警備は厳重だったし、何度か死にかけたが、生憎俺には息子がいるんでね。死ぬわけにはいかんのさ」
俺は呆れ果てて、ため息すら出なかった。
「おい馬鹿。何故自分から弱点を晒していくんだ。息子がいるなんて言ったら絶対人質に取られるだろうが」
「あ……今のは嘘だ。忘れてくれ」
ベラドンナは苦笑いした。
「まぁあなたには特に興味がないし別にいいのだけど、こんなのが味方で大丈夫なの?」
敵に心配されてしまった。
ベラドンナは言い過ぎたと思ったのか、フォローするように
「でも、ヒガンバナにはあなたを死なせるつもりで本当に危険な仕事をやらせるように指示していたから、それでも死んでいないということは優秀なのでしょうね。頭は悪いようだけど」
と言った。
「悪かったな馬鹿で」
元監守は面白くなさそうにそっぽを向いた。
「あなたが馬鹿なのは別にどうでもいいの。それより、楽しくお喋りしていられる時間もいい加減終わりかしら。私、帰らなきゃ。なんでも屋を監禁している場所を教えるわね」
ベラドンナは場所と、道順などを詳しく説明した。
「後で迎えに行ってあげて。今日は楽しかったわトリカブト。またね」
「もう会うことがないことを願ってる」
俺の答えを聞いて、ベラドンナは神妙な面持ちで頷いた。
「そうね。次会うときはこんなに穏やかな時間は過ごせないでしょうからね。……これ、返すわね」
ベラドンナは元監守の太ももの上に銃を載せると、
「じゃ、今度こそさようなら」
席を立って俺にウインクしてから去っていった。