第伍章「伊能の本懐」ノ漆
――タァーンッ!
その時、首領の手が弾かれた。
――タァーンッ!
――タァーンッ!
――タァーンッ!
さらに、立て続けに三発の銃声。いずれも首領の手首にヒットしたらしく、首領が手首を押さえて後退した。
(今のはカスパール殿!? 間に合ったのか!)
次の瞬間、伊能の視界がブレた。誰かに体を抱きかかえられたのだ。景色が目まぐるしく変わり、
「イノーちゃん、息して息!」
「ぶはっ、はぁっはぁっ」
「あぁ、良かった。間に合った」
腕の主はバルムンクだった。周囲には、辛うじて木々が残っている。敵の炎攻撃の、ギリギリ効果範囲外だったのだろう。
「はぁっ。て、敵は!?」
「カッツェが押さえてるわ!」
「アレは暗殺ギルドの首領ですじゃ。六六六個もの異能を使うと言っておった」
「それは大変」バルムンクが伊能を下ろす。「すぐに加勢に行かないと」
「同時に複数の異能を使うことはできないようですじゃ。狙うとすれば、異能を切り替える境目」
「了解。【真・継続は力なり】!」
バルムンクの体が輝き出すや否や、彼の姿がブレた。残像を棚引かせながら疾走する。音速を超えたバルムンクの体が空気の壁を破り、衝撃波が発生した。
カッツェが飛び退いた瞬間、入れ替わるように現れて首領の背後を取ったバルムンクによる、強烈無比な振り下ろし! 衝撃波を纏った大剣はしかし、首領の後頭部数センチ上で止まっていた。刃が光の壁に阻まれている。
(あれは【結界】の異能か!)
バルムンクの攻撃は止まらない。残像とともに高速移動しながら、首領を四方八方から斬りつけ、圧倒する。瞬く間に、首領のメイド服が血に染まっていく。
(いけるっ、勝てる! ――あっ)数秒後に、バルムンクがサイコロステーキにされる未来が視えた。「三秒後に全力後退!」
◆ ◇ ◆ ◇
【Side 暗殺ギルドの首領】
「ちっ」必殺のタイミングで放った【インビジブル・ブレード】を避けられ、首領は顔をしかめた。
ミドガルズ家将軍バルムンクの攻撃は圧倒的だった。いや、攻撃云々を語る前に、そもそもバルムンクの姿を目で追えないのだ。
(コイツの力はいったい何!? コイツの異能は【脳噛み】でテンペスト兄から読み取った記憶によると、バルムンクの異能は性格系の【継続は力なり】。進化系の異能? 知らない。こんな異能は知らない!)
いや、今は、そんなことを考えている場合ではない。
(【オーバークロック】十倍!)
思考速度を十倍化させる異能を使うことで、バルムンクの動きをようやく捉えることができた。【オーバークロック】で敵の動きを見極め、斬撃の直前に異能を【結界】に切り替えて光の盾を生成する。この組み合わせにより、ようやくバルムンクと対等に渡り合えるようになった。が、これでは防戦一方だ。
(【インビジブル・ブレード】!)
【結界】の直後に視えない斬撃で攻撃した。が、その攻撃は届かない。伊能による回避の指示があるからだ。【測量】の派生異能の効果によるものか、伊能には見えない刃が視えているらしい。
バルムンクの動きが、さらに鋭さを増す。【インビジブル・ブレード】は届かず、逆にバルムンクが避けるために退いたその一瞬を突いてニ方向から銃弾と矢が飛んでくる。
「うぐぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
押されている。最強であるはずの自分が、最強先頭集団の頭であるこの自分が、六六六個の異能を持つ自分が、押されているのだ。数十年来、感じたことのない危機感。
(出し惜しみしている場合じゃない!)首領は奥の手を使うことにする。年に一回、二十四時間しか効果を発揮できない、奥の手の中の、奥の手を。「【トリプル・コア】!」
これは、三つの異能を同時に起動できる異能。
一枠目は【トリプル・コア】の維持自体に使用する。
ニ枠目は、
「【
鮮血よりもなお赤い魔方陣が、天を覆い尽くした。
途端、バルムンクの動きががくんと遅くなった。異能を封じられたのだ。
【グランドシジル・オブ・デビル】は異世界の大悪魔たちが使う秘中の秘。その効果は『自分に都合の悪い異能をすべて封じる』というもの。絶対支配空間展開能力だ。
三枠目は、通常どおりの運用とする。これにより、首領は敵のありとあらゆる異能を封じつつ、自分はいつもどおり六六六個の異能が使用可能となる。
これが、これこそが首領の奥の手。
(ここまで追い込まれたのは、本当に本当に久しぶりね。けど、これで私の勝ちよ)
首領は呼吸を整え、
「【三つの暴力・ハーピーに啄ばまれし葉冠・呵責の濠・苦患の森に満ちる涙よ雨となり・煮えたぎる血の河と成せ】――」
高速詠唱。体内で、膨大な力を練り上げる。
「【パペサタン・パペサタン・アレッペ・プルートー――プレゲトン】ッ!」
◆ ◇ ◆ ◇
(これは!)首領の【暦】を読んでいた伊能は、敵が例の極大火炎魔術を使おうとしていることに気付いた。「総員全力退避!」
伊能は力の限り叫んだ。
次の瞬間、視界が『青』に染まった。
「ぎっ――」
爆風で吹き飛ばされ、肌を焼かれながらも、伊能は悲鳴を飲み込んだ。爆風を吸ったら肺を焼かれてしまう。
気が付くと、伊能は焼ける土の上で引っくり返っていた。全身が痛い。生きているのが奇跡と言えるような状況だった。
(いや、あやつはワシを喰うことに腐心しておる。消し炭にならぬよう手加減されたのやも知れぬ。そうじゃ、皆は、皆は無事か!? 【測量】!)
だが、測量結果は得られなかった。
(……? 発動せぬ。これはまさか、異能を封じる異能か?)
震えながら、伊能は立ち上がる。視線を巡らせると、すぐそばでバルムンクとカッツェが倒れていた。カスパールの姿はないが、先ほどから伊能の【測量】限界である数百メートルのはるか遠方から射撃していたため、大丈夫だろう。
「もういい加減、お仕舞いにしましょう」
氷魔術で地面を凍らせながら、首領がゆっくりと歩いてきた。
「イノーちゃん」バルムンクが立ち上がる。伊能を庇うように立って、「イノーちゃん、逃げて」
剣を構えるバルムンクの、体が震えている。大人だって、怖いときは怖いのだ。伊能だって怖い。だが、
「大丈夫ですじゃ」
伊能はバルムンクを下がらせようとする。
「何言ってるの、イノーちゃん!」
「バルムンク殿は、カッツェを連れて離れてくだされ」
伊能もバルムンクもカッツェも、異能を封じられている。射撃が止んでいることから察するに、カスパールも同様だろう。
ならばこの場は、伊能探検隊の隊長にして最年長の自分が引き受けるほかない。
「何言ってるの! イノーちゃんも【測量】が使えないんでしょ!?」
「大丈夫じゃから」
「……自棄になってるわけじゃないのよね? 何か考えがあるのね?」
「はい。ワシを信じて、今はここから離れてくだされ」
「……分かったわ」
カッツェを抱え上げ、バルムンクが去っていく。
「さぁ、来なさい」首領が凄惨に微笑んでいる。「精肉のお時間よ」
「痛いのはごめんこうむりたいですのぅ」
伊能は痛む体に鞭打って、一歩、二歩、三歩と首領に近づいていく。
その道中で、大振りの石を蹴り飛ばした。
石を、蹴り、飛ばした。