参章「人を撃てない狙撃手」ノ壱
【Side バルムンク】
誰にでも、誰かに頼りたくなるときはある。子供でも大人でも、男でも女でも、大人で妻子持ちで将軍でオネェなバルムンクであっても、例外ではない。
賢君と名高く精神力の権化のようなリリン・フォン・ミドガルズですら、バルムンクと二人きりになると、答えの出ないグチなどで彼を長時間拘束するときがあるのだ。
誰にでも、誰かに頼りたくなるときというのは、確かにある。つまり、今のバルムンクは誰かに頼りたくなっている。
「ごめんなさいねェ、本当に」焚火の前で横になりながら、バルムンクは弱音をぐっと飲みこむ。
バルムンクの異能【継続は力なり】。性格系異能の中でも最弱のそれは、『人よりもほんの少し根気強くなる』という性能を持つ。それだけならば、本当にただのザコ異能なのだが、【継続は力なり】には隠された性能があった。
それが、【真・継続は力なり】。【継続は力なり】の進化系で、『継続した分だけ強くなる』という異能だ。毎日欠かさず十数時間、剣を振り続けたというバルムンクの度過ぎた『継続』の結果、発現した異能である。
【継続は力なり】持ちの者は多い。が、【真・継続は力なり】の発現に至った者は、恐らく世界中を探してもバルムンクしかいないのではないか、と彼と彼の主・リリンは睨んでいる。
なので当然、その事実は最重要機密にしている。バルムンクが味方にすら【真・継続は力なり】のことを秘密にし続けてきたのは、それが理由だ。
もう一つ、理由がある。それが、
「【真・継続は力なり】を発動させちゃうと、反動で一日ほど心身が非常に弱っちゃうのよ。今のアタシじゃ、クマにも勝てそうにないわァん」
そう。一時的に強大な膂力、腕力を発揮できる代わりに、明確な弱点があるのだ。ミドガルズ領軍を預かる将軍としては、そのような弱点を公開するわけにはいかなかった。
「いや、普通の人間は万全の状態でもクマには勝てぬのですが」
引きつり笑いをしながらも、伊能が甲斐甲斐しくバルムンクの世話をしてくれる。自身も死にかけたばかりであり、数メートルほどの崖から滑落して全身打撲を負っているというのに、だ。
本来ならば、伊能よりも(精神上は)若く、立場上、下位者に当たるバルムンクの方が率先して働かなければならないというのに、火起こしも寝床の準備も料理も伊能がやってくれている。そのことに、バルムンクは自己嫌悪で死にたくなる。本来なら、そこまで思いつめるほどのことでもないのだが、こういう心の弱さもまた、【真・継続は力なり】の反動によるものだ。
「大丈夫じゃ。なぁにも心配せんでよい」伊能が微笑んでくれる。バルムンクの心の弱さを見抜いたのか、あえて敬語を外した口調で語りかけてくる。「そら、白湯じゃ。水を飲め、飯を食え。水分が足りていないと心が弱る。腹が空くと体が弱る」
そんな伊能の年長者らしい言動に、バルムンクは思わずキュンときてしまう。自分の半分くらいしかない伊能の背中が驚くほど大きく見えて、嬉しいやら恥ずかしいやら。
「ごめんなさいねェ。ホントはアタシが頑張らなきゃいけないのに」
「持ちつ持たれつじゃ。先ほどは命を救っていただいたしのぅ。【測量】」伊能が崖の上を見やる。「二人もこちらに向かっておる。じき合流できよう」
二人が食事を摂っていると、ほどなくして狼狽した様子のカッツェとカスパールが夜闇の中から現れた。
「オヤジ! と、ジジイ。大丈夫だったのかよ!?」カッツェが泣きそうな様子で駆け寄ってくる。「崖の上がはげ山になっちまってたけど……もしかしてオヤジ、【異能】のことをジジイに?」
「うふふ、教えちゃった。イノーちゃんなら信じられると思ったからねェん。カッツェ、アナタにもそういう相手が見つかると良いわね」
「俺様は……リリちゃん閣下とオヤジがいてくれりゃ、それでいいよ」『死神』カッツェが寂しそうに微笑む。
(アタシはミドガルズ家の安定を任された将軍。ミドガルズ家のためなら、悪人はもちろん善人すら手に掛けることができる)
バルムンクの中には、ミドガルズ前伯爵に対する『恩』と『覚悟』がある。その覚悟の元、日々戦場に身を置き、防諜活動にも余念がない。一方の娘・カッツェは、味方を見捨ててでも潜入先から帰ってくるとウワサが広まっているため、『死神』、『味方殺し』と呼ばれて恐れられている。父娘揃って死に近い存在だ。
そんな自分たちとは正反対の存在と言えるのが、伊能とカスパールだ。片や暗殺者にすら同情する老人(見た目は美少女)と、虫も殺せない狙撃手。
(あべこべねェ)バルムンクは可笑しくなる。(あべこべで、おかしくて、素敵なパーティーね)
◆ ◇ ◆ ◇
初めて亡くしたのは、息子だった。
次に亡くしたのは妻・ミチ。
その次に亡くしたのは――
(もう誰も、亡くしとうない)夢うつつの中、伊能は寒さに震える。(もう誰も……)
伊能の人生は、身近な人たちの死に憑りつかれてきた。
伊能が最初に結婚したのは十六歳の時。相手のミチは二十一歳の未亡人で、三歳の息子・忠孝がいた。伊能は忠孝を隔意なく心から愛したが、忠孝は不慮の水難事故で亡くなってしまった。
「実子を跡継ぎにさせたいがために、わざと死なせたのでは?」
という邪推の声があっという間に鳴りを潜めるほどに、忠孝の死を嘆く伊能の壮絶さは凄まじいものだった。
この時から、伊能は人の死を恐れるようになった。全国で百万人が死んだという天明の大飢饉において、私財を投げ売って村民に食糧を買い与え、名主を務める村からただ一人の餓死者も出させなかったほどである。
だが妻・ミチは若くして亡くなり、ミチとの間に設けた子も亡くなった。
迎えた内縁の妻も早々に亡くなった。
五十代になってから迎えた後妻とその子も、出産時に死んだ。死産だったのだ。
◆ ◇ ◆ ◇
悪夢から目覚め、伊能は毛布をかき抱く。
(【測量】――起床時間までは、まだ少しある、か)
伊能の【測量】は今や、空に輝く星々の位置すら把握できるほどになっていた。幼少から星を観るのが大好きだった伊能は、こちらの世界に来てからも事あるごとに星を眺めていた。お陰で、こうして星の位置を把握するだけでだいたいの時間を推し量ることができるようになっていた。
(【うぃんどう・おーぷん】。ははは、歩いたのぅ)
表示させたウィンドウには、【踏破距離:一、五九七キロメートル】と記されている。異世界に送り込まれてから、ずいぶんと歩いた。いや、一、五〇〇キロのほとんどはバルムンクの馬に載せてもらっての距離なので、『歩いた』と表現するには語弊があるが。
(ずいぶんと、遠くまで来てしもぅた)
この世界に来て、早一ヶ月。女神から『使命はない。自由に生きろ』と言われ、妻の遺言と自分自身の希望に沿って測量の限りを尽くしてきた一ヶ月だった。いろいろあった。本当に、いろいろあった。
このまま旅を続けるか、いったん戻るかはこの後バルムンクと協議しなければならない(昨晩のバルムンクは心が弱り果てていて、冷静な議論ができなかった)。伊能としては目前に迫る『遺跡』に一刻も早く足を踏み入れたかったが、刺客襲撃で自分もバルムンクもたいそう傷ついているため、一旦戻って体制を立て直すべきなのかもしれない。
(楽しみじゃのぅ、遺跡。高価な異能具の一つでも見つかれば、リリン閣下への恩返しになるのじゃが)
落語『井戸の茶碗』ではないが、珍しい異能具は一国一城の価値を持つのだという。となれば、前人未到の『白い蛇』奥にある遺跡はきっと、莫大な富を生み出すに違いない。父・ミドガルズ前伯爵の死後、没落したミドガルズ家を継ぎ、若干九歳で領地の財政改善に右往左往しているリリンにとっては、なんとしても独占したいところだろう。
そういうことを思えば、多少無理をしても今日・明日で遺跡に到達し、測量しきってしまいたいところである。地図化しさえしてしまえば、その範囲はミドガルズ家のモノとなる。遺跡発掘はあとからゆっくりやれば良い。
「朝だぜ、爺さん」
うつらうつらとしながら物思いにふけっていると、見張り当番のカッツェが声を掛けてきた。
「かたじけない」伊能は起き出し、身支度を始める。「ふふふん。【測量】」
もはやクセになっている異能で周囲を索敵するが、魔物はおろか小動物の一匹もいない。思えば今回の旅――第二次測量に出てから、まだ一度も魔物と遭遇していない。
尿意を覚え、草陰で小便をする。すると、すぐ耳元でガサガサッと音がした。驚いて見てみると、木の枝の上をリスが歩いていた。途端、小便が止まるほど驚く伊能。
(【測量】の精度が落ちている?)この自分が、小動物の存在を見落とすわけがない、という矜持が崩れ去る。(……ま、まぁ昨晩は死闘を演じたばかりじゃし? 疲れが溜まっておるのじゃろう。一応、バルムンク殿たちに伝えておくかのぅ)
朝食を摂りながら、伊能は【測量】の精度が落ちているかもしれないことを共有する。その後、進むか退くかを一向に問うたところ、満場一致で先に進むことになった。中でも一番張り切っているのがバルムンクだった。ミドガルズ家将軍という立場上、リリンの苦悩を身近で見守り続けてきた彼には、『リリンのために価値あるものを持ち帰りたい』という強い思いがあるのだろう。
「では、出発じゃ」
「分かったわァん」
「おうよ!」
「わ、分かりました」
歩き出してからも、伊能の【測量】はやはり精細さを欠いた。窪みに足を取られてすっ転んだり、物陰からイノシシが出てきて驚かされたりと、普段の伊能なら無意識の【測量】で絶対に避けられるはずのちょっとしたミスを連発してしまう。
「おいおい、どうした爺さん?」そんな伊能を抱き起こしてやりながら、ここぞとばかりにカッツェがからかってくる。「さすがに疲れてきたんじゃねぇのか?」
「こら、カッツェ」そんな娘の頭をポカリとはたくバルムンク。だが、【斥候】としての仕事を伊能に奪われっぱなしだったカッツェがいきいきと働き出した様子に、嬉しそうだ。
やがて一向は、開けた平原に出た。ここを超えると、くだんの遺跡だ。
「あぁ……なんということじゃ」ウィンドウを覗き込みながら、伊能は震える。「遅すぎた。もっと早くに気付くべきじゃった」
ウィンドウは、平原を取り囲むようにして真っ赤に染まっていた。
『赤』だ。地図上の『赤い点』は、『敵性反応』を示す。魔物や盗賊、昨晩の刺客などはすべて、赤い点としてウィンドウに表示されていた。
ならば、この赤い『面』は何か。
「囲まれておる。魔物の大群じゃ。数百匹、いや、千!?」伊能は、自分の声が震えていることを自覚する。「数えきれぬ。測りきれぬ。なぜ分からなかった? いや、そう、【測量】で小動物を把握できなかった時点で、気付くべきじゃった。コレは、【測量】を阻害する異能じゃ!」